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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
108/111

第二章60 紅蓮の夜気①

 燎祐は頭の中に浮かぶイメージで、貔貅(ヒキュウ)の魔力総量を把握している。

 【威光(イコウ)】はあと三発使える。最大出力なら一発。

 ブチかますなら勿論最大火力。しかし、魔力を使い果たせばそこでおしまいだ。

 けれど、燎祐には一つの妙案があった。


「いくぜ相羽!!」


 相羽の目が、黒い淵のように燎祐を見ている。

 燎祐は握り込んだ拳を腰だめに構え、ぐっと身を低くする。吶喊の姿勢ではない。

 拳を直接叩き込むだけが【威光(イコウ)】の使い方ではないのだ。今の燎祐にはそれが分かっている。そしてこの姿勢は、遠距離から【威光(イコウ)】を当てるのに一番安定した姿勢だ。燎祐の強靱な足腰なら最大出力の反動にも十分耐えられる。


「スゥ……」


 燎祐は、この一呼吸で思考のスイッチを切り、ただの視線と化した。不抜である。

 貔貅(ヒキュウ)の表面に、紅蓮の雷光がバチバチと絡みだす。圧縮されたレナンの魔力特性がプラズマ化している。

 燎祐は依然として全力をぶつける意志を崩してはいない。

 相羽もその空気を読み取って、この一撃を防ぎきって燎祐の精神を折るつもりでいる。

 このとき燎祐は、相羽の顔に、はじめて生の感情らしいモノが、一瞬、凝るのを見た。

 一方、完全に蚊帳の外の舟山は、二人の声だけを頼りに現状を推理していた。

 なお、キモバードは戦闘で落とされまいと、燎祐から一定距離を保って自律航行中である。

 燎祐もその位置を把握していた。そして、キモバードが背の向こうを通過する直前に、燎祐が動いた。


「全装填!!――絶招【白玲煌】(ハクレイコウ)!!」


 一際強い紅蓮の雷光が瞬いた瞬間、限界まで増幅された魔力が、光の大瀑布となって貔貅(ヒキュウ)から解き放たれた。

 暴力的なまでに激しい光が屋上を突き抜け、一瞬にして屋上から影というものが消えた。

 暴れ狂う光の奔流は相羽を呑み込み、たちまち、その背後にあった屋上の一角が光に溶け入るように消し飛んだ。

 だが、その手前側、相羽の立っている場所は、威光に晒されてなお何ともない。後ずさってもいない。


「クククク、この程度が霊装の全力か!! 他愛ない!!」


 全てをなぎ払う光の中で、相羽は無傷だった。

 【破滅】の作り出した障壁が【威光(イコウ)】を防いでいるのである。

 相羽の高笑いが響く。

 そんな中、だんだんと【威光(イコウ)】の光が弱まっていく。

 既に魔力の限界が差し迫っているのだ。この光が絶えるまで、あと数秒とかからない。

 だが相羽は、いまだ無傷。しかも障壁にはヒビどころかキズ一つ入っていない。完璧に無効化されている。


「お遊びはここまでだ小僧!! 観念するがいい!!」


 相羽が全身から闇の波動を発し、弱まっていく光の波を吹き飛ばした。

 辺りはもとの通り夜の闇に落ちた。だが、景色までははもとの通りではなかった。

 背の方もそうであるが、特に真正面がそうであった。

 そこにいたはずの燎祐の姿が消えていたのである。


「どこへ行った!! 小僧!!」


 どうせ隠れているのだろう、とでも言いたげな雰囲気を放つ相羽。

 しかし、忽然と、綺麗さっぱりにいなくなった燎祐からの反応はない。

 相羽は、狐につままれたように、右に左に顔を向ける。やはり燎祐の気配を感じない。

 頭上を見上げる。なにもない。

 天井が抉れて丸出しになった下階にも人影はない。

 紅い鳥も飛んでいない。

 全部幻だったかのように露と消えてしまった。

 相羽は「なるほど」と、この状況を自分なりに理解し、嘲笑まじりにあごをさすった。


「クククク、そうか。あやつめ大技を目くらましにして逃げたか。悪知恵の働くやつ――――」


 と、勝利を確信し完全に警戒を解いた刹那。

 怖気にもにた戦慄が背を走り抜けるのを相羽は感じた。

 閃光の如き殺気が、相羽の身体を貫いたのは、その直後のことである。


「――魔力装填。【赫天吼】(カクテンコウ)!!」


「なにぃっ!?」

 

 瞬間、燎祐の攻撃が相羽を襲った。

 刹那に叩き込まれる数百の拳!

 零距離でこれを捌く術はない!


「おおおおごおおうがああああはぁあああッ――――!!!」


 一瞬にして咲く苛烈な拳の驟雨に呑み込まれる相羽。

 まるでアスファルトを舗装するタンパマシンにかけられたように、躯の肉を、骨を、臓物を、超速の拳に撲ち潰されていく。

 そして、止めとばかりに放たれた最後の拳が、相羽の顔面をど真ん中を穿ち、そのまま後頭部から地面に叩き付ける。

 振り抜かれる燎祐の拳。

 屋上の床を抉り、沈んでいく相羽の頭部。

 宙を流れ落ちる相羽の手。

 暴力的な音と床の破片が空に打ち上がった時、相羽は、人の形こそギリギリの範囲尾で留めていたが、相羽という男のカタチはそこにはなかった。いうなれば、ボコボコのあまり誰とつかないヒトガタ。

