第二章23 鬼の目にも涙
地平から登り始めた太陽の光が、連なる山々の、緑々とした大きな背に届いた頃。
大きな陰影に埋もれた山中の岩屋から、ひょっこりと顔を出した舟山が、忙しなく辺りを見回していると、真っ白い、一羽の鳥が飛んできた。
舟山が右腕を上げると、鳥は丁度いい止まり木を見つけたように翼を羽ばたかせた。その動きは動物そのものだったのに、舟山の腕にとまった鳥は生物ではなく、紙の鳥だった。
「七日ぶりの定期便ですねえ。さ~て、今回はどんなことが書かれているんでしょうね~」
舟山は、紙の鳥に向かって、左手で作った刀印を切った。
すると紙の鳥は急にその形を失って、一通の便せんになった。それが元々の形だった。
腕からはらりと落ちかけたそれを手に取って、舟山が何かを呟くと、今度は紙の上に文字が浮かび上がった。
秘匿魔法によって、記載情報が隠されていたようだ。
その書面は縦書きで、タイトルは報告書となっていた。
舟山は、薄らと明かりの灯る岩屋の中に戻りながら、それを黙読する。
東烽高校生徒失踪事件に関する定期報告――――
学校敷地内にて当該生徒の捜索を行うも、発見に至らず。手がかり未だなし。
またA棟内に存在した『複製された階層』、B棟内に設置された『転送術式』の消失を確認。
処理が煩雑だったことから、証拠隠滅を図ったのではなく、調査の混乱を狙ったものと推測される。
校内に情報がないため、今後は捜索範囲を校外に向ける方向で検討中。
本件に関する特記事項――――
現在常陸燎祐、及び久瀬まゆりが捜索に協力している。
両名には時折記憶の不一致が見られるが、原因は不明。
一年二組の名簿からタクラマの名前が消え、特殊学級から稲木出貢澳が編入。
また専女の加護を持たない者全員が、失踪したタクラマについて覚えておらず、彼に結びつく記憶を保持することができない特異的な事象を確認した。
同事象は日増しに強度が高まっているらしく、加護を持たない者はタクラマに関する文字情報を読み取れなくなり、また音声情報も聞き取れなくなっているようだ。
以上のことは、タクラマを「対象A」などと仮称することで記憶を保持することが可能となるが、その一方でタクラマ自体を想起する情報が割り込んだ場合に、記憶の消失現象が再現するため、協力者には想起に繋がらない歪曲させた情報を伝えるか、共有する情報に制限を設ける必要があることが分かった。
備考――――
久瀬まゆりが国家魔法士連盟の特別派遣執行官として、何らかの処理を委嘱された模様。詳細は不明。
しかし政府の息がかかった黒服が数名、常陸家周辺に張り込んでいるのを確認したことから、防衛省の案件と推測される。
張り込み中の黒服は、久瀬まゆりの造反を防ぐ目的で、常陸燎祐を確保しに来たものと思われる。
常陸燎祐は『精神・思考・行動』を魔法で制御・抑制されている疑いあり。
また複数の『効果不明魔法』の発動兆候を確認。
どちらも久瀬まゆりが施したものと思われる。理由、目的は不明。
今後も監視を続ける。
追伸――――
骨折しました。
「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
最後の行を目にした瞬間、舟山は鼻水を飛ばしながら噴き出していた。
そして何度もその一文に目を落としては、そのたびにゲラゲラ笑って、腹を抱えて転げ回った。
「ヒーーーヒーーー! あーもう、面白過ぎて呼吸できませんよ!! なんですか『骨折しました』って! 薄らと右腕とか、常陸家でお世話になっています、とかって書いた跡が残ってますけど、ほんと何やってるんでしょうねえ! ていうか蛮族さん、骨折れるんですね!! これ今年一番の衝撃ですよおおおー!! アーッハッハハハハ!!!」
舟山の笑い声が岩屋の中で大反響した。
