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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
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第二章32 Monday⑨

 かつて、ユーラシアの北部に、ソビエト連邦共和国という国があった。

 後にロシアと名を変えたこの国は、不可解なことに、ある時期を境に、国土の半分以上が『別の地平』と繋がってしまった。


 繋がった別の地平からは、蜂の巣をつついたように、多様な亜人が進出をしてきた。

 友好的な亜人もいたが、支配的、攻撃的な亜人も少なくなかった。人間とのいさかいは、直ぐに起こった。

 しかし亜人は、人間よりも魔法能力に優れていたため、人間社会は亜人に対して優位を保てなくなった。

 やがて政府は、国家としての形態を保てなくなり、連邦政府は解体。

 一纏りにまっていた大所帯の国家は、たちまち散り散りの小国となった。


 その後、暫くは各地で紛争が続き、ユーラシアの北部一帯は、半ば未開の土地として扱われていたが――

 『錫紵(しゃくじょ)』の色号を持つ魔女が、この混乱を見かね、単身で全土を平定、統治・掌握し、旧国土の一部を不可侵の生存圏として、人間に返還した。


 以後、ユーラシア北部の人間の生存圏は、『北領』を名乗るようになった。


 尤も、周辺の土地も名がついていないので、同じく北領を名乗っているが、人間が『北領』と言う場合には、基本的には前者を指している。


 現在の『北領』は、錫紵(しゃくじょ)の魔女の庇護に預かり、更には周辺に棲みついた亜人と交流を持つようになったため、魔法に関する技術レベルは、世界的に見てもトップクラスに位置している。

 北領は、国土を失った代わりに、高水準の『魔法』の技術を得た。


 北領は、手にした魔法(この)の技術力を使い――新たな領土を別の国に求めて、日夜暗躍している、という話がある。


 これは単なる噂話ではなく、各国政府や魔法組織の間では、事実として認識されており、各国はそれに対応すべく、要人が集う場所は全て複製して、その時の所在を掴ませず、さらには秘匿魔法によって可能な限り存在を隠す、ということまで徹底して行っている。


 こうした欺瞞は、『テロ攻撃に対する要人保護』が目的だ――というのは公然の事実だが、そのテロを煽動しているのが、どうやら北領らしいのだ。


 そうと見做される理由は非常に単純で、武装した主犯格が持っているのが、決まって、北領が開発した山刀型の軍用の武装型補助魔導機(アーマメントデバイス)『Mk3マチェット』だったからだ。


 Mk3マチェットは、オールインワンが設計コンセプトのため、非常に多機能で、本体には戦闘を支援する豊富な補助魔法が組み込まれており、さらには自律支援もこなすため、単体で完結する戦闘用補助魔導機(デバイス)としては、高級な部類に入る。


 また特殊金属で作られた刀身は、魔力特性を付与できるものや、魔力を通すことで、刀身(ブレード)を超振動させるものもあり、単純な殺傷能力も高い。もちろん、ただの山刀として振るうことだって出来る。

 

 北領が誇るこの武装型補助魔導機(アーマメントデバイス)は、一般的な軍用補助魔導機(デバイス)と違って、個体識別情報の洗浄(ロンダリング)できず、所有者以外が手にすると全機能をロック、或いは自壊する仕様になっている。


 加えて、ほぼ全体が、別の地平から持ち込まれた解析不能の技術を使って鋳造されているため、補助魔導(デバイス)機自体が天然のブラックボックスと化している。

 そのため、これを実現できている国は北領の外にはないが、それは同時に、動かぬ証拠や、分かりやすい目印ともなっているため――一説によると、北領はあえて、痕跡を残していっているらしいが、本当のところは分かっていない――北領が絡んでいるかどうかは、すぐに見分けがつくのである。


