第一章38 『侃々諤々たる焔』 ②
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寵看が、まゆりに葉っぱをかけて送り出したのは一時間以上も前のこと。
ようやく肩の荷が下りて、溜まっていた仕事の処理をしていると、廊下の方からピーっと甲高いブザー音が聞こえてきた。
寵看は促されるようにリビングを出てる。
向かった先にあったのは、ファミリー向けの乾燥機付きの洗濯機。
中には、まゆりの布団が突っ込まれている。
「んふふ、湿っぽい布団じゃ気持ちよく寝られないものね」
母なりの、気づかれない気遣いだった。
寵看は、サテ、と手を伸ばしたものの、まだドラムがくるくると回っていたので、止まるまで待った。
「いい感じに乾いてくれてるといいんですけど~」
惰性で回転するドラムを眺めながら、ぽつと呟いた。
実は今回、いつも使っている乾燥メニューではなく、特殊メニューにある「ダニ天誅」なる機能を使ってみたのである。
いわゆるダニ対策のオプションで、説明書に寄れば、通常の温度よりも高温で回すため、衣類や布団に潜伏するダニを抹殺することが可能らしい。
但し、電気代という遅効性ダメージを家計に与えるため、使いすぎは禁物とのこと。
尤もこの機能を使わずとも、まゆりに魔力の電気を流して貰えばそれ以上の効果があるので、今までは使おうとすら思わなかったが。今回は不在なので、それを試してみたくなった次第だった。
していると、ドラムの動きが静かに止まった。
洗濯機の蓋を開くと、ぶわっと熱気が立つのを感じた。
「んふふ~、さーてさて、いかほどかしらね~」
寵看は効果の程を期待して、ウキウキしながら布団を手に取る。
けれども普段の乾燥と何が違うのか全く分からなかった。
寵看は、おもむろに洗濯機を見て、目をしばたかせた。
あんまりにも変わらなさ過ぎて、一緒に回していたシーツや枕に、ばふっと思い切り顔を埋めてみたが、感想は同じだった。
「まあ、乾いてるからいっか」
機能への疑念をさっぱりと忘れ、寵看は、ほわっと熱気を放つ三点を脇に抱えて、まゆりの部屋に引き揚げた。
それからごく短時間で、ホテルのルームサービスも腰を抜かすほど、寝具をバッチリとセットし、ふぅ、と一息。
布団に埋もれるまゆりの寝顔が目に浮かんで、寵看は何だかとってもほっこりとした。燎祐に負けず劣らず、寵看もまゆりが大好きだ。
「さあて、引きこもってた間中ずーっと締め切ってたんだから、風通しも良くしておかないとね」
寵看は換気と掃除をテキパキと終えると、鼻歌交じりにリビングに引き返した。
そこでようやく自分の溜まっていた仕事のことを思い出したのだが、戻ってみるなり、
ピリリリリリリ…………ピリリリリ……
放置していた携帯が駄々っ子のように鳴動を始め、テーブルの上を、振動しながら滑り出した。
そして、あわや落下というところで、寵看の手が、むんずと携帯を引っ掴む。
「もー、これから色々と片さなきゃいけないのに……誰よー……」
どうせ仕事関係の電話だろうなあ、と高を括って、画面の表示も確認せず応答すると――
『あはーっ、寵看さんお久しぶりですーっ』
「……へっ、メイちゃん? あ、あれ、もしかして、今日まゆり行く日だった?」
予想外の相手に、若干声が上ずった。
『いえいえ、そうじゃなくてですね。何と言いますか、あの、実はさっき、外でまゆりちゃんにお会いしまして、珍しく一人だったから声をかけたんですけど』
「あら、どこで会ったの?」
きっと通学路のどこかだろうと早合点し、寵看は安堵の笑みを浮かべながら、形としてメイに尋ねてみた。
けれどメイのお返事は期待したものとは全く違っていた。
『それなんです! 県境の大橋に一人で居たんですよー!』
「うそぉーん」
声がとぅるんと滑った。
あまりのショックに夕飯の献立が頭から消えた。
――え、何。あの子、通学路覚えてなかったわけ……。
しかし思い返せば、まゆりが一人で出かけたという記憶が殆どなかった。
一人で行くのは、精々三軒先のメイの家までで、そこから先は、必ず燎祐にお願いしていた。