すると手の中の便せんが、急にボオッと燃え上がり、紅蓮の炎は、獲物を絞め殺す大蛇のように、舟山の全身を縛り付けた。
「ぬあんぎゃあああああーーーーーーーーーーーーー!!!」
それは舟山の陰口に備え、予めレナンが便せんに仕込んでいた戒めの炎だった。
例の如く戒められ、今度は別の意味で地べたをゴロゴロと転げ回る舟山。
するとその背に、骨を軋ますほどの激しい蹴りが炸裂し、舟山は「ごふっ!!」と喀血しながら、ゴツゴツとした岩屋の壁に激突した。
「おいこら、朝っぱらからうっせえぞクソ鬼。炉に突っ込んで燃しちまうぞ」
蹴っ飛ばしたのは、ずんぐりむっくりした体に真っ白い髭を蓄えた、いかにもドワーフ然とした人物だった。
舟山は背中をさすりながら立ち上がって、声のする方に顔を上げた。
「いや~燃やされるのは慣れてるんですけどー、これ以上燃やすのは勘弁してくださいよ~。それにしても、あの偏屈クソジジイのダラハ老が、自分のお弟子さんを工房に招いているなんて、珍しいこともあるもんですねえ。あれだけ人払いを徹底するジジイだったのに、いよいよ脳ミソ腐ったんでしょうか」
「おうてめえ、先生をクソジジイ呼ばわりたあ許せんぞ!! やっぱ燃してくれんぞ!!」
見るからにドワーフ系の人物は、舟山の胸ぐらを、ぐわしっと掴み、鼻先をねじ込むように顔を突っつき合わせた。
していると、岩屋の奥からしわがれた声が響いてきた。
「――――おいお前、それくらいにしておきなさい」
「へ、へい先生……」
鶴の一声にビクッと身をひるませ、急に勢いを失うドワーフ系。
解放された舟山は、パッパッと体についた埃を払い落としながら、岩屋の奥から姿を現した人物に目を向けた。
視線の先には、小柄で痩せ細った、目が異様に大きい、白髪の老人が静に立っていた。
その人物こそが、舟山が貔貅の修理を依頼した相手――――世界各国が血眼になって探している、魔導機職人のダラハだった。
「やっと来ましたよ、この超偏屈ジジイ!! 私が到着してからもう四日ですよ、四日!! どんだけ人を待たせるんですか!! お金くださいよ!!」
「――――おいお前、やっぱりその『ゴミ虫クズ夫』を捨ててきなさい」
「へい先生!!」
ドワーフ系の豪腕が、ぐわしと舟山の頭蓋を掴んだ。
太い指が頭骨に食い込み、メキメキと小気味よい音を鳴らしている。
「あーーわーちょちょちょちょーい!! アヤですって、言葉のア・ヤ!! もうダラハ老は気が短くて行けませんよ!! 暴力反対、ドワーフ反対ですー!!」
「誰がドワーフだこらっ!! 勘違いするんじゃねえぞ!! うちはドワーフじゃねえ!! エルフのメスだぞ!!」
「エッ――――――!?」
瞬間、舟山は素っ頓狂な声を上げ、目ん玉をこれでもかとひん剥いた。
それもそうだろう、髭面で豪腕の、どこからどう見ても絵に描いたようなドワーフが、自身の中に存在するエルフ像とまったく違うナニカが、己をエルフ(♀)だと豪語するのだから。
すると途端に舟山の脳が拒絶反応を起こした。そして烈火の如くブチきれた。
「なぁぁぁに言ってんですかーこんのドワーフ系はあァァァアーーーー!!!
エルフっていうのはスレンダーで耳が長くて金髪碧眼でこの世のものとは思えない息してるだけでエロいファンタスティックな生き物なんです!!
間違ってもアナタみたいなへちゃむくれで顔面髭畑のドワーフ系がエルフ(♀)だなんて天地がひっくり返ったって絶対にあり得ませんからっ!!!」
「おいこらエルフに勝手な幻想抱いてんじゃねえぞ!! エルフだいたいこんなんだぞ!!」
「そんなわけないじゃないですか!! どれだけエルフを冒涜すれば気が済むんですか!!!
私は生まれてこの方エルフの知識をこれでもかと詰め込んだレンバスだって自作するパーフェクト・エルフ・マスター舟山ですよ!!