 とはいえ、あらゆる不審な点を結んだ線が、すべて北領に通じているわけではないが、悪事の出所は大抵が北領(そこ)、というのが世界の共通認識だったりする。


 その北領が、いまレナンの目の前にいる。

 全界恩寵教会(カリスホリネスティ)に扮して、或いは結託して――


「Mk3マチェット――それも刀身が振動するタイプか……」


「ククク、こいつの切れ味は、触れればナマス切りでは済まないぞ。貴様も霊装を呼んだらどうだイルルミ? 尤も、呼び出すことができれば、の話だがな!」


「なっ!? サンゲイが呼び出せないのか、レナン?!」


「どうやら、そうみたいだ。しかし大した問題ではないさ。必殺の奇襲攻撃もフイに終わったし、未知の危険はもうないよ。ダーリンのラブコールのお陰でね」


 そう言ってレナンは、チラッと燎祐の方に視線を向けて、小さくウインクをした。

 その余裕しゃくしゃくっぷりには、燎祐も笑うしかなかった。


 レナンは、パシッと右拳を左手の打ち付け、それを火打ち石にしたが如く、(ジン)の炎を全身か吹き上げ、纏火(てんか)した。

 蒼い瞳が、烈!、と燃えている。

 レナンが、流れるような動きで、スゥっと構えた。

 戦闘態勢に入ったレナンの発するプレッシャーに、燎祐は、空気の中にビリビリとするものを感じた。


「私が引導を渡してやる。覚悟は、いいか」


 その時、空気の潮目が、変わった。

 少女が発する炎熱の気迫に押され、黒ずくめたちは、無意識のうちに後ずさっていた。


「ぬ、ぬうぅう!! その言葉、丸ごと貴様に返してやるぞイルルミ!! さあ貴様等、その小娘を打った切れ!! 早く殺せ!!」


 相羽が悪代官のように声を張り上げた。そして手近なところにあった檻を、ガシッと掴み、とんでもない力でもって後方に放った。

 黒い檻が、後方の扉の方に向かって短い放物線を描いた。その墜落と同時、耳を覆いたくなるほどの衝音が室内に響いた。

 檻は大きな傷を床に刻みつけながら、水平に二転三転して止まった。


 レナンがそれに目を奪われている隙に、黒ずくめの七人が、山刀を構え、一斉に(はし)った。

 またも、レナンの注意を引くための相羽の作戦だった。


 黒ずくめは、紅蓮に燃え上がる少女を一瞬のうちに取り囲み、円上に走り回りながら、その包囲を徐々に狭めていく。

 その動きは、まるで円形に浮かぶ光線のように映った。山刀の武装型補助魔導機(アーマメントデバイス)補助魔法(エンハンス)の最大効果量を発揮しているのだった。

 並の動体視力では、視認することも不可能だ。

 だが、レナンは――


(のろ)いな」


 瞬間、七つの銀線が、円の中心に向かって走った。

 そしてコンマ一秒も待たず、山刀の刃が、中心部を捉え、紅蓮を円状に引き裂いた。

 その光景は、たとえるなら、紅蓮の扇風機のブレードが高速で回転しているような、幾何学的な絵図だった。

 紅蓮の炎は、ブレードの回転が止まる前に、立ち消えた。


 ドサッ!


 何かが地面に崩れ落ちる音がした。

 次いで、カラァァンッと甲高い金属質な音が響いた。床に山刀が落ちた音だった。


 黒ずくめたちは、ハッとして回転の中心部に視線を走らせると、そこに伏していたのは、真っ二つの肉塊ではなく――

 燃え上がる打撃痕を腹に抱え、無言で倒れている、己の仲間の姿だった。紅蓮の少女の姿はどこにもない。


 倒れている黒ずくめは、明らかに、痛烈な一撃に見舞われたであろうはずなのに、紅蓮の少女が立てたであろう攻撃の音は、一つもしなかった。それは、既に穿たれていた攻撃に今さら気づいたような不気味さがあった。まるで、かまいたちの如き所業だった。


 黒ずくめたちは、認識できない少女の攻撃に、戦慄を禁じ得なかった。


「なにをしている! 探せ、探せえええ!」


 相羽の声に尻を叩かれ、黒ずくめたちは慌てて周囲を警戒するが、紅蓮の少女は、見つからない。

 探知魔法を駆使しても、居場所を特定できない。

 強烈なプレッシャーを放っていた気配さえも、察知できない。


 紅蓮の少女は消えた。どこにもいない。


 場が、言いようのない緊張に包まれる。

 黒ずくめたちのフードの中で、粘っこいひやりとした汗が流れる。

 視線を右に左に切って周囲を警戒するが、やはり少女は見つからない。


 しかし、隠れているわけではなかった。


 レナンのやっているそれは、原理を暴いてしまえば単純で、探知魔法の擾乱(じょうらん)除去の性質を利用しているのである。

 探知魔法というのは、本来空間内の全てを把握するものだが、しかし、その情報量は膨大で、人間の脳ではとても処理しきれるものではないのだ。そのため、受け渡される情報には不要な情報を間引くためのフィルターがかかっている。よって除去される情報に紛れてしまえば知覚されないのだ。

