第二章39 隠世の少女②
「ん。なんだ? なんかいったか?」
ふんわりした声が問い返した。
燎祐はしどろもどろになった。
「えっ、なにって……だって――」
「私は返事しろっていったんだ。ほかのことは聞きたくない」
女の子は、そういって、ぷいっと顔を背けた。
遠回しな否定だった。
燎祐は、分けが分からず混乱した。
他人のそら似というには、あまりに似すぎだったからだ。
(まさか相羽の幻術か!?)
そうと疑ってかかるのが自然だった。
だが、もしこれが幻術だとするなら、魔法に耐性がない燎祐が、自力で幻術と気づけたりはしない。完全に術中に嵌まってしまって、疑念を抱くこともできない。
なのに燎祐は、いま確かに思考している。そうだと自覚できている。
(いや……、幻術じゃない、のか……。じゃあ、まゆり似のこの子は、実在の……?)
燎祐は、大きく深呼吸をして、確かめるような目で、女の子を見た。
(あれ、この子――)
燎祐の目は、あることに気づいたらしかった。
その調子で、落ち着いて一つ一つを確認すると、目の前の女の子と、まゆりは、あり得ないほどよく似ているが、細かなところで違いがあった。
まず髪型だ。
ざっくりと言えば、この女の子もボブカットだが、まゆりがエアリーなのに対して、こちらは前下がりだった。
そして恐らく、髪の色と、瞳の色も違っていた。
すみれ色の灯りの中なので、はっきりとしたことは言えないが、この少女の髪色は少しだけ青みがかって見えるし、瞳の色もエメラルドグリーンではなかった。
あと、すごく「ジト目」だった。なんだか寝起きの顔に見える。
また、ファッションの類いなのか、それとも魔法的意味合いでもあるのか、頭髪の右側に、梵字と思われるペイント様のものが施してあった。字面からすると、地蔵菩薩を意味する「カ」という読みの文字らしかった。
そして、燎祐が最後に気づいたのは、女の子の身長だった。
燎祐の中に存在する、まゆりの完璧なイメージ像と重ねてみると、この女の子のほうが、僅かながら背が高い。
といっても、数値的にみれば誤差の範囲で、こんな微量の差など、気づく方がおかしいレベルだった。
尚、外見年齢は、全くと言っていいほど差がなく、まゆり同様、十歳児相当だった。
それら全てに直ちに気づくのは、世界広しと言えど燎祐くらいなものだが、もしこれを久瀬まゆりの幻影として見せているとすれば、凡ミスどころの騒ぎではなかった。完全な演出ミスだ。
しかし、幻術魔法というのは、被術者の脳内イメージを流用するため、再現される虚像は、被術者にとって完璧であるはずなのだ。
勿論、そこは魔法耐性が物を言うところもあるが、耐性ゼロの燎祐が単独で差異を認識できている時点で、目の前の出来事は、幻術ではなかった。
よって、現時点で、燎祐が瘴気の影響で幻覚を見ているのでないならば、目の前の女の子は実在の人物で、かつ久瀬まゆりとは全くの別人ということだった。
(別人にしたって、こんなの瓜二つじゃないか。どんな偶然だよ……?)
