第二章27 Monday④
窓の外で加速する暗闇。
視界などないに等しい。
けれどもメイは、まるで白昼のように危うげなく車を駆った。
「向こうの車、二キロくらい先で停車したっぽいから、ちょっと急ぐね。降りて行方くらませられたら面倒だしー」
メイはさらにギアを上げる。
車体に走る小刻みな震動が、座面を伝って臀部を駆け上がってくる。
「しかしメイ殿、こんなにけたたましくエンジン音を響かせていては、連中に逃げて下さいと言っているようなものだ……。せめて消音防郭を展開してからでなくては」
「えぇぇぇええーーーお姉さんそんな魔力も集中力ありまてーーんっ! レナンちゃんやってよぉぉーーー!」
「うぇ?! ぼ、防郭系の魔法は、大の苦手なんだが……、い、致し方ないか……。スゥー……ウンっ!」
レナンは右手を胸の前にかざした。すると、聞こえていたエンジン音がピタリと止んだ。
代わりに、タイヤがアスファルトを擦っていく音が、元の二倍くらい、よく聞こえるようになった。
「う~ん……、レナンちゃん二〇点……」
「に、苦手だと言っただろう! これだから防郭魔法は嫌なんだ!!」
恥じ入っているのか上ずった声だった。
でも、やるべき事は投げ出さずにやり通す性分なので、レナンは苦い顔をしながらも、消音防郭の維持に努めた。
燎祐は、そんなレナンの肩をポンポンとやって、真顔で訊いた。
「なあレナン、障壁と防郭って両方とも防御系の魔法だよな? 何が違うんだ?」
「ゑ!? ちょ、ダーリン?! あと!! あとにしてっ!! 魔法途切れるからっ!?」
慌てた様子でレナンが返すも、燎祐は意味が分からず、ただただ困惑した。
するとメイが横から会話に入ってきた。
「あはっ、じゃあ代わりに私が説明するねー。二つの違いは単純で、障壁は『場』に対して展開するもので、一緒に移動が出来ないの。対して防郭は『個』に対して展開するもので、防御範囲を伴ったままの移動が可能なの。もうちょっと踏み込むと、硬度や属性、有効範囲の話もあるけど、基本それだけよ」
「へえー、名前が全然違う割に大した違いはないんだなあ」
「ただねえ、防郭は補助魔導機経由じゃないと、状態を維持するのが尋常じゃないくらい大変なの。それこそ展開十秒で、もの凄い知恵熱が出ちゃうくらいに」
「へ?」
言われて隣に目を向けたら、レナンが、かつてないほど一杯一杯の顔をしていたので、「あ、ホントだ」と納得した。
それにしても、二〇点の評価がよっぽど悔しかったレナンは、消音防郭のレベルを、意地で無理矢理引き上げ、車体が発する音をついには完璧に消しきった。
しかし、その頃にはもうドライブの終点が見えていて、ほとんど徐行運転になっていたが。
「ここからワン・ブロック先を左に行ったところに停車しているはずよ」
メイは、ブレーキペダルを柔らかく踏んで車を停止させると、サイドブレーキをかけ、レバーをパーキングに入れた。
その一方、ある意味やりきったレナンは、完走したランナーが大の字に寝転ぶように、背もたれに思い切り身体を預けていた。見た目以上にへとへとのようだ。
「この先……か、……はぁ……はぁ……、間に、合っていれば、いいが……」
「けど車で接近できるのは、ここまでかなー」
「連中の、はあ……探知結界……、だな」
「そうなのよ!」
メイは運転席から思い切り身を乗り出して、大きく頷いた。
「そこで提案なんだけどー、お姉さんの話、聞いてくれるー?」
暗い車内でも、メイがニッと笑っているのが分かった。
「「ま、まあ聞くだけなら」」
二人は、口ではそう言いつつも目では思いっきり否定していた。
するとメイが、笑顔のまま、右手をフィンガースナップの形に変えたので、二人は「聞きます」と言い直す。それに「よろしい」と返して、メイは優しげな顔の中に少しだけ真剣な色を混ぜ込んだ。
「探知結界といっても、よっぽど卓越した技能がなければ、術者が動体を正確に捕捉できるのは二つが精々。けど、相手を混乱させることが出来れば、術自体が機能しなくなる。言っている意味、分かるよね」
