第一章14 舟山部とノロイ ③
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呪い――――それと聞いて、俺には思い当たる節があった。
幻術をかけられ誘い込まれた封鎖区画。
一方的な怒りを振りかざした謎の相手。
そこで起こった戦闘と呪術汚染。
ヤツに取り憑いた正体不明の何か。
俺は一度『ソレ』に殺されかけた。
「確かに……呪われているのかもな」
思い返したら治癒した傷口がズキっと疼いた。
一連のことを『不運』と呼ぶには、あまりに非日常的すぎていて、呪われていると言われたほうが寧ろシックリとくる。
そこへ今度は、ワケの分からぬカードを持ち込んだ『謎の女子生徒』と来た。
正直お腹いっぱいで、頭も一杯一杯だ。
女子生徒の意図することは全く不明だが、こちらにただならぬ用があるのは明け透けなので、それと考えるだけでも気が沈む。
「何で俺だけこんな目に……」
しかしそんな不安を、ふんわりした声がちょっとだけ紛らわせてくれた。
「聞いている限りですけど、その子の設定した条件に燎が引っかかっているだけで、当の本人は相手が誰だとも分かってなさそうかも。初めから燎だって決めてるなら直接渡すのが一番だもの。それにしても、よっぽど大事な用があるのね」
「お、まゆっち冷静だなぁ。俺様てっきり発狂するほどブチ切れっかと思ってたゼ」
「年季はいってますから!」
タクラマの心配を決然と撥ね除けるや、パッと挙手の敬礼をするまゆり。
その口ぶりに、タクラマは恐れ入ったといった風にたじろいで、おもむろに敬礼を返してきた。何故か舟山まで。
そして三者は納得したように敬礼を解いて、一様に頷いた。
なんだこの流れ。
しかし流れを戻したのは、またもタクラマだった。
「だいたいの話は掴めたゼ。じゃあよォ、センセーは『また来る』ってのを警戒して部室に待避させたワケだな。ンで一体何者なんでえ、その女子生徒はよ」
俺はさっぱり気づいていなかったが、なるほど相手は舟山が逃げ出すような女子生徒なのか。
では、このメンツで部活を固めたのは情報を外に出さないためか。
となれば、実力にモノを言わせてどうこうできる部類の相手ではないのだろう。
「その子は、直接の教え子であったことは無いのですが、私にも色々と込み入った事情がありまして、学校以前からの顔見知りです……。隠さずに言えば、私の上役にあたる方の娘さんで、その子自身は『あるお方』の傍仕えを勤めておりまして……、困ったことに私からは何も…………」
そこで舟山は言葉を詰まらせた。
そして、自分自身に落胆したように大きな溜息をついた。
話の件は案の定だったが、しかし今ひとつピンとこない。
俺は半分身を乗り出して、一人で萎んでいる舟山に尋ねる。
「その『上役』だの『あるお方』ってのが、学校の関係者に聞こえないんだが?」
「直接の関係者というわけではありません。ところで常陸くんは本校の所管がどこか知っていますか?」
「文科省じゃなくて国家魔法士連盟だろ。それくらいは知ってるぞ」
「もっと正確に言えば国魔連ではなく八和六合です。名前くらいはご存知でしょう?」
俺は二人に目配せをしてから舟山に頷いた。
八和六合――――
この土地に総本山がある、日本土着の人外を統べている巨大組織だ。
