第二章48 ROUTE B④
「……ここは。俺、メイさんの家にいたはずじゃ……」
気がつくと、燎祐は家のベッドの上だった。部屋の中は薄暗く、窓には中途半端にカーテンが掛かっている。
半身を起こし、辺りを見回すもメイの気配はない。近くに誰の気配もしない。
燎祐はベットからのそりと起き上がり、窓から外を眺める。
路上には、倒したはずの黒服たちの姿はなかったが、代わりにパトカーが一台止まっていた。
どうやら騒ぎを聞きつけてやってきたらしいが、めぼしい情報が得られなかったようで、制服姿の警官がとぼとぼとパトカーに戻ってく姿が見えた。
ほどなく、走り去ったパトカーを見送った燎祐は、黒服との闘いと、メイとの一幕が現実のものだったと再認識した。
「メイさんの家から出た記憶がないってことは、意識がなかったわけだよな。にしても、指輪が防げなかったって、どういうことなんだ?」
メイが家に自分を送ったのか、自分の足で知らぬ間に帰り着いたのかも分からない。また、意識を取り戻すまでのあいだ、自分が何をし、何をされていたのかも不明だ。
時計をみると、時刻は間もなく零時をまわるかといった頃だった。
燎祐は肺に溜め込んだ空気を、一息に鼻から吐き出す。
「もしかすると、以前に意識を失っているうちに、今回みたいな事態の保険として予め魔法か催眠術をかけられていたのかもな……」
やはりメイは危険だ、燎祐のその認識はより強くなった。
けれど、メイの情報に頼らざるを得ない状況であるのも確かで、今は教えられたとおりに徹するほかない。
さもなければ、今度こそ生徒Aを奪還する機会を永遠に失うことになるだろう。
何せ相羽は、拉致した生徒Aを取引材料にするどころか、儀式の生け贄のように扱っているのだから。
事が済んだからとて無事に帰される見込みはない。
最悪、生徒Aが見つかったとしても、どんな姿になり果てているか分かったものではない。
「……相羽が東烽高校に現れるのは分かった。でも生徒Aの居場所はなぁ……」
こればかりは、相羽をとっ捕まえて吐かせるしかないのだろうが、封鎖区画でレナンに追い詰められてなお、ヤツや腕を自切してトカゲのように逃げ果せたのだ。口を割るとは到底思えない。それどころか今度こそ完全に自爆しそうだ。
「相羽がダメなら、稲木出を説得できればいいが……。というか、そもそもあいつは、なんで封鎖区画なんか出入りしてたんだ……?」
女の子の話では、稲木出はずっと以前から封鎖区画を出入りしていたそうだ。ちなみに相羽たちが出入りし始めたのは半年ほど前のことらしい。
よって、稲木出がカリスに接触するために封鎖区画へ通っていたとはならない。
その考えを後押しするように、封鎖区画で女の子から言われたことがあった。
『あいつら、まえは、いつも、ばらばらだったんだ。入ってくるとこも、出てくとこもちがう。でもな、さいきんいっしょにいるんだ。あいつら、なんだ? リョースケしってるか?』
つまり、相羽と稲木出とが一緒に行動するようになったのはつい最近になってのことで、稲木出はそれよりも以前から、何らかの目的があって封鎖区画に潜っていたことになる。
しかし、燎祐には、ひとつ、それよりも気になることがあった。稲木出の自分に対する異様な執着心だ。
「稲木出の話じゃあ、俺が封鎖区画で殺されそうになった日の朝、体育館裏であいつと何かトラブルがあったらしいが……。でも普通そんな程度のことで、幻覚魔法を使って封鎖区画に誘い込んで殺す、なんて発想になるか?」
封鎖区画を出入りしている稲木出が、既に正気でないのは言動を見れば納得できる。恐らく瘴気に精神を蝕まれているのだろう。
だが発端は?