「俺たち二人が囮になって、メイさんが魔法で術を解除させるって算段か」
メイの言っていることを、言葉通りに受け取るなら、まさしく燎祐のいっているそれだった。
しかし、レナンは、いやいやをするように首を振った。
「そうじゃないよダーリン。メイ殿は、自分が囮になると言っているんだ」
「え!? 冗談だろ?!」
「冗談なんかじゃないよ。そうだろう、メイ殿」
「あはっ、レナンちゃん大正解ー。今度は一〇〇点あげちゃうー」
ぱちぱちと拍手をくれたメイは、その調子のままレナンの頭を撫でようとした。
が、全力で回避されてしまったので、いつもの魔法を使って、強制的に撫で撫でした。
レナンはショックで灰色になっていた。
「なんでメイさんが囮に?」
「だって、目立つ上に足が早くて、距離も稼ぎやすい車が一番適任でしょ? 逆に生身で近寄って警戒されたら、それこそ向こうの術者は動かなくなると思うんだけど」
「話は分かりました。でもどうやって?」
「先ず、お姉さんが車で突っ込んで術者を釣ってきます。で、術者が釣れたら二人が突入~、みたいな?」
いくらなんでも単純すぎだった。
これで上手く敵の術者が釣れても、注意を引きつけ続けるのは中々困難に思えた。
その辺りはメイが上手く魔法でやってくれるのかな、と思うことにして作戦案を飲み下したものの、それでも燎祐には一つ疑問があった。
「俺たちは構いませんけど、メイさんは? 自分の目的、果たせないんじゃないですか?」
「お姉さんが折角お膳立てしてるんだからもー、こういう時はシンプルにオッケーしてよー! そんな賢しらなこと言ってる子は女子にモテないぞー!」
これは何を言っても無駄だと思った燎祐は、頭の後ろをポリポリと掻きながら、溜め息をついた。
「はあ……分かりました分かりました、シンプルにオッケーします、これで女子にモテモテですね……」
「さっすが燎祐くん! そーこなくっちゃー!」
パチパチと手を叩いて喜ぶメイ。
その時、真横から、凍り付くような冷たい視線を感じた。
えっ、と思って目をやってみると、レナンが、幽鬼の如くとなって、ただならぬ気配を漂わせていた。
「ダーリンは、モテたいのかい女子に」
「え……、い、いや、そういうわけじゃ……」
「まゆりんや私というものが傍にありながら、まだモテたいのかい。有象無象の女子にっ!! どうして!!」
「だ、だから俺はそんなつもりじゃないって!? 何だよ急に?!」
不機嫌を露わにしたレナンに、わけも分からず狼狽する燎祐。
実はレナン自身、苛立ちの正体が分からず、どうして自分が怒っているのか分からないのだけれど、どうしても怒らずにはいられなかった。
それは端的に言えば、かつて久瀬まゆりを七日七晩苦しめ抜いたものと同じ、強烈な嫉妬心から来るものだった。
それも有象無象の女子への嫉妬で、燎祐が「モテモテ」と言ったのが引き金になっていた。
要するにイルルミ・レナンという少女は、感受性が高い、生粋の乙女ということだった。
ただし魂の性質が炎のため、一旦火がつくと、なかなか鎮火してくれないが……。
「そんなつもりではない、だと? ほほぅ、では、どんなつもりなのか聞かせて貰おうじゃないか!」
「どうもこうもないだろ?! ていうかレナン、お前何に怒ってるんだよ?!」
「私は怒ってなどいない! 怒ってなどいるものか! 断じて!!」
「いやいや、断じて怒ってんじゃねーか?! いいから落ち着けって?!」
「落ち着いている!! 私は極めて冷静だ!! 女子にモテたいダーリンと違って、私は冷静なんだ!」
「ええぇぇ……」
ますますヒートアップするレナンの勢いに、途方に暮れそうになる燎祐。
あれ、前にもこんな場面があったような……、となにやら思い出しかける。
(あっそうだ、まゆりだ。決闘の後、目が覚めたらやけに機嫌が悪くて、話も聞いてくれなくて……、それで確かあの時、無意識に手を……手、そうか!)
