第二章51 ヨーコ①
「――――んでさー、この前なんかさーあ、まゆりんに教えて貰ってた魔力遮断がなかったらマジやばかったってー。って、リョウ! アンタ、アタシの話ちゃんと聞いてる?」
その時、ヨーコから放たれた白羽の矢が、油断しきっていた燎祐の眉間に、見事にブッ刺さった。
急に声を向けられた燎祐は、ビクッと身を震わせ、だらしなくついてた頬杖から頬を浮かせる。
「――お、おう! き、聞いてるぞ? 一応、な?」
たどたどしい返事だった。
その返事に、ヨーコはパチッと片目をつぶって、小首を傾げた。
「ホントかよー? じゃあアタシの話ちょっと要約してみー?」
膝の上で結んでいた手をスッともちあげて、両肘を反対の手で支えるように腕を組む。
どうやら疑いの目が向いているらしいと分かって、燎祐は、ぽりぽりと頬を掻きながら、記憶を辿るように視線を天井に向けた。
「ええっと……確か……、ある日突然、レーテオルフっていう異世界に君臨する魔王に、勇者として召喚されて……、そいつの部下の超悪魔神官と一緒に異世界を巡っているん、だよな……?」
「おっ、ちゃんと飲み込んでんじゃん! えらいぞえらいぞー!」
ヨーコは組んでいた腕を解いて、口の前で、パチパチパチと小さく拍手。
最後にパチっと一拍打ってから、スッと手を膝の上に戻すと、燎祐が話をちゃんと聞いていたことに気をよくして、今度は若干前のめりに語りはじめた。
「つかさー、あの世界、マジやばくてさー、こっちのクレカもケータイも使えんの。しかも異世界と現世渡りたい放題って、どこが異世界召喚やねんっつーの! ただの異世界旅行じゃん!」
「確かに色々やばいな」
「だろー! なんつー世界だっつーの!」
「いや、ヨーコがだよ」
「は? ぶっ殺すぞテメエ」
一秒前まで上機嫌だったヨーコの顔が、これでもかと、くわっと歪んだ。
唇を目一杯に反り返らせて、質の悪いヤンキー丸出しだった。
なのに、座布団の上では綺麗な正座を保っている。
見た目の派手さや言動に反して、育ちが良すぎだった。
なるほどレナンに負けず劣らずのアンバランスなやつである。
時刻は既に午前二時。
ヨーコは家に上がってからずっとこんな調子で、一人暮らしをはじめてからの、奇想天外すぎる日常の話を燎祐に浴びせかけていた。
んが、その内容が、あまりぶっ飛びすぎていて、ヨーコをよく知る燎祐でさえ、表情の下に忍ばせていた心配の色を、いよいよ隠せなくなっていた。
なにせ会った直後に、魔王だ、勇者だ、異世界だと言い出すのだから、これは相当キてると燎祐は思った。
脱法的なお薬を使っているのだとしたら、これは、なかなかのガンギマリ具合ではなかろうか。
燎祐は、心配とも冷ややかとも付きがたい、なんとも言えない目でヨーコを見る。
「だ・か・ら! アタシはマジでレーテオルフの勇者なんだって! じゃあこの写真見てみろよ! あっちの世界のだぞ!」
ヨーコは苛ついた顔を見せながらも、高級ホテルのフロント嬢が鍵の引き渡しをしているみたいな流麗な所作で、裏面にした携帯をそっとテーブルの上に置き、スーッと燎祐の方へ差し出す。
受け取る燎祐の方も、改まった感じにぺこりと一礼を交えて、拝借した携帯の表を返す。
「――――」
一見すると森、あるいは山のような場所で撮影された写真のようだった。
その画面の真ん中には、丸っとした灰色の塊が、デンっ、と映っている。
よく見ると、塊には目がある。
キレのある鋭い目だ。
その下には、ワニの口みたいなゴツゴツ感のあるクチバシがあって、動体を包むほどの大きな一対の翼がある。
