第二章14 阿形①
『誰か』の捜索活動を始めてから五日が経った。
捜索は、以前レナンが『複製された階層』を二ヶ所で見つけたことから、範囲を学内に絞り込んで活動をしてきたが、発見できたのは『複製された階層』を削除した痕跡のみだった。
といっても、魔力のない俺には物質的でない痕跡なんぞ分かりもしないので、それに気づいたのは、まゆりとレナンだった。
レナン曰わく「複製された階層は、学校結界に感知されずに作られていた」と、術者の芸当を遠回しに評価した。
しかし、まゆり曰わく「隠滅を図ったにしては雑すぎです」と、術者の魔法精度に疑問をさし挟んだ。
二人の意見は平行線だったが、はっきりしていることは、そこにあった複製が消され、痕跡だけが残ったということ。
得手不得手の問題か、焦りから足跡を消しきれなかったか、或いは敢えて足跡を残したのか。
いずれにしても、これしきの発見だけでは、全容の解決にこぎ着けそうにないことは確かで、既に失踪から七日目となった今日、『誰か』の生存は、希望あるものとは思えなかった。
もし望みがあるとしても、その光は、きっと六等星以下の光明だろう……。
即ち、いつ永久の闇に呑まれるとも分からないと言える。
たとえ光を放っていたとしても、眼で見ることも適わなければ、見えないのと同じことだ。
こんなのは殆ど無駄と言ったっていい。
だけど、どうしても、投げ出す気にはならなかった。
『誰か』のことは、もう何も覚えてはいないが、そいつに会ってみたい気持ちの方が強かったからだ。
レナンに比べれば動機は随分とユルい感じだけど、記憶すること自体が不可能なものだから、外の動機を持つこと自体が無理に等しい。
ちなみに、俺とまゆりは、最近はその情報すらも「忘れる」らしいので、レナンに言われて小判のメモ用ノートを持ち歩いて、事あるごとに書いてはいるのだが、
「……何が書いてあるのか全然読めないな。ここ、なんて書いてあるんだ?」
学校からの帰り道、両脇を二人に固められつつ、なんとか取り出したノートを右手で持って、ページに目を走らせたが、文字の大部分が、水を吸ったインクのように滲んで見える。
そこで俺は、外灯の下で立ち止まって、ノートに目を近づけたり離したりして確認してみはしたが、結果は同じで、距離に関係なく内容全部が滲んでいるように見えた。
試しに、まゆりに見せたら「え、なにこれ? 暗号?」と、はてなを浮かべながら小首を傾げた。可愛いっ!
レナンは「ダーリンは字が綺麗なのだな。ではこれに一筆を」と言って、スッと婚姻届を出してきた。
「常備してんのかよ、おいっ!?」
「当然だ。『あけおめ』から『あけおめ』まで、私はいつでも準備が出来ているぞ、ダーリン」
「年中無休か?! せめて祝日は休めよ!? 俺も気が休まらねーよ!?」
「ふふん、ダーリンが休みたいなら、私は『お休憩』でも『宿泊』でも一向に構わないさっ。本音を言えば、今この場で『お持ち帰り』して貰えると嬉しいんだけれどねっ」
凜とした声を弾ませながら、雅な笑顔をこちらに向けてくるレナン。
頭の語群選択どうなってんだ、お前。
周りに誰もいなくてよかったと、溜め息を付きながら、ゆっくりと歩き始める。
歩行ペースは基本まゆりに合わせているが、歩き出しは三者三様に歩幅が違うので、くっついている時は案外と気を使う場面だったりする。
というか、なんか二人に挟まれるのに慣れてきてないか、俺。
時々我に返ってドキッとするけど、なんだかもう自然現象的な諦めを感じているのも確かで、どうすることも出来そうにない。
それにしてもレナンとまゆり、あの朝を過ぎてから、喧嘩をしなくなった。
部室の外で二人きりで話してからなのか、それともエネルギーの無駄と割り切ったのか、傍目からして、まだ若干の距離感が残っているように見えるものの、完全に打ち解けるまでに、そう時間はかからないように思った。
だから、この事件が解決するころには、きっと――。
そんな風に手前勝手に思っていると、通りの中に、一番見慣れた家屋が見えてきた。我が家だ。
手前に見える綺麗な家が、まゆりと母さんが一緒に住んでいる久瀬の家。すべてが魔生構材で出来ているので、『家のスゴいやつ』を使えば、立て替えからリノベーションまで、やりたい放題できちゃうスーパーハウスだ。
