第二章47 ROUTE B③
ほどなく、燎祐はメイの自宅のリビングに通された。
いままで何度か玄関先まで来たことはあったが、家にあがるのはこれが初めてだった。
屋内は家具に囲まれたごく普通の一般的な家庭と違って、白を基調とした、ブティックのようなシンプル感を前面に押し出した作りだった。
白色の珪藻土が塗られた壁には、アクセントになりそうな小窓のような絵や、古ぼけたアンティーク時計がこじんまりと掛かっており、壁際には白いカバーのかかった二人掛けソファがあった。その横には、青々とした観葉植物とブリキのジョウロがあった。
「ここに掛けて」
メイに促されるまま何の気なしにテーブルに着くが、板がガラス張りのせいかどうも落ち着かなかった。
腰掛けた椅子に至っては、背もたれと座面がほぼ直角で、しかもフレームが硬い金属のため見た目以上に座り心地が悪かった。
(デザイナーって、みんなこんなヘンテコな家具が好みなのか……?)
デザイン偏重主義の調度品に、燎祐は辟易とした色を表情の上に滲ませた。
していると、台所に消えたメイが、ティーカップを乗せた受け皿を両手に、戻ってきた。
その一つが、燎祐の前にコトッと置かれた。
湯気に乗って、チョコレート風の甘い匂いがやんわりと鼻腔を突いた。ココアだ。
「これ、まゆりちゃんが好きなの。燎祐くんも気に入ると思うな」
冷たい声を聞かせながら、メイは自分の分のティーカップを燎祐の対面に置いて、そこに腰を下ろした。
「先ずは生還おめでとう。ここまで大変だったでしょう、レナンちゃんのこととか。今頃寝たきりなんじゃない?」
「メイさん、どうしてそれを」
「精使いに瘴気が天敵なのは常識よ。もっとも、精使いなんて殆どいないけれど」
「それを知っていて俺たちを封鎖区画に連れて行ったのか……」
「私がそうするまでもなく、燎祐くんたちは連中を追いかけてたでしょう? 私は、その中間部分に介入しただけ」
「まるで手助けしたみたいに言ってますけど……。メイさん、あなたは、カリスに盗られたものがあるって自分で言ってましたよね。なのに自らは取り返そうとはせず、網を張るばかり」
「…………」
「なのに連中を見つけても自分では対応せず、俺たちに接触してきたのは、この件を自分以外の手で、どうにかしようって腹づもりがあったからですよね?」
「聞くけど、根拠は?」
「俺とレナンを連れ去り、相羽を追うように仕向けたこと。そして、運転手を錯乱人形に掛けて、連中に自分の死を偽装したこと――」
「あはははっ! そっかあ、そっかあ! その場にいたんだ燎祐くん! 私はてっきり、あの運転手よりあとに、君たちが連中のところに辿り着いたものだって思ってたあ! そっかあ、だから驚かなかったんだあ! ふふふ、それは誤算だったなあ!」
メイの声が、急にいつものように弾んだ。
自分の登場で燎祐が動揺しなかったわけが、いまの話で腑に落ちたらしい。
本来メイはその動揺を突いて燎祐を錯乱人形に嵌めるつもりだったが、指輪による魔法抵抗と、燎祐の心に大きな隙がなかったために術が不発した。
その理由がいったい何なのか、術者としてどうしても確かめたかったのだが、いま燎祐が口にしたことこそ、メイが知りたい回答文そのものだった。だが、燎祐はそれを言わされたことに気づいていなかった。
メイは、内心笑いを堪えきれなかった。その喜色が声として、左右非対称の薄ら笑いを浮かべるくらいに表面化していた。
燎祐は、メイのその喜色の意味が推し量れず、ただ静かに固唾を呑んだ。
「メイさん、あなたの目的は、今度は俺になにをさせようっていうんです」
「あは、いきなりそれは性急に過ぎるけど――。私も燎祐くんと長話がしたくて招いたわけじゃないから、ここからは単刀直入でいいかな」
再びメイのトーンがダウンし、目の辺りにも妖しげな翳がさした。