それを思い出した途端、寵看は、ズーンとその場に沈んでいた。放っておけば、床を突き抜けて、地球を貫通していきそうな程の悔悟に襲われていた。
まゆりと言えば世界最高位と、外見的特徴にばかり目が行きがちだが、それに匹敵するくらい方向感覚が残念なことを、寵看はすっかり失念してしまっていたらしい。
『まゆりちゃん迷子になってたみたいで……あ、でも、道……というか、学校の方角はバッチリと教えたので、たぶん大丈夫ですよーっ!』
「ア……ハイ、ご親切に、どうも……すみません……」
『あは……は…………』
携帯を通じて聞こえてくるメイの沈黙、それに混じる息づかいには、困惑のようなものが現れては消えていた。
まゆりは、見た目は小学生と同じだが、ちゃんと立派な女子高生。ご近所付き合いがあるとはいえ、そんな子の迷子の連絡というだけでも十分気まずいというのに――――メイが今どんな顔して電話しているのかと思うと、寵看はこれ以上変な空気を吸わせるのが忍びなく、直ぐに話を折り畳むことにした。
「まゆりには後で連絡入れてみるわ。メイちゃん、教えてくれてありがとね」
『い、いえとんでもないっ。あ、ではではっ、また~』
メイもそれと察して、さらりと終話した。
電話を終えた寵看は、近くにあったタブレット端末を掴んで、すぐさまGPS追跡を開始。取得した携帯の位置情報を元に、まゆりの居場所を地図上に表示させた。
「あちゃあ……、ほんとに大橋の辺りまで行っちゃったのね……。メイちゃんが見つけなかったら、今頃何処に行ってたのよ……」
現在位置はメイが言っていたとおり、学校から大きく外れていた。
けれど地図上に浮かぶピンは、ちょこんちょこんと学校へ向かって移動していた。
ホッと胸をなで下ろしかけていると、まゆりを指し示すピンが、歩道を無視して、急に障害物の上に移動した。
「え」
何かの間違いかと思い、寵看はゴシゴシと目をこすって、もう一度タブレットを見る。
まゆりのピンが、ビルの上に突き刺さっている。
これはGPSの誤差だと思い、手元で再起動。画面が立ち上がる。
追跡をスタートして、まゆりのピンを再表示させる。
一瞬、歩道を指したと思ったら、直ぐにビルの上にぶっ刺さって、あろうことかその上を移動し始めた。
「なにしてんの娘えぇぇぇっ!?!?」
手の中でタブレット端末がぷるぷると震える。
どうやら最後に語った精神論が、まゆりの中で化学変化を来たし、とんでもない解釈を生み出していたらしい。
そうしている間にも、まゆりのピンは次々に地形を突破していく。
ただひたすら、真っ直ぐに。
「だ、大丈夫……よね…………?」
寵看は言い知れぬ不安に包まれながら、自分の言ったことを懺悔するように、ガクッと視線を落とした。
**3**
校庭で雌雄を競う二つの影が、幾度となく大気を震わせる。
そして打ち合わせた拳からは、剣戟もかくやとばかりに硬質な音が響いてくる。
互いに一歩も引かぬ凄烈な攻防は、傍からすれば互角に思われた。
しかし二人が真反対に跳び退った折、燎祐の表情が苦虫を噛み潰したように曇った。
レナンはその変化を目敏とく見破った。
「ふふふ、火遊びが過ぎて火傷でもしたかい」
「知らねえなっ」
「私はご覧の通り炎を使う。隠したって無駄さ」
レナンは突き出した左手の手の平に、ボッと炎を灯した。
パフォーマンスのつもりか手の平の炎は段々と火勢を増してゆき、程なくして大火の如くごうごうと燃えさかった。
レナンが左手をグッと握り絞めると、立ちのぼっていた炎はゆらりと消え、指の隙間から蒸気のように火欠が舞い上がった。
「それがお前の精ってヤツか」
「どうやら先生から聞かされていたようだね」
そう言うと、レナンは人差し指に火を灯して、フッと吹き消して見せた。特に意味を見いだせない動きだったが、それを彼女がやってみせると、瞳を掴まれてしまうような妙な艶めかしさが感じられた。
「しかし、素人目からはよく補助魔法に間違われる」
小さく引き結ばれた唇が、どこか面白く無さそうに歪んだ。
燎祐は、レナンの『精』について舟山から特訓の間に何度も聞かされていた。
だが頭に血が上ってすっかり忘れていた。
そんな折、痛みで冷まされた頭の中に、舟山の声が甦ってくる。
『精は魂の性質を力として発現させたもの、即ち『第二の魔法』です』
