第一章31 SEVEN DAYS『F』 ②
**2**
舟山の独自空間では、相も変わらず骨と肉を打つ音がビリビリと響いている。
半ば一方的だった展開が懐かしいほどに、二人の織りなす散打は激しさを増している。
それに伴って、空間の内部は飛び散った破片や、穿たれた穴だらけで足の踏み場もないほど荒れ果てていた。
その中心では、散らかした張本人たちが依然として暴れ回っている。
「フッ!!」
距離を取っていた燎祐が、一足飛びで舟山に肉薄。
初撃に放った拳をフェイントにし、即座に腕を立てて肘打ちに切り替える。
捉えたと思った刹那、舟山の巨体がなめらかに動き、燎祐の強襲を風のように受け流した。
「ハハハ、そこは更に靠に繋げるべきでしょう。攻撃はいつも三段構えくらいでやらないと――――」
「――――そのつもりだッ!!」
直後、燎祐が更に踏み込み、肘打ちから体当たりに切り替える。
しかし同じタイミングで舟山も靠撃に移っていた。
高速で打ち合わせた肩裏から、ドッ、と鈍い音が弾ける。
「おやおや、私の油断を誘ったんですか。これは一本取られましたかね」
「へへっ、偶々さ!」
その状態から、さらなる攻防へ繋げる燎祐。迎え撃つ舟山。
無限に近い体力で、二つの影が間断なくぶつかり合う。
猶予は既に24時間を切ったが、時間が伸張している二人には、まだ二年は残されている。それと思えば時間は十分に思えるが、決して良い状況ではなかった。
それは時を重ねていく間に、舟山が、燎祐の中に正体不明の何かを見るようになっていたからだ。
喩えるなら、それは殻だった。
それもサナギをサナギのまま閉じ込める悪質な殻だ。
それが羽化せんとする燎祐を閉じ込め、サナギのままに押しとどめていると舟山は感じていた。また、それが修行のゴールラインを遠ざけているとも。
(初めこそ、彼の師湊くんが植え付けた恐怖の影響だと思っていましたが……。これはそういう類いのものではありません……。せめて正体の尻尾さえ掴めれば……)
殻はこちらから手を伸ばせば須臾に霞み、その正体を依然として明かそうとしない。だが、存在しているのは確実だった。
ともすれば、彼の経験値を蓄え続けているようにも思えるそれが、もし解明にいたり、成長の起爆剤にできたなら、流れは大きく変わる。舟山にはその確信があった。
故に、舟山に諦めるという道はなかった。
その一方、数年に渡り、鬼と密室で殴り合うというショッキングな経験をした燎祐は、心が病むところを素通りして、精神のタフさがおかしな域に達していた。
以前ならば、身を強張らせたであろう恐怖も、心を惑わせたであろう危惧も、今の彼には、たまたま受話した間違い電話くらいにしか感じられなくなっている。
無論、そうなるまでに吐いた血反吐は、何遍死ねば足るかも分からないが。
だが燎祐はその全てを耐え抜いた。
ただ一心に、久瀬まゆりを想うことで乗り越えた。
その気骨は本物だった。
そして、成長の実感をより強く手繰るように、燎祐は修行に打ち込むが――――。
ある拍子に、舟山の動きに違和感を覚えた。数瞬ほど注意がどこかに逸れているような、そんな感じがしていた。それが一度や二度ではなく、このところちょくちょくと続いていた。
――何だ、舟山は何を気にしているんだ?
その様相から、恐らく、舟山にとってただ事でないのだと知れた。
している内に、また舟山の注意が逸れる。今度は暫し呼吸を止めるほどに。
これには今まで黙っていた燎祐も、流石に動きを止め、目を眇めた。
舟山は半ば不可抗力のように、しまった、という顔を作ってしまって場の空気が一気に停滞した。
「これからのスケジュールを考えていただけですよ。如何せん、君をイルルミさんに届かせるには、不足しているものが沢山ありますからね」
聞かれる前に舟山が口を割った。そのことが却って燎祐の不信を煽った。
「ほぅ。それで先生は、これから一体何をどうするおつもりで?」
「……か、考え中ですよ~、だからほら、意識が散っちゃいましてね~ハハハ」
聡く言葉の表面を突かれ、ブスリと後ろまで串刺しにされた舟山は、引きつった笑いを浮かべた。
鬼だけに、その面構えは形相としか見えないが、なかなか長い時間を過ごしている燎祐には、それが欺瞞の笑みだと直ぐにピンときていた。
「時に常陸くん、体に違和感とかないですか?」
なぜ急にそれを問われたかは分からなかったが、言われたからには一応は思案をめぐらせてみる燎祐。うーん、と頭を捻っている内にピコンと思い当たったらしかった。
「あっ、そう言えば力んでる感覚がないんだよな。力は発揮できている筈なんだけど、こう一歩後ろに引いてるような、俯瞰しているようなさ。それがどうかしたのか?」
