第二章25 Monday②
追跡を始めてから、およそ二〇分。
時刻は間もなく十九時半という頃。
彼らの姿は、元いたスーパーの辺りから、既に二キロ以上も離れた繁華街にあった。
しかし、未だ相羽たちの足が緩まる気配はなく、ともすれば終わりなく彷徨っているようにさえ映った。
それでも二人は、絶好の好機を見逃すまいぞと、根気強く追跡を継続していた。
「あいつら一体何処まで行く気なんだ。まさか散策してるワケじゃないよな」
「相羽に目的地がなければ、どこかで目移りしているはずさ。けれど、そんな様子は見せていない」
「なるほどな……。だけど、こんなに歩く必要あんのか……?」
燎祐は顎に手をやりながら、小さく首を傾げた。
その意見にはレナンも同意するところがあった。
仮に相羽が二人の尾行に気づいて撒こうとしているなら、建物に入って人混みに紛れるなり、信号待ちを利用するなり、手を尽くそうものだが、そうした気配は一向になく、かといって会話を交えながら散歩をしている風でもない。
相羽と稲木出は、言葉も交わさなければ顔も合わさぬまま、ただ黙々と、どこまでも歩いて行くのだ。
その様子に「まさか幻術か?」と疑った燎祐だったが、専女の加護に守られているレナンが、それをキッパリと否定したので、結局推理は振り出しに戻った。
「つーか、あいつら会話どころか、目すら合わせてないみたいだけど、どうやって意思疎通してるんだ?」
「ふむ、言われてみれば確かにそうだな。婚姻を前提に同棲中の私とダーリンですら、こんなに密着して、情熱的な言葉を交わし合っているというのにな」
「おい!? いつから婚姻が前提になったんだ?!」
「最初からに決まっているだろう」
当たり前のことを聞くな、くらいの感じでレナンが返す。
その目は、「私とダーリンの戦いが決着するまでは、いついかなる時でも結婚が前提さ」と言っているようであった。
燎祐は、はあ……、と溜め息をついた。
それを忘れていたわけではなかったが、改めて、マジなんだ、と思った。
しているとレナンが、ハッと何か閃いたらしい顔をして、燎祐の肩をツンツンとした。
「ダーリン分かったぞ。あれは恐らく魔力線を通じた会話だ」
「パス? なにそれ?」
「あ、そこからなんだね……。ええっと、魔力線というのは、魔力を調律して紙縒のようにしたものなんだ」
「ってことは、魔力でやる糸電話みたいな感じか?」
「平たく言えばね。まあ、この距離では流石に看破できないが、接近できれば魔力線が繋がっているのが見えるはずだ」
「レナンもそれ使えるのか?」
「いや無理だ。魔力線を練るには、上級クラスの魔力調律技能が必要なんだ。いまの私のレベルは精々中級くらいだよ。だから是非とも、ダーリンの義母さまに習いたいと思っている」
「ん? なんで母さんに?」
「…………。嘘だろうダーリン……。本当に義母さまの技能をご存じないのかい……?」
「いやまったく。国魔連のオブザーバーとか何とか言ってた気もするけど、詳しいところは一度も聞いたことない、かな……」
答えようのない問題を問われたように、微妙に困った顔で答える燎祐。
魔法が使えないとここまで疎くなるのかと、彼の特異性を改めて認識せざるを得なかった。
レナンは右手で額を押さえながら、燎祐を横目に見る。
「常陸寵看と言ったら、国魔連お抱えの第一級の魔力調律師だよ」
「え、マジで?!」
「そうだよダーリン、知らない方が寧ろ驚きだよ……。そこに加えて、あの『久瀬』だものな。まゆりんの魔法が異常なのも納得出来るというものさ。まあ、ちゃんと調べるまでは、あの『久瀬』なのかどうか半信半疑なところもあったが」
「……?」
「分かるよ、その顔は知らないんだろう。はあ……ダーリン、本当に知らなさすぎ」
レナンは、燎祐の鼻頭を右手の人差し指でツンと押した。
その距離感に戸惑った燎祐は、左手で鼻の頭を摩った。
