第一章3・5 ある少年の思い
それは、まゆりと、あの約束をして、一年くらい経った時のことだった。
「なんでだー! なんで俺は魔法がつかえないんだー!? 本の通りやったって魔力とかぜんぜん感じないぞチクショーー!!」
夕暮れの土手に、馬鹿みたいな俺の大声が響いた。
腹の底から声を吐ききった俺は、土手っぺりに大の字になって寝転がった。
芝刈りを終えたばかりの雑草どもがチクリと首を刺した。痛みに負けじと力を込めて目一杯に押しつぶした。が、息が続かず程なくして脱力。
「はぁー……ったく、どうなってんだ……」
雑草には勝ったが現実には負けた。
嬉しくない勝利と途方もない虚無感に苛まれた。
けど、諦め上手なお利口さんになってやるつもりはなかった。
「俺はまゆりと約束したんだ、だから絶対――――」
「――――おやおやぁ。君、今日もこんな時間にこんなところに寝転がってどうしたんです?」
紺色がかった空から、くすくすとした笑い声が降ってきた、と思ったら、知らぬ間に誰かが隣に腰を下ろしていた。
背格好から、それが大人の人であるのは直ぐわかった。
しかしその声は丸みがあって柔らかで、とても中性的だったので、男の人とも女の人とも分からなかった。
でも髪が長かったから、なんとなく女の人だと思った。
顔はどうしてか、よく見えなかった。
一体誰なのだろうと思っていると、木枯らしが吹いた。
頬を打つ冷気に思わず両目を閉じた。
ゆっくりと目を開くと、日はすっかりと沈んでいた。
どうやら夜目になって気づいていなかったらしい。
「ははーん、さてはお家に帰りたくない理由でもおありですか?」
「…………」
俺は返事をしないまま寝転がっていた。
大人の人は、それ以上は何も促そうとはせず、ただただ俺が話すのを待っていた。
それで魔が差したというか、気まぐれというか、たぶん何となく……、今まで溜め込んでいたものを打ち明けたくなってしまった。
「じつは……さ」
俺は身を起こしてチラチラと様子を伺った。
やっぱり大人の人の顔は見えなかったけれど、静かにこちらの話を待っているのだけは伝わった。
俺が口を開くと、大人の人は話を遮ったりもせず、かといって聞き流すこともせず、話を聞いてくれた。
「なるほどそうでしたか。君はその歳でまだ魔法が使えないのですね。それで毎日遅くまでここで練習を」
「けどいくらやっても全っ然ダメ!! それが何でなのかちっとも分かんなくて、もーどーしたらいいんだっての!! ああぁぁああもう!!」
俺が話にアツくなりすぎたのを見て、大人の人は少しだけ間を置いてくれた。
お陰で頭が冷えて落ち着いた分、ちょっと惨めな気持ちが蘇ってきた。
「でも、諦める気はないんですね?」
「もちろん! 絶対にあきらめたりなんかするもんか!」
またカッとアツくなった。
けど憤ってじゃない、自分の信念だからだ。
「ふふ、そうですか。でしたら君は、大きくなったら東烽高校へお行きなさい」
ぼうぼうと風の吹く土手の上で、その言葉は鮮明に響いた。そう感じた。
俺は覚えがない言葉の輪郭を探るように口の中で反芻した。大人の人はゆっくりと頷いて、それからもう一度、俺に覚えさせるように言葉を重ねた。
「東烽高校はこの国で最も優れた魔法の学校です。時が来て、もし君に魔法の力がなく、そして迷いがなかったのなら、必ずそこへお行きなさい」
「そこだったら俺も魔法がつかえるようになるのか!?」
「君が胸に刻んだ信念を片時も忘れずにいられるなら、きっと」
最後の言葉は強烈な突風を伴って土手を吹き抜けた。
俺は思わず腕で顔を覆った。
腕をほどくと、大人の人の姿はどこにもなかった。
大人の人は消えてしまった。
「トウホウ……コウコウ……俺はそこへ行けばいいんだな……!」
立ち上がった俺は、ズボンに張り付いた草を払いもせず、家に向かって走りだした。
とっくに日の落ちた土手の上に明かりはなく、遠くに見える景色だけが輝いていた。
それが『あの人』との出会いであり、俺が東烽高校を目指す切っ掛けだった。