140 さらば恋心
悩み相談の案件があっという間に解決したことへ、金井は少々不満げだった。それならば、とみずきは案件を思い出す。つい先程パジャマ子によって考えさせられた「天秤で釣り合う量を返すべきか」という質問を投げてみることにした。
恩の部分を言い換え、目の前で皿に残った少量のものを箸でちまちま拾う彼に聞く。
「金井は、もらった愛をそっくり同じ分相手に返せる?」
「え、愛なんて無限なもの測れないから、そっくりおんなじ量は無理だよ!」
恩を愛と言い換えて質問したところ、全く予想外の返答がガリガリのオタクから出てきた。
「無限、か」
「そうだよ、泉みたいにコンコンと湧き出てて——枯れることもあるだろうけど、毎分何リッターって出てくるんだよ。ペットボトル何本分なんてみみっちいこと出来ないよー」
「だけど——物とか、言葉とか、行動とかで形になる」
榎本から貰ったものはそれは多かった。住まいを借り、言葉を山ほど貰い、道中に投げて寄越された甘い缶コーヒーや、フロキリ世界で貴重なアイテムも貰った。彼には返しきれない恩がある。
みずきはその量におののき、それが無限だと知りさらに混乱した。
「そっか。女の子って、愛を形で認識してるよね」
「いや、自分は普通の女子と考え方が違うから……」
「あはは、佐野さん確かにクールだもんね。そうだなぁ、気持ち悪いかもしれないけど、愛って『この人は僕の特別な人』っていう所有欲みたいなものを満たしてくれるんだ。僕は『愛と欲望』ってほとんど一緒だと思うんだよ。独り占めしたい、その人の特別になって幸せにしてあげたい、一緒にいろんなことしたい。したいしたいばっかりだね、あはは」
そう言って照れて頭を掻く金井が、みずきは一歩大人に見えた。自分にはその愛という感情がわかっていない。友人達の言う恋というのも、経験がなく理解できない。
「……へぇ」
「ってわけでつまりね、勝手に感情つのらせてるだけだから、僕はお返しなんていらないよ。そう! アイドル声優さんが頑張ってお仕事して、元気でいてくれるだけでいいんだ! もちろん向こうから僕に向けて愛がくれば飛び上がって喜ぶけどさ、なくてもファン辞めないよっ」
そして愛する声優の名を高らかに叫び、夜更けの店内で声を出してはしゃいだ。それを聞いていたみずきは、ファン精神と愛が同等なのかと迷い、しかし恩を愛と言い換えた自分も同じだと思うことにした。
やはり金井の説明では、愛も恩も、その量を図る単位すらわからない。彼の言うことは一つの意見で、みずきにとって同じ意味になるわけではない、ということがわかっただけだった。
彼が愛をそう語ったように、みずきも「自分の思う恩の定義」を考えるべきなのだろうと思った。
話し込むうち、すっかり金井とみずきの席の料理は空になった。
結局榎本に恩をきっちり返すべきかどうか、金井の意見だけではガルドの答えは弾き出せなかった。そもそも恩とはなにか、愛とはなにかなど、ガルドには壮大すぎてついていけない。
「直接聞いてみる。それが一番手っ取り早い」
「うん! 彼氏さんによろしくー」
そう元気に別れた金井は、しかし仄かな恋心が粉塵と化していた。
あの子があれほど悩み考える相手だ。勝ち目など無いのだと突きつけられ、ドリンクバーを飲みつつ悔しさを込めてストローをかじる。
佐野みずきを特別だと想う気持ちは揺らいでいない。しかし上には更に特別な男がいるのだ。天狗だった自分が恥ずかしい。小さな恋心は砕け散り、傷心の彼を待つのは受験戦争だ。
「リア充爆発しろ……」
アメリカ勤務の二十六才など虚構の人物だとは知る由もなく、金井・高三の春は虚しく散った。