そのお隣の、とても良く言えば、風情と味のある日本家屋が、俺の住む常陸家。まゆりが魔法で壊した部分以外、古い建築材で構成されている、傷んだぼろ屋だ。
同じ家族なのに両家の差は、言うなれば高層マンションと限界集落だ。居住性など比べるべくもない。
ことわざに「住めば都」なんてのがあるけど、都と田舎を日々往復する俺は思うんだよ、住む可きは都だと。
と、そこで、いつもと違う状況にやっと気づいた。
いつもなら三つくらい手前の角で別れるレナンが、今も俺の右腕に自分の腕を絡めて、ぴったりと身体をくっつけている。
まゆりと何か約束でもしているのか、それとも単に忘れているのかと思って、一つ遠回しに聞いてみた。
「レナン、こっちまで来ちゃっていいのか?」
「あ、それ大丈夫なので」
俺の声には、どうしてかまゆりが答えた。
なぜ?、という疑問が一瞬頭をチラついたが、その時、パッと玄関から出てきた母さんが、こっちに気づいて声を掛けてきたため、俺はその考えを口にする機会を逸した。
「あらグッドタイミングだったみたいね。まゆり、その子がアンタの言ってたイルルミさん?」
まゆりは、うん、とあっさり返事をすると、母さんはレナンの方へ視線を移し、顎の下を摩りながら、足下から頭の天辺までを舐るように見回した。
一瞬だけ右腕に強ばりを感じたかと思ったら、普段あれだけガッチリと組みついて離れないレナンの腕が、するりと解けた。それに釣られて右手側を見たら、身体の前で両手を重ねて、流れるような動きで母に一礼をするレナンの姿が目に飛び込んできた。
「私は、八和六合に籍を置く、イルルミ・レナンと申します。初めてのご挨拶が、このような形で申し訳ありません」
普段の言動を知っているだけに、この場面で、一体どんな爆弾発言が飛び出すかと思ってヒヤリとしたが、ひとまず安心した。
そりゃそうだよな、八和六合で首領の側近やってる身なんだし、言葉選びなんてモンを俺が心配すること自体が馬鹿げているんだよ。
何にせよ、初対面で失敗しなくて良かったなー、と内心でホッと一息。
それは、まゆりも同じだったらしく、左手を胸に当てていた。可愛い。
母さんはレナンの挨拶に面食らったみたいで、数瞬の間、目をぱちくりしていたが、ハッとしたように我に返ると、
「えーっと、常陸寵看です。この子たちの母をやってます。どうぞよしなに?」
ほわっとした返しをしながら、母さんもぺこりと一礼をした。
こういうのを見ると、本当に、まゆりはこの親を見て育ったんだなって思う。口癖も端々で似てるし。
まあ、性格柄シャキッとした部分のある母さんと比べると、まゆりは全体的にふんわりしてるけど。
していると、母さんが腕を組みながら眉をハの字にして、小さく首を傾げた。
「あのー、えーっと、それで皆さんは、二股なご関係でいらっしゃる感じ?」
「「「ブッーーーーーーーー!!!」」」
瞬間、俺たちは、咽せるほど噴き出した。
質問の衝撃から解放されたあとも、軽い呼吸困難に陥っていた。
確かにそう見えなくもないだろうが、いくらなんでも直球すぎる。
普通、もうちょっと気をつかって、オブラートに包んだ物言いをしてもいいところなのに、なぜ真っ先にギロチンをブン投げてきたのか、この母は。
「えほっ……えほっ……、違うのお母さん、私たちはサイン・コサイン・タンジェントみたいな関係なのっ」
「えっ、まゆり? アンタそれ三角関数よ!? お母さん、意味が全然分からないんですけど!?」
そこまで分かっていて、なぜ意味を拾えないのか。
あ、そうか、親子だからか。俺の親でもあるけど……。
「僭越ながら義母さま、私たちはダーリンを慕いながらも、お互いに譲り合う関係で、このように普段から身体のシェアリングをしていると言いますか――――」
「へっ、か、身体のシェア!? ち、違うのお母さん?! 関係っていうのは、そ、そういのじゃないの!? 信じて!?」
「……………………」
絶句する母に、半狂乱のまゆり。青ざめていくこの顔面。
そこへレナンが、自分の腕を、俺の腕に思い切り絡ませながら、ダメ押しの爆撃を放った。
「煎じ詰めれば――――私たちは肉体関係です、義母さま」
「「――――」」
白目を剥いて言葉を失う母さんとまゆり。顔面蒼白になる俺。
地獄絵図だ。どうしてこうなった!?