その奥で、糸のように歩染まった目は、燎祐の一挙手一投足に向けられている。
どう見ても腹に一物ある感じだ。
「君にはね、燎祐くん、全界恩寵教会が私から奪った品、象徴魔導具の所在を掴んで欲しいのよ」
「象徴魔導具……? それって、魔女クラスが保有する魔導具の……。ん……、いやそもそも人間の魔女は存在しないはずじゃ――――」
「ふふ、そこは忘れてくれていいかなあ。燎祐くんにしてもらいたいことは、あくまで捜索だから」
言葉尻は軽かったが、それ以上詮索はするな、とでも言いたげな気迫があった。
燎祐が押し黙ったと見えて、メイは話を続ける。
「見つけて欲しい象徴魔導具の名は、【火葬杖】。存在自体が世界の禁忌に抵触する魔杖よ」
「……エクスーロ?」
「といっても模造品なのだけれど。それでも十分に、この世の禁忌に触れているのよ。なんで私がそんなものを、なんて言わないでね。燎祐くんは、その所在を連中から掴んでくれればそれでいいから」
「一つ聞かせてください。連中は、どうして象徴魔導具を?」
その問いかけに、メイは勿体ぶったように肩を竦めて、溜め息をついた。
「最初は天魔戦争の続きがしたいものだとばかり思っていたけど、厚木基地の一件で、だいたい検討はついたかな。まあ、確定って程じゃないんだけれどね。あ、厚木の件はオフレコでね。まだ一般には降りてない情報だから」
燎祐は話が頭に入ってこず、ただただ眉を潜めた。
メイは、そんな燎祐の顔を見て、嬉しそうにパンと手を合わせる。
「あは、それがまゆりちゃんの言ってた、知りたいって顔なんだ。本当に分かりやすいね燎祐くんは」
「それはどうも……」
「いいわ、教えてあげる。
少し前のことなんだけどね、国魔連の厚木基地が襲撃されたのよ。真朱の色号を持つ魔女にね」
「初耳です」
でしょうね、という顔を向けながらメイが続ける。
「君のことだから、どうせ真朱の魔女のことも知らないんだろうけど、それはひとまず置いておくとして。
……魔女に襲撃された厚木基地はあっという間に壊滅。被害は……、まあちょっと説明しづらいけど、国魔連の存続が危ぶまれるくらい甚大だったのよ。
そういうわけで、ここ最近の国魔連は、政府と防衛省に色々と面倒な仕事を押しつけられていてね。そっちで、てんやわんやしている間に、また出たのよ。厚木基地にね」
「真朱の魔女がですか」
「一応そういうことになっているわ」
「……ん、一応って、どういう意味です?」
「別に引き伸ばすほどのことでもないから端的に言うけど、一度目と二度目の襲撃内容が、まるで別人だったのよ。魔女の姿形はともかくね」
メイは一度、そこで言葉を句切り、一呼吸おいて、改めて口を開いた。
「最初の襲撃時、真朱の魔女は、基地をこっ酷く蹂躙した挙げ句、職員全員を血祭りあげた――にもかかわらず、その傍らには象徴魔導具がなかった。
けれど二度目の襲撃時は、火葬杖を伴って現れた。けれど、魔女は魔力で威圧しただけで、外傷を負ったものはゼロ。といっても全員圧力に負けて昏倒しちゃったみたいだけれどね。まあ、という感じから、二人は本当に同一人物なのか疑問視されているってわけなの」
「あの……話の途中なんですけど、それが盗られたメイさんの象徴魔導具と、どういう関係が?」
燎祐はなんとも言えない顔でメイを見る。
もし盗まれた象徴魔導具が襲撃事件と関係があるなら、二度目の襲撃は、盗んだ火葬杖の性能を試すべく、現場に再出現しただけと片付けることも出来る。違うというなら、他に理由があったのだろうと、燎祐は考えた。
これが国魔連の考えた通り、一度目の襲撃者と別人だったとしても、二度目の襲撃者はメイの盗難品を使ったと見て間違いないだろう。
だが、そうすると今度は、盗まれたあの『火葬杖』を持っている人物は何者か、という話になる。
