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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
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第二章62 忘れ物の白夜

 レナンに起こされた燎祐は、いまの出来事がまるで理解できなかった。

 自分の口からメイの声がしたかと思えば、今度はレナンが乱入してきたのだ。

 それも、戦えるとは思えないほどボロボロの姿でだ。


「レナン、お前どうして?!」


「水槽の中で漂っていたら、ハノンが急に『指輪が何回も使われている』って慌てだしてね。いまは一時帰宅みたいなものだよ。ご覧の通り完治はしていないから(ジン)も魔法も使えない。今日は完全に生身だよ」


「この状況で平然ということか、それ……。ていうかハノンって……?」


「まゆりんに激似のあの子さ。名付け親は私だ」


 レナンは親馬鹿よろしく、いい名だろう、と言いながらうんうんと頷いた。

 燎祐は「アッハイ」といった態度で流した。


「ハノンは人間の内的な意識と直接会話ができる力があるみたいでね、私が水槽の中でぐるぐる回っている間にたくさん話をしてくれたよ」


「そういや随分とレナンに懐いてたっけ……。しかしそうか、指輪を通じてハノンはこっちの状況を掴んでたんだな」


「心配性なんだあの子は。それで私がダーリンの救援に行くって言ったら、もの凄い剣幕で反対したからね。逆に可愛かったけれど」


「確かにハノンは可愛いが、それを押し切ってくるってどうなの」


「押し切ったわけじゃないさ。ちゃんと外出の許可を貰ったんだ。条件付きでね」


 そう言ってレナンは、包帯の上から右手の薬指に収まっているすみれ色の指輪を燎祐に見せた。それはハノンの魔力色で間違いなかった。

 一方でレナンは、燎祐の右手にも指輪が嵌めてあるのを見つけて、相好を緩めた。


「なんだかダーリンとペアリングをしているみたいで照れるな」


「外出許可証で照れんな?! ……んで、その指輪がなんで外出のための条件になるんだ?」


「私の身体に残留する瘴気(ミアズマ)の影響を指輪の魔力で抑えているんだ。制限時間つきだけれどね。あぁ、そうだダーリン」


「うん?」


「その外套。ヨーコが来たんだね」


「知ってるのかお前?」


「いいや。だが、やはり来てくれていたんだな。まゆりんが言っていた通りだ」


「どうやって呼び出したんだ。ヨーコは連絡つかなかったて言ってたぞ」


「まゆりん曰わく、連絡を絶つと一週間くらいで勝手に家に来るのだそうだ。国魔連の件とこれが重なるのを見越して、あえてそうしたんだろうね。ぽやんとしていそうなのに、なかなか気が回る」


「…………」


 その言葉を聞いた燎祐は、ヨーコがある日突然やって来ては「まゆりん出せやー!」と叫ぶ理由をやっと知った。


 余談だが、久瀬まゆりは自身の魔力特性の影響で電化製品を上手く扱うことができず、電話の応答やメールの返信が異様なほど遅い、早くても数日、長文のメールなんかは一ヶ月くらいかかる。


 なので今回のことは、あえて連絡を絶ったのではなく、実は連絡はしようと頑張ってみたが上手く出来なかったので諦めた、というのが正解だなと燎祐は理解したが、それをレナンに告げるのは無粋と感じて口をつぐむことにした。


――まゆりはあれで結構大雑把なところあるからなぁ……


 それにしたって大雑把すぎだった。

 一見計算してそうでいて、その実、足し算すらしていない。

 ただ式を見つけてきただけである。

 けれど、その式が勝手に計算されて答えが出てしまうのは、運を味方に付けているとしか喩えようがなかった。


「悪運が強いな俺も」




****




 燎祐とレナンが再会を果たしていた時、上位個体の相羽たちは千切れた下半身をグネグネと蠢かせながら、駆けつけたレナン姿に歓喜した。


「「ククク……クククク……! なかなか姿を見せぬと思ったが、イルルミめ封鎖区画のことで深手を負っていたか! 出て来られぬはずよ!」」


「「立ち会う前から絞りカスも同然ではないか! いまのイルルミからは魔力や(ジン)を少しも感じぬぞ!」」


 二体ずつが綺麗にハモったが、別に声が綺麗なわけではない。タイミングが綺麗なだけで、声だけで言えばむしろ汚い部類である。

 上下に泣き別れたままの上位個体たちは、この好機を逃すまいと二本の腕だけで起き上がると、器用にも腕を脚のように使って突っ込んできた。

 切断面から内蔵や黒血が零れ落ちるのもお構いなしでだ。それに続いて下半身まで走ってきた。なかなか最低の絵面だ。これには妖怪テケテケもビックリである。


「「「「イルルミィィィィィ!!!」」」」


 千載一遇の好機に狂喜した上位個体たちが、腹の底から猿叫(えんきょう)染みた叫びをあげて、全身包帯のレナンに襲いかかった。燎祐などまるで眼中にない。


 久しぶりの燎祐との時間を邪魔されたレナンは、深い呼吸と共に影の差した冷たい表情で振り向くと、手にしていた杖を一瞬のうちにゴルフクラブのように構えて、肉薄する相羽たちにもの凄い勢いで打ち込んでいった。


