第一章3 眠り姫と通学路③
まゆり裸締めから解放され、その後の空気をたっぷりと楽しんでいたら、急に怒鳴り声が聞こえてきた。
「てめえら相も変わらず所構わずイチャイチャしやがってよおおお!! 気に入らねええええ!!」
さっきは位置もつかめなかった声が、こんどはぐっと近くで聞こえた。
していると、目の前のあたりを何かが行ったり来たりし出した。
ヒトの輪郭をした極めて透明な何かだ。
光学迷彩に近いものか。
俺が不思議がっていると、まゆりは小声で起きて起きてと急き立てた。
忘れていたがクッションの魔法に体を預けっぱなしだった。
「まゆり、あの透明っぽいのも幻術か?」
「……あ、そっか、燎のはまだ解術してなかったかも。いま解くわね」
まゆりが子供をあやすように、よしよし、と俺の頭を撫でた。すると目に、耳に、頭に、纏わり付いていた幻術のすべてが、画面ワイプのように数瞬のうちに現実と入れ替わり、
「はは…………マジ……か」
俺は目眩に襲われた。
そこは、まゆりが示唆していた通り学校だった。
場所は入学式で使ったドーム型の巨大体育館の裏側だ。
けど、その日、まゆりは教室に着くまで思いっきり寝てたから、そりゃあ先に幻術が解けていても、ココが学校だって分からなかったのか……なるほどね。
位置的には、校門からすぐ右手に折れ暫くいったところ。
丁度この辺りは体育館の搬入用スペースらしく、ここだけアスファルトの上に白線が引かれている。駐車中の車両はない。
「だいぶ翳ってるところだけど、ここは何処なの?」
「体育館の裏手だ」
当然人っ気なんてものはなく、密会するには立地がよく、謀には打って付け。
そこへどうやってか誘い込まれたことを理解した時、まるで薄靄を突き破ったように、視界正面に何者かの影が踊った。
そして一直線にこっちへ走ってきた。
誰だこいつ、と思ったのもつかの間、そいつは思い切り拳を引き絞っていた。
目の置き所からして狙いは間違いなく俺の顔面。
「掴まってろまゆりッ!」
「は、はい!」
避ければまゆりに当たりかねない。
俺はグッと歯を食いしばり、突っ込んできた拳に頭突きを食らわせる。
衝撃の瞬間カッと目に力が入る。
鈍い衝音が響き、競り負けた襲撃者が、拳を押さえ蹈鞴を踏んだ。
「この石頭めえええっ――!!」
「喧しいっ!!」
すかさず二段蹴りで追い打ちを仕掛ける。
「シュ!!」
「うおっ!?」
体勢を崩した襲撃者の胴体が、がら空きになる。
そのど真ん中、鳩尾へ、思いっきり蹴りをねじ込む。
「ぐふっ――!!」
襲撃者の身体がくの字に折れて、後方にすっ飛ぶ。
「平気か、まゆり!」
「だ、大丈夫です、しっかり掴まってます!」
その声を聞いてホッと安堵する。
他方、襲撃者は魔法で制動を効かせて踏みとどまり、すぐにこちらへ顔を起こした。
決めるつもりで蹴り込んだが、強化魔法でもかかっているのか、それほど効いていないように見える。
「ってぇなああああ! くそったれえええ!!!、よくもやりやがってえええええっ!」
怒声をまき散らし、足を開いて身構える襲撃者。
さっき一度は縮まった距離が、今は4メートル近くある。この距離、魔法で先手を取れる向こうが有利。
しかし相手は、こちらを警戒したように間隔を保ったまま、攻撃の気配を見せない。
反撃に遭ったことで、ショックでも受けているのだろうか。
ところで気になったことが頭から離れなかった俺は、そのまま思ったことを口にした。
「誰だお前」
俺は眉を顰め、相手の双眸を睨んだ。
サアーッと強い風が吹いて周囲の草葉を大きく揺らした。
「あれ? 燎の知ってる人なんじゃないの? 私はてっきりそうだとばかり思っていたんですけど」
「いや知らん。誰あれ。なんで俺ら襲われてんの」
まゆりも不思議そうに「さあ……」と追随。
襲撃者は俺たちの言葉に興奮したのか、わなわなと両肩を震わせて、色の赤みが増した顔をグンと起こした。
「おいこらあああ!! 中学の3年間ずっと同じクラスだったろうがあああ! オレの顔に覚えがねえとは言わせねえぞおおおお!」
「「え」」
衝撃の回答に真顔で硬直した。
そんなまさかと記憶を手繰ったが、こんなやつには全く覚えがなかった。
まゆりも同じだったらしくて、ヒソヒソと耳打ちをしてきた。
そこで一つの仮説に行き着いた。
