154 鎮圧
影武者には、一般人とは違うプロフェッショナルな護衛だというプライドがあった。自信を持って殺意ある攻撃を防ぎ、このまま押さえ込めようと腕に力を込めた。
このまま一人でなんとかするつもりだった影武者を拍子抜けさせたのは、頼りないと思っていた周囲の野次馬たちの、個々が持つ小さな能力だった。
複数人の男達が参入し、元野球部の青年が引くオレンジカウチをさらに後ろに引っ張っていく。影武者は目を丸くし、思わず力を抜いてしまう。
しかし狂人も黙ってはいなかった。唸り声をあげながら暴れ、数人の男を弾き飛ばす。思わず青年たちも手を外してしまった。
逃げられてはまずい。影武者はもう一度、囮になりながらこの手で拘束するつもりで眼前におどりでる。
オレンジカウチの目線がまた再び、ガルドを模した影武者へ固定された。
「えい!」
そこに突如、オレンジカウチの頭を目掛けて肩下げのショルダーバッグが振り下ろされた。
白を基調とした合皮の、柔らかそうに見えて中にハードカバーの本を数冊仕込んだそれは、鉄球のような軌道でオレンジカウチの脳天にクリーンヒット。ごすんという鈍い音がした。
振り下ろしたのは、先程黄色い悲鳴をあげていたはずの夜叉彦ファンの女性だった。顔を怒りに赤く染めている。それはまるで痴漢でも見るかのような、強い嫌悪の表情だった。
痛みが強かったのだろう。オレンジカウチはひきつり笑いをしながら怒るという器用な表情で、白いショルダーを振りかぶった女性へと勢い良く振り返った。
「ひっ!」
「しじっ、邪魔だ、どけえっ!」
どもりを含む凶行男の口調が際立つ。
壮行会に来ていたプレイヤー達は、異様な声を手がかりに状況を飲み込み始めた。これは以前にも他のゲームにもあった「熱狂ファンプレイヤーの暴走」だと、榎本達はさっさと中に入ってそれを回避したのだと、少しずつ理解し始める。
対処できるのは事情を知っている自分達だけだ。その使命感だけが、彼らのフルダイブVRプレイヤー魂に火をつけた。
彼らは総じて「ダイブ中の能力を咄嗟に現実と混ぜて考えてしまう」傾向にある。つまり自分が超人にでもなったかのような気持ちになることがあった。特に、意識がオンラインとしての顔を持つオフ会では強く現れる。
ひ弱でインドアなはずの男達は、勇敢にもう一度オレンジカウチにつかみかかった。
「だああ!」
腕を捻り足を取り、転倒させて体重を掛けて身動きを封じにかかった。
女性陣はガルドの影武者をとにかく安全なところに運ぼうとした。数人掛かりで慌てふためきながら、筋肉質な彼の腕と肩を引いて人混みへと紛れ込ませる。頭ひとつ高い身長ではあまり意味はないが、人波のバリケードだと思えばよかった。影武者は引きずられるのを甘んじながら、着けていたインカムに何ことか報告する。
「ぅぐうっ!」
瞬間、床に人が複数人倒れる時の、鈍い衝突音が幾重にも聞こえた。
インドア派に見える痩せた青年から太った中年まで五名ほどが、ぐしゃりと折り重なるようにして倒れている。一番下にいるのはもちろん、凶行を仕掛けようとしていた黒づくめの男だった。
「なぜだあぁ、なぜ、なぜぇ!」
「黙れ!」
「誰かタオルっ、舌噛ませるな!」
外野が投げたタオルを口に詰め込み、自殺を防ぐ。気の触れた男だと皆が迷いなく感じていた。
そして、待ちわびた甲高いホイッスルの音が、辺りに凛と響き渡る。続いて騒々しい足音と、武骨な金属とプラスチックで占められる現代装備同士がぶつかる移動音。奥から警備員の制服を着込んだ男達が駆け寄ってきた。




