第二章34 リフレーミング②
悩める尾藤の耳に、作戦開始十分前を告げる管内放送が届いた。
「不味いな……、作戦が始まったら一昼夜はここを出られないぞ……」
最大射程三千キロメートルを誇るタクティカル・トマホークであるが、その巡航速度はおよそ時速八百キロメートル。
標的である魔法船団と護衛隊との距離は、およそ二千四百キロ。着弾に要する時間は約三時間になる。
そして、この作戦の第一フェーズは、敵防郭魔法の防御性能を確認するための、つまり防郭を突破可能な威力を探るためのものとなっている。よって、弾着状況の観測までがワンセットだ。
第二フェーズは、敵の対応能力を観測する目的で、再攻撃を仕掛ける。ここで攻撃を防がれるようであれば、突破可能な威力を探るための第三フェーズに移行し、追加の検証が必要であれば、新たに次フェーズを開始する。
本作戦の最終フェーズは、防郭を突破できると証明された打撃力をもって、敵の頭を叩き、正体が判明していない魔法船団の全容を暴くことを目的とする。
尚、ミサイルの消費具合によっては、第一次作戦は中断となる。
その場合、本国まで引き返すか、ハワイの米軍基地を頼るか、転針せずそのまま魔法船団に突っ込み艦砲による肉弾戦を仕掛けるかの三択だが、今のところ未決である。
ちなみに衛星観測によって判明した情報によると、魔法船団は、船体を露わにしているのは三隻のみで、その後方には、常に黒い霧が発生している。
既に魔法船団との戦闘を経験した米国軍筋によると、この霧の中から、大型の戦闘艦が姿を現したのだという。
そのため、先頭を行く三隻の先鋒を潰して、霧の中に潜む魔法船団の本隊を引きずり出そうという魂胆だ。
あとは船団の出方次第ということになるが――――とりあえず、これが第一次作戦の大筋となっている。
もちろん各段階で準備・観測・検証を行うため、作戦遂行にかかる時間は、丸一日程度かかる見込みだ。
それだけの時間的猶予は、いまの尾藤にはない。
しかし、ここで姿をくらませれば、作戦の成否にかかわらず、蜂の巣を突いたみたいに、非難囂々となるのは明白だった。
「最低でも、いまから三時間か……」
もたれている壁の温度が、すっかり尾藤の体温と同じになっていた。
作戦開始、三分前を告げる放送が室内に響いた。
尾藤の眉間に、深い溝が浮かび上がる。
その時、右隣の壁に誰かが背を預けた。
「よりによってトマホークだなんて、米軍も吝嗇家ですよね。どうせならPGS計画の試作ミサイルを寄越せって話ですよ。そうは思いませんか、尾藤さん」
聞き覚えのある声だった。
思わず尾藤は顔を隣へ振った。そこにいたのは、横須賀基地で尾藤を連れ出した若い将校だった。
「あなたは――」
「横須賀基地以来でしたね。申し遅れましたが、自分は隠岐と言います。尾藤さん、またあの時と同じ顔になっていますが、やはり困りごとですか」
「えぇ、まあ……国魔連の方で、かなり深刻な問題が起こりまして、連絡のために少し離席したいところなんです……。できれば庁舎の結界の外までいきたいな、と」
「なるほど、それは難しいですね」
隠岐はきっぱりと言い切った。
作戦が開始されれば、施設の出入りは、原則不可となるからだ。
仮に外に出る方法があって、バレずに行けたとしても――いまこの場で、魔法に関して不明点があれば、真っ先に探されるのは尾藤。
一体いつその名前を呼ばれるか分からないのに、この場から姿をくらまそうというのは愚策というほかなかった。
「難しい、ですよね……」
尾藤も流石に、そうだよなと思って、首がガクリと折れるくらいの溜め息をついた。
しかし、隠岐は重ねて言った。
「でも不可能ではありません。ただ難しいだけです」
「と、言いますと?」
「見て下さい、あの大型ディスプレイ」
そう言って隠岐は、部屋の最奥で沈黙する大型ディスプレイを、胸元から小さく指さした。
「修理には基板の交換が必要なんだそうで、これから業者が配送に来るそうです。しかし、情報の拡散は防ぎたいので、業者の配達員は庁舎の中には入れません。うちの職員が、結界の外まで受け取りに行くことになっています」
はあ、と要領を得ない尾藤に、隠岐は続けた。
「もし尾藤さんに必要なお届け物があって、外部にいる誰かが持ってきてくれるということなら、うちの職員と一緒に結界の外に出て行っても別に不思議ではありませんよね」
問題はタイミングのすり合わせですが、と言って、柔和な笑みを零す隠岐。
それは暗に「でも尾藤さんならやれますよね」とでも言っているようだった。
尾藤は、眉間に作った深い皺の下に、呆れたような笑いを浮かべた。
「そうですね、そういえば誰かが何かを持ってくるようなことを言っていたかも知れません。隠岐さん、みなさんに周知して頂けると助かります」
「分かりました。お伝えしておきます。部品が届く頃に、誰かに呼びに来させますので、それまでは皆さんのお相手をお願いします。自分たちは、魔法のことは分かりませんので」