話を始める前に、レナンは「魔力や魔法の才能は、遺伝から切り離された、完全に固有な能力であることは知っているね?」と前置いた。
燎祐が頷くと、一瞬、目で前方を行く二人の背を確認して、視線を彼の方に戻した。
「魔法の力は遺伝しない。普通はそうなんだよ。だけれどね、深遠の如き探求の果てに、能力を遺伝・継承させる方法を発見した者がいたんだ」
「それが久瀬の家だっていうのか」
「正しくは、『久瀬』と『日野』の一族だと言われている。両家は、魔法が世に発布される二百年以上も前からその存在を知っていて、独自の研究を行っていたそうだ。代々脈々と受け継ぎながらね。だから、まゆりんの才覚も家系由来なんだろう」
「けどさ、能力が継承できるのなら、何で今も「遺伝しない」なんて言われてるんだ? 方法があることは、もう分かっているんだろ? どっからバレたのかは知らないけどさ」
「それはね、両家だけが持つ門外不出の奥義秘伝を巡って、大きな闘争が起こったからなのさ」
「奥義を巡る闘争……」
燎祐は言い知れぬ不安を感じた。
そして、まさかと思いながら、レナンの話の続きを待った。
「情報の開示を拒んだ日野家は、それを狙った組織によって一族郎党皆殺しに遭い、独力で抵抗を試みた久瀬家は拷問の末に凄惨な死を遂げたそうだ。結果、能力継承の奥義秘伝は失伝した。いまから十数年前のことだよ」
「なっ、それって――!」
「この件には国内外の様々な組織が結託し、関与していたと言われている。その証拠に、日野家は『失踪』、久瀬家は『事故』の扱いで全員処理されている。ただ一人を除いてね」
「……まゆりのこと、なんだよだな。まゆりはそんな事件から、一人だけ生き残ったのか……」
「ここからは私の推測だが。まゆりんが生き残れた理由は、あの特異的な外見が、久瀬家の人間に見えなかったのだろう。仮に魔力が遺伝してたのであれば、頭髪か瞳が、久瀬家由来の『菫色』の魔力色を示すはずだからね」
「…………」
「しかし力は継承されていた。けれどまゆりんは魔力侵食を受けなかった、それが真実なんだと私は思う。今の状態を見る限りはね。といっても、あの子の力は、記録にある久瀬一族と比べても一線を画しているが……」
耳を傾ける燎祐の眉間には、掘り深い皺が浮かび上がっていた。
まゆりと暮らして幾年、そんな話は、誰からも、一度も聞いたことがなかった。
たとえ耳にすることがあっても、レナンが言ったとおり、誰も彼も『事故だった』としか口にしなかった。
その理由が、ようやく捌けた。
だが同時に、燎祐は逆に聞きたかった。
深すぎる事情を、どうしてそこまで知っているのか、どうやって調べたのかということを。
しかし、それを口に出している余裕は、今はなさそうだった。
「…………ふむ、相羽は左に曲がるようだ。ダーリン、人混みに紛れながら少し道の右側に寄ってくれ」
「お、おう」
二人は、右側に針路を膨らませ、狭い対角線上に位置取りながら、相羽たちの動向に注視しながら歩いた。
程なく、レナンの予測通り、二人の前方を行く相羽たちが繁華街の大通りを左に曲がって、ネオン明かりの乏しく、夜の喧噪から外れた寂しげな通りに入っていった。
二人の足取りは、そのまま依然変わらずかと思われたが、あるところにきて相羽と稲木出が足を止めた。
燎祐とレナンは、道を折れた傍の電柱に身を潜め、それを見ていた。
すると一台の黒塗りの車が、横手の駐車場から二人の姿を隠すように出庫してきた。
二人が「あっ」としている間に、バタンと車のドアが閉まる音がした。
次いで車の前輪がぐりぐりと動きだし、ゴムタイヤが、ジャリッジャリッと、アスファルトを食む音が通りに響く。
後輪がトルクを効かせ、ノの字を描くように車体を道路に運ばせると、こちらをあざ笑うかのように滑らかに発進した。
「レナン、車が!」
「手はあるっ!」