燎祐が頭を捻って、一人うんうん唸っていると、少女は、燎祐の隣に並んで、透明の壁を、手で押しはじめた。
ただ仕草が、全然洗練されていなくて、かなり子供っぽいタッチの仕方だった。触っているというより、ぺちんぺちんと叩いているようにしか見えない。
「また、あいつがやったんだな。これ、嫌いだ。つぎはおこってやるっ」
小さな女の子は、ちょっとお冠な様子だった。
で、壁から目を離すや、今度は燎祐に視線を移した。
「おいお前、いまは出られないぞ。ざんねんだな」
「……」
「おい、返事しろ。返事しないやつは嫌いだぞ」
女の子は、ぐいーっと顎を仰け反らせて、頬をぷっくりと膨らませた顔で、燎祐を仰ぎ見た。
すると、女の子のジトッとした目が、ぱちくりとした。
「ん……? んん?――――ん。 お前、見たことあるぞ。こっちむけ。もっと見せろっ」
「?」
燎祐は、言われたとおり、抱えているレナンの横から顔を出して、女の子を見下ろした。
すると、女の子の重たそうなまぶたが、ピクっと、かすかに持ち上がった。
「お前、あいつだな。ヒトリアルキと、かけっこしてたやつだ。覚えてるぞ」
女の子は、パンと手を叩いて、顔をほころばせた。
なんだか既視感のある、ふんわり系の所作だった。
ところで燎祐は、女の子に言われたことを考えてみたが、封鎖区画で駆けっこと言われて、思い当たるのはひとつしかなかった。
「ヒトリアルキっていうのは、禍刺のことか?」
「ん。しらん」
女の子は、ぷいっと顔を背けた。でも、直ぐに顔を戻してくれた。
「おいお前、私が考えたことないこというな。それは嫌いだ。私が考えたことがあることをいえ」
「考えたことがあることって……。ええっと……、じゃあ何を聞いたらいいんだ……」
「ん。しらんっ」
拗ねたように、ぷいっと顔を逸らす女の子。でも、直ぐに顔が戻ってくる。まるで水平軌道の起き上がりこぼしだった。
燎祐は少ない情報から、一つだけ、確実に訊ねられることを口にした。
「俺が、以前に、ここに来たことを知ってるんだな」
「なんでも覚えているぞ。私はすごいからなっ」
んふふーん、と小さな胸で威張る女の子。仕草がほとんどまゆりだった。
別人というか、もはや双子の片割れにしか思えない。
「もうひとつ聞いてもいいか」
「私が考えたことあることなら、いっぱい聞いていいぞっ」
女の子は、トン、と小さな胸を叩いて、ウェルカム!、な姿勢を示した。頼られるのを嬉しがるのもまた似ている。
燎祐は、その小さな胸を借りることにした。
「教えてくれないか。封鎖区画で、いま、いったい何が起きているんだ?」
「んっ。しらんっ。私が考えたことあること聞け」
「あ、じゃあ、この壁のこと教えてくれないか? 通れなくて困ってるんだ。どうやったら通れるようになる?」
「んーー!! しらんっ!!」
頰っぺたをぷくりと膨らませて、今日一番の、ぷいっ、をする女の子。
反らした顔が戻ってこない。どうやらご機嫌の残機数が切れたらしい。
「お前、なんで私が考えたことないことばっかりいうっ! お前嫌いだ! 嫌いだ!」
ふんわりした動きで地団駄を踏む女の子。全然怖くない。むしろ可愛い。
しかし、燎祐は、それとは違う感触を抱いていた。
……やべえ。
めっちゃ怒ってる……。
一見すると、ただただ可愛い仕草でも、燎祐には、それの意味するところが、はっきりと認識できていた。
その読み通り、女の子は非常にお冠で、ぷんぷんだった。
伊達に、ふんわりした子と十年過ごしていないわけである。
尚、ふんわりした子の場合、読み違えて揶揄ったりでもしたら、マジで雷が落ちてくるまでがワンセット。
この針穴に糸を通すような運命の選択を、こつこつ十年もやってきたのだから、人の表面的な感情は、だいたい分かる。
尤も、それがわかるだけで、やらかしてしまうのが常陸燎祐という人間だが……。
「あ、あの……何でも教えてくれるんじゃ……」
「お前、私の考えたことがないことばっかり聞く。嫌いだっ」
そして今回も、ばっちり地雷を踏んだらしかった。
燎祐は、どう取り繕ったらいいか分からず、その場に膝をついて、なんとか機嫌を取れないかと思って、あたふたした。
すると女の子、目端でその様子をチラッと見たあと、何かに気づいたように、勢いよく顔を戻した。
女の子の目は、燎祐ではなく、レナンに留まっていた。
燎祐が、目をしばたかせていると、ジトッとした目が持ち上がった。女の子は、レナンを指さした。
「おい、こいつ、もう死ぬぞ」
「なんだって!?」
女の子の言葉に、驚きの声を上げる燎祐。
――死ぬって、いったいどういうことだ!?
