第一章 Epilogue bridge 『M.I.A.』
炎の戒めを解かれ全身から白煙を上げていた舟山は、蹴り飛ばされた先でハッと覚醒するや否や、タコも腰を抜かすほどの軟体的な動きで面々へ近づいてきた。
「あのー、お楽しみのところ申し訳ないですが、これサビ残になるんで、いえ最終下校時刻を過ぎてますので、お二人はそろそろご帰宅願いますー。サビ残になっちゃうんで」
どこに言い直す必要があったかは知らないが、相変わらずの図太さで割り込んでいく舟山。早い話が「帰れ」だった。
魔の握手から解放されたい一心だった燎祐は、渡りに舟とばかりに全力で賛同。熱い手が剥がれるや、「じゃ!」と短く挨拶をして、いつぞやと同じく、まゆりを抱え走って行った。
長居すれば、変な約束を重ねられ兼ねないと思ったのだろう。
その背を見送りながら、舟山がレナンに声をかける。
「せっかく仲直りしたと思ったら、もうこれとか、流石ボッチの帝王ですねー、ぷくくく。ちゃんと本当のこと言わないからですよー」
レナンはチラリと舟山に目を向けて、諤々と告げた。
「確かに『嘘はつかない』と約束したが、『本当のことしか言わない』とは誓ってはないよ。それに、先生だって黙っていたろう?」
「うわっ性格悪っ!! 私まで共犯にするんですか!? こんなの千五百パーセント割り増しのスーパー有料事案ですよ!! タダじゃ絶対引き受けませんよ!」
舟山は胸の前に腕でバッテンを作って、ぶるんぶるんと顔を振った。
するとレナン、ニイっと口端を持ち上げて、空気を切断しかねない鋭利な視線を飛ばした。
「ほう……専女様の許可なく、例の禁術を使ったこと、私は知っているぞ」
「なんと共犯が今だけ無料! ミラクルお買い得ですよ! 超お求めください!!」
頭上に腕で輪っかを作って、全力で身をくねらせる舟山。とんだ投げ売りだった。
レナンは目の力を緩めて、ふぅと一息つく。舟山も一難乗り越えたと分かって、安堵する。
「しかし、まさか蹴りを解禁した上に、【サンゲイ】を出すなんて。おまけに【威光】まで使うとか……、流石に必死すぎじゃないですかー?」
「必死にもなるさ。女を賭けた戦いだ」
レナンは曇りのない声でハッキリと口にした。その表情は、格闘家のそれではなく、年相応の乙女の気配があった。
目を閉じれば思い出す、強く燃え上がる空色の瞳。貫かんばかりに向けられる視線。激しく頬を打った鋼の感触。そして、不屈を映した彼の偉容は、レナンの胸をぎゅっと締め付けるほど、強烈に記憶されていた。息をするたびに、自分の中に想いが広がっていくのを感じていた。
「彼に本気なんだ、私は」
しかし舟山は、レナンのセンチメンタルな感情には全く同意できないらしく、鼻くそをほじるくらいの気安さで、適当に合いの手を入れた。
「あー、そうなんですかー、なんか本気っぽかったですもねー、戦い方とか蛮族らしく野蛮でしたし、もうサラマンダーと人間が戦ってるのかと思ってましたよ。で、何でしたっけ?」
「…………もういい」
雑すぎる扱いに、レナンは不機嫌たらしくそっぽを向いた。
男に勝りすぎてはいるが、女扱いされないことには大変不服のようだ。
舟山はその心理までは汲み取れず、蟀谷のあたりを人差し指でボリボリと掻いた。
「ま、仕事しますかねっ。ではイルルミさんも準備宜しくです」
舟山は、しれっとレナンの肩口に手を置いて、逃げ口上を立てた。
レナンは顔を背けたまま、呆れたように嘆息を付く。
それを合図に、舟山が転移を実行した。
瞬転の後、二人の姿は、舟山が受け持っている学級一年二組の教室に移動していた。
「さてさて、イルルミさんご推薦の協力者は…………、本当に私の教室で待ち合わせなんですか?」
「その手筈だ」
明かりの落ちた教室を、蒼い瞳が見回す。
だが待ち合わせている人物を見つけられない。
舟山が顎の下へ手をやって息をつく。
「気配がありませんね。誰も居ませんよ」
声が透き通って聞こえるほど、教室の中は静まりかえっている。
レナンは訝しそうに目を眇めた。
「先生……妙だ。私がここを出たときと机の並びが違う。いや……教室が違うのか?」
「そんなー、私に限って転移ミスなんか。ここは間違いなく一年二組ですよ」
闇に沈んだ教室に、二人の声が反響した。