隠岐は、背を預けていた壁から身を起こし、自然体のまま、尾藤のそばを離れていった。
尾藤は直ぐに携帯を取りだし、オペレーター宛に一通のメールを作成した。
***
管内に午前二時を告げる時報が木霊した。
それにつられるように、オペレーションルーム内で、あちこちから、ピーピッと、デジタル式腕時計の時報音が鳴った。
職員たちの顔つきが一層険しくなる。
幕僚長は、その景色を一望できる別室にて、専用回線を通じ、横須賀基地へ連絡を取った。
横須賀基地の応答が管内スピーカーから響き、オペレーションルームからの回線を、海上で待機中の護衛隊に中継した。
そして、とうとう、第一次作戦が開始されることとなった。
しかし、メンテナンスが満足でなかったオペレーションルームは、一部の機器を除いて、沈黙を守っていた。
その静けさは、まるで、これから訪れる嵐の予兆にも思われた。
***
護衛隊の情報は、専用回線を通じて、逐次オペレーションルームに流される手筈になっていたが、弾着まで三時間も要するため、発射した後からはぷつりと音信がない。
本作戦の主役である、タクティカル・トマホークは飛距離に対し、巡航速度が遅すぎるのが難点だった。
そして、このミサイルの弱点は、まさにそこにあって、標的に対して長い射程を取った分だけ、敵に迎撃ミサイルを発射させる機会を十分に与えてしまうのである。
ならばいっそ、もっと足の速いミサイルを作ればいいだろうということで、現在、あらゆるポイントを一時間以内に攻撃可能なミサイルの開発が米国で進められている。
隠岐が言っていたPGS計画がそれだ。
しかし、今回の標的である魔法船団は、米軍の報告によれば、小型の対空機銃しか備えておらず、現代レベルの防空能力は有していないらしいので、飛翔中に撃墜される心配はなかった。
尤も、撃墜されないだけで、防郭魔法という鉄壁が控えているため、魔法船団には、そもそも防空能力など必要ないのだろうが。
よって、危惧すべきは、物理攻撃を防ぎきる、敵の防郭魔法であった。
この防郭魔法は、船団出現時から途切れなく維持されつづけているため、魔力炉を搭載しているものと考えられているが、船体を覆い尽くせるほどの膨大な魔力を生産できる魔力炉は、現在までに確認されていない。
そのため、この魔法船団は『別の地平』からやってきたものと断定された。
その魔法船団に向け、主役のトマホークミサイルが、護衛隊の艦上から煙を上げて出発したのが、今から二時間ほど前のこと。
依然、オペレーションルームの機器不具合は改善の見込みがなく、稼働している卓にだけ人が群がっているような有様だった。
そうした空気を他所に、せこせこと修理に勤しんでいたメンテナンス会社の保守員が、若干オドオドとしながら尾藤の所までやってきた。
「あ、あの……国魔連の、尾藤さん、でいらっしゃいます?」
どうやら、庁舎の職員たちにこっ酷くやられて萎縮してしまっているらしい。
尾藤は、得意の営業スマイルでもって、保守員の緊張を和らげてやった。
「はい、私にご用ですか?」
「ええっと、あ、あと十分くらいで、うちの機材が届きますのでっ、それで、あの隠岐さんていう方が……」
「ああっ、伺ってます。私はどこへ行ったらいいか聞いていますか?」
「受け取りに出る職員がラウンジで待っているそうなんで、そちらの方と、一緒にと、聞いてます、はい」
「ありがとうございました。作業頑張って下さい」
尾藤は、隠岐に見習って柔和な笑みを残し、その場を後にした。
それにしても、隠岐による口添えが既に全面に行き届いているらしく、尾藤がオペレーションルームから出ていく姿に対して、誰一人として咎めるような視線を投げるものはいなかった。
「実はただ者じゃないな隠岐さん。国魔連に欲しいな」
尾藤は、そんな風に隠岐の友好的な歩調に感謝を感じながら、一階へと通じるエレベーターへと乗り込んだ。
ただ、乗り込んでから、地上に出るまでが少しだけ長かった。
「いったい地下何メートルに建造されてるんだここ……」
軍の最高司令部が、ミサイル一発で壊滅の危機に瀕するような地表付近にあるはずもなく、また安全を期してエレベーターの速度も低速であった。
その間に、尾藤は、懐から一枚の和紙と万年筆を取りだし、一筆をしたためたのち、袖の内側に隠した。
ドアが開くと、尾藤は、あたりには目もくれず、真っ直ぐにラウンジへと移動し、手持ち無沙汰に待ちぼうけしていた職員たちと合流した。
「国魔連の尾藤です。お待たせしました」
職員たちは、はいはい知ってますよ、みたいな顔をした。
「えっと、尾藤さん? こっちも必要なものを受け取ったら直ぐに戻りますので、そちらも手早く済ませて下さい。これ、全体の士気に関わりますんで」
迂遠な言い方だった。
しかし、尾藤には尾藤の目的がある。
普段ならともかく、いまは三下相手に目くじらを立ている場合ではない。
尾藤は、職員のご挨拶を軽く受け流しつつ、彼らの後に続いて庁舎の外へ抜け出した。




