114 仁
都内有数のオフィス街、有楽町の一角。
薄暗いテナントオフィスには、ごうんごうんという機械の唸るような音が響いていた。壁のあちらこちらにコードが巡り、地面にも這わせているのが入り口より一段高いカーペット床で分かる。この床は、小さな柱と大量の金属板で作ったコードカバーのようなものなのであった。
巨大なサーバー、外部保存装置、冷却水とファンを駆使した冷却システムと、人間ごと冷やしにかかるフル稼働のエアコンが壁を囲んでいる。オフィスというには少し設備が本格的だった。
「おや」
スマホと呼ぶには巨大で分厚い端末に、家族からのメッセージが届く。情報を取り扱う仕事をしている人間には必須の「情報漏洩対策済み外部端末」だった。
親機とネット秘匿回線で繋ぎデータを下ろしているその、動作音も大きく動作も鈍い機械のメッセージ画面を開く。社内に持ち込みつつ社外でも使用できるアイテムは、この一台しかない。
<みずきさんとランドマークタワーで合流します。夕食を一緒にできませんか?>
妻と娘のひと騒動は落ち着いたものの、相変わらずぎこちないのはわかっていた。関係を取り戻そうとしているらしい妻の気持ちを察し、こなしている仕事を定時で終えられるかチェックする。
「ボス、Cの八、枝先にかかりました」
「そっちは後回しに、五番の支援貰って外資の方を済ませろ」
「社長。先日のやつ、また来ました」
「トラップを。なに使うかは任せる——だれか、いつもの報告に行ってくれ。佐野、頼めるか」
「了解ですボス。あ、直帰しても?」
「許可する。お前は働きすぎだぞ、佐野。さっさと年休消化しろ」
ボス、その言葉そっくりそのまま返します。あなた相当休んでないでしょう。その言葉を飲み込み、礼を言って退席する。
背後では報告が飛び交い、忙しそうな有能上司が指示を飛ばし続ける声が聞こえた。一段高い蛍光イエローのゲーミングチェアに座る彼は、オールバックにした黒い髪を撫で付けている。かなりの頻度で黒染めしていると噂の、白髪を許せない彼の癖だ。
六十代だと聞いたことがある。定年が近いが、その能力をあと四、五年はこの会社で振るいたいと言っていた。本人の自覚通り、有能な男である。
髪と共にこめかみから生えるコードは、たわみながら天井に伸びて消えている。脳波感受型の最新タイプで、皮膚を介すると本当に微々ながらロスがあるのを嫌いジャック穴をつけてしまったほどだ。
数年前に日本の中枢から天下りしてきたその上司は、脳波感受型マルチデバイスやフルダイブVRゲームマシンの存在を隠すよう指示された、有能な霞が関官僚の一人だった。
本来はこんな埃っぽい会社で働くような身分の人ではない。そう思いながら背中を見る。
「ボス、南アフリカ経由の掘り出し物、D掲示板に来ました。自動でブロック済み。対象のトレースは……」
「速攻だ」
この台詞は嫌というほど聞いた。
速攻。自分達の仕事に求められる能力だ。みずきの父、佐野仁は一人物思いにふける。
「マイペースな私には向いてないんじゃないかな、この仕事……」
そう愚痴りながら、築四十年クラスの古いオフィスの、黒く汚れた階段を降りていった。




