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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第一章 A Study in Emerald
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第一章34  SEVEN DAYS『G』 ③

**4**


 まゆりがお風呂から上がって脱衣所で体を拭いていると、ガラガラっと引き戸を開け、着替えを手にした母が入ってきた。

 ふと目を落とすとそれは学校の制服だった。

 クエスチョンを浮かべる顔に、母はニコッとするだけで、じゃあ置いておくからと、台所の方へ引っ込んでいった。

 もう昼過ぎなのに何でだろうと、着替えながら思っていた。

 7日ぶりに通した袖は少しだけ着慣れない感触がした。

 そして洗面台に写る自分の姿に、なんとも不慣れな感じを見いだしていた。

 まゆりは髪を整えながら、こんなに不格好だったかな、と思った。

 どうやらこの一週間で少しやつれたらしかった。


 それからまゆりはリビングで遅めの食事を寵看(めぐみ)と一緒に取った。

 食後はテーブルで久しぶりのお茶を楽しんだ。

 寵看(めぐみ)の目からしても、まゆりは大分落ち着いた様子だった。

 お風呂で体が温まって、サッパリしたのも奏功したようだ。きっと燎祐のベッドに行ったことも。


 そのまま二人で他愛もない話をしていたら、寵看(めぐみ)が突然それまでの流れを打っ手切(ぶったぎ)って、あのことを豁然(かつぜん)と切り出した。


「と・こ・ろ・で、今日は燎祐のことで大事な何かがあるんじゃなかったの?」


「…………っ!」


 持ち直していたまゆりは、一変して動揺の色を浮かべた。

 それは自分が必死に忘れようと努めていたことだったから。今この瞬間まで、気持ちを誤魔化して、自分を騙して、知らない振りをしていたことだったから。

 眉を潜めて目を伏せるその顔を、寵看(めぐみ)(じっ)と見守った。無言が続いた。

 そうしているうちに、まゆりの目元には次第に涙がたまり、小さな肩がかたかたと震え出していた。


「燎……決闘するの……」


 寵看は娘の言葉の続きを、柔らかな沈黙によって促した。


「凄く強い人と戦うの…………。きっと……燎、負けちゃう…………。そしたら私――――わた、し…………」


 それ以上の言葉は涙が阻んだ。

 寵看(めぐみ)は席を立ってまゆりの隣に腰を下ろすと、心を痛めたままの娘をそっと胸に抱いた。

 自分からは何も語らず、腕の中の小さな背中をさすって、それから銀色の髪を何度も優しく撫でた。


「燎……負けたら、その人と……婚約させられて…………。その人、は、私、燎のこと……ただ好きなだけ……って。そんなの恋じゃないって……だから、獲るって……。私、燎と、一緒に、いたいの……ずっと……ずっと一緒、居たい、の。……わた、し、居場所……なの」


 まゆりは何度も何度も同じ言葉を繰り返した。

 きっと自分では、なにをどこまで喋ったかも分からないほど、頭の中が一つの感情に押しつぶされそうなのだろう。

 腕の中で、辿々しく口にした娘の言葉をしっかりと受け止め、寵看(めぐみ)は相好を崩した。それから潰れそうなほど我が娘を掻き抱いて、目一杯に頬を寄せた。

 寵看が顔を離すと、びっくりした顔がそこにあった。


「お、……お母さ……ん?」


「まゆり~、アンタいつからそんないい子ちゃんになっちゃたの~」 


「……………………へ?」


 きょとんとするまゆり。

 しかし寵看は――母は、娘の鼻を摘まんで小さく小刻みに揺らした。

 摘まんだ手を離すと、驚きを一層濃くするエメラルドの瞳に、構わず言葉を続けた。 


「アンタはいっつも自分の思い通りじゃ無いと泣きじゃくって、喚いて、みーんな困らせて。本当に超ワガママなんだから」


「あ……あの、おか――――」


 目をしきりに白黒させるまゆり。なんとか見つけた言葉を口にしようとするが、母に鼻頭を指で押さえられて寸断される。


「分かってなさそうだから口尖らせて言うんだけど。

 アンタ安心しきってたんでしょ、燎祐がいつも隣にいてくれてるから。自分のところから離れて、どっか行っちゃうなんて考えたことも無かったんでしょ。だから自分を否定されてドキってしたの。

 だってそりゃそうよ、アンタ燎祐の後ろに隠れてばっかりだもの。過激なこともするけど根は臆病だものね。

 で、いざ『獲られるかも』ってなって、初めて気づいて、驚いて、焦って、混乱して、悔しくて、嫉妬して、でも怖くて……、気持ちが纏まらなくなった。どうしたらいいかも考えられなくなった。

 結局一週間も泣き放題だったのに心の整理も手つかずで、あまつさえ忘れようとしている。でしょう?」


 迫るような最後一言に、まゆりは息を詰まらせて居竦(いすく)んだ。

 違う、と首を振って否定したくても、自分に注がれている母の視線は、自身の瞳の奥に隠しているものを全部を見透かすように確信を持っていて、まゆりは金縛りに遭ったように動けなくなっていた。


「アンタは間違えてる」


 まゆりは心臓が止まるような思いがした。

 動転するあまり世界が白黒になって見えた。

 やっと手にできた偽りの安堵、そのメッキが剥離していく恐怖を目の奥に感じた。

 しかし母の両手が、そうではないと告げるように、まゆりの頬に触れる。


「でもね、間違えることは失敗ではないわ。それが必要な時だってある。間違うことが正しい時だってある。間違うこと自体は失敗でも成功でもないわ」


「…………」


「全部は見方と尺度の問題よ。ただの一側面、ただの一瞬を切り出して、それが正しいか否か、決めたところで意味ないわ。

 というわけで、この一件についてお母さんが沙汰を下します」


 そう言うと寵看はスゥっと鼻から息を吸い、


「久瀬まゆり、恋は未合格です!! 未だ合格ではありませんが可能性は閉じていません! 今すぐ全力を尽くし頑張りましょう!」


 一息で言い尽くして、ペシっと娘の頬を叩いた。

 目を開かれたその顔は、頬を押し上げられて崩れているのか、それとも感情によって崩れているのか、判別が出来なかった。


「例え道が袋小路のどん詰まりでも、掘ったら道は出来るわ。空を飛べば道は無限に広がるわ。諦めずに考えなさい、まゆり。どうすれば自分の願いを叶えられるのか、どうしたら自分の思い描いたとおりになるのか」


「お母さん……」


「じゃ、一週間の親不孝はこれで手打ちにしてあげるっ」


 唐突に、ぱちん、とデコピンをされて、あぅ!?、っと額を押さえるまゆり。

 微笑む寵看(めぐみ)に促され、頷いて立ち上がる。

 その背を母が強く押す。


「分かったんならさっさと行きなさい! このワガママ娘っ!」


「うん!」


 悲しみの涙は今枯れた。

 玄関を飛び出した少女の瞳は、鮮やかなエメラルドの輝きに満ちていた。

 透明な風が銀色の髪を揺らした。

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