私が違うと言ったら絶対に違うんです!! 今すぐおっぱい捥いで世界に謝りながら死んでくださいよ!!!」
「ほれ、証拠にうちの耳なげえぞ。おめえがエルフ好きってんなら、まあ触らせてやってもいいぞ! うちの性感帯だぞ!!」
太い指先が、もじゃっとした髪を掻き分けると、叩き潰した餃子みたいな耳が露わになった。
それを目にした途端、舟山の頬が、パンパンにエサを詰め込んだリス並に膨らみ――――直後、ファンタジーな吐瀉物が汚い虹を作った。
「おえええええええええええーーー!!! はぁ……はぁ……、は、吐いていいですか……」
「吐いてから言うんじゃねえぞ!! ちゅうか、いい加減認めんだぞ!!」
「誰が喋るヒゲなんぞをエルフと認めますかああーー!! ダラハ老からも、このエルフのエの字も知らないガテン系ドワーフに、もといファッキン・ドワーフにガツンと言ってやってくださいよ!!」
「――――ゴミ虫クズ夫よ、現存するエルフはだいたいこんなのです。お前はエルフに酷く幻想を抱いているようでしたから、今日は特別に連れてきてあげました」
「ほれな」
「そ、そんな馬鹿な……!! こんな……こんな髭から生まれたようなイキモノが本物エルフだなんて……う、嘘だ、嘘だ嘘だこんなの嫌ああああああああああーーーーー!!!」
舟山は、抱いていたエルフのイメージを木っ端微塵に吹っ飛ばされ、ショックのあまり錯乱気味に発狂した。
何を隠そう、フィクション作品で形成されたエルフのヴィジュアルを、そのまま鵜呑みにしていたのである。
それが実際、目の前にいるイキモノの造形は、スレンダー美女どころか、どう見てもドワーフ。
酔っ払いみたいに鼻先が赤くて、いかにも息が臭そうな、もじゃもじゃの酒樽みたいなドワーフ。
華麗に弓を操るどころか、鈍器で脳天幹竹割りをキメていそうなドワーフ。
だ が エ ル フ だ 。
「……森の守護者のエルフが、こんな顔面クリーチャーのはずが…………」
「おう、だったらとっておきのレンバス食わしてやるぞ! 本家本物の万能食品だぞ!!」
舟山の尽きない疑いに業を煮やしたか、ドワーフ系はそう言って自分のパンツに手を突っ込むと、中をごそごそとまさぐって、不審なちぢれ毛がついた暗黒の物体を取りだした。
それを手に舟山に近づき、懸命に閉じようとする口を、空いている手で強引に開かせる。
「はい、あ~~~ん」
「ひっ、や、やめ――――もご、もごごごごごごーーーーー!!!」
ねじ込まれるナニカ。
口の中いっぱいに広がる不可解な食感と有り得ない味に、舟山の心は、ぽきりと折れてしまった。
有り余るドワーフ系のパワーで、舟山の首も一緒に折れていた気がしなくもないが、幸か不幸か、意識はそこで一旦途絶えた……。
***
舟山が意識を取り戻すと、そこはダラハ老の工房の中だった。
というか、火の入った炉の上に、縄で吊されていた。
「――――霊装の素材に、今回は生の鬼を使ってみるとしましょう」
「ちょちょお!? 人を霊装の原料に据えるとか、一体なに考えてるんですかこのクソジジイ!! 角の生えた鬼は超絶希少種なんですよ!! 存在自体がミラクルなんですよ!! 今すぐVIP待遇で滅茶苦茶手厚く持て成してください!!」
赤熱する炉の上で、風に揺れる蓑虫みたいに、ぷらんぷらんしている舟山。
それを火かき棒で突っつき回し、さらに揺らすドワーフ系。
「あーりゃあ、そーなん? うちは、角が生えた鬼は、ずっと昔に絶滅したって聞いたぞ?」
「そーなんですよ!! もう私しかいないんですよ!! だから早く保護すべきなんですよ!! そこんとこお分かりですかー!!!」
「――――惜しい鬼をなくしました」
「勝手に殺すのやめてくれませんか!? ていうか転移禁止令を早く解いてくださいよ!!」
「お前知らんだろうが、転移魔法ってのは空間に歪みを作るから、霊装の成形に影響が出るんだぞ」
「知りませんよそんなこと!! いいから早く下ろしてくださいよ!! さもないと、もっかいゲロ吐きますよ!! おえええええぇぇぇっ!!!」
「言ってるそばから吐いてんじゃねえぞ!! レンバスお見舞いするぞ!!」
「だったら今度はそのツラにぶっかけてやりますよ!!! スペースシャトル並にジェット噴射しますよ!! いいんですか!!」
相手をゲロで脅すという子供じみた謎の抵抗をみせる舟山。
