第一章15 『烈火』 ①
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舟山との特訓が始まって早一週間。
俺は、舟山が作り出した独自空間――天井も壁も黄土色の石畳で埋め尽くされた、実にダンジョン味のある場所で、空間全体には自然光に因らない不思議な光があふれている――の中で、延々と攻撃を避け続けるだけの放課後に明け暮れていた。
こんな特訓が始まったのも言えば更なりで、イルルミ・レナンという戦闘狂いの女子生徒のせいである。
そして今日も今日とてメニューに変更は加えられず、転移をふんだんに織り交ぜた無限とも思える軌道の乱打に耐えるのである。
「はーい、では次いきますよー」
舟山はすまし顔で、軽く腕を振りかぶった。
格闘経験者からすれば実にデタラメな構えだが、相手は人間の常識が通じない人外である。
こいつの場合は話も通じないが、実力は本物だ。
それはこの一週間で嫌というほど思い知らされた。
「準備いいですかー?」
人をおちょくっているような声に、浅めの首肯をする。
俺と舟山との距離は、およそ五メートル。
そこから手を届かせるには無理な位置取りだが、俺はともかく、舟山にとって距離は概念でしかない。
あの音もない転移の前には、空間など、あってないようなものだった。
返事を得て、合図のように肩をぐるんぐるんと回しはじめる舟山。
「それでは~、ドーン!」
細腕が鞭のように鋭く撓った。
すると舟山の腕が体から切り離されたように消え、直後、全方位から矢継ぎ早に飛んできた。
その攻撃に常識的な軌道は一つもない。
転移で空間を連続して繋げ、腕が突き出したと思った時には別の処から出現する。
右かと思えば左右同時、後ろかと思えば四方から同時。
もはやセオリーが全く用をなさない無軌道を極める連続攻撃は、対人格闘という窮屈に凝り固まった常識を容易く手折った。
俺が捌かねばならないのは、その人域を著しく踏み超えたとんでもない攻撃の数々だ。
「相変わらずえげつねえっ!!」
出し惜しみなどせず、全神経に意識を張り巡らせる。
あらゆる感覚の範囲を己の体外まで強引に押し広げ、あらゆる攻撃を、肌に触れるより先に知覚するために。
すると、左上方と右下方に気配を感じた。
直後、舟山の腕が奇妙な動きで出現。回避する。
「行ける……! まだ対応できるっ!」
読みの成功にグッと拳を握る。
同時攻撃を察知して避けたのはこれが初だった。
ヒュ~ウと舟山が口笛を吹いた。
「じゃ、追加しまーす」
しれっとした軽い声音とは裏腹に、容赦のない攻撃の嵐が再開された。
その全てを、拡張された全身の感覚が、攻撃の予兆を余さず拾い上げる。
しかし、その全てを動作に反映するのは容易ならざることで、集中を維持しながら全速力で反応し続けるとは、口で平らにするのは容易いが、いざ実践してみると、実に手が付けがたい難問のようだった。
「はーい、もっとステップステップ~! 意識して体をかるーく使ってくださーい! 意識ですよー意識~!」
「くっそぉぉぉぉおお!!」
加速する腕の猛襲に、俺は人間をかなぐり捨てたハチャメチャな動きで、辛くも捌ききる。
「おほー。やりますねえ」
「…………どんな、もんだい……」
肩を激しく上下させながら舟山に顔を向ける。
これでようやく人心地つけそうだ、と思ったところで「オマケでーす」と放たれた攻撃をキレイに貰ってしまい、最後はあっけなくノされた。
本日二十回目の失敗。
「はぁ……はぁ……見切れ、てたのに…………、油断した……」
「何度も言ってますが、君は感覚に頼りすぎて、何でもかんでも探そうとし過ぎなんですよー。だからそんなに疲れるんですよ。もっと楽にしてください」
「はぁ……はぁ……そんなこと、いわれてもな」
舟山は軽く頭をかきながら、どうしたものかと考えを巡らせていた。今のところこの特訓はずっとこんな調子で、先の段階には未だ手が届いていない。
舟山の様子からしても、その取っ掛かりを見つけるのも難しいようだった。
「はあー……どうすりゃいんだ……」
「君の五感は常人と比べて、聞こえすぎなんです。湊くん相手に今までやってきてたなら、まあ……そうなるでしょうねえ……。こればかりは湊くんが君に植え付けてしまった悪い癖ですかね……」
舟山はこの頭痛の芽はどうにかならないものかと、額に手を当てて、う~んと低く唸った。それを言われてやっと俺も自覚した。
師匠の攻撃。あれは死だ。
