第一章1 眠り姫と通学路①
俺は常陸燎祐。
一瞬で読めない名字と、一発で問い返される名前が特徴の、ごく普通の、いや世界にただ一人しかいない、魔法が使えない人間だ。
なんで俺だけ魔法が使えないのかは知らない。調べてもよく分からない。
というか世の中、魔法が使えるのが当たり前の時代なんだ。魔法が使えない理由なんてのを研究しているわけがないし、そうする必要もない。だから治療の方法だってない。
だって魔法が使えないヤツってのが、この世界に俺一人しかいないんだから。
まあ、詳しいことは何一つしらないが、魔法が使えない俺というのは、とかく体が【魔力】を作ってくれない体質そうだ。
だからといって、はいそーですかで諦めらめきれるものじゃない。
魔法が使いたいか否かはさて置くとして、俺には魔法が使えなきゃならねえ理由がある。
約束――。
幼いころ、銀色の髪をした女の子『久瀬まゆり』と交わした大切な約束があるからだ。
そのために俺は、来る日も来る日も魔法の特訓や勉強に明け暮れて……、成果が上がらないことに肩を落とした。自分の真実をしる日が来るまで。
では、やがて知ることになった【魔力がない】という事実が俺にどんな影響を与えたかだが、その時は正直、超巨大なハエ叩きで奈落のドン底に叩きつけられた気分だった。
自分を支えてきた芯が折れ砕けて、ケツの穴からエクトプラズマが出てんじゃないかって思うほど放心した。俺もうおわった、そういった人生全否定のネガティブワードが脳裏をウルトラ・マラソンしていた。
穴があったら埋まりたい、縄が垂れ下がってれば首をくくりたい、まさか十五年も生きぬうちにこれほどの精神的苦痛を味わうことになろうとは、俺自身想像もしていなかった。
しかし、これで滅に入る俺ではない。ホトケになるにはまだ早い。
だって、これで俺が本当に死んじまったら、まゆりとの約束を破ることになるだろ?
つーか、とびっきり可愛い子を放っておいて死ねるかっての!
だから俺は、いつまでも足掻きつづける。
いつ報われると知れぬとも。
この約束のために命を使う。
これは、憂き目に遭ったこの世と死別して、別世界で円満ハッピーライフを謳歌する物語じゃない。
魔法が使えない男が、ただ我武者羅に、ただ遮二無二、魔法を使えるようになるために奮闘する話だ。
魔法が使えるようになる日が来るのか、そいつは分からない。
けど俺に後退と諦めの文字はない。
まゆり、可愛いからな!
そう、久瀬まゆりは可愛いのである。
十年前からずっと可愛いが、いまがどれくらい可愛くなっているかというと、当時とまったく同じ可愛さだ。
さすがに身長はちょっと伸びたが、ほんとにちょっとだけ。ただ、あまりに小柄で童顔なせいか小学生と見分けが付かない。
それと髪が少し伸びた。
あとは――――あとは、何が変わったんだろうなあ…………。
可愛すぎて分からない。
なお、実際のまゆりがどれくらい可愛いかというと――銀髪にエメラルドの瞳ってだけで相当に日本人離れしているが――数万人が登録している謎のファンサイトがいくつも存在していたり、歩いているだけで多種多様なカメラをこさえた不審な大人がどこまでも付いてきたり県外ナンバーのハイエースが並走してきたりと、事案が発動する程度に大人気だ。
実に罪作りな可愛さである。
で、そのお姫様はいまどうしているかというと、俺の背中に負ぶさって、すやすや寝息を立てている。
つまり絶賛爆睡中だ。
ぶっちゃけ毎度のこと。
まあ毎度のことなんだが今日だけは焦っている。
なぜかって、そりゃあ単純にピンチだからだ。
遅刻。そう遅刻だ。先に断っておくが俺が寝坊したんじゃない。
今日も背中ですやすやしている子が、明日は絶対に起きるから大丈夫です!、といって起きてこなかったのだ。
普段起きてこないことを知っているだけに、最後の最後まで信じて待っていた俺も俺だが……。
さすがにもう待てないと部屋に踏み込んだ時には、ベッドの上で羽を休めている天使がいるのかと思った。
一応、努力の痕跡として何個もの目覚まし時計が大合唱していたが、悲しむべきことに起きられなかったようだ。
ハハハ、これは起こしたらいけないな! だってすげー可愛いもんな!
