第二章12 漸次渦の中へ③
レナンは「さっきも話したことだが」と、一つ前置きを差し込んでから、話を始めた。
「カリスの人類救世軍は、【夜の国】を滅ぼした。彼は、落ち延びた亜人たちの、孫世代に当たる。因縁とはそのことだ。そして彼が、私の調査に協力する十分な理由だよ。私もそれを見越して打診した。しかし、彼の……、いや彼らの、恩讐の深さを私は見誤っていた」
その声には、どこか悔悟の響きがあった。
レナンは思い詰めたような表情を浮かべ、テーブルの上に目を落とした。
窓の外では、昼休みの始まりを告げる闘争が押っ始まっており、部室の中にくぐもった音を響かせていた。
「彼の復讐心に火を付けてしまったのは、恐らく泥人形と戦ったことが原因だろう」
「えっと、泥人形って?」
「カリスが作り出した死をばら撒く怪物だよ。【夜の国】の殲滅戦にも投入されていたらしい。調査の過程で、私たちはそれと交戦した。撃破したのは彼だ」
「そっか、いつぞやの仇敵にばったりと出会って、その『誰か』の人も色々と燃え上がることがあったのね。それで、レナンたちは何を調べようとしていたの? 詰まるところ、その辺りが全然わからないので」
だから話の全容が把握出来ない、とでも言いたげに、まゆりはエメラルドの瞳をぱちくりとした。
思い返してみれば、カリスを調べているとは言っていたが、連中を追っている理由は聞かされていない。
部室を拠点にしていたことから、校内を調査していたと推測できるが……、そこから解きほぐせる内容がほかに見当たらない。
レナンと【誰か】は、この東烽高校で、いったい何を調べようとしていたんだ?
加えて、オカルト教団と死をばら撒くという怪物……。
そんな物騒なものがどうして。
まゆりが口にしたとおり、答えを出すにはヒントが足りない。
そんな折、こちらの頭の中を見透かしたように、レナンが答えた。
「私たちが調べ上げようとしていたのは相羽さ。ヤツは、この学校で何かことを起こそうと企んでいる、人類救世軍が送り込んだ間者だ。泥人形の件、そして彼の失踪はヤツの手によるものだ」
予想していなかった答えに、俺は瞠目した。
レナンは俯いていた顔を起こし、俺たちを見回した。強い意志が燃える、あざやかな瞳だった。
覚えず、その色に引き込まれていると、俺の腕を、ついっついっ、と引っ張る可愛い手があった。
隣を見ると、眉をハの字にしている、まゆりの顔があった。
「あの、相羽さんて、誰でしたっけ?」
「ほら、強面のヤクザみたいなのがいたろ」
あれだけインパクトのある顔だったから、簡単なヒントを出せば絶対に思い出すと思ったのだが、予想に反してまゆりの反応が芳しくない。
それどころか、その存在自体が記憶からすっぽり抜け落ちているみたいで、まゆりは右手の人差し指を唇の上に乗せながら、はて?、と身体を左に傾けた。
「ん~……怖い顔、怖い顔……」
「ダーリンが一方的に暴行を加えて足腰立たなくした教師、と言えば分かりやすいか」
「せめてもう少しマシな言い回しをしてくれよレナン」
「ふむ。では、ダーリンの猛烈なピストン運動のあと強烈な下半身の一撃で昇天した教師、というのでどうだ」
「言い回すどころかねじ曲がってんじゃねーか!? 言葉の選択基準どうなってんだよ、お前っ?! 毎回わざとやってるのかよそれ!?」
「ダーリン私は至って真面目だぞ?」
「余計にタチ悪いわ!」
そんなやり取りをしている傍で、「ピストン……下半身……ああっ、壁にめり込んでた先生ね!」と声にして、ぽっん、と手を打つまゆり。
記憶の関連付け方法が斬新すぎて、俺は、なにか不思議なものでも見たように、唖然としてしまった。
そんな俺を尻目に、レナンが得意な顔を浮かべているのが、気配で分かった。
していると、まゆりが、元の体勢にふわりと復帰した。
「だとすると、相羽先生は泥人形を持ち込むに当たって、学校結界の検疫機能を停止させたか、穴を開けたっていうことでしょ。カリスの問題を差し置くとしても、かなり深刻な事態だと思うんですけど」
流石はマイペース。何事もなく会話を元の路線に復帰させた。
結構ぽやんとしていることも多くて、発想が独特なところもあるけれど、魔法が絡むことでは非常に心強い役回りになってくれる。
そのお陰で、なんとなく話の根幹が見えてきた。
テーブルの上に再び会話のレールが敷かれたことで、レナンは続きを話し始めた。