岩石のような拳で空気を引き裂いて、大樹の如き脚で大地を断ち割って、死の塊が砲弾のようにいきなり飛んでくるんだ。
あんなのを生の肌で体験したら、本能を飛び越えて、否が応でも命が大事になってしまう。
「とすると……俺は、敵意や害意を感じ取ろうと、躍起になっているってことか……? それも、無自覚に」
しかし『生きる』という一点に於いて最も理にかなっているそれが、どうしても悪いことのようには思われない。
だが、殊にこの戦いで足を引っ張る形で機能してしまっている以上、どうにかしなければならないのだろう。
「自分で上手く摺り合わせるしかないな」
と、そんな風に俺が考えを改め始めていると、すっかりロダンの『考える人』みたいになっていた舟山が、発条仕掛けのように面を上げた。
「あぁっ、いっそ、その方面の限界を拡大しますか!! 今さら押さえ込むのも難しいでしょうし。うんうん、それがいい、そうしましょう!」
「えーっと? そりゃどういうことだ先生?」
「新しいものを敢えて加えず、いま君の持っているモノを伸ばそうって話です。そのほうが私も君も楽ですし、何より収入得るのに無駄な難易度なんか必要ナッシングです。アイラブ・マニー! ファック・ディフィカルト!! これぞ不撓不屈の舟山スピリッツですよ!」
「誰かこの教師の腐敗を止めてくれよ!!」
力強いガッツポーズで空を叩く舟山。
ある意味信頼に足るブレなさである。
しかし一度そちらへスイッチが入ると、人の話を聞かないのが舟山だ。
「ではでは不肖私めが、君を今以上に強くして見せましょう! さあさあ、お目を頂戴いたしますっ!!!」
「お、おぅ……妙に張り切ってるな……」
「行きますよー!!」
そう言って舟山は上着をバッと脱ぎ捨てた。
その突飛な行動に、変質者からいよいよ変態に成り下がったかと思っていたら、舟山は、そのすまし顔からはとても信じられない、想像を絶する大咆吼を上げた。
――――――ウオオオオオオォォォォォォォッッ!!!
俺は目を剥いて耳を塞いだ。
劈く魔獣の如き吠え声は、空気を激しく震撼させ、強い衝撃となって空間内を駆け巡った。
それでも舟山の発する大音響は鳴り止まず、すると今度は――――、
ボゴボゴォッ!!
見るからに痩躯だった舟山の全身が、なんと岩山のように隆起した。
みるみる膨れ上がる体は優に二メートルを超して巨大化し、黄色の肌はだんだんと赤褐色に染まり、蟀谷の辺りからは反り返った二本の白角を生やし、髪は天を衝くほど逆立っていた。
そこに完成された暴力的な体躯は師匠に勝るとも劣らない。
舟山は、覚悟はいいか、と言うような視線を俺に投げつけてきた。
「私は必ずこの仕事をやり遂げますよ。たとえ鬼になろうとも!!」
「もうなってますけどおおおおおおおおおおおお?!」
我ながら素っ頓狂な声が打ち上がった。
それにしても、鬼だ。鬼がおる。本物の鬼が、そこに。
しかし、幾らこっちが幾ら驚いていようが、舟山の話を聞かない姿勢は見た目のような変化はなく、あろうことか一言も断りなく攻撃してきた。
それを察知したときにはモロに食らっていた。
攻撃の速度が、反応を振り切るほど段違いに上がっている。
「あ――――がぁッッ!!!」
体が千々に飛び散りそうな衝撃に、俺は瞬時に死を意識した。
続く二撃目で、俺の体はまるで玩具のように殴り飛ばされた。
それで壁に激突するならまだ良かった。
俺はすさまじい勢いでバウンドを繰り返して無様に転がった。
意識が、視界が朦朧とする。
「な"ん"で……パワーだ…………バゲモ"ノがよ"」
自分でもビックリするくらいの潰れた声だった。
まだ衝撃に体中が痺れている。
それを押して身を起こそうとすると、体が、立つな、立つな、と痛みで訴えてくる。
「……ごいよ……まだごれがらだんだど…………!」
ぐらつく体を支えて、なんとか立ち上がるが、すぐさま体が振り子のように揺れる。
足はもう踏ん張りもきかず、膝がガクガクと波打っている。
とてもまともに立っていられる状態ではなかった。
それでも俺は、今にも倒れ込みそうなこの体を、精神のみで補強して、強引に立たせた。
心を奮い立たせた。
あの日、逃げることしか適わなかった自分を糧に。
あの日、沈み行く体に覚えた己の無力さを糧に。
俺は、変わるんだ――――――
あんな無様、もう二度と味わってなるものか。
誓いを立てろ。
自分を変えろ。
そして、今この瞬間に立ち向かえ。
譲れない想いと、願いのために。
「続き、いきますよ?」
例えそれが人智を超えた怪物だったとしても。