燎祐は何かを閃いた。
「――――レナン。ハンバーガー」
「!」
その言葉に、ピクっと反応するレナン。明らかに目の色が変わった。
あ、効いた、と思った燎祐。レナンの意識が怒りに引き戻されないうちに、次の突破口を開く。
「チーズバーガー」
「!!」
「てりやきダブル」
「!!!」
「お手」
「わんっ!」
嫉妬心を吹き飛ばし、フリフリとポニーテールを振って、差し出された燎祐の左手に両手を重ねるレナン。
人の心を夢中にさせるのは、いつの世も「うまいもの」ということか。どうやら上手な飼育方法を発見してしまったようだ。
燎祐は、よしよし、と頭を触った。するとレナンは大切なものを思い出したように、いつのも雅な顔付き(※ただしワンコ)に戻った。
「レナン、落ち着いたか?」
「ああ、取り乱して済まなかった。もう大丈夫だ」
凜とした顔で言い切るレナン。その割にはポニーテールがまだフリフリ揺れている。頭の中は嫉妬心よりもハンバーガーで一杯らしい。
雅な少女のそんな一面を可愛く思ってか、メイはクスッと笑った。
「うふふ。レナンちゃんもオッケーみたいだし、決まりね。それじゃ作戦の詳細はこうね。キミたち不倫組がスタンバって、合図をくれたら私が愛車で突撃。敵の注意を私が目一杯引くから、その間に突入しちゃって」
「さっきのと何が違うんですかそれ」
「あとは幸運を祈り倒すわ!」
「無視か!」
「うむ、委細承知した。しかしメイ殿、一点だけある」
「なあに?」
「不倫組というのはちょっと、な。せめて妹背組に訂正してもらえないだろうか」
「おいレナン、妹背って、親しい男女とか夫婦って意味だぞ」
「同棲中の私たちにピッタリじゃないか。ね、ダーリン」
レナンは、キランと星が光って見えるほど素敵なウインクをした。
同棲中という痛いところを突かれ、うっ、となる燎祐。
またご乱心をぶり返されてはかなわんと思い、なし崩し的に、はい……、と重たそうに首を上下させた。
そのやり取りにメイは、まあ!、と手を打って喜んだ。
「いやはやこれは失敬な私! では改めまして、突入は妹背組にお願いします!」
「ふふん、これで胸のつっかえが綺麗に取れた」
「いや、そこはメイさんが一番ヤバイ役を引き受けるとこにつっかえろよ!?」
「ダーリン、この人なら大丈夫だ。それにとびっきりの車もある」
「そーそー、ここはタイタニック号に乗ったつもりで、メイお姉さんにドドーンと任せてー!」
自信たっぷりに、トンと胸をたたくメイ。
それ沈没する船では、と思いながらも、変な魔法をまたかけられるのは嫌だったので、二人は、それと悟られないような顔を無理矢理こさえ、扉を開けてそっと降車した。
車外は二十時台にしては肌寒かった。
周囲が真っ暗だから、目でも寒さを感いているのかもしれない。
そんな闇の中に降りたっても、燎祐とレナンは、暗い車内ですっかり夜目になっていたので、大抵のモノの輪郭は、薄い星明かりと頼りない月光だけでも、問題なく認識できていた。
していると運転席の窓がウィーンと開いて、メイがひょこっと顔を出した。
「私は術者を引きつけたまま走りっぱなしになると思うから、ここには戻ってこられないかもしれない。帰りは大変だと思うけど、あとは頑張ってね二人とも」
「子細ない。メイ殿もお気を付けて」
「ほいほい、それじゃあ、配置についたら合図を頂戴ね。あと、面白い既成事実待ってるからー!」
「承知した」
「え、待って、今のどういうこと?!」
その疑問を置き去りに、メイの車が作戦開始位置に向けて発進したので、レナンも直ぐに移動を開始した。
燎祐は何だかんだと口にしながら、その背に続いた。
二人は闇と同化しながら道を進み、結界の探知距離に踏み入らないように一旦進路を右に取って、目標地点からワン・ブロック分遠ざかった位置に建っている、それほど規模が大きくない廃工場の脇につけた。この位置ならば、相羽たちが周囲に見回りを放っていない限りバレる心配はなさそうだった。
その位置から通りを覗き込むと、メイが言っていた場所に、ヘッドライトを灯火したままの車が一台停車しているのを見つけた。
そこは建設現場みたく、高い高い囲いがビッシリと外周を覆っており、車が停車している入り口付近は、周囲と比べて、少し凹んだ作りになっていた。
(あれ……この場所、どこかと似ているような……)
周囲の景観に刺激され、燎祐の脳裏で何かの記憶がフラッシュした。
だが、それを想起するより先に、レナンが燎祐の体を揺すって、意識を引き戻した。
「ダーリン、あれを見ろ」
「ん……?」
声が示す方向に目を向けた。
停車中の車は、車内灯が点いていており、遠目からでも、人がまだ乗車しているのだと分かった。
そのうちにヘッドライトの明かりがおちたので、間もなく降りてきそうな気配が一気に強まった。
「よもや、こんなチャンスが巡ってくるとはね」
「確かにな。だけどレナン、お前よくメイさんを信用する気になったな」
「利用しているだけさ。信用はしてはいないよ。当然メイ殿もね」
分かっていた答えだった。
自信の裡にも同じ答えがあったはずなのに、しかし想像上のものと実際耳にするのとでは、やはり重みが違っていた。
顔に夜風が吹き付けた。潮の香りがした。どうやら海が近いらしい。
燎祐は、この潮の臭いに覚えがあったが、直ぐには思い出せそうになかった。それが少しだけもどかしく思えた。
「ダーリン、準備はいいかい」
「おうよ。もし魔法戦になった時は、頼りにしてるぜ、レナン!」
燎祐は、憂う気持ちを殴り飛ばす勢いで、ブンと拳を突き出した。
レナンは一瞬、キョトンとした顔になったが、すぐに勇ましい笑みを浮かべた。
「ああ、私に任せてくれ!」
真っ赤な炎のように自信を漲らせるレナン。
そして突き出された燎祐の拳に、熱い「お手」をするのだった。