ファンタジーで見かけるドラゴンの類いと似ている。
ただ、そのドラゴン、不幸にも喉にモノを詰まらせてしまったかのように、クチバシが力なく上下に開いてた。その真ん中から伸びきった黒い舌が覗けている。
一対の大きな翼も、骨が折れた傘みたいに、だらーんと垂れ下がっている。
どうみても討伐された後だった。
燎祐は、これは確かに現実では見たことがない生き物だ、と関心半分、不可思議半分といった顔で目をしばたかせる。
が、よく見ると画面端に誰かが映っていることに気づいた。
人間だ。
金髪だ。
ヨーコだ。
横たわるドラゴンのそばで、エレベーター嬢のように佇みながら、キメ顔で「こちらでございます」と手を出している。
が、そのサイズ感がおかしい。
横たわる怪鳥の体高が、どう見てもヨーコの四倍以上あるのだ。
燎祐は形態から目を離し、最高速度でヨーコを見る。
「なにこれ」
「向こう側のハト」
「ハト」
「クソデカいっしょ」
「アッハイ」
燎祐は携帯をうらっ返しにすると、口端に、哀しげな笑みを滲ませた。
そして、そっと目を伏せながら、携帯をヨーコに返し、わずかに顔を横に向けた。
「ちょ、なに目ぇ逸らしてんだよ!?」
「いやあ、よくできてるなって」
「合成写真じゃねーから! マジで全部マジだかんね!!」
ヨーコは、音を立てないようにテーブルに手を載せて、ほんとなんだから!、と喚く。
その熱量に押され、完全に白目を剥く燎祐。
ヨーコは久瀬まゆりと同じく国魔連のライセンスを持っている。それでもし、ヨーコが魔獣の討滅なんかに参加していたのなら、この写真の珍獣とのツーショット撮影も、もしかしたらあり得るのかも知れないが、ヨーコは、あいも変わらず異世界を猛プッシュ。
なにがそこまでヨーコを熱くさせているのかと、燎祐が困惑していると、突然、その流れを打っ手切って、ヨーコがぱたっと話を変えた。
「ところでさーあ、この家、なんでこんな結界分厚くなってんの? これ殆ど神殿とか聖域レベルじゃん? アンタ抗争にでも巻き込まれてんの?」
ヨーコは、視線を天井に向けながら思案気に問う。
なんの脈絡もなかった。
その視線を追うように、燎祐も上を見る。
「それ、前にも似たようなことを言われたんだが、やっぱ分かるもんなのか」
燎祐の言葉が部屋の中心に打ち上がる。
数秒後、部屋の中を飛んでいた虫を見失ったように、二人の顔がもとの位置にかえり、ふたつの視線がテーブルの上でかさなった。
「流石にアタシでも気づくよ、こんなの。分からない方がおかしいってレベルだよ」
ヨーコは、スンと鼻から息を吐いて、上を向いているあいだに持ち上がっていた肩を、呼吸と一緒にストンと降ろした。
――アタシでも気づく、か。ヨーコの自己評価は相変わらずみたいだなあ
彼女の力量を知っている燎祐は、内心で苦笑した。
ヨーコこと、葉礼子は、金色の魔力色と風の魔力特性を持つ、特異体質者だ。
もしも、この時代に、前代未聞の怪物があらわれなければ、ヨーコは、同年代では、間違いなくピカイチの実力者である。
だが、ヨーコ本人は、自分は他の人よりちょっぴり凄い程度の認識しかないらしい。これは別に、中学時代に久瀬まゆりと対比しているのではなく、根っからの考え方の癖だった。
ヨーコは、自分を特別だとは思っていない。それどころか、普通のレベルだと信じ切っている。
そんなわけで、ヨーコが己の実力を自慢することは先ずないのである。
「なんかこれ気になるからさーあ、家ん中、ちこーっと見させてもらってもいい?」
「それなら隣の部屋は開けるなよ。いまちょっと貸し出し中なんだ」
「へーい」