「その通りだ、たとえカリスの本命が何であれ、これは学校結界の安全神話を揺るがす、由々しき事態だ。もし結界に機能の不備が認められれば、魔法教科を持つ学校は、結界再構築までの間、学校施設の運用停止がこの国の原則だ。それが国内最高レベルの結界を持つ本校ともなれば、全国の魔法教科を持つ学校が監査対象になってもおかしくない」
当たり前のことだが、結界がない場所での魔法攻撃は、単なる傷害だ。程度によっては罪になる。
魔法は、人の可能性を拡張してくれる夢のような代物だが、活かすベクトルが正反対だったら、それは容易に破壊を生み出す便利な暴力になってしまう。
かつて夜の闇を切り裂き、文明に光をもたらした炎が、戦争や処刑、殺戮に用いられたように、或いはダイナマイトがそうであったように、誰かが求めた発明は、それとはまったく違う道で、その殺傷能力を遺憾なく発揮してきた。
魔法もそうだったに違いない。
だからこそ魔法は、制御以上に、使用上の安全の補償が求められるのだ。
補助魔導機さえあれば誰にでも扱えてしまうから尚のことだ。
よってこの国の魔法教育は、生徒の攻撃性を助長しないよう、暴力性に結びつかぬよう、細心の注意を払って実施されてきていた。
そうした崇高な教育理念に対し、『魔法は自由闊達なほどよいので無制限』と全速力で反逆し、『毎日が終末戦争!』と超攻撃的な姿勢を貫いてきた東烽高校でさえ、その基盤には、窮極の安全を謳う『死に至ることがない』強力無比な結界の存在があった。だからこそ許されていた。
その牙城が崩されたとあっては、世間の反発は必至だ。
「察してくれていると思うが、国の監査次第では東烽高校の存続は難しいだろう。それだけは阻止しなけれならないが……、しかしお役人の中には、八和六合を毛嫌いする者もいる。一度でも話が廃校に傾いてしまえば、それで固まってしまうだろうね」
「なるほど、一蓮托生ってわけか……」
俺は、無意識のうちに、右手で額を押さえていた。
学友(仮)の失踪事件に首を突っ込んだつもりが、それが学校の存亡に関わる大事だったとは思いも寄らなかったし、ましてやその首謀者が学校の教師だっていうのだから、ちっとも笑えない。
急に膨らみすぎた話に、正直ついていけない気持ちで胸が一杯だが――どの道、俺はこの話を無視できない。
俺は、この話に、前のめりで乗っからずにはおれない。
たとえ学友(仮)の『誰か』という大義名分が無かったとしても、俺には東烽に進学した理由がある。
魔法を使えるようになる、という理由が。
「それで、『誰か』は、いつ失踪したんだ」
「ダーリンとの決闘の最中だ。あの後、私と先生が合流しに行ったとき、彼の姿は教室になかった。代わりにコレが落ちていたよ」
レナンは言葉で俺とまゆりの視線を集めると、スカートのポケットから、四折りにされた半透明の包装紙を取り出し、テーブルの上に置いた。一見すると薬剤の包装に使うようなやつだった。
中を開くと、小さな、小指の先端ほどの、白く尖った物体があらわれた。
俺とまゆりの目が、これは何だ?、とレナンの方に向く。
「彼の、身体の一部さ。大きさからして、おそらく小指のものだろう」
「身体の一部って、また随分エグいのが出てきたな……。骨しか残ってないってことは、皮膚を溶かされたのか」
「何を言っているんだいダーリン? カリスと【夜の国】の話をしたとき、彼が骨の造形をした亜人だと説明したろう?」
「んー? そうだったか? まゆりは覚えてるか?」
「えっと、私も覚えてないかも。亜人だったんだ、その『誰か』って」
「なっ、そんな!? じゃあまさか、君たち二人は、今も記憶の改変を受け続けているということかい?!」
「でも障壁になんの干渉もなかったですし、私自身、敵性の魔法を感知しなかったので、それはないと思うんですけど――――」
そう言ったあと、まゆりは、はたと動きを止めて虚空を見つめた。
レナンはおもむろに腕を組み替え、鼻で息をついた。その目には怪訝な色が灯っていながらも、話の続きが気になってはいるらしい。
その時、銀色の髪がふわりと揺れた。
「あれ、これって、もしかして、記憶を誰かに書き換えられている、っていうのは間違ってるかも」
「どういうことだい、まゆりん?」
