第二章18 怪我から始まる同棲生活②
家の中を一通り案内したあと、レナンは、旅行用の大きなキャリーケースを、外套の内側から手品みたいに取り出した。
原理は知らないが、きっとそういう魔法なんだろう。たぶん。
「そんでレナンはどの部屋を使う? ぶっちゃけ、どこ使っても良いぞ。俺の部屋以外」
「もちろん私はダーリンの部屋がいい」
「おーい、俺の話聞いてたかー?」
「冗談だ。私は布団派なので、一階の客間を借りさせて頂くよ」
そう言われて理解したが、二階は全部ベッドだった。
てっきり近くの部屋にすると思っていたから意外だった。
尚、旧まゆり部屋は、まゆり自身が客間にしたので、今は何の面影もない。
「ところでダーリン、この家には、まるで生活感がないようだが」
「生活の基盤は、いまは向こうの家なんだよ。こっちは風呂とトイレと部屋がある離みたいなもんだ」
そういや、この居間でテレビを見たのもいつが最後だったか。
あれ、もしかして俺、この家に全然愛着ないのでは……?
まあ……台所に閉め出しシャッターがあったりするしな。
ほんと、どうなってんだよ、この家。
「つーかレナンさ、その腕だと布団敷くのも大変じゃないか?」
「そこは毎夜ダーリンに敷いて貰おうという腹づもりさ。あわよくば、未成年にあるまじき一夜となるかもしれないだろう?」
レナンは得意そうにフフンと、鼻を鳴らした――――が、それ、外で言ったら絶対ダメなやつな!?
こいつのことだから、きっと徹夜のことを言ってると思うんだが、依然として言葉のチョイスに問題がありすぎる。
俺は若干胃を弱らせながら、応じる。
「分かった分かった。んじゃ、客間の布団干したら買い物に行くか。常陸家の冷蔵庫は、飲み物しか入ってないからさ」
「よしっ、では早速買い物に行くとしよう」
「おいおい、今度こそ人の話聞いてたか?」
「布団は、義母様がいつでも使えるようにしてあると言っていた。仮にそうでなくとも、私の精であれば、洗濯や乾燥はもとより、布団の暖めも、ダニの駆除も、私が布団に入るだけで完了さ」
「お前便利だな」
「しかし、私自身は炎の精の影響が強すぎて、かなりの暑がりなんだ。そのせいで就寝時は年中タオルケットだよ。最後にまともに布団を被ったのはいつになるだろうね」
言っているうちに、レナンは、生きている左手でキャリーケースを運ぼうとし始めたので、俺は「待て待て」と中断させて、レナンの使う客間まで運んで、戻ってきた。
「そういうのは俺が代わるから。今は大人しくしてないと、体に響くだろ?」
「体に響く、か……。その言葉、まるでダーリンの稚児を身ごもったみたいで、気恥ずかしいなっ」
「勝手に懐胎すんな。それよか、サクッと買い物行こう。でないと、この家にゃあ食べるものが何もないぜ」
「時にダーリン、私はそろそろ空腹で倒れそうだ……。実は昨晩からなにも口にしていない……」
「先に言えって!?」
かく言う俺も、何も取ってなかったけど、起きてそんな時間が経っているわけではないから、そこまで酷くは感じていない。
が、レナンの場合、口にこそ出してないが、こいつの性分を考えれば、まゆりの見送りもしていることだろうし、俺なんかよりもずっと早い時間に起きて、今日の準備を進めていたいに違いない。
俺は、ポンとレナンの肩に手を置いた。
「出るにはまだ少し早い時間だけど、ゆっくり歩いて行けば、店が開く頃に丁度着くかな」
****
歩き出して暫くした頃、ふと空を見上げたら、ふわっふわのひつじ雲が、大きな群れを作って空を渡っていた。
遠くの空は、いまや、雪崩れ込んだたくさんの羊に覆われてしまって、ほとんど乳白色にみえた。
「明日は雨、か」
空腹がキツすぎるあまり道中の言葉数が激減していたレナンが、不意にぽつと漏らした。
俺はその呟きを、何とはなしに拾った。
「なら、明日も作戦会議にするか。どのみち数日は、あちこち動き回れる感じではないけどさ」
「……そうだな。今の私たちが下手に打って、敵に出くわしてもことだ。余計な戦いを招くことだけは避けたい」
「ミイラ取りがミイラになっちゃな。せめて俺に予備の武装があれば良かったんだが」
「貔貅に代わる霊装となると、頭領傍仕えの私でも、直ぐの準備は難しいな。しかし、それなりの展開武装であれば、候補に挙がりそうなものがないわけではないが……」