 襲いかかった相羽は即時、圧倒的な暴力を眉間と股間にピンポイントに叩き込まれて、白目をひん剝きながらハイスピードでぶっ飛ばされて、壁にめり込んでいた。見ていた燎祐は思わず自分の大事なところを押さえて青くなった。


「ふふん。誰のことを絞りカスと言ったんだ相羽、私は健在だぞ」


 鋭い視線を向け、凜と言い放つレナン。

 冴え渡る技のキレと相変わらずの態度に燎祐も一瞬丸め込まれそうになったが、レナンの腕の包帯にはさっきにも増して血が滲み出していた。よく見れば指先が微かに震えている。


「レナンお前!」


「私は平気だ!」


「!」


 レナンは振り返らない。

 シンとした空気が二人の間に流れる。

 そうしているうちに、今度は脚の方に赤い色が広がりはじめた。

 タイムリミットが迫っているのか、或いは既に時間切れなのか。


「私は戦える」


「……ああ、分かった」


 燎祐は折れるしかなかった。

 レナンは強靱な精神力と気迫で騙くらかしている。

 燎祐はレナンの傍に立ち、微かに震えている細い肩に、ゆるく手を載せた。


「さあ、こいつら片付けてハンバーガー食いに行こうぜレナン!」


「最高の提案だ! 俄然やる気が沸く!」


 凜とした響きが廊下の空気を打った。


「ククク……私を倒すだと? そのなりで、その有様で! 貴様からそんな寝言が聞けるとはなぁイルルミィ!」


 そう発したのは、不自然な格好で床に倒れてた五体満足の相羽だった。

 そいつは、数瞬前までそこにはいなかった。

 そいつは、バラバラになった四つの個体が合体してできあがった相羽であった。

 そいつは、おもむろに立ち上がり、二人の前に立ちはだかった。

 そして、二人に襲いかかった。


「ダーリン私が押さえる!」


 前に出たレナンが、迫り来る相羽の猛攻を杖で受ける。

 レナンの四肢からブシュっと血が噴き出す。

 その攻防の間隙を縫い、相羽の背後を取った燎祐が拳の連打を食らわせる。

 手応えはあった。しかし顔を苦悶に歪めているのは相羽ではなく燎祐だった。


「ぐっ……う、腕が……!」


 両腕の筋肉繊維がブチブチと千切れていく音が耳に聞こえる。生身で【赫天吼】(カクテンコウ)を使った反動だった。


「邪魔をするなぁあああ貴様ぁぁあ!」


 攻撃に気付いた相羽が、邪魔者を振り払うように右腕をブゥンと振るった。

 燎祐が瞬時にかがむと、レナンの初太刀に勝るとも劣らない風圧が頭上を走り抜けた。

 不可視の斬撃魔法が、攻撃モーションの最中に放たれていたのである。

 四体の力が結集したその出力は尋常ではなかった。

 けれど大振りだ。

 その隙を突いて、レナンが杖を槍の如く振るう。


「どこを見ている! お前の相手は私だぞ相羽っ!」


 相羽の顔面が右に左に吹っ飛び、最後には烈しく打ち上がった。

 レナンのそれは、場における長物の不利を感じさせない槍術だった。

 対して相羽の攻撃は、軍隊格闘的な筋が一本通っているものの、レナンと比べれば、焼き刃の感が否めない。

 格闘戦の優位はレナンに軍配が上がりっぱなしだ。

 だが、この優位は時限制。攻防を繰り広げるレナンの包帯はもう、白い部分が殆どなく、衣服の上にまで血が染み出しはじめている。


 その傍ら、攻防の間から弾き出されてしまった燎祐は、呼気を整え、攻撃に加わるタイミングをはかった。

 

「ここだ!」


 限界まで腕に力を撓めた燎祐が、全速力で突っ込む。

 相羽の注意が完全にレナンに向かっているいま、燎祐の突撃は不可避の矛となる!


「いくぞぉおおおおお!!!」


 ズッツドォオオオオオンッッ!!!

 

 大砲のような音を響かせ、燎祐の拳が相羽の背骨に突き刺さった。


「が、あああぁああああっ!」


 舌と大量の唾液を口外に吐き出し、烈しく顔を歪める相羽。

 いったいどれほどの破壊力があったのか、背中を打たれたにも関わらず、相羽の腹の上に燎祐の拳の形が浮き上がっていた。


 燎祐が距離を取る。

 その顔は、相羽の表情よりも苦痛に歪んでいた。

 直後、ブチンと、何かが切れる音がした。

 燎祐の右腕が、だらんと下がった。

 レナンが血相を変えて叫ぶ。


「ダーリン!」


「俺は平気だっ!」


 酷く汗を浮かべ、鬼のような形相でこたえる燎祐。

 平気なことなど少しもない。

 それはレナンも同じだった。タイムリミットなど待たずとも、肉体はとうに限界だった。


 それでも、まだ戦えると自分にいいきかせ、己を奮い立たせる。

 常人だったらば、もうとっくに意識を喪失して、生死の淵を彷徨っているだろう。


 それなのに、まだ二人が立っていられるのは、戦っていられるのは、精神が、肉体の限界を突破してしまったからだった。

 