 視覚内の情報もそうだ。見えている範囲内全てを把握できているようで、その実、注意を向けている一部分だけが選択的に抽出され知覚されている。見ているのに見えていないとはこのことである。


 煎じ詰めれば、人間には、必ず死角が存在しているのだ。

 レナンは、その中を縫うように移動している。


 その時、ドサッ、と黒ずくめの一人が倒れた。

 音の発信源に、黒ずくめたちが一斉に顔を向けた瞬間、また一人、倒れた。

 手から山刀が転げ落ち、カラァァン……、と空しい音が天井に木霊した。


「おい北領の。さっきからどこを見ている。私を見失っているのか?」


「!?」


 レナンの声は、各々の背後、しかもな至近距離から聞こえた。

 恐る恐る振り返ると、炎の熱だけがそこに残っていた。


「…………っ!」


 山刀を握る手が強ばり、異様なほどの力が籠もる。

 黒ずくめの筋肉はガチガチに硬直していた。

 自然と呼吸が速くなり、心拍数が上がっていく。

 相羽も、部屋の中をぐるんぐるんと見回したが、まったくレナンの姿を捕まえられない。


「どこだ!! どこに隠れている!!!」


「隠れているだと? 私を馬鹿にしているのか?」


 その声は、相羽の真横から聞こえた。

 バッと相羽が振り向いたとき、向いた方向とは反対側の肩が、赤々と燃えていた。

 相羽が、肩の炎熱に気づや、急にたまげた声を上げ、肩をバンバンとはたきだした。


「う、うぉぉおおお!? なんだこれはああ!?」


「おいどうした。見えているんじゃなかったのか、相羽」


「貴様ぁぁ!! どこだああああ!!」


 相羽の怒声が、部屋いっぱいに木霊した。

 黒ずくめも、相羽も、完全にレナンを見失って、狼狽えていた。

 一方、状況から忘れられつつあった燎祐は、その光景に、ひやっとした汗を流した。


「レナンの動き、遠目で見て初めて分かった……。相手の、いや、あいつら全員の死角から死角へ高速で移動してるんだ……。しかも決闘の時よりも、格段に速くなってるじゃないか……」


 魔法の力に頼らず、五感と身体能力のみで纏火(てんか)したレナンの高速戦闘に追随できる燎祐には、その動きが辛うじて見えていたが、レナンの表情から、まだ『この先』があるであろうことも見抜いていた。


「いったいどんだけギアがあがるんだ、あいつは……」


 レナンの恐るべき成長速度を目の当たりにして、武辺者の顔付きで薄らと笑みを零す燎祐。

 その一方、ペテンに嵌められたと思い込んだ相羽たちは、レナンのトリックを見破ろうと必死になりすぎたあまり、他のことは、もうなにも考えられなくなっていた。完全に翻弄されていた。