レナンは考え込むように、小首を捻った。
何からのアイデアはあるみたいだが、俺には、無理にそれを実行して貰う必要はなかった。
その理由は単純で――――
「仮に入手できても、俺は無魔力野郎だから、武装の展開できないんだけどな」
レナンは「あぁ」と、思い出したような顔をこっちへ向けた。
俺の経験上、こういうのはなかなか想像しにくいらしい。そこはレナンもご多分に漏れなかった。
魔力がある方が普通なんだから、魔力が無い前提の考えを持つこと自体がナンセンスだし、当然っちゃ当然だ。
「かといって、ダーリンにただの武装を携行させては目立ちすぎるか……」
「良くも悪くもな。それに俺だけ立ち回れてもしょうがないって。だから今は動く時じゃない」
「備える時、か。分かってはいるが、儘ならないな……。せめて私が満足に戦えたら――――あっ、いや、今のはダーリンを責めたわけではないんだ、どうか誤解しないでくれ! 私はただ」
「いいって。レナンの気持ちは分かってるつもりだぜ。俺も、そう思ってる。やっぱ戦えないのが悔しいよ、今はさ」
「……ダーリン……ありがとう」
ようやく会話を取り戻した俺たちは、朝の静かな住宅街を抜けて、商店の並ぶ通りへと出た。
まだ開店時間には早いが、既に仕込みを終えた店では看板を引っ張り出していたりして、俄かに活気を見せ始めている。
二十四時間営業の店を除けば、客足がそれほど早くない休日の朝は、どこもこんな感じだろう。
と、そんな風に思っていると、レナンの足がピタッと止まった。
何か見つけたのかと思って、視線を辿ってみると、その目はバーガーショップに縫い止められていた。
そういやあ、空腹で倒れそうって言ってたっけ。
くんくんと鼻をかいでみると、揚がったポテトの匂いが、ほのかに空気に混じっていて、俺の胃と脳も、思い出したように空腹を訴えだした。
これはそろそろ口に物を入れておきたいなと思って、どうしようかと隣へ視線を移してみたら、レナンは目を留めたまま、口を半開きにしていた。なるほど、ここをご所望だ。
「なあレナン。朝飯まだだし、その店で食っていこうぜ」
「提案は嬉しいが、私と一緒じゃ飲食店には入れないよダーリン。私はここで待っている」
レナンは店から目を離して、小さく首を振った。
わかりやすい顔して、まったく何を言っているやら。
「残念だがそれは却下だ。ほれ、店はいるぞ」
「だ、だから私と一緒じゃ入れないんだって!? 結界に弾かれるんだよダーリン! だったら私の分はテイクアウトでも――――」
「まーいいからいいからー」
俺はバーガーショップに足を向けると、一生懸命に腕を放そうとするレナンを引き留めながら、店の中までズルズルと引き摺っていった。
自動ドアが開閉し、独特の入店音が頭上で響いたとき、蒼い目はこれでもかと閉じられていた。なんか可愛いな。
しかし、いつまで経っても目を開ける気配がないので、トントンと肩を叩いて「おーい」と耳打ちをした。
レナンが恐る恐る目を開けると、時を見計らったように、カタコトのご挨拶が、それなりの元気さで飛んできた。
「アー、ラシャーセー」
「ほらな、大丈夫だったろ?」
「あ、あれ……どうして」
レナンはキョトンとした顔をこちらに向けた。俺はニッと口端を吊り上げる。
「俺の固有IDは、同伴設定付きなんだよ。ふんわりした子が店入るには、身元の保証人が必要だったんだ、昔はな。今は国魔連のライセンスあるから問題ないんだけどさ」
「そ、そうだったのか……。でもダーリン、それなら先に言って欲しい。今一瞬、生きた心地がしなかったよ、私は……」
ホッと胸をなで下ろしつつも、恨めしそうな目を向けるレナンに、俺は「悪かった」と頭を下げた。
そんな一幕を見せつけられてか、それともレジにやってこない客二人にしびれを切らせてか、店員さんの声量が増していく。
「アー、ラシャセー! アー、ラシャーセ! ツギノカタ、ドゾ、ツギノカタ、ドゾー!」
これは遠回しに、早く注文して失せろと言っているに違いない。きっとそう。
俺たちがレジに寄ると、次に店員さんは、てのひらを向け、暗にメニューを見るように促してきた。
「アー、オキマリディシタラ、ドゥゾー! ドゥゾー!」
