第一章20 SEVEN DAYS『B』 ①
燎祐が修行に発ってから二日後――――。
一年二組の教室は、燎祐とまゆりの両名の休みを除けば、特に病欠者もなく平穏。
人数が通常から二名マイナスというだけで、教室の様相も目立って変わりもなかったが、その中で一人、完全に空気から離れている人物がいた。
タクラマだ。
まさに傍若無人を体現するほど、誰も彼に寄りついている気配が無い。
彼の特異な外見は人の目を引きつけこそすれど、人類からすればとても友好的なシルエットをしていない。
そこに人を寄せ付けないぶっきら棒な態度、トゲのある物言い、表情が存在しない顔などが相まって、相羽という異物を臨時担任として迎えた以外では、彼はこのクラスで唯一の異物と言えた。
それもあって、燎祐とまゆりの二人は、予てよりクラスメイトから、かなりの好事家か異端児と見做されていた。しかし今回の休みが二人揃ってであることから、そこに無理な憶測を結びつけられて、二人揃って亜人から逃げただの、三人は何かトラブルがあっただのと、詰まらない話が教室の中を飛び回っていた。
そういった意味では、クラスは恰好の的を見つけ団結しているようにも映った。
反対に、独りになってしまったタクラマは、最近薄れていた疎外感や、周囲との距離感を、改めて思い出すことになった。
しかし、それを辛いとは思わなかった。
今まで通りに戻っただけ。
最近が違っていただけだ。
そんな風に彼は思った。
だからタクラマは、周りが作る『見えない境界線』のことは全く気にしていなかった。
「どーせ他にすることもねえンだろ、まァ好きにやってくンな?」
タクラマは、目の光を憐憫に細め、ロッカーから昼飯のカルシムバーを取り出して自席に着いた。
その時、丁度教室の戸口に陰が立った。臨時担任の相羽だった。
相羽はどこか物色するように教室の中へ目を向けている。
(教師が昼に教室に来るたァ珍しいゼ、誰かとっ捕まえに来やがったンか?)
しかし自分には関係なかろうと高をくくって、タクラマは昼食のカルシムバーをバリバリと貪った。
その手が二本目に伸びて、いざ食わんと口元へ運んだ時、カルシウムバーがスパッと袈裟懸けに切れて、上半分がズルリと滑り落ちた。
ちょん切れたバーは、落下の弾みで彼の膝を汚しながら床の上に転がった。
「………………不可視の斬撃魔法か、やってくれんじゃねえか……っ」
漆黒の眼窩の中で真っ赤な光が静かに唸った。
誰の仕業かなど既に分かりきっていた。それほどの敵意が斬撃に注がれていた。
タクラマは、手に残ったカルシウムバーを、教室の戸口に向かって投げつけた。
屑をまき散らしながら勢いよく飛んでいったバーは、しかし標的へ届くよりも先に不可視の斬撃によって空中分解し、細切れになって相羽の足下にパラパラと転がった。
「ククク、手癖の悪いやつめ」
相羽は、足下に散らばったカルシウムバーの欠片カスをガリガリと踏み潰しながら、タクラマを睨め付けた。
その側ら、二人の攻防に気づいているクラスメイトは居らず、皆一様に昼を楽しむ気で机の上に昼食を広げ始めている。
相羽はその空気を幅広の肩で引き裂きながら、タクラマの方へ真っ直ぐとやってきた。
そして拳を振り上げ、いつかと同じく小槌のように机へ打ち付けた。
ダァンッ――――
身の縮こまるような音を聞いて、肩を跳ね上げさせたクラスメイトらが一斉に振り返った。
しかし音源の正体を目に入れると、立ち所に顔を逸らして無関係を気取った。
それもそうだろう。明らかに喧嘩腰の相羽が生徒を睨み下ろしているのだ。それを見咎めるような真似をして、余計な癇癪を買いたくなかったのだ。
