151 迫る脅威
見られている張本人の、後方に立つ影武者も状況を把握しつつあった。彼が付けているイヤホンからも同様に、阿国と警備のやりとりが聞こえている。対象が警備を抜けたことは知っていた。
ふと、共同戦線を張るロンド・ベルベットのメンバーがあらぬ方向を全員凝視しているのに気付く。
「ん?」
まさかと思い見ている方角に目線を向けた。
黒い瞳と目が合う。
ねとりとした視線が彼の目に飛び込んできて、影武者の視線をからみとって離さない。まるで道端に張られた気味の悪いポスターのような、一定の視線。その表情はうすら笑いで、ホラーの苦手な影武者はぞくりと腕に鳥肌を生やした。
「あれが」
報告にあった対象か、とインカムに向かって呟く。視覚共有などしていないため「あれ」では通じないだろう。だが阿国には通じたらしく、返答がイヤホンから聞こえる。
<ええ。怪我しない程度に相手なさって。もう空港側には通報済み、数分しないうちに到着するっ! 時間稼ぎなさい!」
阿国はロールプレイの「語尾にのをつける」口調をせずに指示を飛ばす。一言返事を入れた後、影武者は腰を少し下げて衝撃に備えた。肩でタックルしてくると報告を聞いたからこその、強い衝撃に対抗するポーズだった。
「おい、入るぞ!」
そこにスーツケースを引いて小走りでやって来た榎本が、そうメンバーと周囲のプレイヤー達に声を掛ける。状況を飲み込めていない一般陣営は、唐突に現れた榎本に激励を飛ばし世界大会の見送りを始めた。
「がんばれよぉ! ライブ配信見てるからなー」
「暴れてこいっ」
「ふぁいとー!」
「おう、さんきゅーな」
榎本がにっかり笑って手を振り、メンバーの背中をぐいぐい押して検査エリアに放り込んで行く。ギルドメンバーも手を振りながら、各々急ぎ足で中に侵入していった。もちろんガルドが後入りすることも文字情報で共有している。
<アイツだ、間違いない>
<後からおいで。影武者にオレンジカウチが引っ掛かったらだからね!>
<ああ>
<今のうちにアンタらは行きなさいの! ガルド様、暫しお待ちになって。すぐこいつ縛りますの。ほんと何しでかすかわかったもんじゃないですの!>
阿国の目論み通りイケメンの影武者にオレンジカウチは見事に引っ掛かった。ごった返す審査エリア前を掻き分けるようにまっすぐ大柄の彼に向かっている。
そこに階下から制服警備員が来ているのが見えた。阿国の手回しが効果を発揮し始めたらしく、メンバーはひと安心し胸を撫で下ろした。
「たのんますー!」
「では」
メロとマグナが影武者に声を掛け、ガルドを除くメンバーが中に入りきる。
その様子はしっかりと男の目に入っていた。
慌てるようにロンド・ベルベットが入っていく様子に、オレンジカウチは目に見えて焦り始める。
「じぃゃまだぁ!」
突然もたつく口調でそう突然叫んだ男に、周囲はぎょっとして顔を向けた。薄気味悪い笑みを張り付けた男が、まっすぐファーストクラス向けの審査エリアを向いている。
そしてパッと駆け出した。
前傾姿勢で力なく手をバタつかせながら、体を揺らして暴れるように走る。その恐怖心からか、観光客達はじわりと距離を置いた。ぽっかりと直線に空間が空いた。なおさら中肉中背の男が目立つようになる。
「オレンジカウチ……」
ガルドは小さく彼の名前を呟いた。
リアルの顔を見るのは初めてだった。自分にやたら話しかけてくるものの、戦闘が不得手なプレイヤーだ。何故生産システムの無い戦闘特化型狩ゲーのフロキリに居続けているのか、長いこと不思議だった。
その彼は、ガルドに気付かず大男に向かって走る。
探している存在が少し離れた場所から自分を見つめていても気付かない。振り向きもしない。ガルドの立つエリアをあっという間に通り過ぎた。
「ふはは、はあっははは!」
男は愉快と勝利の確信に笑い、ガルドが自分を見て感激してくれると信じていた。
しかし相対する影武者は淡々と仕事をこなす。時間を稼ぎ、あわよくば身柄を確保してしまいたい。その敵意が表情に現れた。プロ根性で表情筋を強ばらせ、眉に力を込めた表情でオレンジカウチを睨む。
「っあ?」
詰め寄るオレンジカウチの薄ら笑いが、急に驚愕へと変化した。
何故気付かない。何故我が王だと思い出さない。
「なぜ、なぜ、なぜ!」
目の前を塞ぐ人の山を腕で払い除ける。その迷惑な行動に警備が怒り、固く険しい憤怒の感情を一直線に向けられ、信じられないものを見る目で息を引きつらせた。
「ぃひいっ!?」
執着が狂気に、そして狂気が暴風のような嵐に変わってゆく。狂おしいまでの騎士への支配欲が竜巻となり、腹の底から慟哭を上げさせた。
なぜ我に気付かぬ、なぜ我を拒絶する。オレンジカウチには、本気でなぜなのか分からなかった。とにかくこの騎士をどうにかしなければならない。
そのためにすべきことを、狂気が囁く。耳元でぽつりと、次の手だてを教えてくれた。
次の命で、次の人生で会おう。そう。転生できるのだから、もう終わらせてしまえばいい。
「ぉおおっ、ガルドォッ!」
大男の首に、黒尽くめの男は勢い良く手を伸ばした。