 普通、人間は先に精神的な限界が来る。

 生存本能が、痛い、苦しい、辛いものから逃れるように、ソフトウェア的な限界を定めている。

 理性でこれを抑えた先に、肉体的限界が来る。

 肉体的限界は、どうしたってこれ以上は活動できないハードウェア的な限界であり、これを通り越すことは動物である以上はできない決まりだ。


 けれど、時として、強靱な精神が、魂が、肉体の限界を凌駕することがある。限界以上の力を発揮することがある。

 いまの燎祐とレナンのように。


 二人は自分の命のことを忘れている。

 自分の「死」対する恐怖も思考もない。

 ただ全神経を針の如く尖鋭化させ、ただ己が為すべき事だけに全身全霊を注ぐ。

 全力それのみ。一瞬の無駄も、一点の淀みもない。


「畳みかけるぞレナン!」


「言おうと思っていたところさ!」


 弾かれたように二つの影が踊り、廊下の中央で相羽を挟んだ。

 直後、燎祐の左拳が相羽の右側頭部を打ち抜き、レナンの杖が相羽の左脇腹をこれでもかと抉る。

 相羽の身体が思い切りひしゃげる。だが、そんな状態からでも相羽は唸り声を上げて獰猛に打ち返してくる。


「死ねい童どもおおおお!!」


 相羽の体表から不可視の斬撃が放たれる。

 二人は瞬時に身を躱し距離を取った。

 二人の後方で不可視の斬撃が廊下の壁面に炸裂。壁が吹き飛んで埃が舞う。

 相羽の鋭い眼光が、レナンを追いかける。


「そこかああイルルミィイイ!!」


 豪腕をブンと振り回す相羽。

 レナンは宙で身を翻し、壁面を足場に相羽に向かって跳躍した。

 燎祐は着地と同時に床を蹴って追随する。


「「はああああああ!!」」


 燎祐とレナンの声が、意識が重なる。

 二人の攻撃の回転が輪を掛けて上がる。

 凶悪な豪腕を紙一重で避け、燎祐の左拳が脚が、レナンの杖が、相羽の体の上で乱舞する。

 蜂の巣を突いたってこんなに酷い滅多打ちにはならない。


「……ごふ……が……ァッ!」


 呻吟さえまもとに漏らすことができないでいる相羽の顔面に、燎祐の蹴撃が飛び、呼応するようにレナンの杖が反対から振り抜いた。

 刹那、丸太のようにぶっとい首が捩じ切れ、相羽の形相が廊下に舞い上がった。

 圧縮された一瞬の中、いまだ宙を流れる燎祐は、左手一本で強引に外套を脱ぎ、そして――


「レナン受け取れ!」


「!」


 振り向いたレナンに投げて寄越す。

 レナンはそれを神がかり的な身のこなしで、瞬間で袖を通した。

 杖はその間に燎祐に投げられていた。

 直後、レナンの気迫が一瞬で最大に達する。


「――――来いっ、サンゲイッ!!」


 凜とした声が霊装の名を叫んだ。

 その途端、レナンの周囲に紅い光条が展開し、その身をヴェールのように(くる)んだ。

 光条は意志を持ったようにレナンの腕へと絡まり、籠手の形を浮かび上がらせた。

 そして光の粒子が弾け、光のヴェールが収束すると、レナンの腕には霊装サンゲイが装着されていた。

 すべては虚空を泳いでいる間の出来事である。


「最大火力でいくっっ!!」


 レナンがスゥと息を吸い込むと同時、廊下に熱波が走り、大気中の熱が急激に上昇した。

 外套の(ジン)を得て纏火(テンカ)したのだ。

 迸る爆熱で霊装が白熱して、プラズマがその周囲を取り巻いている。

 その熱量は燎祐の纏火(テンカ)など比較にもならなかった。


「やれ! レナン!」


 燎祐が声を上げたとき、拳を構えたレナンの影が相羽の上に踊った。

 宙を流れる相羽の頭部と目があった。

 驚愕に歪んだ顔をしていた。

 レナンは、その顔面めがけて、渾身の一撃を見舞った。


炎撃拳(えんげきけん)――――迸発雷火(ほうはつらいか)ッッ!!」


「ぐ――――――ァッ!」


 白熱するレナンの拳が、吸い込まれるように相羽の顔面に沈む!