「近くに潜んでいるはずだ!! 天井も床も含め全方位を攻撃しろ!! 攻撃さえ当てられれば、数で勝る我々の敵ではない!!」


 相羽は、怒りを体現するがごとく、不可視の斬撃を四方八方に飛ばした。

 無差別に放たれた斬撃が、床や天井を切断し、時には微塵切りになった運転手の欠片を襲い、さらに細かに切断した。

 当てずっぽうな全方位攻撃ゆえ、斬撃が燎祐のところまで届くこともあったが、そのことごとくは、フッと現出する炎の壁が遮った。


「…………」


 それを見ていた黒ずくめたちは、見えているもう一人、即ち燎祐をターゲットと定め、アイコンタクトと同時に、山刀を中段に構え、疾った。

 少年を狙えば紅蓮の少女が動く、黒ずくめたちは、そう読んだのだ。

 しかし、甘かった。それが詰みだった。 


 直後、山刀を振りかざした黒ずくめたちが、無防備な燎祐に肉薄。

 たちまち銀色の線が四つ、宙に走った。

 だが燎祐は、その場から微動だにしなかった。

 それどころか、迫り来る命の危機に際して、燎祐は笑っていた。


「ほい、レナン、任せた――」


「――承知(わぉん)っ!」


 瞬間、紅蓮が煌めき、四つの銀線を打ち払った。

 鋼を打ち鳴らす激しい音が天井に響き、折れた四つの刀身が宙に舞った。

 黒ずくめたちが、カッと目を見開いた瞬間、それぞれの身体に、銃弾を撃ち込まれたような衝撃が走った。

 胸に、燃えさかる打撃痕がついていた。

 真正面から打ち込まれた打撃だったにもかかわらず、黒ずくめの誰一人も、それを認識できなかった。

 それを見下ろした刹那の後、黒ずくめたちは、声もなく、意識を空に手放した。

 身を横たえる音が四つ、続いた。


「今の動きは見えなかった」


 燎祐の真正面で、紅蓮の炎と、長い緑の黒髪が揺れている。

 脚を止め、ようやく姿を現したレナンは、柔らかに口の端を持ち上げた。


「ダーリンなら次は見えるさ」

 

 暖かな(ジン)の熱が、燎祐の頬を撫でたとき、レナンの姿はもうそこにはなかった。

 しかし、燎祐の青い瞳は、その所在をしっかりと掴んでいた。

 彼の視線が追った先で、紅蓮の燐光が流星のように流れ、その流星の尾を追いかけるように、相羽の顔が勢いよくすっ飛んだ。

 レナンの蹴りが、焼けただれた相羽の頬を、一閃したのだ。


「う、ご……ぉッ!!」


 直後、その顔面が、正反対にぶっ飛んだ。またもレナンの攻撃だった。

 だが一発で終わらない。醜悪な相羽の顔面に、次々とレナンの蹴りが打ち込まれていく。

 その度に、右に左に、相羽の顔がかっ飛ぶ。まるで顔面メトロノームだった。


「まだ倒れないか、頑丈なやつだ」


 蹴撃の音が止んだ。

 一拍後、レナンの脚が綺麗な弧を描き、相羽の側頭部に炸裂した。

 意識を刈り取るキメの一撃だった。


「ア……グ……ァ……」


 相羽の眼が白目を剥いた。膝ががくがくと震え、上体がぐわんとしなった。

 しかし、倒れることを拒否する本能が相羽の脚を動かし、ダンッ、という音を鳴らし、その場に踏みとどまらせた。

 上体を起こした相羽は、ぶるんぶるんと首を振り、レナンを睨む。

 焼けた顔の上には、レナンの脚がめり込んだ痕が、くっきりと残っていた。鼻の筋が、あらぬ方向に曲がっていた。

 相羽はボタボタと鼻血を垂らしながら、持てる声を枯らすように叫んだ。

 

「イ、……ル、ルミぃぃぃぃ!!!」


「ふむ、蟀谷(こめかみ)を打ち抜いたはずだが、呆れるほどのタフさだな。身体をいじっているのか、お前は」


 相羽の姿は、爆発事故に巻き込まれたのかというほどボロボロで、立っていられるのも不思議なほどだった。

 しかし、全身から発するただならぬ殺気は少しも衰えず、血で真っ赤に染まった眼も、未だギラギラとしている。

 憤怒、それ自体が生命を得たように、どこまでも醜悪だった。


「ぐぅぅうう……うぅううう!!!」


「諦めろ、相羽。これ以上やっても結果は同じだ。それが理解できない頭ではないだろう」


「…………ざけるなァァ…………!!! ふざけるなあああ!!」


「威勢だけでなにができる。観念して縛に就け。それとも、もう一手交えたいか」


「いい気に……なるなよ!! 観念するのは……貴様の方だ、イルルミィ!!!」


 (タン)が喉に絡まったような、斑声(むらごえ)だった。

 レナンは、相羽の眼が、不気味に光るのを見た。

 その真意を探ろうとした直後、相羽の斬撃が走った。


 ボトッ、と何かが床に落ちた。

 腕だった。

 相羽の、左腕だった。


「なにを、している……」


 レナンは、理解を超えた相羽の行動に動揺していた。

 それを見た相羽は、ほくそ笑んだ。

 