人外とは平たく言えば妖怪変化のことで、組織の頂点は古くから白狐が勤めている。
この八和六合は、日本の魔法監督機関『国家魔法士連盟』の創設に関与しており、現在も強力な後ろ盾として機能している――――と、師匠から聞いたことがある。
まゆりならもっと詳しいだろうが、俺が知っているのはこれくらいだ。
「私はその一員、すなわち人外です。君たちにどう見えているかは分かりませんが、齢百に届く手前といったところです。つまり再雇用で給料が超激安なのです」
「おいジジイ金の話はやめろ!?」
「えっとぉ、じゃあその子も先生と同じ?」
まゆりの問いかけに舟山は小さく首を振った。
「その子は人外に拾われたヒトの子。凡そヒトとしての権利・保証の一切を剥奪され、人外として生きているニンゲンです。名はイルルミ・レナン。本校の二年生です」
「「「……………………」」」
青天の霹靂だった。
俺たちは、ただただ言葉を失ってしまった。
「可哀想だなんて思わないでください。彼女は自ら人外でいることを選んだんです。ヒトに戻る権利と機会の全てを捨てて、人外と共にあることを願ったんです」
人として生まれて、けれど捨てられ、人として生きる道を閉ざされたニンゲン。
人外を家族とし、人外の仮面を被り続ける道を自ら選んだ少女。
呪いというワードの鮮烈さから、自然と抱いてしまっていた根暗でダークな女子生徒像が、俺の頭の中でガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
代わりに再構築されていくのは、慎ましく思いやりのある純朴な少女の姿。
「ケッ、なんでえ取り越し苦労じゃねえか」
ぷいっとそっぽを向いたタクラマがボソッと零した。
今の言葉を専用の翻訳機にかければ「心配なさそうだな」になるんだろう。相変わらず素直じゃない。
だがその気持ちは俺も同じだった。
例え育ての親だろうと、女子生徒にとっては本当の親であり家族なのだ。
まゆりがそうであるように、誰から生まれたとか、血縁だとかは何の問題にもならない。
紙の上に綴られた遺伝子の系譜だけが家族ではない。
お互いが心の底から信頼を寄せ合って、心を通わせているなら、それはもう本当の家族だ。誰が口を差し挟む余地もない真のキズナだ。
「なるほど、先生がなにも出来ないわけだ」
俺は独りごちて鼻を鳴らした。
いくら舟山でも、そんな純朴な子の願いをバッサリと切り落とすことはできなかったのだろう。
だが舟山なりに、今回の『カード』の件は何か引っかかるものを感じたから、こうやって時間を稼ぐ方法を取ってみたわけで――――って、あれ、なんで時間なんて稼ぐんだ?
「ねえ燎……、思ったんですけど、なにか変じゃないかしら、この話」
ふんわりした声に誘われて隣を見ると、まゆりは唇の上に人差し指をのせていた。
まだ理由が判然とはしてないが、俺も同意見に寄りつつあった。
「ん~、なにかこう、もやーっとするんですけど……」
「言われてみりゃあ俺様も」
二人の声を聞いた俺は顎の下に手をやって首を捻った。
女子生徒の事情がどうあれ、単に舟山が立場的に意見できないだけなら、いつもみたいに転移で逃げ回ればいい。
なのに何で身を隠すような真似をする?
女子生徒の頼みを舟山が断れないなら、どうして転移で躱さない?