それで喩え薄情と蔑まれようが、彼らにとって、人生に波風は不要なのだ。平凡であることが何よりも大切なのである。
しかし、相羽との交戦が予想される今、彼らの薄情さは「害を被る前に勝手に逃げてくれる」という点ではとても信頼でき、それは、巻き添えを嫌うタクラマにとって都合が良かった。
「ンだよ、喧しいぜ相羽センセー?」
「教師にモノを投げるとはいい度胸だな、亜人」
「ハンッ、先に手ぇ出したのはてめえだろうが、エぇ、ニンゲン?」
悪態に悪態で返す姿勢をフンと鼻で笑い飛ばし、相羽は片目を開いた。
「やはり亜人は醜悪だ。貴様を見ていると墓場にいる気分になる」
「なら供えモンして念仏唱えて帰ーれよ」
「消えろと言っているのだ。分からんのか」
「ケッ、だったら直接言いなっ!」
並々ならぬ脚力で机を蹴り上げ、タクラマが立ち上がった。
轟然と打ち上がった机が両者の目を隠した瞬間、タクラマの手の平には漆黒の魔弾があった。
彼はそれを躊躇無く放つ。
しかし相羽はまるで予知していたように、最小限の動きで魔弾を回避。過ぎ去った方向で魔弾が炸裂した。
「チィ!!」
「甘いわ!!」
今度は相羽が、挙動もなく、不可視の斬撃を繰り出した。
タクラマは鋭敏な魔法力感受性で攻撃の気配を察知し、咄嗟に左へ身を躱す。直後、斬撃魔法がブレザーの右袖を擦過した。
タクラマが挑戦的に見返す。
相羽が舌打ちをする。
全てがあっという間の出来事だった。
その圧縮された時間を解放するかの如く、二人の中心へ机が落下してきた。
だが机は、床に触れた途端、まるで液体のように形を失って崩れてしまった。
今の攻防の間に、あの斬撃で細切れに切断されていたのである。
(あの一瞬でどんだけ刃ァ通したってんでえ……。しかも無詠唱ってこたあ特異体質の可能性が高えな。まァさか舟山と同じ『人外』ってヤツかァ……?)
内心の動揺を押し殺し、タクラマは相羽と対峙を続ける。
その異様な二人の雰囲気を察して、クラスメイトは蜘蛛の子を散らすように教室から出て行った。
ある種の無言の疎通に、タクラマは小鼻をならして、彼らの薄情に感謝した。
「皆オマエが怖いようだ。ここは「一人は皆の為」と、貴様が退場すべきだろう、そうは思わんか亜人?」
「ケッ、教師が差別主義者気取るたあなァ! 世も末だゼ!」
「クククク……果たして私だけか機会があれば聞いてみるといい。あれば、だがな!!」
相羽は双眸をクワッと見開いた。一瞬の間にタクラマの周囲に氷の矢が出現。
「クソッ!」
瞬間、タクラマの姿が足下の陰に吸い込まれた。
陰影内に潜行する彼の魔法【シャドーダイブ】だ。
彼の全身が陰に沈むと同時、その場所を氷の矢が一斉に射った。
タクラマは陰の中を移動し、十歩ほど下がったところからスッと顔を出す。
「そこにいたかッ!」
相羽はタクラマを見つけるや、その真上に氷の矢を展開。タクラマは直ちに急速潜行する。
(ヤロー、魔力制圧圏がフツーじゃねえ。人間性はイっちまってるが、どうやら魔法に関しちゃあ認めなきゃならンらしいゼ……。ああ、並のスペックじゃねえ。まあ、どこぞの誰かさンと違って、飽くまで人間の範疇じゃあるがなァ!)
タクラマは陰内を移動し、迷わず相羽の陰へ取り付いた。
潜行を本来目的とする【シャドーダイブ】の欠点は外界を視認出来ないことだ。
しかし彼の特異的に発達した魔法力感受性は、他人の魔力をオーラのように見ることができる。つまり彼には相羽が視えているのである。
(カカカ、一丁脅かしてやンぜ!!)