ヨーコは、曖昧な返事を返しながらも、折り目正しく、背筋をピンと伸ばしてスッと立ち上がり、静かな身のこなしで居間を出た。
燎祐は、着座したまま上半身を仰け反らせて、居間から顔を出し、ヨーコの背を見送った。
すると、丁度、ヨーコが台所へ入ってく姿が目に入った。
燎祐は、ヨーコが隣の部屋に入らなかったのを確認して、ふぅと一息つきながら、身体を戻した。もし、ヨーコが隣の部屋に踏み込んで、レナンの私物なんぞを見つけてしまったら、なにを言い出したか分かったものではなかったが、これは予防線を張っておいた甲斐があったようだった。
数分後、ヨーコが、お盆を小さく抱えながら戻ってきた。
お盆の上には湯飲みに注がれた二人分のお茶が乗っていた。
どうやら行ってきたのは台所だけらしかった。
なんだ、お茶を入れに行っていただけかと、燎祐は思った。
ヨーコは、流れるような動きでテーブルにお茶を出してから、お盆をお腹に抱えて着座した。
座った後に、お盆を隣に避けた。
ヨーコが燎祐のほうに顔を戻したが、なにを話すべきかと迷っている内に、しばし無言の時間が続いてしまった。
二人の視線がお茶に向く。
感想のひとつでも言えば、また会話が始まるだろう。
燎祐は、とりあえずといった感じに湯飲みに手をつける。
あったかい陶器の熱と湯気に乗る緑の香りが、お茶の味を予感させる。
ほどなく、口の中に、緑豊かな茶葉の香りがふわーっと広がっ――――
「ねえ、この家、女いるでしょ。台所見たら分かるわ」
「ブオホォッーーー!!」
体内でお茶が暴発してしまたかのように、燎祐の鼻と口が一斉に緑の液体を噴いた。
ものっそい音とともに、テーブルの上にお茶のが降り注ぎ、緑の香りが立つ。
なお、向かいに座っていたヨーコは、これを予期していたかのように、お茶の直撃を障壁で防いでいた。
「ゴッホゴッッホ!! だ、出し抜けに、なに言ってんだ、お前っ!?」
燎祐が、ギョッとした顔でいった。
鼻の穴から、緑豊かな液体がボタボタと垂れている。
咽せすぎにも程があった。
ヨーコは、その姿を目に入れ、口許に右手をやった。
「え、アンタ、マジ? マジで女連れ込んで、よろしくしちゃってるわけ? あんなに可愛いまゆりんがいるのに?」
身体を仰け反らせ驚くヨーコに、燎祐は、身振り手振りで全否定する。
「人聞きの悪いこと言うなって!? 知らない間にまゆりと母さんが許可してたんだよ!? 俺は巻き込まれた側だっての!」
「それってアンタ……、とうとうまゆりんに捨てられたってことじゃないの……」
ヨーコは右手で隠している口許に、更に左手を追加して、驚きよりも、哀れみの気色を濃くさせた。
燎祐は、更に前のめりになって反論する。
「ちげえよ!? まゆりと母さんが国魔連と防衛省の件で家を空けるからってさ! それで、打って付けのヤツに、身辺警護を頼んだんだよ! 俺は、魔法が使えないからってなっ」
「うわダッサ! まだ引きずってんの! まあアンタらしいっちゃらしいけど、いい加減吹っ切れてもいいんじゃないのーそれー」
笑いのあまり勝手に開きそうになる口許をぎゅっと押さえながら、ヨーコは小さく肩をふるわせる。
しかし、その動きが、はたと止まり、今度は目を白黒とさせた。
「つーかさ、国魔連とか防衛省がなんで絡んでくるわけ? ……んん? え、待ってよ。ってことはさ、あれ……、まさかさ、まゆりんも、おばさまも居ないのって――――」
「お前にしては察しが悪いじゃないか」
燎祐は、いつの間にか浮き上がっていた尻を座布団の上に落として、どこか張りのない声で言った。