レナンは、デコピンの要領で中指を溜めた左手を、拳銃さながらに突き出し、走り去って行く車に向かって、ピンッと弾いた。
燎祐の目には何も見えなかったが、何かが車にヒットした。
「よし、捉えた」
それは八和六合では『標識』と呼ばれている、いわば発信器の魔法だ。特定の術を起動することで地図上に座標を得ることができ、標識の魔力が持続する限り反応を発信し続ける追跡用の魔法だ。
尤も、反応を追える範囲には限りがあるが。
「――え? いま何したんだ……?」
「説明は後だ」
レナンは直ぐに、自分の固有空間から特殊な地図を取りだし、刀印を切って術を起動させる。
すると赤い丸が浮かび上がり、開かれたマップの上を移動していく。
いくら魔法に疎い燎祐でも、流石にこれが分からないほど無知ではなく、むしろ状況はすんなり飲み込めていた。
「で、相羽たちはどこに向かったんだ」
「今のところ空港方面のようだな……。しかし、このままでは術の感知範囲を出てしまう。少し走るぞダーリン」
「了解だ。で、その魔法のリミットはどれくらいなんだ?」
「持続時間は三〇分程度、有効距離は最大で五キロ程度だ」
「そりゃ急がないとなっ。その辺でタクシーでも拾えれば良いが……説明が面倒くさそうだ!」
「大丈夫だ、私とダーリンの足なら、追えるっ!」
凜とした声が力強く響く。燎祐もそれに頷く。
レナンと燎祐は、隣り合って並び、静かに腰を落とす。
そして何の打ち合わせもなく、しかし同時に、アスファルトが砕けるほど強く、地を蹴って疾った。一瞬にして夜の風になった。
だが――――
ブォォォゥーン
キキィィィ
一陣の風となった二人の行く手を遮るが如く、一台の車が、横面を晒しながら、同じ駐車場から飛び出した。
レナンと燎祐は全力で制動を効かせ、接触ギリギリのところで勢いを殺し、すかさず車から飛び退く。
着地の時、右腕を気にしすぎたレナンが僅かにバランスを崩したが、上手くレナンの隣に飛んだ燎祐が、肩を抱いて横から支えた。
二人はゴクリと喉を鳴らし、飛び出してきた車を、キッと睨む。
しかし、二人の目は直ぐに凍り付いてしまった。
その車種に、その色に見覚えがあったからだ。
次の瞬間、張り詰めた空気を裂くように、ガチャ、とドアハンドルの音がした。
翼のように開いたドアの向こうから、人間大のシルエットが立ち上がり、そのあとに甲高いヒールの音が響いた。
それは黒髪で長身の、眼鏡をかけた女性――以前二人を玩具にした、あのメイだった。
その人物が、相羽たちの車と同じ駐車場から出てきた。このタイミングで。
偶然というには、あまりに不自然。
不自然とするには、あまりに的確。
それほど絶妙なタイミング。
メイは、驚きと困惑が混在する二人の顔を交互に見回ながら、コツ……コツ……、とヒールを鳴らし近づいていく。
「あはっ、浮気中のお二人さん、こんなところで何してるのお。もしかしてぇ、イケないこと、しようとしてたりして?」
「「……っ」」
今起きている事態を考えれば、二人は、目の前の彼女を無視して、直ぐにでも相羽たちの車を追いかけるべきだった。
けれどその意に反して、燎祐もレナンも、その場から動くことが出来なかった。
否、動けなかった。
相対するメイのその影に、その声に、その音に、何か不吉なものを感じていたからだ。
それが、理性的な行動を封じ込めて、二人をその位置に縫い付けていた。
無意識に握っていた拳に力が籠もる。
程なく、ヒールの音が鳴り止み、二人の顔に緊張が走る。
冷たい汗が頬を滑り落ち、アスファルトの上に滴の痕を残した。
意識は戦闘態勢にシフトしている。
攻撃はいつでも出来る。
二人は既にそのつもりだ。
しかし、
「よかったら、それ、お姉さんが手伝ってあげよっかあ」
「「――!?」」
思わぬ言葉に、二人は瞠目した。
対するメイは、紅い唇を薄らと横に引いて、不敵に笑うのだった。