言葉通り、死ぬ、ということだろう。
しかし、知りたいのはそういうことではない。
衰弱したレナンの様を見れば、自分の知らない間に、何かがあったことは明らかだ。もし少女が、その理由を知っているなら、訊かなければならなかった。
そして、果たしてそれが真実であるかも、見定めなければならなかった。
だが、少女の言葉通り、レナンが『もう死ぬ』なら、余計な断りを差し挟んでいる暇はない。
「こいつ、わるい空気だめなのに、わるい空気いっぱいすったな」
「悪い空気って、瘴気のことだよな!?」
「ん。しらん。でも、わるい空気もっとすったら、こいつ、すぐ死ぬぞ」
「なっ!! それなら、どうしたらいいんだ!? どうしたら助けられる!? なんとかする方法はないのか?!」
しかし、その一声が、少女の勘に障った。
「お前うるさい!! うるさいの嫌いだっ!!」
しかし燎祐も必死だ。
「頼むよ!! 何でもいい、知っているなら教えてくれ! お願いだ!! 死なせたくないんだ!!」
「んーっ!!! お前っ、またいったな!! お前、私が考えたことないこと、またいったな!!」
女の子は、目を閉じ、両耳を押さえて、いやいやをするように首を振った。
「なんでお前は、私が考えたことないことばかりいうっ!! 嫌いだ嫌いだっ! 嫌いだ!!! 聞きたくないっ! どっか行けっ! どっか行けえっ!!」
燎祐は、混乱する頭の中で、この子をどうしたら説得できるか、必死に考えた。
でも、考えきることが出来なかった。
レナンに迫る命のタイムリミットが、冷静であろうとする燎祐の心を、一気に動揺の渦に叩き落として、思考をしっちゃかめっちゃかに掻き回すからだ。
答えなんて得られるわけがない。
ともすれば、全身に取り憑いた焦燥が何をさせるかわからなかった。それこそ自棄を起こすかもしれなかった。
燎祐は焦りの頂点にあった。
が、その時、強烈な拒絶反応を起こしていた女の子が、動きを止めた。
「……でも、…………でも、ひとが死ぬの、もう、いやだ……」
塞ぎ込んでいた女の子は、耳を覆っていた手を離し、ゆっくりと目を開けた。
そして、レナンの傍によって、彼女の顔に掛かるローブをめくりあげ、汗がうっすらと滲む額に手を当てて、言った。
「……こいつ、助けてやる」
「ほ、本当か! 助かるのか!?」
瞬間、燎祐は、ハッとして口を噤んだ。
いまの一言が少女の気に障ったら、また『嫌いだ』と言われたら、今度こそ、レナンの命はないかもしれない。その綱渡りを忘れ、感情のまま口を開いた迂闊さを悔いた。
「それはいま考えた。だから聞いてもいい。こいつは私が助ける。お前もあんしんだな」
そう言って、女の子は、手の平に灯した『すみれ色』の光を、レナンの体に当てた。
魔法による治療なのだと思って黙って見守っていると、女の子は、目だけを燎祐に向けて、「でも」とふんわり付け足した。
「私が考えたことがないことは、もういうな。考えたことがないことは、ほんとうに嫌いだ。うるさいのも嫌いだ」
それだけを、ふんわり淡泊に伝えると、女の子は燎祐から視線を切って、治癒らしき魔法に集中した。
言われた燎祐は、女の子からの特別注文を頭の中でじっくり反芻してみたが――――
考えれば考えるほど、それが難しい注文に思えてくるのだった。