だから仕方ない。そう、仕方ないのだ。
仕方ないから俺が焦る。
「ご入学早々に遅刻だけは避けねーと!!! また一年間【子連れ狼】みたいなあだ名になるつーの!!!」
そのお返事に当ててか、背中からは安らかな寝息が聞こえてくるのだった。
いつも思うんだが、お布団にくるまってる時よりもぐっすりだ。
俺の背中ってそんなに寝心地がいいのか……。
ちなみに、この通学スタイルは小学校から一貫して変わっていない。
といって本人に起床の意思が欠如してるわけじゃないんだが、どうあっても起きられないらしい。なんか可愛い。
そんなお寝坊さんで、たいへん小柄なまゆりだが、実は、魔法使いとして世界最高位の称号をもっている。
もっているのだが、その称号を呼ばれることは少ない。
どういうワケかというと、まゆりの才能は、世界最高位たちの中に於いてさえ【規格外】だそうで、人類でもっとも魔女に近い存在なんだそうだ。だからか、畏敬の念がたんまり籠もった【エクストラ】で呼ばれることのほうが多い。
なお、単身で世界地図を書き換えるレベルの超々規模攻撃魔法を行使できるため、まゆりは【衝突リスクのある潜在的に危険な小惑星】並みの脅威と見做されており、日本政府によって国外渡航の禁止と、車輌による移動禁止、生活圏外への外出禁止の制限を付けられている。
それだけを聞くと、大変扱いに困る子を想像してしまうかもしれないが、まゆりはいつもふんわりマイペース。
その雰囲気とマッチした、ゆるくふわっとしたショートボブのヘアスタイルがとてもよく似合う子だ。
そこに、ふんわりとした声音も相まって、マジ可愛い。
そんな可愛い子を我が背に背負い、通学路の上、次々に出現する不審者と不審車を片っ端から蹴り飛ばして粉砕し、なにごともなく走っていく俺。男は可愛い子を背負うと足腰が強靱になる。そういうもんだ。
しかし、俺の朝はこれでおしまいじゃない。
角を曲がった途端、カメラを凶器にかえた変態どもが一気に四、五人襲ってきた。
そいつらを足早に回し蹴りで片付ける。
なんか計算より一発多く入った気がしたが、たぶん気のせいだ。
直後、ドサドサッと転がった五人の変態の隣に見ず知らずのオッサンが倒れていた。
きっと何かの事故に巻き込まれたのだろう。可哀想に、一体誰がこんなことを。
と、思っているうちに、また一匹活きのいいのが殴りかかってきたので、遠慮なく蹴り飛ばした。
頭から電柱に刺さっていた。
「ふっ、一丁上がり」
自慢じゃないが俺は強いのである。
そもそもの話だが、魔法が使えない俺にとって、魔法が使える連中ってのは驚異だ。たいへん恐ろしい。
たとえ五歳児が相手だろうと、魔法で身体能力をブーストされた日にゃあ、惨敗だ。生身じゃ勝てっこない。それくらいの差がある。
その手の魔法を補助魔法って言うらしいが、これのどこが補助だっつーの。
凶器そのものじゃねーか。
当然のことながら、まゆりを付け狙って襲撃してくる連中は例外なくブーストしている。つまり超変質者だ。
この脅威に対抗するには同じ魔法が必要だ。
けれど俺は魔法が使えない。使えないから仕方ない。
というわけで、強くなった。
答えは常にシンプルだ。
本日ラストの不審者の側頭部を思い切り蹴っ飛ばしたところ、軒先からひょっこり顔を出したご近所さんが「いってらっしゃーい!」と微笑みと声援を手向けてくれた。
俺も「どもっ」と小さく挨拶をして、不審者ロードを通過。
「よしっ、もう直ぐでこの道を出られるぞっ」
民家の立ち並ぶ細い通りを抜け、今度は土手の上を走った。
急に視界が開けて、雲一つない青い空が目に飛び込んできた。
まだ日光にそれほど熱を感じない。
土手の上には朝の清涼感がまだ残っていた。
「ふーっ、人もいないし丁度いいな」
朝のラッシュ帯はそこそこ人が通っているのだが、今は時間が時間だけに通行人は殆ど見かけない。
これは好都合と足を速めた。
暫く真っ直ぐ行き、高架道にブチ当たったところで右手に曲がった。
そこから太い幹線道路に沿って走った。
この調子なら少しは巻き返せるかもしれないと内心勢いづいたが、しかし焦りのせいか、それとも通学路に不慣れなせいか、実際の距離よりも、学校がずっと遠くに感じる。
「今日はオリエンテーションだけに、大遅刻ってのはご勘弁願いたいなっ!」
足を継ぐたび焦りが募る。
そんな気を削ぐように、通りに涼しい風がゆるく流れた。
「おーい、まゆりー? そろそろ起きておかないと、自己紹介で大変だぞー?」
俺は肩を軽く揺すってみたが、すぅすぅと柔らかな寝息が耳朶に触れただけだった。
なんという安眠力……。
魔法のみならず寝ることにかけても天才か。
「暇さえあればって程ではないけど、ほんとによく寝てるよまゆりは……」
これですくすくと育ってくれていたらなあ、と思ってしまうほどには、魔法以外の部分が嘘みたいに育ってない。
同い年だけど、控えめに言ってもパーフェクト小学生。
一緒に歩いていたら、いつ職務質問されてもおかなしくない非常に危うい外見年齢をしている。
「まあ、可愛いからいいか!」
