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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第一章 A Study in Emerald
43/111

第一章39  『純粋言語』 ①

**1**


 家を飛び出してからというもの、まゆりは殆どずっと走っていた。

 走って走って、走り続けていた。


ちょっと(・・・・)道を間違えたけど、メイさんが方向を教えてくれたから、もう大丈夫!」


 途中、まゆりがメイと会えたのは本当に僥倖だった。さもなければ、まゆりは今頃どこへ行っていたか判らない。

 その後まゆりは、教えられた方向にむかって最短距離を突っ切った。

 しかしその行く手は、驀進(ばくしん)を邪魔する人工物で溢れかえっており、それこそ一々角を曲がっていたら(この子の場合)また道を間違える危険性があった。


「まっすぐ……まっすぐ……まっすぐ!!」


 まゆりは意を決し、補助魔法(エンハンス)と、靴裏に施した接面吸着魔法(ファンデル)を以て――――それこそ現代に生ける忍者の如く、そそり立つビルを踏破し、軒を連ねる屋根を飛び渡り……ひたすら真っ直ぐ突き進んだ。

 勿論、魔法の使用規定は破っていない。


 そんなこんなで、やっとの思いで学校前にたどり着く。

 息つく暇さえ惜しいとばかりに、足早に校門を通り抜けると、大きな衝突音が、けたたましく聞こえてきた。


「も、もう……始まってるの……!?」


 驚きに目を開かれたまゆりは、肩で息をつくのがやっとだったのも忘れて、心のざわめくままに、音のする方へ、のめりそうなほど急いだ。


「はぁっ…………はあっ…………!!」


――胸が、苦しい。顔が熱い


 緊張と焦燥がピタリと重なって、手足の末端が痺れたみたいに感じる。その感覚は付け根の方へと駆け上って、ざらつくような冷たさを肌の上に残した。


――分かってる。私は行くのが怖いんだ。結果を見るのが怖いんだ


 そういう気持ちが心の中にスゥーと浮き上がってきて、自分をこの場に押しとどまらせようとしているのだと、まゆりは自覚した。


――だって、目の前で燎を失うかもしれないから


 そうなったら、きっと、まゆりの弱い心は耐えられない。

 立ち所に苦悩に押し潰されて壊れてしまうかもしれない。

 懊悩の末、自ら永遠の闇につながれて、二度と言葉を発しない亡骸となり果ててしまうかもしれない。

 でも、もしもあの日、レナンの言葉がなければ、まゆりは、自分の中に存在する、自分ではどうすることも出来ない感情の正体に、一生気づくことはなかった。

 だが気づいてしまった。自分の想いに。

 ただ「好き」と想っていただけではなかったことを、まゆりは知ってしまった。

 故に、この気持ちはもう後戻り出来ない。身体の芯から(ほとばし)って止まないこの感情を抑えることは、もうできない。

 だから、一瞬だってじっとしていられない!


「待ってて……燎っ!」

 

 まゆりは弱い自分を蹴飛ばして走った。

 その足が校舎の前を駆け抜ける頃には、戦いの発する衝撃が、一歩毎に大きくなるのを肌で感じた。

 自然と鼓動が早くなる。鳴り止まぬ戦いの響きに、低い(こずえ)の葉がガサガサと揺れ、教室の窓が小刻みに震えて鳴りはためいた。

 

「見えたっ、あそこね……!」


 校舎に沿って進んだ道の先に、大層な人垣が築かれている。

 そこへ近づくにつれ、戦いの錚錚(そうそう)たる音は、音量のダイヤルを回したように一層強くなっていく。

 しかし、不思議とそれ以外の音が、あまり漏れ聞こえてこなかった。野次もなければ、誰かが呟き合う声もしない。まるで図書館にいるかのように静かだ。


「みんなどうして黙っているんだろう?」


 チラチラと見回すと、誰も彼も、自分の首を絞めて窒息してしまったかのように、言葉を失っている。棒立ちのまま、まばたきもせずに校庭の上の激闘を見つめて、マネキンのようにカチコチに固まっている。

 それを圧巻と呼ぶには、驚き以外の感情、特に(おそ)れに近いものが表情の上に見て取れた。だから舌を巻いているわけでもないらしく、その意味を私は上手く読み解けなかった。