カリスに盗られたのだから、カリスの誰がしかという予測はもちろん立つ。
しかし拉致の一件に北領が絡んでいたことを思うと、これを一辺倒にカリスの誰かと決めつけるのは、いささか浅慮である気がした。
もっとも、その疑問をぶつけたところで、期待通りの返事がくるとは思えなかったが。
メイは、ティーカップを、そっと両手で挟んで、黒々としたココアの上に目を落とす。
「燎祐くん。君も、もう見たんでしょ。連中が繰る黒い泥人形を」
「黒い泥人形……」
泥人形そのものには当てはまらないにしても、黒い人形というのであれば、燎祐にも思い当たる節があった。
瓦礫に挟まっていた黒ずくめ、それと偽ものらしい生徒Aの亡骸――目についたときはちゃんとした形を保っていたが、その後、形状崩壊して真っ黒な砂になった、あれのことだ。
「これは私の勘なんだけどね、カリスはたぶん、泥人形で真朱の魔女を作ろうとしているんじゃないかなあって。だから私の持つ、もう一振りの火葬杖を盗りに来たんじゃないかって」
メイはスッと顔を持ち上げて、「飽くまで勘よ」と念押しして話を続ける。
「もし私の推測が正しいなら……、カリスの目的は、泥人形で偽の真朱を生み出し、信仰の御業で本物と挿げ替えること。その力を得るために東烽高校に派遣されたのが、どぎつい角刈りの男。あいつは人を従えるのは得意そうな雰囲気があるから、まさに適任よね」
「学校で? いや、確かに教室の空気が相羽に支配されている感じはあったけど……、けど、そんなちっぽけな信仰でどうにかるもんなんですか?」
「色のついた空気は、ウイルス感染みたいに外に向かって拡大するから、あの男はそれを狙っているのよ」
でも、と燎祐が食い下がると、メイは片目を閉じて口角を持ち上げた。
「もちろん別の理由もあるわよ。
燎祐くんは知らないだろうけど、帝国時代、日本軍は各地に地下施設を作って秘密裏に魔法の研究をしていたの。その最重要機密が眠る施設に蓋をしているのが東烽高校って話。主な研究対象は、時間遡行――俗に言うタイムスリップね。連中が探っているのはそれよ」
「なっ!? タイムスリップだって!?」
燎祐は、メイの言い分に明らかな難色を示した。
時間の遡行と跳躍――時間に対し、あらゆる角度から干渉し、意のままに世界を改編する禁忌――これは到達限界境界線の向こう側にある技術の代表例として、広く知られている。
よって、現実には存在しない魔法だ。
この程度は、魔法が使えない燎祐でも知っている。だからこそ聞き返さずにはいられなかった。
「相羽は、カリスの連中は、そんな馬鹿げた話を本気にしてるっていうんですか?」
「でも、あの学校、おかしなくらい空間拡張をしていたり、八和六合の幹部を教員に据えてたり、あと魔法で色んなものを隠してたりするでしょ。特殊な学校結界もそうだけど、いち教育機関というには行き過ぎなレベルの厳重さじゃない?」
「…………」
「これって、やっぱり東烽高校の下には『到達限界境界線を超えた技術』、即ち『時間遡行の秘密』が眠っている、ってことじゃないかしら。あくまで、私の推測だけれどね」
メイは目元に確信めいた笑いを浮かべながら、ティーカップに口をつける。
推測というわりには、もう調べはついているといった雰囲気がしている。
「仮にその秘密があったとして、カリスは何のために真朱の魔女を?」
「もちろん時間遡行の魔法を使うためよ。真朱の魔女は無限の魔力を持っているからって――ああ、その顔は、意味が分かってない感じね、はいはい」
メイは芝居がかった口調で一人勝手に納得して、燎祐が理解していなそうな部分に説明を加える。
「魔法は、世界に与える影響に比例して必要な魔力量が増えるの。
もし到達限界境界線の向こう側の魔法を使用するともなれば、まゆりちゃん程の魔力でも全然不足でしょうね。