 拳の勢いはなおも止まらず、その真下で棒立ちでいる相羽のボディーに落雷の如く突き刺さった。

 途端、高音の熱風が吹き荒れ、廊下の上に赤々とした爆熱の海ができあがる。

 その中心には一瞬で黒焦げになった相羽の胴体と、ゆるりと立ち上がるレナンの姿があった。

 一拍遅れて、粉々に砕かれた頭部の眼窩を飛び出した相羽の目玉が、爆熱の海に転がり落ちてきた。

 即座に、ジュッと音を立てて蒸発した。


 【威光(イコウ)】をも凌駕する、とてつもない一撃だった。

 圧倒的すぎる結末に、燎祐は暫し言葉を失っていた。


 しているうちに、炎の海を渡って、よろよろとレナンが戻ってきた。

 (ジン)の熱波にあてられてか、全身の包帯がところどころ焼け落ちていて、赤黒い肌がのぞけていた。

 レナンは燎祐から杖を貰うと、しがみつくようにして両肩で息をついた。


「ようやく決着、だな」


「そう願いたいところだったけれどね……。残念ながら、まだだ……」


「は?! だって、完全に消し炭なってんぞ!?」


「活動停止に追い込んだだけだ。あれでは直に生き返る」 


「嘘だろ!?」


「本当だよ。見てごらん。焼かれながらだが、もう再生が始まっている。悔しいが、……今の私では、火力が足りなかった……」


 レナンの言うとおり、炎の海の中で、ナメクジ大の真っ黒いものがウネウネとしていた。

 それらは炎の中で呼吸をするように蒸発と再生を繰り返している。

 もし蒸発と再生の均衡が崩れれば、いまの二人にはどうする力も残っていない。

 無論、甦った相羽を倒す力など……。


 再生する相羽を横目に見ていたレナンが、静かに燎祐に視線を合わせた。


「私は八和六合(シオノクニ)の御庭番だ。ヤツを野放しにはできない」


「分かってる」


「だから、ダーリンは逃げてくれ」


「…………。分かった」


「ふふ、その答えを聞きたかったのに、言われてみると寂しいものだね。でも、聞き分けが良くて助かる。ダーリンのことだからてっきりダダをこね――って、な、なにを!?」


「お前を担いで逃げるんだよ?」


「なっ! だから私は!」


「お前一人が残ったところで状況はなんにも変わらねえよ! いいからとっとと逃げんぞ!」


 そう言って燎祐は、強引に左肩に担ぎ上げたレナンを大人しくさせて、炎の海に背を向けあらん限りの力で走った。

 だが限界を超えて酷使された肉体は、期待には応えてくれなかった。まったく速度が出ない。小走り程度の速さだ。こんなのでは復活した相羽に直ぐに追いつかれる。そうなれば共倒れだ。