陰の中でタクラマが身構える。
しかし、
「一つ言っておこう、私と貴様とでは踏んだ場数が違う」
相羽は殴りつけるように足下の陰へ拳を突っ込んだ。
そして、中からタクラマの頭を引っ張り出した。
「斬撃を避けた時点で、貴様の魔法力感受性なら、そこから私が視えていることくらい分かっていたぞ。最初のはフェイントのつもりだろうが、考えが浅はかだったな、亜人」
「へえ、そうかい。でもよォ、その場数っつーのォ? 俺様と戦ンのにゃあ、ちと足りてねーみてえだゼ?」
「減らず口をッ!!」
相羽は、ぐわしと握ったタクラマの頭部を、陰の中から思い切り引っ張り上げる。
だが飛び出てきたのは頭だけ。首から下が付いていない。
相羽の手の中で、タクラマ(頭)がカカカと笑う。
手の中の顔と目が合い「偽物か!?」と相羽の目に険が宿る。
しかし、手の中のタクラマは目を赤く光らせ饒舌に語る。
「陰ってのァな、光さえありゃあドコにでも出来ンだゼ? じゃあよォ、テメェを一番襲い易い位置ってのは、ドコだろなァ?」
「フン――――そういうトリックか!!」
相羽はバッとして天井を見上げ、即座に氷の矢で攻撃を仕掛ける。その読みは正しかった。
彼の体は天井に出来た密度の薄い影に潜んでいたのだ。
だが、迂闊だった。放った魔法はタクラマを射貫くどころか、天井から蛍光灯まで破壊し、それらが小規模爆発を起こしたように、自身に降り注ぐ結果を招いてしまった。
相羽は咄嗟のことに障壁の展開も忘れ、思わず両腕で顔を覆った。
その刹那、体だけのタクラマが、相羽の足下から出現。そしてその首筋に、刃物と化した鋭利な爪を突きつけた。
「上に……天井に潜んでいたはなかったのか…………ッ!!」
「カカカ、あンなコトすりゃあ影だって落ちらあ。居所知ってようが無闇に攻撃しちゃあいけねえよ」
相羽の手の中で、赤い目が不敵に光る。
実は狙い通りだった。
氷の矢が蛍光灯と天井を破壊すれば、その瞬間に影があちこちに作られる。
それは落下物とて例外ではない。
彼はそれに潜み、一気に相羽の足下へ降りたのである。
「亜人如きが……私に高説を垂れるだとっ……!!」
「おっと、動かねえ方が身のためだゼ? この爪ァ、タチ悪りぃ呪いが籠もっててな、チョイと押しゃあ、イイ刀みてえにサクッと行っちまう。学校結界のお陰で死なかろうが、こいつァ死ぬほど痛えぞ」
「ぬぅう……っ!!」
低く唸る相羽の、その手の中でカカカと笑うタクラマ(頭)。
彼は、空いている方の手で「それを返せ」と指図した。いかにも余裕の勝利といった具合だった。
だが、してやられた相羽は、大人しく応じるどころか、怒りに顔を紅潮させて、わなわなと震えた。
「くそおッ、亜人が……亜人如きが!! マグレで一本取ったくらいで調子に乗るなァ!!」
叫喚を上げ、その身を怒りに任せ、手の中のタクラマの頭部を窓の外へ放った。
空中を転がりながら「やってくれるぜ」と目を光らせたタクラマは、相羽に突き立てていた爪を走らせんとするが――――
なんとその時、窓の外に人陰が踊った。
「物を投げ捨てるのは感心しないな。よっ、と――――」
その人物は、タクラマ(頭)をキャッチすると、ひょいっと窓枠を越えて教室内に着地した。
タクラマは急に静止した視界に違和感を覚え、しきりに詮索しようと試みるが、いかんせん視界が固定されているので一方向しか見えない。
しているとスッと視界が持ち上がった。
驚いている相羽の顔が見えた。
今度はそれを通り過ぎて、視界がぐるっと百八十度回頭。
開けたシャツと緩く閉めたネクタイが見える。
そこから視界は、ぐーっと上の方に向かされて、風に揺れる緑の黒髪が見えた。
「お、レナンじゃねえか」
「これは興味深い。君の頭は取れても平気なのだな」
キャッチしたレナンが、手の中のタクラマ(頭)をしげしげと見つめる。
「おめえ、今どっから来たンでえ」
「下からだ」