「私たちは、レナンから教えて貰ったことの一部が、すっぽり抜け落ちて、それがあったこと自体をまったく覚えてない。けど、これは記憶の喪失や改ざんとは違う物じゃないかって思うの。だって、ある事物を思い出せないでも、忘れているでもないとしたら、それって記憶的には常に『白紙』の状態に戻っているってことでしょ。だからなんですけど、私も燎も、『誰か』に関する情報を、忘れたり思い出せないんじゃなくて、どうやっても記憶できなくなってるんだって思うの。原因は分からないですけど」
「そうか、記憶を白紙にされちまうから、綺麗さっぱり覚えてないってことか」
まゆりは「多分」と言って小さく顎を引いた。
言われてみれば『誰か』について、思い出せる情報が無いに等しかった。
「弱ったな……、それじゃあ捜索しようにも、手がかりゼロで、頭スッカラカンのままやってるのと同じだな。仮に見つけられたとしても、認知上に残らない相手を、どうやって確保すりゃいいんだ……」
つい今し方、レナンがポケットから取り出した物が、いったい何だったかさえ、もう思い出せない。
まるで、さっきまで見えていた景色が、突如として深い霧に包まれたみたいに、全部が真っ白になってしまっている。
全部、まゆりの推察通りなのかもしれない。
なら、見つけたとして、この頭は、そいつを『誰か』と認識できるのだろうか――――。
「レナンがいるじゃない」
ふわりとした声が、優しく耳朶に触れた。
「私は、たぶん役に立てないけど、レナンがいるから大丈夫だと思うの。別々に動けない分、一度に捜索できる範囲は限られちゃいますけど」
「まゆりん……」
レナンの蒼い瞳が、真っ直ぐにまゆりに差し込まれていた。エメラルドの瞳に瞼の幕が静かに下がり、そしてゆっくりと上がった。
そんな数瞬の絵が、心なしか儚げに見えた。
まゆりが、ぱちん、と手を叩いた。
音はぎこちなかったが、その手拍きで、テーブルの上の張り詰めていた空気が八方に弾けた。
緊張して無駄に強張っていた筋肉から、ドッと力が抜けた。
「それじゃあ、お話も一段落したことですし、時間も丁度いいので、お昼にしましょ」
言われて時計を見てみたら、昼休みが半分近く終わっていた。
窓の外では、相も変わらず、東烽らしく戦闘の奏でる大小様々な音が、涼しげに響いていて、ぶっ飛ばされた生徒が、打ち上げ花火みたいに空中に舞い上がっている。
世は太平、事もなし、というよりは、事態を知らぬが故の平常運転、か。
知らぬが仏とも言うし、いくら非日常と日常といっても、こういう非日常は進んで行き来するものじゃない。
まあ、そうは言ってはみても、東烽自体が非日常の塊みたいなものなんだけどな……。
「では、私は購買まで今からひとっ走りしてくるとしよう」
「はいよ了解。俺たちは弁当あるから、ここで待ってるわ」
「あ、あの、私、お弁当、ないです……」
「え。だって、今朝は早起きして作ったって――」
「じつは、自分の分を……忘れていました……」
口にした瞬間、まゆりは灰色になって黄昏れていた。
そうか、また、やったのか。
何を隠そう、まゆりはご機嫌で台所に立つと、たまに自分を勘定せずに料理を作ってしまうことがあるのだ。
だもので、普段は母さんが「アンタそれ何人前?」と聞くらしいんだが――――
これも教育、ってことなんだろう。
まゆりにめちゃ甘い母さんにしては、なかなか辛い手で来たな。
「しょーがない、じゃあ俺がまとめて買ってくるから、適当にオーダーしてくれよ」
「だ、大丈夫です。レナンと一緒に購買に行ってきますんで、燎は部室で待ってて」
「おいおい、俺一人を部室に残したら、またあの警報鳴らしちゃうぞ。だから、ここは行かせてくれって。お弁当を作って貰った分のお返しとでも思ってさ」
隣の小さな肩にぽんっと触れて、キメ顔でウインクしてみせると、まゆりは眉をハの字にしながら「じゃあ、燎にお任せします」と、渋々と言った具合に納得した。
まゆりのことだから、自分の失態は自分で、と思っていたんだろうが、俺としても弁当作って貰っておきながら、自分の分は自分で買ってこい、なんてマネは出来ない。
とかいって、気を利かせたつもりが、逆に身の縮こまる思いをさせてしまって、何というかアレな状況ではあるが……。
俺は、よっこらしょと席を立ちながら、反対側に顔を向けた。
「レナンは何がいい? 好き嫌いとかあるか?」
「そうだな、私は特に激しいのが好み――――」
「分かった適当な」
俺は、レナンが二の句を告げる前に背を向け、閃光のごとくその場を後にするのだった。




