第二章17 怪我から始まる同棲生活①
「そうか……。じゃあ母さんも、まゆりと一緒に行ったんだな」
あれから居間で手当を終えたレナンに、今回の顛末を教えて貰った。
聞けば、この準備は月曜日には始めていてたらしい。
それで納得したが、なるほど通りでまゆりは、レナンと二人になる機会をちょこちょこ作っていたわけだ……。
まゆりは機械音痴で、普段は触りもしない携帯を時々開いたりしていたり、母さんの態度が妙だったり……、振り返って思えば、ここ最近の生活の中の色々が、全部そうだったのかと符号してきた。それには、いわゆる終活も含まれていたのだろう。
すべては国の平安を護るため――――
まゆりは過去に三度、その通知を受けて、実際に二度、処理に当たったことがある。
どちらの件も、最初期は猟奇殺人事件として扱われ、出鼻は警察が捜査をしていたが、それが魔獣災害であると判明すると、最後はまゆりが呼ばれた。結局、捜査機関や自衛隊では太刀打ちできるものではなかったのだ。
国魔連がお呼びでなかった理由は、両機関の面子だ。
それゆえ政府は、国魔連の実働部隊にではなく、まゆり個人に出動を要請した。
これには二つの意味がある。
世界最高位の実力を持ってして速やかに解決すれば良し、討滅に失敗すれば、まゆりは護国の鬼となって両機関の不備も仕方のなかったことだと流れる。
言い換えれば、まゆりの命一つに、すべての始末を押しつけたのだ。
当時中学一年だったまゆりは、難なくといえば語弊はあるが、これを独力で解決した。
二度目の出動は翌年で、そちらも似たような事情だった。
帰ってきたまゆりは、心の一部が欠けてしまったように、ぼうっとしていた。
だから三度目は俺が行かせなかった。
結果、それ以後は師匠の部隊が動くことになり、まゆりに声が掛かることはなかった。
万事これで解決したと思っていたのに、四度目の要請があったなんて――――
それが日本を護るため、やむを得ない事情を含んでいることは理解出来る。
知る限り、国魔連のオブザーバーであるはずの母さんが同行している点でも、今回のことが、普通の事象でないのも分かる。
国魔連でも、師匠の部隊でも対処が困難ということなのだろう。
全部二つ返事で納得して、腹の中に収めきれる。
でも、まゆりが何も告げずに行ってしまったことだけは、どれだけ頭で分かろうとしても、気持ちが拒否し続けていた。
正直俺は、まゆりに腹を立てている。多分これが、人生で初めて、まゆりに対して持った負の感情だ。
レナンの手当てをして、心の荒波を鎮め、冷静さを取り戻した後も、その感情が消えることはなかった。
それゆえに、頭を切り替える必要があった。
今俺の目の前にあることに――――
「んじゃ、お前の外套ここに引っかけておくぞ」
二人きりの静かな居間で、レナンの外套をハンガーにつるしながら、改めて持ち主の方に目を移した。
外套の下は、ホットパンツに、ノースリーブの可愛い白シャツ姿だったが、今はそこに片袖を付け足したが如く、包帯巻きの腕が生えており、その上に固定用装具までついているので、非常にアンバランスだった。
そして、さっきからずっと、ご機嫌斜めなご様子で、つんとしている。
「気になることがあれば、遠慮なく言ってくれな?」
「…………」
けれどレナンは、よっぽど何かが気に障っているらしく、依然として半眼のまま、ちゃぶ台に出したペットボトルのお茶に手を付けることもなく、座布団の上で体育座りを続け、焼けたお餅のように頬をぷくっと膨らませていた。
「ところでレナン、なんでそんなに不機嫌なんだ……」
迂遠なやり方では埒があかないと思って、ひとつ正直に聞いてみた。
しかしレナンは、よくそんなことが聞けるなっ、とでも言いたげな胡乱な目を俺に向け、むすっとした。
流石に無神経すぎたか……。
「その、腕のことに関しては全面的に謝るから、せめて普通に口きいてくれないか……」
「…………私が怒っているのはそっちじゃない」
レナンは視線を切って、テーブルの上に目を移すと、口を尖らせながら小声で何かを呟いた。
俺は不機嫌を隠そうともしないレナンの正面に回って、ジャンピング土下座した。
「とにかく、色々マジですいませんでした! あと、これから暫く、同じ屋根の下で暮らす身として、よろしくお願いします!」
喧しくならない程度に、勢い任せに口にした。
声の反響が収まって今の中が一段とシンとする。
未だレナンからの応答がないので、下げた頭を上げられない。
一緒に暮らす以上、問題は可能な限り解決したい――――
だって俺、これから暫くレナンと暮らすことになっちゃたから。
まゆりが昨日、レナンを家に連れてきたのは、メシにありつけないレナンを不憫に思ってではなく、母さんに引き合わせるのが目的だったそうだ。そして、一時同棲の話は、もう付いているということだった。
考えてもみれば、台所に入室できない俺と、買い物が出来ないレナン、この二つを一緒にすれば困る人間が出ない。
出ないが、それってどうなんだ。
得てして、第三者が考える「人のため」の案は、当事者の気持ちや感情を、プラモデルのパーツみたく、一方的かつ、無機質にくっつける嫌いがあると思う。
だって、少なくとも俺には何の相談もなかったわけで、ついさっきそれを知ったのだから、衝撃のデカさたるや理不尽な交通事故にも匹敵するってもんだ。
はっきり言って俺は困惑している。
これが元気溌剌なレナンを前にしていたら、躊躇なく「少し考える時間をくれ」と言えただろうが、そこに在すのは俺が怪我をさせた上に、すこぶる不機嫌にさせてしまったレナン。
もはや俺に選択肢の決定権などない――――あるのはフルパワーの平身低頭のみ!