「ダーリン!? 私なら大丈夫だから降ろしてくれ!」


「ばーか。全身血塗れでなにいってんだ、お前。つーか、とっくに時間切れなんだろ。隠したってモロバレだっつーの。それのどこが大丈夫だってんだ」


「ダーリン…………」


「まあ俺も電池切れなんだけどな、ハハ。そんでもまだ気合いがありゃ動けんのさ。なんせ俺は相当しぶといからよっ」


 その強がりも、虚勢も、いったいあとどれくらい保つだろうか。今の燎祐のペースは、歩くよりも少し早いくらい。肉体はもう精神力だけでは抗えない限界に達っする寸前だ。


 しかし、それよりも先に近づいてこようとするものがあった。相羽である。


 燎祐たちが廊下の端までなんとかやってきたとき、背筋にゾッと悪寒が走った。

 静まっりかかった炎の海から、真っ黒いヒトガタが、おもむろに立ち上がったのだ。


「……シュ……ゥ……コヒュー……」


 修復の終わっていない呼吸器が、夜気の中に奇妙な音を奏でる。

 垂れ下がった首が、ゆっくりと(もた)げる。

 真正面を向いた相羽の顔は、剥き出しの頭蓋骨に真っ黒な肉が張り付いているだけで、およそ人間と呼べるものではなかった。

 目玉に至っては眼窩に収まっておらず、額の中心と喉の辺りにくっついており、それぞれがギョロギョロと動き回っては、宙に不気味な光跡を刻んでいる。


「……ァ、ァ……コヒュー……シュー……」


 その時、デタラメな位置に生えた剥き出しの目玉が動きを止めた。

 ぐんっと瞳孔が開いた。

 標的を見つけたのだ。


「……コヒュ……ゥ……コヒュー……」


 ゆるやかな呼吸を繰り返しながら、相羽だったものが炎の海を出る。

 その足取りは、決して早いものではなかった。ともすると、老人よりも遅い。

 よく見ると相羽の脚は、顔面の出来と同じくデタラメだ。筋肉も腱も骨も脚としての構造を為していない。

 ただ滅茶苦茶になにかがくっついているだけ。

 遠巻きに見ればヒトに見えるだけ。

 それだけのなにかに相羽は成り果てていた。

 恐らく、洗礼者ですらないのだろう。


「……ゥ……ァ……ヒュー……」


 相羽だったものは、構造がおかしな右腕をのろのろとした動きで突き出した。


「気をつけてダーリン! 相羽がなにかを仕掛けてくる!」


「な! もう起き上がったのかよ!」


 驚嘆も束の間、燎祐は自分を照準する鋭い殺意を肌に感じて、咄嗟に脇の教室に飛び込んだ。

 タッチの差で、黒い光を放つ巨大な斬撃が廊下を切り裂いた。

 威力は【破滅】(ルイナ・ペルド)を所持していた時と遜色ない。


「あっぶねえ!!」


 と言っている間に、二発、三発と、同じ攻撃が連続して打ち込まれた。

 そして一拍おいてまた三発。今度はつづけて四発。が、攻撃の方向がどんどんとズレていっている。仕舞いには明後日の方向どころか、滅茶苦茶に暴れ出した。


「発狂モードってやつか?! あんな魔法ぶっ放されつづけられちゃ逃げる隙もないぜ……! いまは魔力が切れんの待つしかねえか」


「いや……違う、これは魔法じゃない」


「え?!」


「知っているはずだよ、この重苦しい不快感。まだ分からないかい」


「あっ!」


「そう瘴気(ミアズマ)だよ……! 瘴気(ミアズマ)は強い負の感情が募ればいくらでも生み出せる! 特に相羽のようなやつならね! どんな原理かしらないが、それを攻撃に転用しているんだ!」


「自家発電どころか永久機関ってわけかい……! 打つ手なんかないじゃないか……!」


「だが何もしなければ、この街全体が封鎖区画になってしまう!」


「くそ! どうすりゃいいんだ!」


 苦悶に顔を歪め、歯を食いしばる燎祐。

 レナンも己の無力さを噛みしめていた。

 二人の心情など他所に、相羽だったものは所構わず瘴気(ミアズマ)の波動を打ち込む。

 その衝撃で、廊下や教室の天井から、埃や破片がパラパラとこぼれた。

 外れた蛍光灯ラックがぶらんと垂れ下がり、落下した蛍光灯が破裂音を鳴らして飛び散った。

 まるで世界の終末に居合わせたように、二人の頭上に影が落ちる。

 と、その時であった。


《――おい》


 ふんわりした可愛らしい声がした。


《――おいレナン! なんでかえってこない! じかん、すぎてるぞ!》


 その声は、ふんわりなりに怒っていた。といっても心配の色がもの凄く濃くて、半泣き感まであった。

 耳にした二人は、状況も忘れて素っ頓狂な声を上げた。


「「ハノン!?」」


《ん。そうだぞ。なんだリョースケもいるのか。いっせきにちょーだな。はやくレナンつれてこい。もうじかんすぎてる》


 まだちょっと涙声だった。


「そうしたいのは山々なんだけどさ……ちょっといまは何とも出来ないというか」


《んんーっ!! うるさいぞリョースケ! はやくしろ! レナンしぬぞ!》


「ハノン、そうでなくても私は死にそうなんだ。すこし状況が悪すぎてね」


《レナンあんしんできないのか! なんでだ! そんなのだめだぞ! かえってこい! 私がなおしてやる!》


「悪いやつの強さが私の想像の上をいっていたんだ。正直言って勝てそうにない」


 その言葉は、殆ど別れの挨拶だった。

 聞かされたハノンは黙った。

 レナンは、これでいいんだ、とでも言うように小さく頷いた。

 立ち向かえば死ぬ。それでも行かねばならない。

 死んでも相羽の進行を食い止めなければならない。

 覚悟は既にある。

 ただ最後の一押が欲しかった。

 その勇気が。

 レナンの額が、燎祐の胸にコツンとぶつかる。

 燎祐は、そっとレナンの肩を抱いた。

 静寂が、二人の間に落ちていく。

 レナンの顔の左を覆っていた包帯がはらりと宙を滑った。

 肌は赤黒く、痛々しく見えるが、それでも見惚れるほどの綺麗な顔をしていた。

 燎祐が優しく肩を撫でると、澄んだ蒼い瞳がゆるやかに笑った。

 レナンは、こんな最後なら悪くない、と想った。


《ん? 勝てるぞ。へんなこといってないで、はやくかえってこい》

 