「なあまゆり、あいつ幻術にかかってんじゃないか。ちょっと解術してやったらどうだ」
「それ名案かも。だったら安んじて私に任せて。一回で楽にしてあげちゃいます」
「なにをゴチャゴチャと言ってやがるううう!」
余計な沈黙とぞんざいな扱いに憤懣を散らしはじめる襲撃者。
今にも飛びかかってきそうな気配を漂わせている。
すると俺の頬にパチっとしたものが触れて、直後に顔の産毛が逆立つようなざわついた感覚が走った。まるで大量の静電気が帯電しているような感覚だ。
もしやと思って肩口を見ると、翡緑に輝く魔力の弾丸が装填されていた。
魔弾――圧縮した魔力を弾丸として打ち出す攻撃魔法。
それを囲うように、現れては消える雷線は、雷の特性を持つまゆりの魔力が、大気の魔力絶縁限界を超えていることを物語っている。
その光景は、魔弾の威力がいかほどかを十二分に伝えていた。
「ちょっとビリっと来ると思うんですけど、大丈夫よ。学校結界の中では死んだりしないから」
かわいい声で物騒なことを呟きながら、右腕を砲身のように伸ばす。
「あの、二次被害に巻き込まれたくないんだけど俺」
「燎ったら心配性なんだから。余波は私の障壁で流すから問題ないわ」
それなら安心だ、と譲ったら、照準された相手から猛抗議が飛んできた。
「ちょ、ちょちょちょ、なんだソレえええ! フルパワーでやろうってのかああああ! 俺は知ってるんだぜ久瀬ええ!! お前は全力出すと、ホーリツでヤベーんだろうがよおお!! 撃ってみろよテメーは豚箱行きだぜえええ!!」
よっぽど食らいたくないのか法律を盾にする襲撃者。
自分から喧嘩を吹っかけておきながら、なんて言い草だ。
そのふざけた態度にカチンときて、俺が口を開きかけた折しもそのとき、まゆりがぽつりと言った。
「あのぅ、限りなくゼロパーセントに寄せてるんですけど、これ…………」
耳を疑いたくなる言葉に目が点になった直後、「へ?」と間の抜けた声を上げる襲撃者を翡緑の魔弾が襲った。
「っぎゃああああああああああ――――――!!」
魔弾は直撃と同時に超放電を引き起こし、瞬間に大気を数万度まで加熱。
膨張した空気が強烈な衝撃波となって突き抜けた。
轟音とともに視界が狂ったように明滅し、その向こうから断末魔のごとき絶叫が響き渡った。
「ぎょえああああああああああああああばば――――」
程なくして、襲撃者はコンクリートに身を横たえた。
魔弾が炸裂した範囲では、幾十もの雷線がバチバチと尾を引いている。
「ァ……ァ………………っ――――――」
恐るべき一撃を受けた襲撃者は、程なく、白目を剥いて意識を手放した。
その肌はあちこち煤けていて、頭髪をボンバーさせた姿で転がっていた。さながら感電事故のコントだった。
そんな襲撃者に対し、何かコメントがあるかと思ったら、まゆりは、そっちよりも遅刻の方を気にしていた。
「ねえ燎、まだ間に合うと思う?」
手がふさがってて時間を見るに見られなかった俺は、その声に「どうだろうなァ」とおざなりに返した。
そして、ボンバー野郎をそこに放ったまま校舎棟へ足を向けた。
途中、都合良く見つけた柱時計は8時50分を指していた。
少なくともホームルームの開始時刻には間に合ってないので、俺は走るのを辞めた。
「せっかく巻きで学校まで来たのに、意味不明なヤツに襲われてパアか」
おまけに幻術でも戦闘でも俺の出る幕はまるっきりなし。それを思うと急に寂寥感が込み上げた。
(なんて侘しい幕開けだ……)
そんな俺の気を余所に、淡い色を付けた桜の花びらが風に乗って舞った。
「ねえねえ燎、さっき攻撃から私のこと守ってくれたの、まだ覚えてる?」
俺の肩口でふわりとした可愛らしい声がした。
言われてようやく額に軽い痛みがあったことに気づいた。
一瞬それが何でだったかを思い出せなかった。
俺が痛みの出所に目を向けていると、一度は俺を天国へ導きかけた小さな両腕が、いまはほんの少しだけきゅっとなった。
「私、すごくうれしかったですっ」
耳に柔らかな感触が触れた。
また風が吹き、桜の花びらが空を舞った。
「どういたしましてっ」
憂いは返事と一緒にすっ飛んだ。
まゆりが小さく笑った。
春空の下、俺は新たな一歩を踏み出す。
「そういえばなんで魔弾なんて使ったんだ?」
「だって記憶障害に対応する一番冴えたやり方は、いつだってショック療法でしょ?」
「え……」
「え?」