舟山は、念のため廊下に出て、教室の表札を確かめた。
その間、レナンは五感を総動員して、記憶と現実の照合をしていた。
廊下の方から「やっぱり間違いありません」と声がして、舟山が周囲に気を配りながら、近くまで歩いてきた。
「…………先生違う。ここじゃない。私がいた教室はここではない! 不味いぞっ!!」
「どういうことなんです!?」
「鬼の居ぬ間になんとやらってことさ! ヤツらは御業を使ったんだ!」
「?! まさか、そんな……! では、協力者はどこに!?」
「分からない……。今は、とにかくタクラマを探すぞ、先生っ!」
「えっ、協力者って彼なんですか?!」
レナンが無言の肯定をし、廊下に飛び出す。舟山も後に続き、二人はA棟中を走った。
暫くの後、二人は、存在するはずのない、もう一つの階層があることを突き止めた。
それは認識を攪乱する結界が丹念に張られ、普通には素通りしてしまうような、厳重な警戒を施された形で見つかった。
二人は頷き合い、足を踏み入れた。
するとそこは、一年二組が入っている五階と、瓜二つの構造をしていた。
レナンが、ハッとして舟山に向き直る。
「そうか、本物の五階と、コピーした五階を空間ごと入れ替えていたんだ!」
「待ってください!! こんなの出来るはずがありませんよ!? 学校結界は専女様がお造りになった堅磐によって守られています! それを破ったとでも言うんですか?! あり得ません!」
「御業があれば、結界に穴をあけるくらい連中にだって出来るさ。それにしても、これほど大がかりなことをして、どうして学校結界が反応しなかったかだ。そのほうが不自然だ。八和六合に間者でもいるのか……?」
学校結界は、敷地内の空間全てを管理する、東烽のセキュリティでもある。
結界内部に異常を関知すれば、直ちに学校関係者に報せが行くようになっている。それが無視されたというならば、手引きしているものがあるとしか考えられなかった。
逡巡した舟山は、そこで一つの結論に辿り着いて、おでこの真ん中をペチンと叩いた。
「これはしたり……、私たちがばら撒いた、探知妨害の魔法に乗じたわけですか」
「探知妨害? なぜそんなことを?」
「なぜって、イルルミさんのせいですよ、これ」
最初は言われている意味が分からず、クエスチョンを浮かべていたレナンだったが、舟山に小声で「カード」と連呼されて、ようやく思い至ったらしく、カアッと赤面して取り乱した。
「なっ!? 私が追い回したからだって言いたいのか!! それを言うなら、私の妨害をしようというのが、そもそもおかしいのであってだな!! こういうのは、ことの成り行きに身を任せて――――」
「あーあー、きこえなーい、はーい、行きますよー」
「こ、こらっ、まだ話は終わっていないぞ先生っ!」
レナンは舟山の背に引っ張られるように、偽の一年二組までやってきた。
舟山は肩越しに、後ろのレナンへ視線を送って、小さく頷く。それから扉に手を掛ける。
カラカラカラ……
鉄扉のローラーが小さく音を立てて、反対へと流れていく。
風が逃げるように二人の顔に向かってブワッと飛び込んでくる。
視線の先では、月光に照らされた、細かな穴が無数に開いた白いカーテンが、風に煽られ不規則に旗めいている。
レナンは目を見張った。
「ここだ、ここで間違いない! 私が来たのは、彼がいたのはこの教室だ!」
「イルルミさん、彼は?!」
二つの視線が教室の中を泳ぎ回る。
しかし、やはりタクラマの姿は見つからない。
レナンは人差し指に小さな明かりを灯して、慎重な足取りで辺りを見回しながら、タクラマの席に近づいていく。
「微かにだが、魔法で争った形跡が……床に残っている……。なるほど、この教室は魔生構材ではないわけだ。ん――――これはっ」
「何か見つかりましたか!」
立ち上がったレナンに、舟山が駆け寄る。レナンが手にしていたのは、細かく切断された制服の一欠片。そして指と思しき骨の欠片。
「イルルミさん、それ、まさか彼の…………」
拾い上げられたものに愕然とした目を落とす舟山。
レナンは想いを掴むように、やおら手を握りしめ、窓の外を睨んだ。
「君の身に、なにがあったタクラマ…………」
静まる教室の中、冷たい風が二人の前髪を揺らしていた。