「んーと……、俺はこのチキンバーガーセット、コーラで。レナンは?」
「私は……チーズか……、テリヤキか……、ここはチーズ、だがテリヤキも捨てがたく……」
と、右を見てみたら、眉をこれでもかと寄せて、もの凄く真剣な眼で悩んでいた。
お前そんなに食べたかったのか。可愛いな。
仕方ないので代わりに注文した。
「――あとダブルチーズバーガーセットと、テリヤキを単品で。他に食べたいのあるか?」
「ダーリン!?」
「俺は食べられないぞ。それよか、この中からセットの飲み物を――――」
「オノミモノ、ドレ、シマスカー!! オノミモノ、ドレデスカー!!」
と、話を割って決まり文句を発する店員さんだった。一刻も早く俺たちを目の前から遠ざけたいらしい。
それにしてもレナンは、たぶん数える程度しか入店したことがないんだろう。メニュー欄の上を目が行ったり来たりして、完全に迷子になっちゃっている。
「ここな。この中から選べるんだ。種類はそんなにないけどな」
「――――ダーリン、このシェイクは、ダメなのか?」
「好きなのかそれ」
レナンは、ストロベリーシェイクの写真の上に指を置いたまま、小っ恥ずかしそうに、小さく頷いた。
よし頼もう。
一方、その傍らで、店員さんがさっきから、やけに五月蠅い。
「オキマリッタラ、ドゥゾォォー!! オキマリッタラ、ドゥゾォォォ!!! ドウッゾォォッ!!」
「そんじゃ、セットはこのお茶で、あとストロベリーシェイク追加。以上で、お会計お願いします」
「ウィィー!! アーザマーッス!!」
血走った目で、俺からお金を受け取る店員さん。
手早く会計を済ませると、おつりと一緒に、番号札が荒々しく出てきた。
「バンゴ、オョォビスルマディ、ソッチディ、オマジクデサイ!! アジャジャシターッ!!」
「「…………」」
言われるがまま、番号札を手に取った。
それを持って、近くにあった適当なテーブル席に着くと、狙い澄ましたように呼び出しがかかったので、レナンに席の番を頼んで、受け取りコーナーに向かった。
こちらの番号札と商品を引き換えて、まっすぐ席まで戻ると、待たせてから始終落ち着かない様子だったレナンが、俺が運んできたトレーを目に入れた途端、ぱあっと表情を輝かせた。
「ダーリン、早かったねっ!」
「へい、お待ちどおさんでした」
二人分のトレーを運んで、待たせていたテーブルに着くと、レナンの視線は自分のトレーと俺の顔を行ったり来たりした。
待ちきれない子犬みたいな顔しちゃって、ほんと分かりやすいな。
「さ、遅くなったけど食べようぜっ」
「うむっ!」
俺はポテトに手を付けたが、レナンは真っ先にバーガーに手を伸ばした。
しかし、片手では流石に包み紙を上手く避けられないみたいだったから、こっちで包み紙をひらいて手渡してあげると、レナンは嬉しそうに頬を綻ばせ、てりやきのソースがてらてらと光るバーガーの頭に、幸せそうにかぶり付いた。
「わふっ、わふっ! ん~~~~~っ、ダーリンっ、ダーリンっ、こっちも、こっちも!」
目移りするほどのご馳走に囲まれた子供みたいに、嬉しそうにはしゃぐレナン。
食指動きすぎだろ!?
我慢できないワンコか、お前は!?
「落ち着け落ち着け。直ぐに口にしたいのは分かるが、一度にあれもこれもは行儀が良くないって」
俺はレナンを宥めながら、手にしたコーラのストローを咥え、チューッと吸った。
漆黒の液体がストローを逆上がり、ナイスな温度まで冷却されたシュワシュワが、口の中にブワッと広まった、その直後――――何かを訴えるような、レナンの低い唸りが聞こえてきた。
「ううぅぅぅ…………」
「誓って取ったりしないし、足らなかったら追加で、いくらもで注文するから、先ずは手の中のテリヤキを平らげてから、な? オッケー?」
「――!!」
「はい、お返事」
「わんっ!」
「ブボォハァァァッーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
不意の爆撃に、俺はぶっ壊れたマーライオンさながらに、口と鼻から、コーラをジェット噴射。真っ黒いビームを足下にぶちまけた。
鼻の中を激走したシュワシュワの痛みで、軽く涙ぐんでいる俺の対面では、ワンコ撫子が、幸せそうにテリヤキに齧り付いているのであった。




