第一章41 『ある少女の英雄』 ①
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勝負を決めたと思った刹那、俺の中に二つの衝撃が同時に走った。
無論一つは痛みだ。ほぼ死角から打ち込まれた攻撃は、今までのダメージ全てを一度に凝縮させたかと言うほど重く鋭く、この身を穿った。
もう一つは、それを成した蹴撃。これまで一度たりとも、受けにも攻撃にも使わなかった足技をレナンが使ったこと。
身に受けてさえ、冴え渡っていたと感じさせる技のキレ。
その質は拳打よりも数段は磨き抜かれていた。
刹那、修行の一幕が脳裏を過った。
『あの子は拳闘家みたく拳の打撃のみに拘っていますから』
その言葉の前に舟山は『故あって』と付けていた。
聞かされた当初、拳に余程思い入れがあるのかと思われたそれは、敢えて他を封印しているという意味だった。
しかも、技を完成させた上での、敢えての封印だ。
自分を追い込むためか、或いは拳を完成させたいがためか。理由がどちらだったにしても、レナンはまだ全力ではなかった、ということだ。
「くそっ……」
追いついたと思った途端に引き離された。実戦の中でそれを感じさせられるのは、急に足下を掬われるような恐怖に似ていた。
ジンジンと響く痛みで、今にもくの字折れそうになる背を、気合いでなんとか真っ直ぐに立て、膝に手を添えて起き上がった。
その間、レナンが向かってこなかったのは、同じくダメージを負っていたからだった。靠撃に打たれた胸を苦しそうに押さえている。
「狡いことするぜ、ここに来て隠し球の投入なんてさ」
「君とは拳だけで勝負をするつもりだった。その意味でなら、私は負けたよ」
レナンの表情には、自惚れに対する悔悟の念が色濃く滲んでいた。
「でも勝ちは譲る気ないんだろ」
「そこは言を俟たない。だがもし、君に魔力があったなら……、この勝負はもっと早くに決着が付いていただろうね」
レナンの自省は、自嘲にも聞こえた。
しかし俺には、言っていることが理解できなかった。
「片が付いてたって、どういう意味だ……?」
「その籠手だよ」
レナンがスウッと右の人差し指で俺の籠手を指した。
俺は籠手とレナンを相互に見やった。
「君の籠手は、八和六合が伝えてきた霊装の一つさ。名を『貔貅』と言う」
「これが八和六合の霊装だって……? ただの武装じゃないのか」
「表面上は展開武装の類いだよ。そのように打ち直されている。貔貅の原型は既に砕けてしまっていてね。籠手は、その破片から再生された複製品だ。言うなればそれは、展開武装の皮を着た霊装なのさ」
単なる武装と思っていた籠手の出自に、俺は思わず目を見張った。
どうしてそんな物が俺の手に収まっているのか、全く理解が追いつかなかった。
「用いられたのが小さな破片ゆえに、本来の【威光】を弱めてしまってはいるが、力そのものは失われていない。霊装は、腐っても霊装さ。だから言ったろう、もし君に魔力があったら、と」
真面目に説いてくれているレナンには申し訳ないが、何を言ってるんだか、さっぱり分からない。ヒキュウだの何だの、そっち知識はからっきしで、正直、全くついて行けてない。
しかし、そんな俺でも、霊装がどんなものかくらいは流石に知っている。
霊装は、魔杖や補助魔導機、果ては展開武装のアイデアとなった魔装の原型。
それは物質以外の何かが寄り集まって結晶化したもの、或いは元から世界にそのように存在していたもので、魔力を流入させることで起動し、何からの特徴や特性を発揮する不可思議な遺物だ。
「霊装は、まるで意志を持ったように、自ら所有者を選ぶことがある。そして、正しい所有者に渡った霊装は、本来の色を取り戻す。その金のようにね」
「……何かの間違いじゃないのか。こいつは元からこんな派手目な色だったぞ」
「ならばよく見てみろ。君がそうだと思っていたものを」
レナンはフッと小鼻を鳴らした。
促されるまま籠手の上に視線を這わすと、籠手の塗装が、捲れた瘡蓋のように、あちこち剥げ落ちている。焼けてくすんだ黄銅色の下からは、羽化するように、鮮やかな黄金が顔を覗かせていた。
「時に、私がカードを出したのは、何故だと思う」
レナンはそれより先の言葉を、敢えて口にせず、悟らせるような視線を俺に注いだ。
カードに触れたあの日、俺たちは、イルルミ・レナンは自分が満足出来る相手を探していると考えた。
それ自体は間違っていない。
だが、要素が足りなかった。どうして俺になったのかだ。
恐らくレナンは、舟山が霊装を持ち出したのを知って、適合者がいるか探っていたのだろう。それこそが己の望む、伴侶と言うべき最高の手合いなのだと期待して、カードに誓約を仕込み、我が手から逃すまいとした。
「君は霊装に適った。戦ってみて改めて実感したよ、やはり君で間違いなかった。私の目に狂いはなかったっ」
こちらの思考を見透かしたように、レナンが、自らの念を押し込むように告げた。
もしレナンの言うとおり、本当に、偶然ではないのだとしたら、これ以上無い皮肉だ。
「何の冗談だ…………、俺には魔力も、特別な力もないんだぞ……!」
霊装が如何に優れていようと、俺にとっては無用の長物でしかない。
一体どんな運命があって、こんな無能のところに転がってきてしまったのか。いっそ一思いに、何かの間違いでしたと言ってくれた方が気がマシだ。
でなければ、第一の魔法を諦めた意味が、何もないじゃないか!!
俺が、どんな思いで諦めたと!!
しかし、レナンは力強く断じた。
「貔貅が渡った意味は、過去の君にではなく、今これからの君にあるはずだ。それとも君は、自らを無能とおとしめて、これより先は無いと言うのかい」
「…………」
「ならば、君はどうして人外の転化に耐えられた。なぜ鬼と戦って平気でいられた。常人なら、精神がとっくに壊れてしまっているはずだ。なのに君は、いまどうして普通でいられる。どうして精を纏った私と互角以上に打ち合えている」
レナンは指を下ろし、夕暮れの中でも尚蒼く光る瞳をこちらへ向けて、静かに問う。
「教えてくれ――――君は、いったい何者なんだ」
俺とレナンの間に冷たい風が通り抜けた。
水を打ったような静けさが、この体を通してどこまでも広がっていく。
鼓動と呼吸の音を僅かに残して、校庭から音が消えた。
汗の滴が頬を伝ってひたりと落ちた。
その滴が足下でパッと弾けたとき、答えが出た。
俺がどうして、ここまでこれたかなんて、理由は、一つしかない。
喩え霊装が何であれ、迷う意味も、惑う必要もなかった。
「俺は、常陸燎祐。まゆりを幸せにする男だ」
「…………まさか三味線を弾くとはね」
「馬鹿言え、こちとら本気の大真面目だっつーの!! それとも何か、魔力がないけど魔法を覚えたがってる痛いヤツとでも言えば良かったか!?」
「ふふん、飽くまでそのつもりなら、いいさ! 戦いの中で聞くまでだっ!」
レナンはキッと表情を引き締めた。
俺はその視線に応えるように右手を突き出した。
「ああ、そうだな。あとは拳が語ってくれるさ」