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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
49/111

第二章1  ある朝の乙女たち①

**1**


 その日、目が覚めたのは、朝の四時頃だった。

 時計を見たとき、おおっ随分早起きじゃないか、と自分を褒めてやろうと思ったのも束の間、デジタルのカレンダーの日付を見て、とりあえず自分の頭を一発ぶん殴ってみた。

 ゴンッ!、と硬質な音が頭蓋の中に響いて、視界がぐわんぐわんと揺れた。我ながらキレまくりの容赦ない一撃だった。


「痛ってえーっ! つーことは、夢じゃないっ!! これ、マジか……!」


 ベタなことをしながら、改めて日付を確認して項垂れる。


「嘘だろ……決闘のあと、二日も寝てたのかよ俺……」


 悪い酔いから醒めたみたいに、自分で()った頭を抑えながらベットから出る。

 決闘があったのは金曜日のことで、今朝は月曜日。どうやら土日丸々を潰して爆睡していたらしい。

 ふと原因となりそうなことを記憶から探ってみたものの、振り返りきれない七日間のことを思い出して、考えるのを止めた。


「一段落して気が抜けたのか」


 それと考えるのが自然だろうが、きっと記憶の整理だのなんだのもあったのだと思う。

 それにしても、頭の痛みのせいか、それとも睡眠時間がたっぷりあったせいか、目も頭もスッキリ冴えてしまって、しかし起床時間までにはまだ二時間ほどあって、どうにも時を持て余してしまった俺は、サクッと着替えて、土手に行って軽く体を動かすことにした。


 外に出ると、しっとりとした冷たい空気が漂っていて、空はまだ暗いものの、鳥たちのさえずりが、日の出がそう遠くないことを告げていた。

 そのまま走って土手まで行ったが、時間が時間だけあって、誰とも擦れ違わなかったし、土手に着いてからも誰も見かけなかった。まるで人類が地上から消え失せてしまったみたいな感じがした。

 俺は、土手の斜面を下って河川敷に降りた。

 念のため、もう一度周りに誰も居ないのを確認。

 それから呼吸を整えて、近くの背の高い草むらに向かって正拳を打った。


「ふっ!!」


 すると拳を打ち出した瞬間、正面の草むらがモーゼの十戒よろしくバサーッと左右に分かれた。

 拳から放たれた風圧が一直線に突き抜けた、ということなのだろうか……。

 師匠ならともかく、自分がそれをやっているという自覚が持てず、とりあえずもう一度やってみたが、やっぱり同じ感じになった。


「どうなってんだ……俺の体」


 ここまで走った感触からも、運動能力も、人外時と比べて落ちているようには思われない。寧ろ今は、その頃よりも強くなっているとさえ感じる。

 ゆえに、実はまだ人間に戻れていないのではないかという不安が脳裏を過るも、そこは舟山を信じることにした。


「けど、この件は一回聞いておかないとなあ」


 後遺症なんてのがあったら困るし、聞いておいて損になる話しはない。

 陽が昇って暫くした頃、時間も丁度良い感じになったので引き揚げ、シャワーを浴びて制服に着替えた。

 その際、姿見の前で、ナルシストばりに全身に目を光らせたが、表皮のどこにも血の紋様がないことを目視で確認して、心配の芽が一つ潰れたことに安堵の溜め息をついた。


「暫く消えないって脅されてたけど、あの包帯に、紋様消す作用でもあったのかな?」


 そこらへんを好意的に解釈しておくこととして、俺は朝の身支度を済ませ、朝食の待つ久瀬家のリビングに向かった。




** 2 **


 俺の朝というのは――起きる、着替える、久瀬家で朝食からの『寝まゆり』を担いで学校に行く、までが日課となっている。

 そも、まゆりが起きていること自体がないに等しくて、仮に起きていたとしても寝てる時と区別できないくらい意識が飛んでいて、どうであれ結局は背におぶって行くことになる。

 だもんで、「もしも」なんてのは予想もせず、特段期待などなく、俺は久瀬家の玄関に上がった。

 そして何の気なしに、だらりとリビングに行った時、俺は手から鞄を落として仰天した。


「ま、まゆりが起きてるううううううううううううう!!」

 

 しかも、ただ起きているだけではない。

 バッチリ制服姿で、髪もふんわりと整えて、ほわほわと湯気立つホットミルクをふーふーしている!