「「えっ」」


《リョースケのトゲトゲつくったやつ、そこにすごいの残していっただろ。レナンのツルツルで私にはわかるんだぞ》


「えっと……。すごいの……って、なに?」


《ん。すごいのは、すごいのだぞ》


 燎祐とレナンは、わからん……、という文字が頭の上に降ってくる思いだった。


「ダーリン、トゲトゲってなんだい……」


「この指輪のことだな。もともと茨みたいにトゲトゲしていたのを、ハノンがいまの綺麗な形に成形してくれたんだ」


「じゃあそれはハノンが作ったものではないんだね」


「ああ、まゆりが用意してくれていたんだ、出発の前に」


《リョースケいまなんかいったか?》


「じゃあ、まゆりんが何かを……?」


《レナンいまなんかいったか?》


 燎祐とレナンは、ハノンの問いかけを無視して逡巡した。

 だが、ヒントになるものがなさ過ぎて、考えるの一苦労であった。

 そんな二人の思考を割ったのはハノンの声だった。


《おい。わるいやつ、きてるぞ》


「「!」」


 燎祐とレナンが教室から顔を出すと、真っ黒なヒトガタが、直ぐそこまできていた。

 瘴気(ミアズマ)と同化した気配と、鳴り止まぬ攻撃の音が、二人に接近を気づかせなかった。

 燎祐はレナンを担ぎ上げ、いま発揮出来る全力でもって教室を飛び出し、階段を目指す。

 上に行くか下に行くかは決めていない。ただ逃げることだけにこの瞬間を尽くすのみである。


「……シュ……コ……ヒュ……」


 ギョロギョロと動き回る剥き出しの目玉が燎祐の脚を照準した。

 相羽だった黒いヒトガタは、構造がおかしい腕をギチギチ鳴らしながら標的を定め、瘴気(ミアズマ)の波動を放った。

 燎祐はすんでのところで飛んで躱すも、着地した瞬間、ガクンと膝が折れ、状態が前のめりに崩れた。


「んぎぎぎぎぎ!!!」


 燎祐の目はもう、半分白目を剥いている。

 だが崖っぷちの精神力で耐える。耐えて持ち直す。そしてまた駆け出す。


――まゆりは、なにを残していったんだ。考えろ、考えろ!


 燎祐はゼエゼエと息を切らせながら、とにかく走った。そして考えた。

 叫ぶレナンの声も、ハノンの囁きも、もはや燎祐の耳には届いていない。


「……コヒュ……ゥ……ア、ァ、タ……チ……ヒ……タ、チ……イ……ルル、ミ……コ、ロス……コ……ス」


 ヒトガタの呼吸が声の体を成しはじめていた。

 ザラついた耳障りな音に呼ばれたレナンは、心底嫌そうな顔を向けた。

 

「よくもこんなのが教師になれたものだ。教員どろこか人間の風上にだって置いておけるものか……!」


 頭にプチっときていたのか、レナンは知らず知らずのうちに半ギレで吼えていた。

 それがあまりに大きい声で、しかも耳許でがなっていたので、塞ぎ込んでいた燎祐の意識のうちがわにもバッチリ割り込んできていた。


――レナンのやつ急にどうしたんだ?! 相羽が教師として終わってるなんて今に始まったことじゃないだろ?


 と頭の中で考えていたら、突然、ふんわりとした少女の幻影が燎祐の前に現れた。

 その女の子は、なんだか不思議そうに顔を傾けて、ふわりと不穏なことを呟いた。


『そんなに酷い先生だったら、クーデターを起こして退陣してもらったらいいと思うんですけど』


「――――!!!」


 燎祐は、ハッとして後ろを向く。

 黒いヒトガタと目が合った。

 骨と肉だけの顔面の内に、憤怒を露わにした相羽の影が垣間見えた。

 不規則に蠢く口許が「殺してやる」と繰り返しているように見えた。

 剥き出しの目玉がこちらを睥睨しているように見えた。

 黒いヒトガタは、紛れもなく相羽だ。

 相羽であったなにかだ。

 自我はとうに喪失してしまっているが、相羽であった過去(本能)はまだ途切れていない!