「ク、クク……貴様には分かるまい。分かるまい。私の成さんとするところが……」


 切断面から、シャワーのように鮮血が噴き出し、切り落とされた腕の上に、ビチャビチャと降り注いだ。

 生臭い血の臭いが、(ジン)の熱に乗って部屋の中に満ちていく。


「気でも違えたか……!?」


 レナンの張り詰めた声に、相羽はむしろ冷笑を浮かべた。

 そして自身の足下に転がる左腕を、焦らすような、もったいぶった動きで、ゆっくりと血だまりから(すく)い上げると、そのままレナンの方に放った。


 相羽の左腕が、断面から濃厚な血の糸を曳き、レナンの足下に、ごろっと転がった。

 レナンは、うっ、と息を詰まらせた。

 相羽は、その瞬間を見逃さなかった。


「ククク……貴様は……、貴様は、この私を仕留めるべきだった……、殺すべきだったのだ! この私を羈縛(きばく)しようなどと、甘っちょろいことを浮かべているから手抜かるのだ……!!」


 相羽の眼が、企みに満ちた、ドス黒い光を放った。

 その時、燎祐が、レナンのもとに全速力で(はし)った。


 予感がした――悪い予感が。


 それが間違いではなかったと証明するように、相羽が、口端を持ち上げ、ニイッ……と、悪魔のように(わら)った。

 邪悪な気配が蒸気のように吹き上がり、それが、黒い波動となって、周囲にほとばしった。


「だが、もう遅い!! 手遅れだ!! 千切れて益体もない、その腕のようになっ……!!! 貴様等はここで死んでゆけいッ!!」


 轟と叫び、相羽が、転がる左手に向かって、残る右手で素早く十字を切った。

 燎祐の予感が確信に変わった瞬間、相羽の姿は蜃気楼のように消えた。


 相羽の意図を読んだ燎祐は、最大の力で、踏み切った。

 飛んだ衝撃に、床が爆ぜた。

 燎祐の身体が、一個の弾丸となって、飛翔する。


「――レナン! 間に合え!!」

 