その様子は、落ち着いたというよりは、諦めと似た空気をほんのりと醸していた。
ヨーコは察した。
「は? それって、また、ってこと? また、なの?」
「ああ、また、だ。俺が知らないあいだに全部進められてた」
それを聞いたヨーコは、口許を覆っていた両手を額に滑らせて、ゆっくりと天を仰いだ。
合点がいったのだ。
「はあ~、そっかあ。まゆりんと連絡つかなかったと思ったら、そういうことだったわけ。まあ……、確かに、アンタに知られちゃあ、大変なことになるのは目に見えてっからね。黙っていったのは正解だわ。でもアタシには報せて欲しかったなあ……」
ヨーコはガクッと首を折った。それから、ゆっくりと面を上げて、少し上目遣いに燎祐を見た。
「まゆりんはさ、無理強いされたんじゃなくて、今度こそ、ちゃんと自分の気持ちで、行ったのかな」
「そう聞いてる」
「そっか……。もし無理強いされたんだったらさ、アンタと一緒に暴れてやろって思ったけど、それじゃ仕方ないや」
ヨーコは、ふうと大きく息をついて目を瞑った。
頭では分かっていても、気持ちでは納得しきれていない感じだ。それは燎祐も同じだった。
やはり、まゆりのことが気がかりだった。
全てを黙っていたこともそうだが、この家の結界のこと、そして指輪のこと――まるで自分が居なくなってしまうことを分かっているような想いの遺し方に、どうしても、寂しさを感じた。
不安を感じた。
けれど、今は、それを考えないようにしていた。
「まゆりんが自分で決めたなら、アタシやアンタの出る幕はないね。って、アンタは特にだよ! 前にそれで酷い目にあってんだから、今度ばかりは自重しなさいよね! そこんとこ、ちゃんと分かってんの? まゆりんが黙っていったのって、多分そういうことなんだかんね?」
「……ヨーコ、そのことなんだけどさ」
燎祐がぽつりと言った。
「俺は、なにをしたんだ」
「あん? それはアンタ、当の本人が一番覚えとることでしょうが。なんでアタシに聞くわけよ」
ヨーコは、軽く顎をしゃくって、何を言っているんだか、とでもといわんばかりに、目を眇めた。
だが、見返す燎祐の目の真剣さを呑んで、すぐに顔を戻した。
「アンタ、覚えてないの?」
燎祐は静かに頷いた。
「俺は、連中に、まゆりにもうあんな仕事はさせないって約束をさせたのは覚えているんだ。けど、その約束をどうやって取り付けたのか、思いだそうとしても、断片どころかひとつも記憶がないんだ……。真っ白で、空白なんだ」
「リョウ、それって――」
「――ヨーコ、知ってるなら教えてくれないか。俺は、あの時、なにをしたんだ」
その言葉に、ヨーコは息を詰まらせ、固まった。
視線を交えたまま、二人の間で、時間が止まる。
時計の針だけが、チクタクと鳴っている。
ほどなく、ヨーコは観念したように、はぁと大きく息を吐いた。
「その話をする前にさ、アンタちょっと顔洗ってきなさいよ」
「え」
「え、じゃないっつーのっほほほ! 流石にそのツラ拝みながらのシリアスは、アタシもゴメンだわあっははははは!! ヒトがマジメに話しようってのに、鼻から緑の液体とか、マジ、ないわっ!! あっはははっは!! うわはっ、くっそダッセェェー!!」
言い終えるより先に、ヨーコは腹を抱えて大笑いし、ヒーヒーいいながら、身をよじって絶倒した。
そんな金髪少女を尻目に、燎祐は、右掌で鼻を拭った。手にべっとりと緑茶の緑色が付着した。
燎祐は、少女の笑い声の絶えない居間から、そっと立ち上がり、音もなく洗面台のほうへと消えていった。
その背には、哀愁を感じさせるような、重く暗い影が、哀しく差し込んでいた。