 なんという幻想的(ファンタスティック)な光景! こんなの、今まで一度も見たことがない!!

 俺の参上に気づいたまゆりは、口を付けかけていたカップをテーブルに戻すと、ふんわりした所作で顔をこちらに向けた。


「燎おはよう?」


「まゆり可愛い(おはよう)!! すごい早起きじゃないか!!」


「わ、私だって頑張ったら、ちゃんと起きられるんですけどっ」


 少し不服そうに頬をぷくっと膨らますまゆり。可愛い!

 かつて、まゆりが自ら起きてきたと言ったっても、目が一ミリも開いてない上に、着替えもしていなければ、髪だって寝癖が付いたまんまという可愛さだ。それが、今日は完璧じゃないか!

 普段その全てを一手に片付けてしまう母もすごいが、これは大変なことだぞ!


 俺はこの驚きを発信すべく、ドタドタと床を踏みならしながら台所に突っ込み、母さんを呼んだ。

 すると呆れ顔の母さんが、何よと言いたげにこっちを見た。


「母さん!! まゆりが、まゆりが起きて着替えてるっ!! ホットミルクふーふーしてる!」


「アンタそれドコに喜んでるのよ…………」


「今日この日を記念して、今夜はお赤飯を炊こう!! あとプレゼントの用意も!! いや、パーティーの方がいいか?」


「あーはいはい、勝手にやって。てゆーかアンタ、台所出禁なの忘れてない? ほら、これ持ってさっさとテーブル行く」


 俺の熱意は伝導せず、無下に二人分のプレートを渡されしっしと追い払われた。

 ちえっ、と台所から引っんだ俺は、配膳しがてらテーブルに着く。

 隣から聞こえた小さな「ありがと」に釣られて目をやったら、思わず息を呑んでしまった。

 最初は、まゆりが起きていたことだけに心をとらわれ、それだけに驚きを感じていたが。

 改めて見ると――――本当に、可愛い。

 目に映るしなやかな銀色の髪が、綺麗なエメラルドの瞳が、小さな唇が、柔らかそうな肌が、今すぐ触れずにはおけない程の感情を頭の中に掻き立てて、押し殺すほどに身悶えそうになる。