可愛いは万事を解決する合い言葉だ。よって問題はない。
問題があるとすれば、寧ろ俺の方。
何でもかんでも、まゆりのことを直ぐに可愛いと思ってしまうくらい、出会った時から大好きだ。
事実、初対面でプロポーズした。
それが10年前のこと。
そういえば微塵も語っていなかったが、実は、まゆりとは、その頃から一緒に生活をしている。
ことの大部分を端折ってしまうが――――まゆりは肉親全員を亡くし、孤児だった。
経緯の細かいところは知らないが、縁あって、俺の親父が後見人になった。
で、まゆりを我が家に迎えて……という感じ。
俺とまゆりの馴れ初めはこんなところ。
ただ一つ、未だに不思議なのは、常陸家と久瀬家は隣同士だったのに、俺たちは、引き合わされる瞬間まで俺たちがお互いを知らなかった。
こんなに可愛い子が隣に住んでたら、気づかないずないんだが――。
それはさておいて、正門に繋がる桜並木が目に入った。学校までもうあと少しか。
ここまで結構なペースで巻いてきたが、それでもタイムオーバーか、付近を行く生徒の姿がない。
「あーあ、こりゃあ二人で仲良く遅刻っぽいなあー……。開口一番どーしたもんか」
「ぅん…………えとぉ……、それなら……夫婦で共同作業をしてましたあ……、なんていいと、思うんですけど?」
独りごちたつもりだったのが、ふんわりした声が後から乗ってきた。
俺の肩に乗っかっていた手が、ふわりと片方離れた。まゆりが起きたらしい。
声にはまだ眠気が半分くらい混じっていたが「燎おはよぉ」とあくび混じりに言ってきたので、二度寝は無さそうだ。
ちょっとした物珍しさを感じながら足を止める。その間、まゆりはぐ~っと伸びをした。
空に突き上げていた腕をふぅっと脱力させると、あけたてを直ぐに俺の首に回した。
「お待たせしました?」
「おっし、じゃあ急ぐぞ」
止めていた足を急ピッチで回す。
肩で風を切りながら、いよいよ最後の角を曲がる。
もう桜並木の向こう側、いよいよ正門に差し掛かる。
祈るような眼差しを前に向けるが、生徒の陰はやはりない。
それどころか無人。通行人すらいない。
「まゆりよ、こいつは大遅刻かもしれんぞ……」
「え?」
俺は脇目も振らず全速力で駆ける。
一方、俺の背では、まゆりがキョロキョロと辺りを見回しているのが、肩を抜けてくる柔らかい感覚で分かった。
入学式の時も完全に寝入ってたから、きっと通学路に覚えがないんだろう。
そんな風に一人勝手に納得していたら、ぽんぽんぽんと小刻みに肩を叩かれた。
俺は後ろへ小さく首をひねって「どうした?」と促すと、まゆりは不思議なことを口にした。
「ねえねえ燎、もしかして学校かクラスでトラブルあった?」
「昨日が入学式だったんだぞ。あるわけないだろ、そんなの?」
しかしまゆりは、きょとんとした声で予想外の返事を持ってきた。
「そうなの? でも私たち、誰かから、だいぶ悪意のある幻術をかけられちゃってるんですけど?」
「………………起き抜けに脅かそうってんじゃないよな?」
「脅かしてないですけど?」
あっさりとした返事に、俺は却って戸惑った。
もしまゆりの言葉通りなら、俺たちは、既に攻撃されている。
勿論そんな記憶は無い。
そんな馬鹿な……、と頭を振って否定するが、まゆりは譲らない。
「だったらすぐに足下を見てみて。私が起きた時から燎の足一歩も動いてないの。ずっと立ったまま、ね?」
誘われるように俺は自分の足下へ目をやった。
「嘘だろ……」
サアッと汗が引くのが分かった。
それもそうだろう。俺の頭の中では、景色は変わり続けているのに、足は動いていないのだから。
足を動かしている感覚が確かにしているのに、ピクリとも動いていないのだから。
「何だよこれ……」
「えっと、空間系幻術と催眠系幻術の複合魔法ですけど」
「なにそれ!? どんな日本語!?」
「えっと、ふつうの日本語ですけど?」
「いや、そうじゃなくて、どういう意味かって」
「あ。そういう意味」
ぽん、と手を叩くまゆり。
分かってなかった。
可愛い。
「普通の幻術は頭に直接効かせるんですけど、認知能力が高い人には効きにくい傾向があって。そこで空間系の幻術で五感に効かせて知覚を麻痺させて、次に催眠系幻術でっていう手法にしていると思うんですけど」
「つまり俺術中なわけね!! 詳しい解説どーも!!」
どういたしまして♪と、まゆりが耳元でささやいた。可愛い。
俺は瞬時に意識を切り替え、全力で警戒態勢を取った。
とはいっても、俺は既に敵の術中。後手だ。
相手の攻撃は始まっている。
「この手の魔法って法律的に不味いんじゃなかったっけっ!?」
「国魔連の免許があればその限りじゃないですけど。でも私と同年代で免許持ってるのってヨーコくらいだから、ひょっとしたら『幻術が解けたら学校でした』みたいなことあるかも。だって東烽高校は敷地内なら魔法は種別を問わずなんでもアリだもの。魔法台の監視が届かないところならともかく、こんな路上で変な魔法使ったりしないです。テロリスト扱いで処分されちゃうし」
「ですよねー!」
いきなり変なことになって来やがった。