そこで、無限の魔力を持つ真朱の魔女の登場ってわけ。都合がいいことに、真朱の魔女は二世紀以上前から行方知れず。そこに目をつけたカリスは、偽の真朱を擁立して、真朱の席を信仰の力で簒奪する計画を立てた」
「……象徴魔導具を持ち去ったのは、偽の真朱を本物たらしめて、信仰の力を高めるため、か。確かに筋は通ってますね……」
「だから、あの男は、タイムスリップの秘密を探るために東烽高校に現れる。カリスには、どうしても消したい過去があるから。連中、そのためなら何だってやるつもりよ」
「それが本当なら、こっちも急がないと――」
「ふふふ。慌てないで、なにをするにも潮目ってあるから。大事よ、そういうの」
メイは暗に、今がその時じゃないと諭すように告げる。
そして一拍、長い呼吸を挟んでから、再び口を開いた。
「次の新月の夜、あの男は学校結界を破壊しに、東烽高校に現れる。今夜も明日も行くだけ無駄よ」
「どうして分かるんです?」
「東烽の学校結界はね、結界の維持に『月と太陽の力』を使っているの。その結界は、そろそろ張り替えの時期に差し掛かっていてね。つまり今が一番、結界の力が弱いわけ。だから、鬼の監視の目が外れ、なお且つ月からの力が途絶える夜――つまり明後日、土曜日の夜、あの男は必ず東烽高校にいる」
メイは燎祐の目を見て、「必ずね」と付け加えた。
さながら、気心の知れた友人の居場所を言い当てるかの如きだった。
普段のメイならなら、信用するかどうかはご自由に、といった飄々とした態度を取ったであろうに、今のメイの眼は座っている。座ったまま、燎祐を見ている。信じるほかに道はない、とでも言いたげにだ。
(情報の真偽はさておくとして、どちらにしても最初で最後のチャンス、か。メイさんのやり方に含むところがないとは言わないけど、乗ってみる以外に手はないな)
燎祐は観念したように鼻で息をつき、小さく首を折った。
「分かりました。行ってみます」
「物わかりが良くてお姉さん助かるわあ」
「けどメイさん、俺なんかをアテにしていいんですか。俺は魔法が使えない、ただの生身の人間ですよ。捜索を頼むなら、もっと適任者がいるんじゃないですか?」
「あはっ、それって私にやれっていってる? 残念、それはできませーん。だって学校結界を抜けられるのは教師と生徒だけでしょ。あとは特別に認可を受けたゲストだけね。当然、部外者の私は入場規制で立ち入り不可なのでしたっ」
「……なるほど」
言葉とは裏腹に、燎祐の声は不満げだった。
メイの力量なら、立ち入り許可を得るくらい朝飯前だろうに、それをやらないのは、何か思惑あってのことか、単純に押しつけているかの二択だからだ。
その勘ぐりに気づいたメイは、違う違うと手を振って、歯の浮くような笑顔を見せる。
「嫌だなあ燎祐くん、頼んでるってことは、君を買ってるってことだよお。少なくとも私は信頼してるよお、君の、まゆりちゃんへの気持ちだけはね。だからこれは取引。もし燎祐くんが、連中から象徴魔導具の所在を掴んだら、面白いことを教えてあげる。君が知らないまゆりちゃんのこと、とかね。ふふ、どう?」
「メイさん、あなたは……」
「その顔は交渉成立ってことね」
そう言いながら、メイがティーカップを人差し指で弾いた。
すると音叉のように陶器を打った音が部屋中に反響した。
燎祐はめまいがした。
不意にリビングの明かりが落ちた。
その途端、メイの不敵な笑みが、ホラー映画のように、白くフラッシングしながら近づいてきた。
「ふふ。じゃあ、よろしくねえ――――」
「――!!?」
メイの顔面が鼻先に到達した瞬間、視界が水に溶けた絵の具のようにぐにゃりと歪む。
燎祐の目から力が抜け、身体は芯を失ったようにテーブルの上に崩れる。
倒れた拍子に、カシャンとティーカップが鳴った。
直後、燎祐は意識を喪失した。