 まゆりは固まっている人たちの間へと入っていき、校庭へとにじり寄ろうとする。しかし出来上がった肉のバリケードが通せん坊をして行かせてくれない。


「あ、あのすいません。通してください!」


 その場で声を上げてみても、皆その場に縫い止められたように微動だにしない。

 幾つも重ねた(すだれ)みたいに間断なく立ち並んで、前へ行かんとするまゆりを阻んでいる。


「お願いします! 前に行きたいんです!」


 なんとか隙間を見つけて、身を滑り込ませて踏ん張ってみるも、まるで邪魔者のように閉め出されてしまう。

 それが全部、自業自得の成すところであるのは承知していた。そもそも遅く到着した自分がいけなかったのだから、誰が責められることもない。

 それでもこみ上げてくる悔しさと悲しさに、まゆりは強く唇を引き結んだ。

 いつだって傍に感じていた燎祐との距離が、今はこんなにも遠く、自力では彼の下へ近づくことさえ出来きていない――その事実が辛かった。


「…………お願い……通して…………燎のところに行きたいの……」


 まゆりの嘆声(たんせい)は誰の耳にも届かなかった。

 そのことが小さな胸を痛いほどに締め付けた。苦しさに呼吸が止まってしまいそうだった。

 いくら手を堅く握って堪えようとしたところで、その辛さは抑えきれるものではなかった。

 だから、まゆりは、涙を堪え、その気持ちを振り切るように走り出した。

 体裁なんかかなぐり捨てて、母が示した『道』を探すために、懸命に走った。

 動かぬ生徒を横切っては、自分だけが世界から切り離されているような、疎外感を覚えた。その得も言われぬ孤独さえ推進力に変えて、まゆりは己が道を走った。


 していると、程よく生徒がのまばらに散っている場所が眼に入った。

 足を緩めて近づいてみると、最前列まで抜けられそうな隙間がある。

 普通の子ならいざ知らず、まゆりなら十分に入り込めそうな余地があった。

 まゆりは直ぐに決心した。


「――――――と、とおりますっ!」


 小さな体を更に小さく折って、自分の体躯のメリットを最大限に発揮する。

 普段なら感じるであろう複雑な気持ちも、この時ばかりは湧いてこなかった。

 それもそのはずだ。いつまで経っても子供に間違われて、悔しさを噛みしめるだけだったこの身長が、今ばかりは自分を救ってくれているのだから。

 まゆりは、立ちはだかる生徒の肘の下をすり抜けて、交差する足の間を子供みたいに潜り抜けて、ようやく最前列に顔を出した。それから体を持って行き、


「燎は!?」


 急いで顔を起こした。

 そこでまゆりは思わず目を見張った。

 そして周りの誰とも同じく金縛りに遭ったように固まってしまった。

 奪われてしまったのだ。心を。

 雌雄を競う二つの陰に。


「――――――!」

 