 自分の中で何が変わってしまったのだろうか。

 それもこれも、八年弱もご無沙汰だったからなのかは分からないけれど、まゆりへの強すぎる思いに、自分でも少し戸惑いを感じた。

 しているうちに、コーヒーカップを手に母さんが台所から戻ってきた。どこか呆けていた俺は、それで一様の冷静さを戻した。


「まあ確かに~、まゆりが自分から起きる日が来るなんて私も思わなかったけど~、これって一体どういう心境の変化かしらねえ~。お母さんとっても気になっちゃう~」


 母さんは、コーヒーカップをテーブルの上に置くと、茶化すようなノリでチラリと伺った。

 すると、まゆりは茹だったように顔を赤くして、顔を伏せてしまった。尚も「ねえねえ」と嫌らしい声でもって悪乗りする母。

 何だか良く分からず、俺一人だけその空気から置いてけぼりにされていると、台所のほうでトースターがチーンと鳴った。


「わ、私取ってきますのでっ!」


 まゆりは、あたふたと席を立って台所の方に消えていった。

 その背を、ニヤニヤとした母さんの視線が粘っこく追っていた。


「んふふ~、良かったわねえ燎祐~」


 顔を戻した母さんは意味深なことをポロリと告げるや、コーヒーカップに口を付けて、横目でテレビを見始めた。

 言いたいことが分からず頭の上にハテナを浮かべていると、母さんは試すような笑いを浮かべた。この母親、さては何か企んでいるのか。それとも何を知っているのか……。

 疑問のせいですっかり味のしなくなった朝食を口に運びながら、悶々としていると、暫くして、まゆりがこちらを伺うように、台所からこそこそと戻ってきた。

 何故か両手は後ろに回されていて、少し上目遣いにこちらを見ている。


「あ、あの燎っ。きょ、今日なんですけど、私、その、お弁当、作ったの」


「――え!? マジか! じゃあ、今さっき台所に行ってたのって……ッ!!」


 まゆりは小さく頷いて、背に隠していたお弁当の包みを俺に差し出した。

 思い掛けない衝撃にプルプルと手が震え、今にも取り落としそうになりながらも、お弁当を受け取った。

 瞬間、手の中のお弁当を中心に、世界が金色の輝きに包まれた。

 そして黄昏の天空から、絢爛なドレスを纏った女神が、ラッパを吹く数多の天使を伴ってふわりと眼前に降り立ち、柔らかな微笑みを浮かべ『お弁当(ひかり)あれ』と呟いて、輝きの彼方に消えていった。


 OH GODS(ああ、神よっ)!!


 それは多分俺の幻覚だと思うが、あまりの感激に言葉もなかった。包みを通して伝って来るごはんの熱が心地よい。

 平素から朝は寝てる姿しか見たことがないのに、今日はもう、なんて日だ!!  世界の休日に認定したっていい!!


「ありがとう、まゆり! 俺はこのお弁当を一生大事にするっ!」


「保存しないでお昼に食べてっ?!」


「ほ~らアンタたち漫才やってないで、ごはん食べてさっさと学校行く。まゆりは通学路も覚えなさいっ」


 俺と違って、若干小さな「はーい」がまゆりから聞こえた。

 お弁当を仕舞いながら思ったが、そういえば俺の不在時、まゆりはどうやって学校に行ってたんだろう。

 昨日一昨日と寝てたから積もる話の一つも崩してないので、本当にこの一週間、あの空間の外で何があったのか一つも知らない。

 まあ、二日も寝てた手前、俺から聞けた話でもないが……。

 今朝はそのことを母さんに突っ込まれると思っていたけど、綺麗にスルーされている辺り微塵も興味ないらしい。

 その割には、妙にまゆりに食いついているのが気になる。

 そんな俺を見て、見透かしたように母さんがフッと鼻で笑った。


「なーによアンタ、久しぶりに帰ってきたのにチヤホヤされなくて寂しいわけ~? 燎祐はまだまだガキンチョね~。ちょっぴり大人になったまゆりとは大違いだわ~」


「うっさいっての、それよかまゆりが大人って――なぬうーーっ!!」


 驚きに尻を浮かされて、思わず立ち上がった。

 大人になったってどういう意味だ!?

 いや、意味など考えるまでもない。十五歳が大人になるって言葉から一番考えられること――――その最有力候補は一つしかあるまい。

 雄しべと雌しべが(マッハ・)(ピストン・)(フィニッシュ・)(トゥギャザー)するアレだ!! それしか考えられない!!

 俺は天地がひっくり返った思いで隣のまゆりを見た。


「ま、まゆり……そんな……ことがあったのか……」


「どんなことですか?!」


「言葉にはできずとも、分かってるつもりだからさ……はは……は……」


「……え? えぇーっ!! もしかして、そういう意味なの!? ご、誤解なんですけど!?」


 顔を真っ赤にして、ぜんぜん違うの!、とでも言うように、ぶんぶんと髪を振り乱すまゆり。可愛い!

 けれど、その態度が却って反対の意味を強めているようにしか見えない。

 足下がくり抜けて奈落まで落ちていくような感覚に襲われた。


「あ、うん……もう大丈夫」


「あの! 本当の、本当になんにも無いですから!? 私、そういう意味で大人になんかなってないですから! すっごい子供ですのでご安心ください!」


 身振り手振りまで頑張って、不審なまでに全否定するまゆり。

 その必死さが寧ろ俺の心に深くぶっ刺さり、今にも魂魄(こんぱく)が鼻の穴から飛び出していきそうだった。

 記念日から一転して、人生のどん底に立たされた気分だ。


「ああ、俺……死にたい……。お弁当食べたながら死にたい……」


「私のお弁当を最後の晩餐にしないで!? って、もうっ、お母さんが変なこと言うから。燎ちょっと放心気味なんですけどー!」


「え~~、だってホントのことだし~?」


「……俺、実家帰ります…………」


 隣じゃん!、という母の声を遮り、俺はふらりと立ち上がって、足取り重くその場から去らんとする。

 すると、小さな手がそっちには行かせまいと、俺の制服をぐいっと引っ張った。


「お母さ~~んっ! お願いだから燎に変なこと言うの止めて~~!」


 半分泣きそうな感じの声だった。しかし、まゆりのパワーでは俺の歩みを止めきれず、ずるずると床を引き()られていく。それを見かねたような面持ちで、母さんが(だる)っとした声を上げる。