捕まっている立場なのがまるで分かっていない上に、レナンに対して以上に言いたい放題だった。
これにはさしものドワーフ系も怯んだ。
一方ダラハ老はどこ吹く風で、二人には背を向け、作業台に並べた貔貅の破片のところに歩いて行くと、その一粒一粒、一片一片に目を向け、穴が開くほどじっくり見つめた。
「――――あやつはサンゲイとの激突で砕けたと言っていたが……。破片の傷からして……、どうやら自らの【威光】で内側から砕けたようだが……」
ダラハ老は、破片のひとつを摘まんで、筒状の単眼ルーペ様のものを使って、レンズ越しにその表面をのぞき見た。
そのルーペ様の道具は、物質に篭められた魔力を視角化できるもので、もし対象に魔力が存在していれば、滲み出るオーラのように見て取ることが出来る。
だがダラハ老が目撃したのは、表面から滲み出るどころか、表層を飛び出し、天井を貫くほどの雷のヴィジョン、翡緑の光を放つ激しい万雷だった。
「――――なんという高純度の魔力か……。これを【威光】の起爆剤にされては、並の霊装では形も残さず蒸発していただろう……。しかし、持ち主は魔力不全の者だったはず……、この魔力をどうやって溜め込んだのだ……!?」
残滓となってもなお威を発する翡緑の魔力に、一人冷たい汗を流すダラハ老。
破片を摘まむ指先が、困惑と期待が入り交じったように微かに震えている。
「――――ははは、まあよい。そのようなこと最早どうでもよい。あやつが砕けた貔貅を突き返してきた以上、このダラハがやるべき事はひとつのみよ……!!」
ダラハ老は決意の炎を瞳に灯し、貔貅の破片を卓の上に戻した。
するとダラハは走った。吊されたままの舟山に向かって何故か走った。
そして老人とは思えぬ健脚が地を蹴り、猫科を驚かすほどの大跳躍。
ダラハの両脚が、眼前に迫る舟山の背に吸い込まれていく。
「――――なんとなくドーン!!」
「ぎゃああああああぁぁああああ!!」
突然命中した不当な飛び蹴りに、目玉が今にも飛び出しそうな舟山。
だが受難はそれで終わらない。
蹴られた勢いで天井にぶつかり、ターザンの如きリターンを決めるや否や、そこには宙に浮くダラハ老が、疾風の如くギュンと身体を捻転させて――――必殺の回し蹴り態勢で舟山を待ち構えていた。
「何すんですかこのクソジジ――――」
「――――さらにドーン!!」
瞬間、老脚が鞭のようにしなり、真一文字に空に走った。
直撃した舟山の胴体から、メリメリィッ!!、と変な音が聞こえた。
「イぐえええええええええええ!!!」
今度こそ眼が飛び出す舟山。
直後、吊っていた縄がブチンと千切れ、まるで慣性の法則を思い出したかのように舟山の身体がブッ飛んだ。
その身体は特殊貫通弾さながらに、勢いよく岩屋の壁面をブチ抜き、あっという間に壁の向こうに消えた。
「ありゃあ~、けっこー飛んだぞ~」
ドワーフ系は、目の上に手をかざして、飛んでいった方向に顔をやった。
ダラハ老がアゴ先で合図すると、ドワーフ系はさも嫌そうな顔を作って、溜め息をつきながら歩いて行った。
程なくして、すり身になりかけた舟山を引き摺りながら戻ってきた。
「ダラハ先生、コレどうするぞ」
ドワーフ系は、まるで汚物でも見るような顰めた顔をしながら、掴んでいる舟山の足をぐいっと引っ張り上げて、逆さ吊りにした。どうやら舟山に対する感情は、既にマイナスに振り切れているらしい。
そんなドワーフ系の顔をチラッと見て、ダラハ老は、溜め込んだ息を鼻から吐いた。
「――――ゴミ虫が起きたら工房まで連れてきなさい。それが一番嫌いな無賃労働をさせてやりますから。こちらは先に仕込みを始めておきます。お前は、岩屋の周りに人払いの結界を張り、魔力が漏れないように出入り口に栓をしなさい」
「合点したぞ」
ドワーフ系はダラハ老の指示に頷くと、掴んでいる舟山の脚を、投げ縄みたいにブン回して、ブン投げた。
一拍おいて、生々しい音が向かいの壁の方からしたが、特に誰も気にしていなかった。
「――――さあて、取りかかりますよ」
ダラハ老は、近くの椅子の背に掛けてあった革製の前掛けを引っ掴み、老人とは思えぬ機敏な動きで、それを纏う。
それを合図にして、ドワーフ系は処置に必要な道具を携えて、ドスンドスンと鈍重な足音を響かせながら、岩屋の外へと消えていった。