実際、それくらいのことが舟山に不可能であるとは思いがたい。
とすると、舟山にはそれが出来ない理由でもあるのか、或いは転移で逃げ切れないのか――――と、いうところに思考が及んだ時だった。
それまでちょっと大人しかった舟山が出し抜けに、
「でっ! そのイルルミさんなんですがね、マジ戦闘狂でして――――泳いでないと死んでしまうマグロと同じで、戦ってないと死んでしまうアマゾネスなんですよあれは!!」
「「「は」」」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で舟山を見返した。
なんの聞き違いだ。
いま殺伐とした単語がポロっと出てなかったか。
「だ・か・ら、アマゾネスなんですって、あの子は」
その瞬間、水を打ったような静けさが一瞬のうちに部室中に広がった。
それが永遠のように感じる中、俺たち三人は思わず自分の耳目をこれでもかと疑って、必死に少女のことを弁護したが、続く舟山の言葉で完全に敗訴することとなった。
「それで昨年の今頃なんですがね、彼女、全校生徒を相手に宣戦布告しまして。たった一人で圧勝しちゃったんですよ。しかも拳だけで!! イルルミさんが学校に来なくなった理由なんて『相手がいない』ですからね!! もう爆笑しちゃいますよーアッハハハハハハ!!」
爆笑どころか、俺の中の少女像が大爆散で大惨事だ。
「何がアマゾネスだよ?! 完全にゴリラ系のバーサーカーじゃねえか!!」
「ゴリラ!! いいですねそれ!! 今度そう呼んでみましょう、ハハハハ」
そう吐き出して、舟山は背に腹がくっつかんばかりにソファの上で笑い転げた。
開けっぱなしだった部室の窓からピュウっと冷たい風が入りこんできた。
それからも舟山の饒舌は止まるところを知らず、女子生徒の伝説的逸話を淡々と語り、仕舞には「イルルミさんは偶然にも人類に瓜二つなだけのマジモンの鬼」と評した。
その話が終わる頃には、部室の空気はすっかりと冷め切っていた。
まゆりは偏頭痛を起こしたように重たそうに頭を抱えていた。
「あぁ……分かったかも……。それじゃあイルルミさんは初めっから『お目当ての勝負が出来そうな手合い』を何かの術を使って探してたのね。それで反応が強かった教室に持ってきたと……」
ふんわりした声が半ば呆れた風に推理した。
やめて可愛い名探偵。なんかそれ当たってそうだからやめて。お願い。
「ンじゃあ、センセーの目的はつまり、そいつと戦り合うことになる前に燎祐を鍛えるってとこかァ? そンならミナトって人との約束も守れるわけだし、一石二鳥だあなァ」
ワトソンかお前は、という名補足を綺麗に差し込んだタクラマに、舟山は逮捕を言い渡された犯人の顔っぷりでコクリと頷いた。
可愛い名探偵の推理がズバリ当たっていた。
「忠告しておきますが、イルルミさんは本当に勘が鋭いところがあるので、こちらの企みくらい直ぐに見抜きます。そうなったら『カード』の当選者を見つけに必ず私を捜しに来るでしょう。もし部室を探り当てられたときは、疑いをもたれないような鮮やかな対処をお願いします。今一度申し添えますが、あの子は勘が異様に鋭いので、ほんっっとうに気をつけてください!」
これは脅しではないぞと語気を強めた舟山。
なんにしてもイルルミという女子生徒が執念深すぎて怖い。
「俺の人生いつからホラー映画化したんだ……」
ガックシと首が折れる。
そんな風に嘆いていたら、隣の可愛い名探偵が事件に最後のクエスチョンを投げかけた。
「ねえ先生先生っ。このカードってなんで触ったらダメだったの?」
「あぁ~それはですねえ、そこの当選者に触れてもらえば直ぐに分かりますよ~。まあ全っ然イイモノじゃないと私は思いますけどね~」
その声に、まゆりとタクラマが俺をじいっと見つめるので、渋々と促されてテーブルの上のカードに触れた。
その途端、カードに書かれていた文字列がぐにゃぐにゃと動きだして、ほんの数秒で全く別の文字に成り代わり。
そこには――――――――――解いてはいけない事件の答えがあった。
【 決 闘 状 】
「ほらね」
「「 う わ ぁ 」」
おもむろに振り向いた、まゆりとタクラマが、何とも言えない顔を俺に向けた。
舟山はスクッと立ち上がって俺の横に立つと、ポンポンと肩を叩いてきた。
観念しろ、諦めろとでも言うように。
「は、はは…………冗談だろ」
自分でも分かるくらい頬の筋肉が引きつっている。
だって俺は第二の魔法を習得するために東烽に進学したんだぞ……。
それがどうしてバトル・オブ・アマゾネスに変わってしまったんだ……。
「やっぱり俺、呪われてるんじゃないだろうな……」
部室に吹き込んで来る風が、何故だかとっても冷たかった。