第二章8 Briefing②
さっきのは何だったのだろうと思っている間に、まゆりは部室の扉を開いて中に入っていった。
遅れて後に続いたら、まゆりは自分の手にはちょっと余るサイズの携帯電話を取り出して、立ったまま画面を見つめていた。
「携帯見てるなんて珍しいな。もしかして操作分からないとかか?」
顔を近づけると、まゆりは俺の目から携帯を隠すように制服の内ポケットにしまった。
「う、うん。大丈夫。メールが来てないか見てただけだから」
まゆりはそういって俺からササッと離れて、今度は窓際で佇んでいたレナンの傍に立った。
「次はレナンにお話があるの。ちょっと一緒に来て欲しいんですけど」
「フフン、女同士の話というわけか。なるほど面白い。付き合うよまゆりん」
そう言ってレナンは身を凭れていた窓枠を溌溂と突き放し、先行するまゆりの後ろに付いた。
「あ、あの、俺は?」
自分を指さしながら、扉の向こうへ行く背に問うと「燎は部室で待ってて?」的なふわりとした回答があった。
けど、まゆりとレナンで話ってなんだ?
穏やかなことなら良いが、あの二人、まさか押っ始める気じゃないよな……!?
一抹の不安を感じてか、二人の消えた扉に向かって叫んだ。
「し、信じてるからな俺はっ!」
大丈夫だ。二人なら上手くやれる。
と、心中でそんなことをほざきながら、漆黒を謳う衛生害虫よろしく扉に張り付いた俺。
慎重な呼吸と共に音もなく扉をスライドさせる。これぞ信じる心が可能にさせる妙技。その為には少しも人を疑ってはならないのだ。
そして数十秒をかけ出来上がった隙間からそろーっと向こう側を覗いてみると。
こっちを凝視している蒼と翡緑の瞳と目が合った。
「ダ ー リ ン 覗 き か い ?」
「待 っ て て 言 っ た け ど ?」
「大変申し訳ございませんでした」
二人の眼力に押され蚊のなく声で謝罪するや、俺の鼻先で、鋼鉄の扉がピシャリと閉められた。
無事を確認するように風圧の通り過ぎた鼻の頭を摩りながら、俺は定位置のソファにこぢんまりと座り、会社の説教部屋でクビを宣告されかけている平社員のごとく、一人異様に畏まりながら二人が戻ってくるのを待った。
だが十分くらい経っても二人は戻ってこず、しかし外で戦闘している様子もなく、ただただ緊張した時間が俺を包んでいた。
「駄目だ……喉がカラカラだ……。そうだ! この部室にはいつでもお茶が淹れられる不思議なポットがあったはずだ!」
ちなみに何故お茶がいつでも淹れられるのかは、まゆりしか知らない。たぶん魔法だ。きっとそう。
まあ、いつもならまゆりが淹れてくれるところだが、今は俺だけだ。
仕方なしにソファを立って、直ぐさま茶器やカップの並ぶ一角へと歩いた。
にしても相変わらず部室とは名ばかりの内装だ。久しぶりにここへ来てみて、改めて、まゆりが施した部室のリノベーションに感心した。
「教室とおなじ構造なのに、どっからどう見ても昭和モダンの喫茶店だしなぁ、っと、どれだっけ俺のカップは――――」
と、カップの置き場に手を伸ばしたときだった。
鮮やかなブルーのステッチが入った布の上に並ぶカップ群が、まるで糸に引っ張られたみたいに布ごとスーッと俺の手から遠ざかった。
「ん、目の錯覚か……?」
軽く眼を擦って今一度カウンターの上を注視してみると、カップはそうしている間にも、カタカタとしながら徐に俺から遠ざかり始めていた。
えっ、何。
何これ。生き物?
そんなわけがあるかと自分に言い聞かせながら、俺はもう一度カップに手を伸ばすと――――
ジリリリリリ!!!
ピーピーピー!!!
突然、サイレンが部室内に響いた。
そして今度は天井や壁から赤いランプが突き出し、救急車もかくやとばかりに大回転。仕舞いには床から発煙筒まで突き出した。
「何この事故のパーティーセット!?」
『常陸燎祐、接近警報発令!! 常陸燎祐、接近警報発令!!』
「え、俺?! なんで俺っ?!」
ギョッとしたのも束の間、次には部室の扉がレナンの健脚に勢いよく蹴破られ、嵐の如く二人が突入してきた。
「ダーリン無事か!」
「どうしたの燎――――って、これ……」
血相を変えて飛び込んできた二人だったが、途端にまゆりの顔色が別のものに変化した。
「もしかしてお茶作ろうとしたの?」
何かに気づいたまゆりの問いに、俺は首を縦に振りまくっての肯定。
直後、まゆりは無言のまま俺の後ろに回り込んで、ぐいぐいと背中を押し始めた。
「ま、まゆりさん? あの、どうしたの?」
「お茶は私が直ぐに淹れるからソファーに座って待ってて。お願いだから」
分けも分からずその場から押し出された俺は、何だったんだろうと視線を送りながらソファーまで戻った。
すると警報は収まり、赤色灯も発煙筒も時を告げた鳩時計みたいにピョコンと引っ込んだ。この部室、ほかに一体どんなギミックが隠されているんだろうか……。
「まったくもぉ……燎は油断も隙もないんだから……」
「少し不躾なことを訊くが、まゆりんには『家事は女の仕事』のような矜持でもあるのかい?」
「そうじゃないですけど。ただ単純に、そういう場所に燎を入れたくないだけなの。台所が幾つあっても足りないから」
「台所が足りないだなんて、そんな大仰な。言ったところでどうせ料理の味付けが酷いとか、皿を数枚割る程度だろう?」
「ううん。違うの。台所が消滅するの」
「何故だい」
二人はティーカップを用意しながら何やら真顔で言葉を交わしていたが、俺の場所からではまったく聞こえなかった。
あの……お茶はまだでしょうか……。




