125 桜の季節
日本中が新年度を迎える季節は、舞い散る桜吹雪が定番の風景だ。優しい色の嵐がみずきを包み、顔についた数枚の花びらをつまんで取る。この時期の短期間だけ見られる光景に儚い美しさを感じながら、昇降口の掲示板を見上げる友人たちの背中を見た。
「うそ、よかったー! 同じだよ!」
みずきからはその文字の羅列が見えなかったが、宮のの浮かれた声を聞いて一年間の繋がりを喜んだ。
「よろしく、二人とも」
「嬉しい! すごく良いメンバーじゃない、B組」
佐久間がざっとクラス名簿を見渡してそう言った。みずきは顔と名前が一致しないために、クラスメイトが良いメンバーだというその基準がよくわからない。だがその手のことに敏感な佐久間が言うのであれば、まず間違いないのだろう。作ったわけではない自然な笑みがみずきの頬に浮かんだ。友人の佐久間と宮野も満面の笑みだ。揃って全員で笑いあい、目線が合わさる。
登り慣れた階段を登りながら、同じく名前が公表された自クラスの担任教諭について話題にする。特に宮野がげっそりした表情で彼をこき下ろした。
「担任だけどうにかならないかなぁ」
「最高学年だからしょうがないでしょ。厳しめだけど、面倒見はいいし」
「五教科の誰かってのは、予想してた」
三月に言い合っていたトトカルチョの人選に、みずきは主要五教科担当教諭を挙げていた。受験が絡む大事な一年には重要な教科だ。
「だからってミサワは無いよ~、幸先悪すぎ!」
「みやのん目ぇつけられてるからでしょ。髪型、もう少し真面目にしたら?」
「ムリ~、これ私のアイデンティティだから~」
そう言ってくるんと毛先を指で巻く宮野は、満面の笑みで付け加える。
「成績がよけりゃ、ミサワだってなにも言えないでしょ! 今年の私はひと味違うよ。だって……」
「予備校通ってるから、でしょ? もう何度も聞いた」
「だってだって凄いんだよ? 絶対すぐに成績上がるもん」
「も~……入って一ヶ月経ってないのに自信ありすぎ。大体ウチらの高校、予備校通わなくったって大学入れる高レベルな授業が売りなのに……」
「そこに畳み掛けるように予備校を入れて、目指せ国立最上位!」
「嘘だぁ~むりむり~」
そう楽しげに話す二人に、みずきは焦りを覚えていた。
三年生になった。受験は刻一刻と迫っている。
新しい教室はフロアが代わり、職員室の近い三階になった。そうまでして偏差値の高い学校へねじ込もうとする学校側に呆れつつ、みずきはまた悩みを加速させた。
やはり進学が一番幸せな進路なのだろう。
周囲が着実にがらりと雰囲気を変えたのを、みずきはつぶさに感じとっていた。おちゃらけた性格のはずがこうも前向きに勉強に取り組み始めた宮野の変化に、みずきはじわじわと衝撃を受けている。
フロキリの世界大会でVR世界の人間と話せば、もしかしたら何か掴めるかもしれない。そんな思いがどんなにちゃちで上澄みでしかなかったか、四月になってようやく理解した。
「……あ」
「おお、佐野。どうした?」
廊下ですれ違った背中に、みずきの口から思わず声がでた。みずきの学年で過去二年、さらに今年も担当するため三年間、彼女の得意な社会科を担当する男性教師だった。
「……いえ」
「なんにもないって顔じゃないなあ、どうした。ん?」
面倒見がよくフランクな物言いが接しやすいが、その体躯のせいで一気に不人気を獲得している男だった。みずきが嗅いでも不快な臭いはしないものの、友人達はこうして近付くことすら嫌がる。
汗がデフォルトであるほどに大きな体をしているのだ。
「……先生は」
みずきは、フランクで話しやすいこの教師に疑問をぶつけることにした。体躯と嫌悪感より圧倒的なそのコミュ力を重視し、彼ならば苦戦せず自分の意図が伝わるだろうと推測する。
肉に埋もれた細い目がみずきを見た。
「なんで大学に行ったんですか?」
「先生か? そりゃ、先生の夢は昔から先生だったからなぁ」
オフ会で見たジャスティンを凌駕するサイズのウエストを揺らし、出がらしのような声で教師がそう話す。みずきは外見で人を判断したくはないが、人気が出ない原因はとりあえず理解できた。
「夢がもし、教師じゃなかったら……どうしましたか?」
「おお? うーん、先生は日本史が大好きだからなぁ。日本史が勉強したいから、大学は行ってたと思うぞ」
当たり前の答えが聞けたみずきは、予想通りすぎて落胆した。自分が聞きたいのは「勉強と夢が結び付かない人生を歩んでいる人」の例だ。教師という勉学の権化のような大人に聞く話ではない。みずきは自分の短絡さに絶望した。
「ありがとうございます……」
「おっと、佐野」
「はい」
立ち去ろうと話を切り上げたみずきを、そのまま日本史担当の教師が呼び止める。
「仕事に繋がる学校になんて、行く必要ないんだからな」
突然の話題であった。