 全ての視線が集う先、夕日を背負った少年が、炎を纏った少女と、互いの拳を力強くぶつけ合い、火花を烈しく散らしている。

 まゆりの目の中に飛び込んでくる、燎祐のその姿は、まるで瓜二つの別人を見ているようだった。


 雰囲気もそうだが、第一に見てくれだった。

 何と言っても包帯まみれ。しかも肌に這わせてある包帯は、レナンの烈火の如き拳が擦過する度に燃え散って、残っている部分もあちこち煤けてボロボロになっている。

 そのせいで、酷い重症者のようにすら思えてしまった。

 しかしその不安は、彼の放つ拳と覇気が即座に払拭させた。

 まゆりは燎祐の健闘に声援を送ろうとする。なのに、声が形にならない。


「っ……――――っ……!」


 頭の中では目一杯に声を上げているのに、どれだけ叫ぼうとしても、言葉を知らない赤ん坊のように、声の輪郭が出来上がらない。

 喉を通過する空気が、ふにゃふにゃと波打つだけだった。

 不安や緊張、そんなもが無意識のうちに、自分というものを押さえ込んでしまっていたのだ。


「っ~~~~~っ!!」


 漏れ出す声は、自身の耳にすら、もはや嗚咽としか聞こえなかった。

 そうしている間にも、目の前では、金色と紅蓮の光条が幾たびも翻り、耳を(つんざ)く撃音を以て大気を戦慄(わなな)かせていた。


 夕暮れと包帯で、燎の顔ははっきりとは見て取れない。だけれども分かる。

 絶対に勝てないと言われた、戦ってはいけないといわれた人を相手に、空色の瞳はいま、夕暮れよりも赤く烈しく燃えているのだと。

 燎祐をそうさせている理由が――――


『知るかあああ!!! 俺は魔法使えるようになって、まゆりと結婚するんだよおおお!!』


 きっとそのことなんだと分かった瞬間、


「……ぁ…………ぁ………………っ!」


 今まで感じたこともない大きな感情が、まゆりの胸を突き上げた。

 目頭が痛いほど熱くて、涙が零れていることさえ分からなかった。

 鼻の付け根がつんとして、目の前が霞んで、その場に崩れてしまいそうだった。


 だが、その時。

 レナンの燃え上がる拳が、燎祐の顔を真下から激しく揺らした。


「がはッッ!!」


「君を貰うと言ったろう。勝つよ私は」


 燎祐の体が流れるように宙を泳いでいく。そこへ瞬く間に追いついた炎の拳が、無防備な姿を、真上から殴りつけた。

 直後、大きな爆発が起きて、紅蓮の大炎が空に向かってゴオッと渦巻いた。燎祐の体が校庭に叩き付けられて、重く痛々しい音がした。

 全てが一瞬のうちの出来事だった。


 炎の嵐が止んでも、燎祐は校庭の上で無防備を晒したまま、呻き声一つあげない。

 まゆりは目の前が真っ暗になった。

 

 レナンの足が、燎祐の上にぬっと近づき、その体をごろんと転がした。何の反応もなかった。

 回転に巻き込まれた腕が、だらんと下がって、校庭の上に落ちた。

 レナンの顔が夕暮れの中で歪んだ。

 そして、背筋が凍り付くような嬌声を上げた。

 

「――――決まりだ。君は私のものだ!!!」



 その瞬間――――、



「■■■■■■■■■!!」


 まゆりは叫んでいた。

 無我夢中で叫んでいた。


 まゆりの口を突いてでたのは、ヒトの言葉ではなかった。

 ともすれば形すらなかった。


 それは言語であっても言葉ではない。言語でありながら言葉にはならない。

 しかし誰にでも理解することが出来る、最も純粋な音だった。


 その音は言葉としての輪郭(かたち)を持たず、言葉としての繋がりも持たない。

 その音は言葉としての抽象さを持たず、言語としての不完全さを持たない。

 その音は心を、意志を、全てを伝える


 それは響きに全てを備えた原初(はじまり)の音。

 音の名は純粋言語。まゆりが隠してきた特別な力。


 その音はどんな人にでも届いてしまうから、気味悪がられてしまうから。

 まゆりは怖かった。怖くてたまらなかった。


 過去に、無自覚に急にその音を発したとき、燎祐は『すごいなそれ!』と言った。

 しかし、それを傍で聞いていた他人は、陰で(わら)てっいた。まるでおかしなものを見るような目で、まゆりを蔑んだ。

 それが悲しくて、辛くて、まゆりは口を噤んだ。心の中で涙を流しながら。

 そして思ったのだ。


 こんな力、いらない


 まゆりは意図してこの力に蓋をした。

 もう絶対に使わないと、そう堅く心に誓った。

 だが、少女は叫んだ。

 全部をかなぐり捨てて、心のままに、胸が裂けんばかりの大声で叫んだ。


「■■■■■■■■■■■■!!」


 自分自身でもびっくりするらいの声量だった。

 力みすぎて、顔中がピリピリして、酸欠に目眩がしそうだった。

 それでもまゆりは叫び続けた。


 周りから、どんなに嘲弄(ちょうろう)の目を向けられようと、(わら)われようと、走り出した想いはもう止められない。止まらない!

 少女の想いは前だけに続く。だから、どこまでも走り続ける。退路なんてない!


「■■■■■■■■■!!」


 この胸に咲く気持ちをすべて伝えたい、今すぐに。

 そのためになら、私はこの声を枯らそう。

 もしもそれが、あなたの力に変わるのなら、私は叫び続けよう。

 もしもそれが、あなたを助けるのなら、全ての声を捧げよう。

 私に出来る精一杯を、あなたのために、今、尽くそう。

 私の(そば)にいつもいてくれたあなたのために。

 私の居場所を作ってくれたあなたのために。

 私の心を守り続けてくれたあなたのために。

 私のことを大好きだと言ってくれたあなたのために。

 かけがえのないあなたのために。

 だからどうか、この音が、あなたの中に(とど)きますように、と。

 まゆりは感情の全てを燃やし、今この瞬間に注いだ。

 そして、ありったけの想いを乗せて叫んだ。



 負けないで、(りょう)


 立ち上がって、私の英雄

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