修行を始めた日に教えて貰っていたことだった。
舟山は戦いに必要なことは全て伝えた。精の性質と、レナンの異質についても。
『陰陽道では女性は陰、即ち水の性質なのです。しかし彼女はそれとは真逆。つまり全く普通ではないのです。恐らく魂の本質までもが『火』なのでしょう。それゆえ、精を纏った――纏火した彼女は、はっきりいって化け物です』
そして最後の忠告が耳の中に甦った。
『イルルミさんの炎は、恐らく籠手の防御機構を貫通してきます。難しいでしょうが、なるべく攻撃を受けないように立ち回ってください。さもなければ受けた分、籠手の上から手を焼かれてしまいますよ』
真面目な顔を作って語っていた舟山には、今更申し開きも無いと、燎祐は臍を噛む思いがしていた。
無論、舟山の忠告は確かに胸中にあった。
しかしあの時、舟山の言葉に黙って従えるほどの穏やかさを、燎祐は失っていた。
彼の胸を激しく突き上げた情念は、ある種の殺意にも匹敵し、存在する心は全て瞋恚の焔に煮えくり返っていた。
確かな冷静さを戻した今も、それは燎祐の中心で激しく燃え立ち、皮膚の下から強靱な精気を漲らせている。
「ところで、あの子の気配がないね。さては諦めてしまったのかな、君のことをさ」
「…………」
「これで心残りはないだろう。あとは君が、私にモノになってしまうだけさ。それとも、いっそなってしまうかい」
レナンが、ほら、と催促するように右手を差し伸べた。
それが挑発なのか、真意なのか、燎祐には分からなかった。
緊張とは別の、得も言われぬ空気が二人の間に流れる。
その時、燎祐の身体から全ての痛みが消えた。
腹の底からマグマのごとき怒りが噴き上がった。
「誰がモノになんぞ成り下がるかっ!!」
「だったら手籠めにするまでさ。私は、君を貰うよ」
向けていた右手を自信たっぷりに握り、炎を纏わせるレナン。
燎祐の目にも力が籠もる。
「やってみろ!」
「応ともさっ」
言うが早いか、レナンの纏う炎が一層強く燃え上がった。
負けじと燎祐も敵愾心を燃やし、その熱を足に乗せて疾った。
レナンも同じタイミングで動いたが、間合いが詰まる僅かな一瞬、半歩だけ足を縮めた。燎祐はその瞬間を見逃す。
そして、攻撃のモーションに入った直後、過ちに気づく。
――距離を狂わされた!?
頭の中で必死に「止まれ!」と連呼するが、躍動する身体を制止することは能わず。
目測を誤った拳が思い切り空振り、燎祐の身が硬直する。
その隙に、攻撃をやり過ごしたレナンが懐へ飛び込み、強烈な炎拳を燎祐の腹に叩き込んだ。
爆撃の如き轟音が響き、激しい衝撃が燎祐を打ち抜いた。
「がはッッ!!」
「君を貰うと言ったろう。勝つよ私は」
凜とした声が揺るがぬ自信を告げた。
直後、レナンの拳が顎を真下から捉え、燎祐の視界が激しくブレた。
けたたましい音を鳴らし、燎祐の身体が、大きく仰け反りながら宙に浮いた。
凝縮された一瞬の中で、血と一緒に、燃え崩れた包帯が尾を引くように流れていく。
そこへ炎を纏った拳が、急降下爆撃の如く、直上から燎祐の中心に降り落ちてきた。
衝撃と同時、燎祐の眼が転げ落ちそうな程見開かれた。
大火力の爆発に蹴落とされた燎祐は地面に烈しく墜落した。
そして時間の緊張が解けるが如く、爆音が校庭に轟いた。
すべてが瞬く間の出来事であった。
緑の黒髪をなびかせ、レナンが側へ降り立つ。
「君は本当に興味深い。だから私のモノにする。君を誰にも渡すものか」
校庭に叩きつけられて、無防備を晒したままの燎祐。
その体からはもうもうと煙が上がっている。舟山が言っていた『焼かれる』とは、まさしくそのことであった。
「………………」
「ん、どうした。起き上がらないのかい。それとも、それが君の策か?」
レナンに足でごろんと一巡転がされ、再び仰向けになる燎祐。
その瞳からは、意思が放つ力の輝きが消え失せていた。死んだようにすべて空っぽになっていた。
その姿を目に入れたレナンは、顔を愉悦にゆがめた。そして、聞く者の心臓を縮み上がらせるような、背筋がゾッとするほどの嬌声を上げた。
「ふふふふふふ、あはははははははっ!! 決まりだ、君は私のモノだ!!」