レナンの言語機能が正常だと思った俺が甘かった……っ。
爆弾魔ハ健在ナリ。
「えーっと……、燎祐、アンタ…………その……」
「えっと、あの……燎、私うまくフォローできないです……」
「おいこらあああああ?! 煎じ詰めるどころか、話がドン詰まってんじゃねえかーーーーー!! 責任とってなんとかしろぉぉぉ!?」
素っ頓狂な声を上げながら、レナンの方を睨み見た。
すると、また、どこからともなく例のものを取り出し、器用に片手でピラッと開いて見せた。
「こういう婚姻届でよければ、私はいつでも何とかするつもりだよダーリン?」
そう言ってキリッとした顔を作ったあと、レナンは口許を柔からに緩めた。
その表情が、思わず息を呑むほど綺麗で、頬を伝う熱で自分が赤面しかかっているのが分かったが、しかしこの頭の中の混乱模様は、絶対にこの笑顔のせいではない。
全部レナンの、ぶっ飛んだ語群選択能力のせいだ!
この異様ともいえる空気に、母さんが物怖じせずにツッコんできた。
「じゃ、じゃあそのイルルミさん、いいえレナンちゃんは、もうウチの燎祐とは、ご関係が、その、えーっと……、もう経験はお済みな感じでしょうか!?」
「おい母さん、いま絶対レナンの親御さんの顔が思い浮かんで、言い直しただろ!? 違うからな?! そういうのはないからな?!」
何も嘘をついていないのに、まるで狼少年になったみたいだ。
しかし必死に弁解するもむなしく、母さんは俺のことなど、もはや眼中になく、母さんの目と耳はレナンに釘付けだった。
その期待に応えるように、レナンは、トンと自分の胸に手を置いた。
「勿論です義母さま。初めての時は、年上として私がリードするつもりでいたのですが、ダーリンは我慢できなかったみたいで」
「「「え"っ?!」」」
言葉を爆弾に変える恐るべき奇術師のミスリードに、俺とまゆり、母さんがハモった。
そんな爆弾魔は、俺たちを置き去りにして、その饒舌を遺憾なく発揮した。
「ダーリンは初手から男児らしく、とても荒っぽく、若さを感じるほど激しく、それが私好みではあったのですが――――しかし途中から、私の予想を上回るほど大きくなっていたので、恥ずかしながら、少々手を焼かされてしまいました」
「手を焼くほどのサイズ?!」
ギョッとした顔で、俺のズボンの上に目を走らせ、硬直する母さん。
その誤解をマックスで助長するように、レナンが自分の頬に、そっと手を添え、何かを回顧するように遠い目をした。
母さんの顔が、驚きのあまり、形容しがたいほどに変形している。
まゆりは、最後の審判を待つ罪人のごとく、悲嘆に目を覆っていた。
舟山がレナンと関わりを避けていた理由って、もしかして理不尽な暴行じゃなくて、これなんじゃないのか?!
そんな折、母さんが、急度まゆりに向き直って、その小さな両肩へ、力強く手を置いた。
「まゆり、お母さんから大事なお話があります」
「アッハイ」
「お母さん、もう止めたりしないから、お弁当じゃなくて、男女の共同作業で、もっとスゴいものを作りなさい。行為に関しては、親として全面的に許可します。認知はさせるから安心しなさい」
「…………」
いつもなら真に受けて慌てふためくまゆりが真顔でスルーした。
母さんは、それを一種の肯定と受け取ったようで、今度はレナンと俺の方に顔を向けた。
「はあ~、お母さんすっごい驚いちゃった……。最近の子は早いって聞いてたけど、本当だったのねえ。私が学生の時代はそこまで――」
「待ってくれ母さん?! 全然っ、どれも誤解だから!? 行くもなにも、そこまでいってねーから!? 誤解だから!?」
「五回もヤッてイッないって、アンタどんだけ性豪なのよ!? どんだけ下半身なのよ!!」
「確かにダーリンは下半身の使い方がとても上手ですね。上の方も相当な技術を持っています。この身体が保証します」
自信たっぷりにレナンが言うと、般若のような形相をした母さんが、俺の胸ぐらを、ぐわしっ、と掴んで前後に思いっきり揺さぶった。
「アンタ学校じゃなくて、どこに通ってるの?! まさか家のお金使い込んでたりしてないでしょうね!?」
「落ち着け母さん!! つーか、おいレナン?! お前もう喋るんじゃねーよ?!」
なんとか母さんとレナンの手を振り払い、襟元を正す俺。
しかし、いったん疑心暗鬼に火の付いた母さんは、俺の言葉なんぞ聞いちゃいない。
母さんは、俺を張り手で押しのけて、レナンの手を取った。
「いいえ、聞くわ!! 話を聞かせて頂戴、レナンちゃん!!」
「心得ました、義母さまっ!」
「「…………」」
なぜが意気投合し、二人で熱く話し込むレナンと母さんを尻目に、俺とまゆりはゲッソリしながら、玄関を通って家の中に入った。
その後、リビングで二人してグッタリしていると、母さんがレナンを連れて再登場し、レナンの爆撃で再燃――――
結局、母さんの誤解が解けるまで、それから二時間以上かかった……。