それがどうかしたのか?、という顔をするレナンに、タクラマは「ア、…………なんでもねえわ」と、話を打っ手切った。
「悪りぃんだけど、向こうまで運んでってくんねえか? 俺様ちぃと手が離せなくってよォ。まあ、体は離れてンだけどな」
レナンはその返事に「お安いご用さ」と応えて、二人が組み付いている現場までつかつかと歩いてきた。
頭を返してもらったタクラマは、レナンに促される形で相羽を解放した。
だが相羽は、まるで信じられないものを見るような顔をして、その場に固まってしまっていた。
余程の動揺か、額には大粒の汗が浮いている。
「暫く振りだな相羽先生。復帰したと聞いて今日は挨拶に来たのだが、調子が良さそうでなによりだ」
「イ、イルルミぃぃぃ……!!」
再会の忌ま忌ましさに相羽の顔が歪んだ。
その目には明らかな憎悪があった。敵愾心が燃えていた。だが暴発はしなかった。
「通年不登校の貴様が、よもや留年せずに進級しているとはな。落とした単位はどうした? 一体どんな手を使った? これも親の七光りか、ええ?」
怒りに濁った目で上から睨み下ろし、体全体で圧力をかけていく相羽。
だが、レナンは一分も恥じず、また臆しもせず、澄んだ蒼い瞳で真っ直ぐに見返した。
「東烽は八和六合の庭だ。その意味、今更言うもおろかだろう。それより先生、今日は挨拶以外にも用事があってね、急な掃除が必要か見に来たんだ。上がせっついてきて困っているよ」
「その物言い、まるで私が関係しているとも取れるが、そのつもりで口にしているのか? だとすれば勘違いも甚だしいっ!! 貴様が八和六合の何かは知らないが、人外ごっこは余所でやるんだなァっ!!」
柳眉を逆立て、睨み潰すように圧を増す相羽。だがレナンは、一方的に仕掛けられた睨戦には応じず、淡々と切り返した。
「ふふん、なんと言われようがやることはやるのさ。けど私は、寧ろ徒労に終わることを期待しているよ。控えていることがあるんでね」
相羽はレナンの言っている意味が分からず目を眇めたが、その真意を悟ったタクラマはギクリとして肩を跳ねさせていた。
「いい時間だ先生。そろそろ職員室へ戻ったらどうかな。授業の準備も何かと大変だろう?」
レナンは、話は終わりだと告げるように声に凄味を効かせた。
遠回しに消えろと言われた相羽は、食いちぎるように視線を外し、体中から憤怒をまき散らしながら、ズカズカと教室を出て行った。
「ヒュゥ、おっかねえ」
「ああ、まったくだ」
タクラマの上滑りな口ぶりを、レナンは小鼻で笑った。
しかし一段落したところでタクラマに問題が生じた。机だ。
相羽の放った見えない斬撃で微塵切りになった机は、大鋸屑もかくやとばかりに、降り積もってこんもりとしている。
なので今の彼の席は椅子しかない。
「次の授業は燎祐の席使っちまうかなァ。それとも余所からパクってくっかなァ」
「机なら私が後でなんとかしよう。それよりも今から私に顔を貸してはくれないか。実は君に用があるんだ」
「おォ? そりゃあ決闘を吹っ掛ける気じゃあねーだろうな?」
タクラマは怪訝さを滲ませた声差しを向ける。レナンは眉を小さくハの字にして、瞑目した。
「私も信用がないな。誓って決闘ではないよ。それでいいかい?」
「だったらいいズエ……貸してやるズエ……俺様の顔をよォ……。よォし、手ェ出しなァ」
「ん? こうか?」
レナンの素直な反応にタクラマの目がギンと赤く光った。
そして、受け皿となっている手の上に、ポンと頭部を置いた。
「ほれ、顔だ。確かに貸したぜ」
「ゑ」
亜人ジョークに困惑するレナンに、「さあ持って行け!」と赤い眼光が叫ぶ。
手の中でギンギンと光を発するタクラマに、レナンはだんだんと表情を失っていく。
そして、無言のままタクラマの頭を取り付けると、その襟首をひっ捕まえて、彼をズルズルと引き摺りながら教室から出て行った。
その不思議な組み合わせ見送りながら、クラスメイトたちは教室へ戻っていった。
散らかった教室を掃除するハメになるとも知らず。