だいぶどうかした話だった。そもそも自覚があったとは思わず、しかも当の本人はことの重大さに気づいていないようで、舟山は真相を告げる口を閉ざすほかなかった。
(余計なことを言って、彼の意識がそっちに引っ張られても困りますからね)
けれど燎祐の話は、舟山にとって悪いばかりではなかった。
自分からはどうしようもないと語った彼の言葉からは、殻についての仮説を、幾つか閃くことができたからだ。
「おーい先生? さっきからどうしたんだ?」
「ハハハ、すみません。いま丁度考えが纏まったところです。スケジュールのプランも概ね決定しました。というわけで、ここからは今まで以上に快速運転でいきますよ」
言うが早いか、既に舟山が攻撃に転じていた。
ゴオッ、と唸りを上げ岩の如き拳が真正面から迫る。
燎祐は僅かな手首の返しで軌道を逸らし、すかさずカウンターを決める。
直後、空間いっぱいに痛烈な破裂音が音高く鳴り響いた。
「どうだっ!!」
「私相手には、まだまだ踏ん張りが足りませんねえ」
鬼の巨体は倍返しの直撃などものともせず、その上から殴り返してきた。
燎祐は手を交差し攻撃を上に弾き、ガラ空きの腹部へ蹴撃を放つ。
その瞬間舟山が転移。燎祐の蹴りが空振ると同時、鬼の豪腕が真横から襲来した。
即座に後へ飛んで回避するも、拳面に撫でられた頬が大量の白煙を噴き上げた。
手心のない一撃だった。
「あら、避けられましたか。今のは決めたつもりだったんですけどね。おしいおしい」
「何言ってんだ、顔半分無くなるところだったぜっ!」
それでも怯むことなく燎祐は立ち向かっていく。
かつての教えの通り、拳のみならず、上下に揺さぶりを掛けるように連打に足技を織り交ぜる。そして打ち合いの間も決して足を止めずに立ち回った。
打ち続けるたびに早さを増す彼の連撃に、これまでは軽々と捌いていた舟山も、とうとう受けの手が目立つようになった。
(やはり常陸くんは筋がいい。それにこの闘争心、まるでイルルミさんを相手にしているみたいです)
そんな舟山の関心を他所に、燎祐の内心は表面ほど穏やかではなかった。
やはり彼が気にしているのは、これが人外転化で生じた仮初めの力であるということ。
力の源が自分由来でないがため、人間に戻ればどれほど弱体化したものかと思っている。
(だからこそ今の感覚を、一つ残らず、全細胞に叩き込まなきゃいけないんだ……!! 持ち帰れるだけ持ち帰らなければ、レナンとは勝負にもならない!)
彼のその気概や必死さが、修行の質を格段に高めていたのは言うまでもなかった。
だからこそ舟山には、口が裂けても言えないことがあった。
人に戻っても今と変わらない、と。
種を明かせば簡単な話で、人に転化しても今の状態から種族的な特徴が消えるだけなのだ。
そもそも転化で再構築した体というのは、偏に彼本来の能力に耐えうる器に昇華しただけのもので、人間の体ならば抑制された力を、遺憾なく発揮できるようになったに過ぎない。
そして血の紋様とは、術の触媒であると同時に、無自覚に力の抑制を外させる呪術以外に効能はなく、燎祐が感じた特別な力は宿っていない。
煎じ詰めれば、一連の転化の工程は、本来の力に体をフィットさせただけで、力量以上のものを獲得させるものではなかったのだ。
無論、種族的に異なる上でのベースアップはあるが、実際それだけ。
しかし燎祐は、それを借り物の力と早合点して、せっせと励んでいるのである。
「おらあああああああ!!!」
「甘いですよ!!」
手足の末端が霞むほどの速度でもって、互いに何十という攻撃を擦過させる。
掠めた傷口から白煙を吐き出し、それは煙幕のように二人の姿を覆い隠し、されど煙を裂いて二人の攻撃が乱舞する。
打ち合う音は次第に硬質な響きに変わり、その度に強い衝撃が室内に走った。
僅かなブレイクの直後、白煙の内側で、頭を投石機さながらに仰け反らす影が二つ浮かび上がった。
そして手を離したように同時に加速する。
「「スゥ――――――ぬんッ!!!」」
砲弾のごとく額をかち合わせ、二人を囲むように床と空気が一気に爆ぜた。
その激突の威力によって白煙のヴェールが消し飛び、両者の姿が露わになる。
潰れる額を尚押し潰し、首がへし折れそうなほどのブル・ファイトを繰り広げている。
「ぐぐぐぐぎぎぎぎ!!」
「ぬぅぅぅぅぅぅぅ!!」
射殺さんばかりに睨み合い、双方一歩も引かぬ押し合いの最中、舟山が後方へ転移。燎祐も直感で後へ飛んだ。
すると思い出したかのように、両者の額から、もうもうと白煙が立ちのぼった。
「おやぁ、なかなか良い具合に仕上がってきましたねえ」
「へへ、なんか今のはちょっと力入った気がしたぞ。んじゃ、もう一丁!!」
それをゴングに、新たなラウンドの幕が全速力で打ち上がる。
こうして修行の総仕上げが始まった。