「ハノン! 俺の指輪に魔力はまだ残っているか!?」


《リョースケのツルツルのトゲトゲか? 『すごいの』はうごかせるけど、ちからはもうからっぽだぞ》


「どうにかして魔力を調達したかったが、仕方ねえ……!」


《んー? もしかしてリョースケ、ちからほしいのか?》


「できるのかハノン?」


《ほしいならはやくいえ! 私のちから、レナンのツルツルでおくってやる! 私はすごいからなっ!》


「だったら、ありったけを頼む!」


《んふふん! いいぞ! これであんしんだな!》


 ふんわりとしたハノンの声が耳朶を打って間もなく、レナンの指輪がすみれ色の輝きに包まれた。

 ピリっとしたものが燎祐の頬を打った。

 それは雷の魔力特性が有する放電現象――

 レナンの指輪に流れ込むハノンの強大な魔力が、大気の魔力絶縁限界(DMS)を超えて作用しているのだ。


《……う、ちからつかいすぎた…………、だめだ、ねる……。んぅー、すぴぃー……》


「「寝るのはやっ!?」」


 他の追随を許さない圧倒的な入眠力だった。


「うっし! 最後の【悪食】(メシ)貔貅(ヒキュウ)! たんまり喰らっとけ!」


「ダーリンなにをするつもりだい!?」


「相羽をぶっ倒す!」


「無理だ! いくら魔力を喰らったところで倒せる相手じゃない!」


「そいつは分かってる! けど、いまはとにかく俺を信じてくれ! 最後はお前が頼みなんだレナン!」


「まさかダーリン、ハノンが言っていたことの意味が分かったのかい!?」


「そのまさかさ! 俺が合図したらアイツに向かって全力で杖をブン投げろ! それで相羽を校舎に縫い付けるんだ! 貫通はさせるなよ!」


「まったく、ダーリンは無茶を言ってくれる!」


 担がれた体勢の人間に一体なにをさそうというか。

 本当なら文句の一つも付けたい場面であるが、レナンは、澄んだ蒼い瞳の真ん中に標的を映し、むしろ不敵に笑ってみせた。


「いくぞレナン」


 発したその場で燎祐は急反転し、喰らった魔力を推進力にして黒いヒトガタに向かって走った。

 なまじ運動能力が常人離れしている燎祐は、これまで霊装の魔力を身体能力の増幅に使ってこなかった。

 その必要がなかったからだ。

 いや、本当を言えば、その力に手を付けることに抵抗があった。

 自分本来のものではない力に慣れたくなかった。


 けれどいま、肉体は稼働できる限界を既に超え、精神だけで支えている状態で――

 そんな中で、ここぞという場面で、最高のパフォーマンスを発揮するには、もう四の五の言ってはいられない。


 捨てることで助かるプライドなら窓の外にブン投げろ!

 曲げることで救われる矜持なら便器の中に放り込め!

 自分を縛る下らないルールなど綺麗さっぱり忘れてしまえ!

 いまは何をしてでも生き残るときだ!

 理想と幻想に(すが)って死ぬときじゃない!


「ヒ……タ、チ…………イ、ル……ルミ……、コヒュー……」


 急接近する燎祐に向かって、黒いヒトガタが連続して瘴気(ミアズマ)の波動を飛ばす。

 燎祐は床を蹴り、壁を飛び、天井を足場に、電光石火の動きですべてを躱す。

 その最中、垂れ下がる燎祐の右手にすみれ色の光が走り、貔貅(ヒキュウ)の表面に雷光が激しく絡んだ。

 燎祐は既に【威光(イコウ)】の体勢に入っている。

 

「三つ数えろレナン!」


 回避行動を最小限に抑えるためとはいえ、苛烈な攻撃にほとんど真正面から突っ込んでいくのに、燎祐の速力は一分も緩まない。

 それどころか、この土壇場で鋭さを増していく。

 ヒトガタの攻撃はひとつも掠らない。


「コヒュ……コヒュー……」


「ひとつ――ふたつ」


 暴風のような攻撃を突破し、ヒトガタの目の前に躍り出る燎祐の姿が、次の一歩で大きく沈んだ。

 ヒトガタの目がそれを追い、高く持ち上げた両腕を思い切り振り下ろした。

 だが燎祐の方がひとつ早い。

 攻撃が届くよりも先に跳躍していた燎祐の身が、ざんっ、とヒトガタの頭上に踊っていた。

 ヒトガタの額に生えた目が、その姿を即座に追った。そして見た。

 担がれた肩の上で、投げやりの如く杖を引き絞ったレナンの姿を。

 レナンのカウントが廊下に響いたのは、その直後のこと。


「みっつ!!」


 レナンの手を離れた杖が一条の閃光となってヒトガタの頭上に落ちる。

 投擲された杖は、一瞬のうちに脳天から尻へ突き抜けて、ヒトガタを廊下の上に串刺しにした。


「最高の仕事だレナン!」


「それは光栄至極!」


「ェ”……ェ”……」


 ヒトガタは声とはほど遠い音を絞り出し、燎祐とレナンが消えた虚空に向かってバタバタと手を伸ばした。

 だが、その手は届くことはなく、二人の姿は、大きく破損した窓枠の内側をスルリと潜り抜けて、校舎の中庭へと墜落していった。 


「振り落とされるなよレナン! しっかり俺に掴まってろ!」


 燎祐は、抱えていた左腕を下へ滑らせて、レナンを胸に抱き直した。

 レナンは、掻き抱くように燎祐の首に両手を回す。


「この手が千切れたって絶対に離すものか」


 夜の空気を切り裂いて、二人の身体が速度を上げて落ちていく。

 レナンはそっと目を閉じ、燎祐の首元にぎゅっとしがみつ。

 燎祐も目を閉じ、レナンを抱く手に力をこめた。


 その時、ふと燎祐の瞼の裏に、あの日の記憶が、一瞬だけ甦った。 

 それは決闘を終えて、初めて登校した日のことで、教室での一幕。



『とにかく怖い先生なんだってよ。恐怖政治しちゃうようなさ。みんな黙って下向いちゃってるのは、そのせいなんだと』


『そうなんだ。でも、そんなに酷い先生だったら、クーデターを起こして退陣してもらったらいいと思うんですけど』


 銀髪の少女は、不思議そうに顔を傾けて、ふわりと不穏なことを呟いた。

 で、何かを思い立ったらしく、絡めた腕を放さないようにして、ポンと手を叩いた。

 それから、宙を泳ぐ透明な魚でも見えているみたいに、ふいふいと教室の中に視線を走らせながら、それに合わせて左手の一指し指をタクトみたいに振った。


 燎祐とレナンは、それが何を意味しているのかが汲み取れず、一旦目を合わせて、尋ねるように少女に目を向けた。

 視線に気づいた少女は、燎祐の方を向いてにこりとした。


『ちょっと魔法を仕掛けてたの』


『へえ? どんな魔法なんだ?』



あ の 先 生 を 校 舎 ご と 吹 っ 飛 ば す 魔 法 で す け ど



 瞬間、燎祐はカッと眼を開いた。

 そして、あわや地表に激突という寸前――

 空に向かって叫んだ!