そうなる発端はどこにあっただろうか。
燎祐は窓辺から離れ、小さな本棚の前に膝を折った。雑誌や本と一緒に並んでいるのは、小中学校の卒業アルバム。
その中で、燎祐がスゥっと手を伸ばしたのは、中学の卒業アルバム。
「あいつは、稲木出は――俺が記憶している以前から、俺のことを知っている」
アルバムは、ほぼ新品のまま眠らせていたので、装丁を開くと、折り目のついていない部分からパリパリッとした音がした。
ページは静電気を帯びたように、或いは糊付けされてしまったかのように、ピタリと次のページにくっついている。燎祐は、それに爪を立てて、一ページ毎に剥がしていった。その度にワニスの臭いが鼻腔を刺した。
「会っているはずなんだ……稲木出と、どこかで」
パラリ、パラリとページがめくられていく。
そのうちに、燎祐はある少女の名前を見つけて、自然と手が止まった。
「…………」
燎祐の目に留まったのは、中学の三年間で一番付き合いのあった少女だった。
見た目は派手なのに、レナン同様に居住まいがピンとしていて、口はかなり悪いのに、困ってる人を絶対に放っておけない、根っこから善人という不思議なタイプだった。
「ヨーコのやつ、これで葉礼子って読むんだもんなあ。未だに読める自信ないわ。どう見てもヨウ・レイコだろ」
略してヨーコになった。
ヨーコはまゆりの中学時代の一番の親友で、ヨーコ本人は、まゆりの一番弟子を名乗っている。
なお、銀髪ふんわり系と違って、ヨーコは完全な金髪ギャルなので、二人が並んで歩くとギャップが凄まじかったのを燎祐は今でも覚えている。
なお、そこに燎祐が加わるとも、もう意味が分からないトリオになっていた。
だが、不思議とこの三人は気が合った。いつもつるんでいた。
だから燎祐もまゆりも、この関係は高校でも続くんだろうな、と思っていた。
でも現実はそうならなかった。
ヨーコは親とはあまり上手く行っていなかったようで、現在は親とは離縁し、独立して生活している。
その関係で、高校は他県の学校に進学し、併せて住まいも移っている。
なので、かつてのように、いつでも会える距離にはいない。
引っ越しも卒業式の翌日だったので、ヨーコとはそれ以来になる。
そんなことがあったから、旧友の顔にどうしても目が引きつけられてしまって、まだ卒業からそんなに経っていないのに、何故だか心の裡に懐かしい風が吹いているのを感じた。
「あいつも東烽だったら、まゆりも喜んだろうにな」
本音を言えば、喧しいのがいなくなって却って自分の方が寂しい気持ちを味わっていたのかも知れない。
そんな気持ちを今になって抱いてしまったのは、紅蓮を従える凜とした少女を、たとえ一時のこととはいえ、隣から失ってしまったからか。
いつもなら、誰もいない常陸家の夜なんか何とも思ったことがなかったのに、自分以外の誰もいないことが、こんなにも空しい。
ただ一人の暗闇のなかでは、時計の針の音さえ寒々しく、こんなにも寂しい。
「……独りは、もう嫌だな」
ぽつとつぶやいた言葉は、薄暗い部屋の空気に溶けて消えた。
燎祐は、手の中のアルバムから目を離した。
呆然と虚空を見つめているうちに、ゆっくりとゆっくりと時間が過ぎていく。
だんだんと、だんだんと部屋の中が静寂に落ちていく。
と、その時、ポケットの中で携帯がブルブルと小刻みに振動した。
メールかなと思って、ポケットに手を延ばしているうちに、振動が連続した。
取りだした手の中の携帯を覗き込むと、ディスプレイには電話番号の通知に代わって、名前が表示されていた。
『ヨーコ』と。
燎祐は通話ボタンに指を置きかけるも、出るべきか躊躇った。
躊躇っているうちに、呼び出しのベルは鳴り止んだ。
物言わぬ携帯を黙って見下ろしているうちに、燎祐は言い知れぬ罪悪感を覚えていた。
が、直後、聞き慣れぬ音が下階から響いてきた。
バンバンバンと家の戸を叩く音だ。
次いで聞こえたのは覚えのある声だった。
「おいこらぁー!! アタシがせっかく出向いてやってんだから開けろってのお!! つーか、アタシのまゆりん出せやぁー!」
「はっ!? ヨーコ?! なんで!?」
燎祐はその場から飛び上がって、バタバタと慌てた様子で窓から顔を出す。
すると、下を確認する間もなく、顔面に何かが投げつけられた。
「ごふゅ!? な、なにこれ、ういろう?!」
「NHKの契約スルーするみてーに居留守使いやがってこの野郎!! ドア開けないと次投げんぞこらあ!!」
「ちょ、ちょっと待てヨーコ!? 今開ける! ってか、なんで来た?! なんでういろー投げた!?」
「ばっか! この前から連絡入れてるっつーの! つーか、それお土産だし!」
「そりゃ悪かった……っておい、土産なら手で渡せよ!?」
「うっせ死ね! ねえつーか、まゆりんは? なんであっちの家は電気ついてないわけ?」
「あーもう! 面倒くさい! 今から下行くから、中でなっ!」
「なるはやでなー!」
燎祐が、取り急ぎ玄関を開けて外に顔を出すと、服装からしてギャル丸出しの少女が、セミロングの金髪を揺らし、ニカッと笑っていた。
「おー! はえーじゃん! じゃ、上がらしてもらうから!」
ヨーコは、金色の眼を片っぽ閉じて可愛くウインクすると、燎祐の返事も待たず、足下に投げ出していたボストンバッグを拾い上げて、久々に帰ってきた実家のように常陸家に上がって、その足で居間に向かった。
で、行儀良く荷物を端っこに置いて、一息つきながら座布団の上に正座した。
そして、頭を搔きながら後から居間に入ってきた燎祐に、言うのだった。
「おいおい、はよ茶の一つでも出せって。アタシは客人だぞ」
「俺が台所入れないの知ってんだろ? てーか、一ヶ月とちょっとぶりに会ったってのにそれかよ!?」
「あはははっ、ついね、つい」
ヨーコは半笑いを浮かべながら、悪い悪いと手を振った。
それから軽い挨拶を入れて、話を仕切り直した。
「実はさ、今日は話したいことがあって来たんだ。マジで聞いてくれないか、真面目にさ」
いつになく真剣なヨーコの眼に、燎祐は、ただ頷いた。
それからほどなく、燎祐は、耳を疑うような話をヨーコから聞かされるのだった――――。