 燎祐は、レナンに向かって、全力で手をのばした。

 えっ、と驚く少女の顔がこちらを向いたとき、その足下から、激しい閃光が巻き起こった。

 相羽の左腕が、起爆したのである。

 その後を追い、倒れ伏す黒ずくめたちもが次々に起爆した。

 湧き起こる光の中でレナンを掴まえた燎祐は、すかさず身体を入れ替え、その身を挺してレナンを庇った。

 刹那、光の根源が、一斉に弾ける。


 圧縮された爆熱が、けたたましい音とともに解放され、たちまち全てを呑み込んだ。

 突き抜ける強烈な爆風が、衝撃の波が、刃となって周囲の空間を無差別に切り裂き、構造物もろとも、燎祐たちを、その場から吹き飛ばした。


 あまりの威力に、全身が、千々に引き千切られてしまいそうだった。

 それでも燎祐は、歯を食いしばり、全身に力を込め、決してレナンを離さなかった。


 やがて閃光が収まると、部屋は、もう部屋ではなくなっていた。

 ありとあらゆるものが瓦礫と変わり果て、建物と呼べる構造物はそこになかった。 


 【威光(イコウ)】の衝突をしのぐ、凄まじい爆裂だった。

 無事なものなど、なにひとつなかった。




***




 爆発から数時間が過ぎた頃、瓦礫の下で、レナンが意識を取り戻した。

 身体の上に、不思議な重みを感じた。

 レナンは、眼をゆっくりとしばたかせ、記憶を辿った。

 そうしてようやく、自分を抱き込んでいる、暖かいものの正体に辿り着いた。


「ダー……リン」


 自分でも驚くほど声がかすれていた。

 レナンは、動かせることを確認すると、自分たちに被さっている瓦礫を、背中で押しのけて、瓦礫の外に顔を出した。

 頭上を見ると、天井が綺麗に吹き飛んでいて、剥き出しの(ひしゃ)げた鉄骨が顔を覗かせていた。見覚えのない景色だった。

 その向こう側には景色は、瘴気(ミアズマ)で光る不気味な空が、どこまでも広がっており、周囲は、異常ともいえる濃度の瘴気(ミアズマ)が、霧のように立ちこめていた。

 それを目にして、自分たちがまだ封鎖区画にいるのだと、再認識した。


「ダーリンが意識を取り戻したら……、タクラマを探して……、ここを、出ないと……」


 レナンは、瓦礫の中から這い出すと、直ぐさま、あたりの瓦礫を掘り起こして、燎祐を引っ張り上げた。

 燎祐の五体は、一応無事にくっついていたが、意識がないので、どこまで無事なのかは分からなかった。

 念のため胸に耳を当ててたが、心拍はあった。呼吸は浅いが息もあった。


「はぁ……はぁ……、私も、回復魔法が、使えたら、良かったのだが……」


 レナンは、手の平に(ジン)を集め、その熱でもって、燎祐の身体を温めた。

 その熱は静まりかえっていた細胞たちを目覚めさせて、途切れた意識を、少しずつ覚醒へと導いていく。

 だが、それよりも早くに、限界が訪れつつあった。


「もう、少し……・もう、少し、だけ、もってくれ……」


 手の平にあふれていた(ジン)の熱が、その温度を急激に下げた。

 (ジン)が、底をつこうとしているのだ。

 精気に溢れるレナンにとって、こんなことは絶対に起こりえないことだった。

 しかし、絶対に有り得ないその状況が、現実に起こっていた。


 原因は、封鎖区画に充満する強烈な瘴気(ミアズマ)だった。

 この地に足を踏み入れた時から、レナンの体からは、(ジン)が失われ続けていたのである。


「はぁ…………、ぁ…………、胸が……苦し、ぃ……」


 瘴気(ミアズマ)とは、病を引き起こす穢れた空気。人の人格や性質を歪め、健全な精神を(こそ)ぐもの。

 封鎖区画の瘴気(ミアズマ)に晒されれば、常人ならば、一時間程度で心身を病み、気が狂ってしまっていただろう。

 だが、レナンの場合、それだけでは済まなかった。


 (ジン)の性質が定まっているレナンにとって、瘴気(ミアズマ)は毒であり、この封鎖区画の大気は、猛毒の海に等しかった。

 レナンが『近寄りたくない』と言っていたのは、つまりそういうことだった。

 もし相羽たちが、瘴気(ミアズマ)の薄い場所をアジトにしていなかったら、もっと早くにこの症状が出ていただろう。最悪、意識を取り戻すことはなかったかも知れない。


「はぁ………はぁ…………ッ」


 封鎖区画が、自身にとって、最も危険な場所だということは承知していた。

 長居すれば、身体に変調をきたすどころか、命に関わるということも分かっていた。

 それでもレナンが退かなかったのは、御庭番たる矜持と、友を救いたいという絶対の信念があったからだ。


 その心は、未だ挫けてはいない。

 だが、身体はもう限界だった。


 意識を喪失している間に、瘴気(ミアズマ)を大量に取り込みすぎてしまっていたからだ。

 毒は既に、身体の隅々まで行き渡っている。

 (ジン)や魔力、精気すらも食い散らかされて、残っているのは気力のみ。

 その気力さえも、身体を支えるには不十分で、次第に、体に力が入らなくなった。


 宿主の抵抗力がなくなったと見えると、それまで日和見に徹していた体内の毒が、一気に悪さをはじめた。 

 疼痛、吐き気に加わって、血管の中を汚物が流れているような気色悪さが、全身に走った。そして皮膚の下を、ぞわぞわと寄生虫が這い回っているような、おぞましい感覚が身を包んだ。

 あまりの気持ち悪さに発狂してしまいそうだった。


 今度は、空気が、針や鉄粉でも含んだみたいに、息するたびに、チクリチクリと気道のいたるところを刺した。

 その刺激は、膨れ上がる毒痛のように、どんどん強くなっていく。やがてそれは耐えがたい激痛に変わった。


「……ぁ……あ!」


 レナンは胸と喉を押さえ、その苦しみに(あえ)いだ。藻掻いた。

 そして、抗い続けた。

 肥大し続ける苦しみから、永久に逃れたいという願望に。

 痛みに暴れる(はらわた)を、引きずり出したいという衝動に。


 死がもたらすであろう救いを、レナンは拒み続けた。

 

「は……は、ぁ……ッ……ァ……、ァ……」


 その時、保っていた意識が、身体の後ろの方へ、だんだんと、だんだんと引っ張られていった。

 視界全体が、天地を忘れたように、ぐるりとまわった。

 レナンの上体がぐらっと大きく揺れ、宙を前のめりに滑った。

 

「ダーぁ……リ、ン…………」


 緑の黒髪が流れ、燎祐の胸の上に落ちた。


 レナンの身体から、(ジン)の熱が消えた。

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