「あ~はいはい。私の言い方が悪かったわねえ~。じゃあ、まゆりの懇願に免じて、魔法の言葉で誤解を解くとするわ。よーく聞きなさいよ燎祐。えっとねえ、実は~、まゆりがアンタのこと――――」


 母さんの言葉はそこで止まった。俺は、はあ?、と母さんに顔を向けたが、母さんは餌を必死に貪る鯉のように目を丸っとさせて口をぱくぱくと開閉するのみで、一切の言葉を紡げなかった。

 不思議に思って、まゆりの方を見ると、こちらはこちらで、顔を耳の先まで真っ赤にしており、母に向けている右手の人差し指には鮮やかな翡緑の光が灯っていた。どうやら何か魔法を使ったらしい。

 それを誤魔化すように、まゆりが俺の制服をぐいぐいと引っ張る。


「あっ、もう学校行かなきゃダメな時間かもっ! 燎も、ほら行こっ?」


「そうだな……今すぐ逝くよ……永久(とこしえ)に」


「そっちには逝かないで?!」


 自分に補助魔法(エンハンス)を掛けたのか、今度は逆に、まゆりが俺を引き()り始めた。

 俺は為されるがまま、小さな手にズルズルと引っ張られて廊下に引きずり出され、その間も、まゆりが大人になってしまった事に涙しながら、人生のエンドロールが宙に流れていくのを呆然と眺めていた。

 

 太陽のように輝いていた懐かしい思い出が、今じゃ落ちぶれたスナックのネオンよりも淀んで見える。

 一体何だったんだろう俺の十五年の人生。そしてガチムチの鬼と密室で殴り合った八年間は……。


 ほんと、何だったんだろう……。


 その時、まゆりがしがみつくみたいに俺の腕を思い切り下へと引っ張った。でも体重のかけ方が下手というか、もともとが軽すぎるので、全然引っ張れていない。


「りょ、燎がなにを思ってるか分からないですけど、私、その――――」


 懸命さに折れてその場に膝を突くと、まゆりは覚悟を決めたように大きく深呼吸をして、それから俺の耳許に手を当てた。

 どうしたんだろうと思っていると、不意にあの音が――全てを一元的に理解させる不思議な音が――俺だけに小さく囁いた。


「■■■■■■■」


「――――!」

 

 音はまゆりの心そのものだった。耳にした瞬間、俺は目を開かれる思いがした。

 わだかまっていた憂いは、バネ仕掛けのからくりのように一瞬にして飛び去った。

 顔を合わせた途端、まゆりは、まるで熱湯にでも浸かったみたいに顔中を赤くして、潤んで光る瞳を困ったように逸らした。

 俺は再起動したロボットみたく力強く立ち上がり、急旋回して母さんに向き直ってサムズアップする。


「I'll come back soon!(行ってくるぜ!)」


 俺は意気込みを新たに、そして鼻息荒く、ガシリとまゆりの手を取った。

 その手を、まゆりがきゅっと握り返してくれたのを合図に、俺たちは玄関へと歩き出した。

 母さんは、そんな俺らの背を追いかけながら、「ンー!!」と必死の唸りを上げ、口許を指さした。

 さっきから黙っていると思ったら、どうやら魔法で口封じをされていたらしい。


「「いってきまーす」」


「ンーーーーー!!」


 扉が閉まる瞬間、まゆりがパチンとフィンガースナップを鳴らすと母さんに掛かっていた魔法が解除され、閉まった扉の向こうから「覚えてなさいよ~」と半笑いの憎まれ口が飛んできた。

 まゆりは小さくペロッと舌を出した。

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