「どうか、平にご容赦を……っ!」
伝われ、この謝罪っ!
頭を下げている手前、レナンの反応は、依然としてうかがい知れない。
そもそもこの場面で、相手から何の言葉も得ずに、面を上げる勇気は無かった。
「…………分かった。もう分かったよ。恥をかかされたとは言え、私も大人げなかったよポンコツ・ダーリン」
ポンコツって……。
けど、冷たく「君」って突き放されるよりはずっとマシだったから、敢えて耳に入らなかったことにした。
俺はようやく、憑き物が落ちたように、緊張でくたくたの顔を上げた。
レナンは正座に座り直し、次に腕をさすりながら、俺に蒼い瞳を向けた。
「腕のことは、もう気にしないで欲しい。この程度なら、放っておいても十日もすれば完治するよ。私の体は常に精で活性化しているからね」
「それでも不便はあるだろう。こんな時に迷惑掛けて、本当に悪かった。俺の方で、出来ることは何でもやらせて貰うからさ」
「ダーリン……そんなに気に病まれると、私も流石に調子が出ないよ。いつも通りで構わない」
「けどさ――――」
言いかけたとき、凜とした声が、言葉の間隙を縫って、静かに遮った。
「それにしてもダーリン、この家の守護結界は本当に美事だね」
「え?」
「神殿のように清らかで、要塞のように堅牢だ。空気がとても澄んでいる、まさしく聖域の中の聖域だね。ここでなら、私の腕が癒えるのに五日もかからないだろう」
「結界があったこと自体知らなかったけど、結界そんなに凄いのか?」
「凄いなんて程度じゃないよ、これは。きっと何年もの時間を掛けて、少しずつ構築したんだろうね。ダーリンを守るために」
「俺を……守るため…………」
口にして、ハッとなった。
それじゃあ、まゆりが夜に部屋を抜け出して、俺のベッドに潜り込んできてたのは、その結界を構築するために……?
今頃になって俺は、自分があまりにも短慮だったことに気づいた。
そして、まゆりが、どれだけ俺に力が無いことを気に掛けて、心を砕いていたかを思い知った。
「まゆり……ごめん……。俺、何も気づいてなかった……分かってなかった……」
決して届かないと分かっていても、言わずには居れなかった。
俺は、魔力が無いことを、これほど悔しいと感じたことはない。
顔の中がどれくらい曇っているかも分からない。
もう、さっきまでの怒りの感情はない。全部手放してしまった。
寧ろ、憤慨していた自分を戒めてやりたかった。
居間に水を打ったような静けさが広がる。
そこに波紋を穿ったのは、凜とした響きだった。
「ダーリン、私たちは私たちのすべきことをしよう。これからの私たちのために」
「……分かった。じゃあ、まずは作戦会議からだな――――」
「いや、先に家の中を見ておきたい」
意気を落としていた俺に、レナンはキッパリと言ってのけた。
一瞬何を言っているのか分からず、面食らった風でいると、レナンは首を右に左に振ってから、今一度俺の方に目を移した。
「それにしてもダーリン、どうして冷蔵庫と水道が居間にあるんだい。まるで台所じゃないか」
「あぁ、それな。俺が台所に入れないからなんだよ」
「……は?」
「入ってやろうと思って台所に近づくと、入り口に鋼鉄のシャッターが降りてきて、閉め出されるんだ。何でかは知らないんだが、昔から、まゆりも母さんも、俺には台所に入るな、近づくなって、口酸っぱかったんだ。あ、そういや部室にも警報器付けてたよな。ホント何でなんだろうな」
その一声で、レナンは何かを思い出したらしく、色々と納得したものを吐き出すように、大きな溜め息をついた。
ちなみに久瀬家の台所には、不可視の何かが張り巡らされていて、俺が接触すると母さんに即バレする仕組みだ。見つかると烈火の如くキレられる。
ここまで徹底されると、正直泣ける。
「それじゃ、家の中を案内する。立てるか?」
「無論立てるが、私はさっきみたいに抱いて欲しい」
抱くって、おい?!
レナンは、変わらぬトンデモ語群選択の健在っぷりを披露しつつ、期待に満ちた視線をこっちに向けた。
俺は気を弱らせながら、レナンの横に一旦膝をついた。
「はあ……嘘でも立てないって言ってくれよ、そこはさ」
「人を欺くのは得意ではないんだ。私は正直者だからね」
「おいおい、今朝まで奸計巡らせておいてどの口が言ってんだ、この嘘つきめ」
「では立てない。ほら嘘を言ったぞ。さあダーリン遠慮はいらない、抱いてくれ」
「とんだ正直者だな、お前は……」
「だろう?」
得意そうに鼻を鳴らすレナンに、俺は困ったように柳眉を下げた。
そして不意に、二人してクスッとなった。
それでなんだか、俺たちの間にわだかまっていた妙な空気が、綺麗に素っ飛んだ気がした。
「ダーリン、先ずは私を台所の前まで連れて行ってくれないか」
「はいよ、レナンの仰せのままに」
俺はレナンを腕に抱きかかえて、ほんの少し狭くなった居間を出た。