「吹き飛べ相羽っ!!! 校舎もろともっ!!」


 燎祐の右手でエメラルドの光がキランと瞬いた。

 刹那、待っていましたとばかりに、まゆりの置き土産が起動。

 A棟を構成する全てが一瞬で起爆し、この夜を明後日まで吹き飛ばさんばかりの大爆裂を引き起こした。


 爆発の閃光は、視界のあらゆるものが白に溶かしつくし、その暴威は天までも白く焦がしていた――。



****



 爆発が収まった後は酷いものだった。

 校舎のあった場所は更地と化し、周囲には瓦礫はおろか草の一本も残っていなかった。

 宣言通り、本当に吹っ飛ばしたのである。相羽を校舎ごと、跡形もなく。

 

「こりゃあ確かに、すごいとしか表現できないわ……」


「同感だ」


 燎祐とレナンは、周囲の惨状を眺め、呆れを通り越した酷い顔で深い溜め息を付いた。

 二人は、まゆりの置き土産が起動する瞬間に、【威光(イコウ)】で作ったクレーターの中に落ちることで爆発をやり過ごしたのだ。

 まゆりのことだから、容赦しないだろうと考えての行動だったが、そんな生っちょろい次元ではなかった。


「学校結界で死なないって想定でやったんだろうけど、流石にやり過ぎだな……」


「これ学校結界があっても普通に死ぬ威力だよ、ダーリン……」


「へ……?」


「いくら学校結界でも対象の完全消滅まで持って行かれたらどうしようもないよ。まあ、そうでなければ修復できるんだけれどね」


「…………嘘だろ。じゃあ、まゆりは本気で殺そうとしてたってのか……!?」


「私が思うに、これでも加減しているよ。今回は、いつもより力が入ってしまったんだろうね。そうでなければ、まゆりんの力が急成長したのかも」


「いやいや、そんな次元じゃないだろ」


「私たちにとってはね。けど、まゆりんにとってはどうかな」


「まゆりにとって……?」


「ダーリンだって調子がいいときは、図らずも普段以上の力が出せるだろう。まゆりんも同じさ。ただ、その振れ幅が私たちとじゃ桁が違うんだよ。私が仕えている雪白の魔女が、まさにそいう感じだ」


「考えたこと、なかったな……、そういうの」


「近くにいると案外気づけないものさ。自分のことを言葉にしない相手なら尚のことね」


 そう言ってレナンは、燎祐の胸に後ろ向きに倒れてきた。

 燎祐は慌ててレナンの肩を抱いて受け止める。


「お、おい!? 大丈夫かレナン?!」


「ちなみに私は自分のことは何でも口にするぞ」


 ふふん、と得意気に笑ってみせるレナンに、燎祐は「知ってるよ」と呆れた顔を向けるのだった。

 二人がハノンのねぐらに帰り着いたのは、それからもう少しだけ後のこと。

 つくづく爆心地に縁があるなあと、燎祐がA棟のあった場所に背を向けようとした時だった。

 二人の目の前に、スコッ!、と小気味よい音を立てて、縦長のモザイクが突き刺さった。燎祐が指輪の力でコピーした杖だった。

 どうやら爆風で天高く打ち上がって、いまようやく降ってきたところのようだ。


「あ、忘れてた。つーか思い出した」


「そういえばダーリンこれはなんだい?」


【火葬杖】(エクスーロ)って杖の模造品で【破滅】(ルイナ・ペルド)ってモンらしい。まっ、それの偽物なんだけどな」


「ほお。真朱(まそお)の魔女の半身と噂の。確か禁忌の塊と聞いたことがあったが、レプリカが存在していたんだな。しかし、どうしてそんなものが?」


「話すと長くなるが……、実はメイさんの所有物らしくて――」


 と言いかけたところで、レナンが燎祐の口に人差し指で戸を立てて、それ以上は非常に聞きたくありませんとでも言うように、真顔で左右に首を振った。

 燎祐は数瞬、目をしばたかせた。


 レナンはなおも、伝われ伝われ!、とばかりに尚も必死に首を振りつづける。

 燎祐はとうとう、ぷっと噴き出した。


「ダーリン! 笑うなんてひどいぞ! 私が必死に――」


「いいから飯食いに行こうぜ。レナンはなに食べたい?」


 燎祐がパチッとウインクする。

 むー!、っとしていたレナンの口許がゆるくほころんで、言葉を結んだ。


 答えは、聞くまでもなかった。

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