 その変貌はたった一粒の刹那が過ったあとのこと。

 これが霊装の誇る奥義――【威光(イコウ)】が放つ力である。

 とはいえ、今の貔貅(ヒキュウ)は完全に燎祐用にナイズドされているので、まったく本来の出力には届いていないが。


「……が……あ……あ、ぁ……」 

 

 ボロ雑巾よりも酷い姿に様変わりした相羽。肺から絞り出される枯れ葉のような音は、嗚咽か、呼吸の音かも分からない。

 目の前が、視界が、ぐわんぐわんと回り出す。一瞬にして天地が裏返ったかのようであった。

 体内のあらゆるモノが口に向かって逆流したように、相羽の頬が、リスみたいに膨らんだ。

 直後、がふっ、と咳き込むのと同時、黒血をドバァッと、盛大に吐き出した。

 そのまま、自分の吐いた黒い血だまりに、膝から崩れ落ちた。

 

 指の力が抜け、相羽の手を離れた【破滅】が、カラカラと乾いた音を響かせて屋上の上を転がっていく。

 朦朧とする意識と視界の中、それでも相羽の目は【破滅】を追いつづけ、片腕を伸ばそうとする。

 伸ばそうとするのだが、どれだけ必死に心で唸ろうとも、金縛りにでもあったかのように指先一本動かない。ダメージが脳にまで達しているのである。


【破滅】(ルイナ・ペルド)は俺が責任を持って持ち主に返しておくぜ?」


 相羽の視界の中で、【破滅】がひとりでに浮き上がった。

 そして相羽から距離を置くように虚空を泳いだ。


「な……だ……、に……が…………た」


 無論、燎祐の仕業である。

 だが相羽には、その姿は見えていなかった。

 それどころか今の攻撃も認識できていなかった。


「な…………だ、…………ど、い……こ……だ」


「アンタから見えなくなる魔法を使ったんだ。魔力全開の目くらましの後にな」


「……っ」


「けど、魔力が尽きちゃあ手詰まりだ。だから残しておいたんだよ。詰めの一手につかう【威光(イコウ)】を、その魔力を回復する手段を。まあ舟山先生にゃあ後で折檻されるだろうけど」


 その言葉を聞いた瞬間、相羽は、紅い鳥が消えたことの合点がいった。こいつが霊装に喰わせたのだと。

 

「取り返したきゃあ直ぐに追いついてくるこった。この夜はもうそんなに長くはないぜ」


 燎祐は杖を手にくるりときびすを返すと、床に走る大きな裂け目の前に立った。

 眼下には、下階の廊下がのぞけている。

 その姿が、ふっと下へ滑った。飛び降りたのである。

 しかしその姿は、相羽には見えておらず、宙に浮かぶ【破滅】が、剥き出しになった下階へと落ちていったように映った。


「に……が……ああ……(逃がすものかぁあああああ……!!)」


 黒い血を吐き出し、わなわなと身を震わせる相羽の顔は、今までに見せたことがないほどの凶相に歪んでいた。



****



 下階に降り立った瞬間、天井の裂け目を伝って流れ込んできた殺気に、燎祐は振り返る。

 その気配の主は、天井の向こうに隠れ見て取れなかったが――

 その強烈な気配を読み取った燎祐の五感は、天井を透かしたように、確かに、そしてはっきりと、捉えていた。相羽の姿を。

 

「こいつは命がけの鬼ごっこになるな」



****



 膝立ちだった相羽の体が、ぐらっと後ろに傾いて、潰れた顔面が真っ直ぐに空を向いた。

 口端から伸びる血の跡が、凝った殺意が凝固したかのように禍々しい。


「こ……て…………る……コ……ヤ……(殺してやる!! 殺シテヤル!!!)」


 夜気の中、ボロクズのような体から、むせ返るほどの殺意が湧き上がる。憤怒と憎悪が脈打つたびに増大する。

 自分が壊れることさえ少しも厭わない押さえがたい破壊の衝動が、黒い電流となって皮膚の下を走った。

 活動限界を超えた躯の裡に、極めて純度の高い邪悪な感情が凝っていく。

 己を臨界を越えた感情の渦が瘴気(ミアズマ)となっているのだ。

 それが毛穴を通じて呼吸でもするように、瀕死の相羽に、黒い活力を注ぐ。

 そのすさまじいパワーが相羽の皮膚の上に、雷光のような亀裂をビシビシと刻む。

 その亀裂から、瘴気(ミアズマ)と融合した漆黒の魔力が吹き上がった。

 相羽の目がグリンと裏返って白目を剥いた。


 どっ、くん……どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どく……


 不正確な鼓動が、周囲に聞こえるほど強く、脈打った。

 その時、後傾していた相羽の上半身が、ビクンと跳ねた。

 バキンッ、と枯れ木が砕けるような音がして、相羽の上半身が人間の可動域の限界を超えて、後ろ向きに折れた。

 次の一瞬、相羽の腹が、人間大に膨らんだ。

 鼓動が次の脈を叩いたとき、それはさらに倍の大きさに膨らんだ。

 膨張し、縮み、さらに膨張し、縮み。最後の膨張のとき、相羽の身体は、女王アリさながらに巨大になっていた。

 体表面に走っている亀裂は、いつ内側から弾けてもおかしくないほど、みっちりと引き伸ばされている。

 重みに押し潰された上半身が、だんだんと地面と腹との間に埋没していく。


 メキメキメキ、ボキン


 と、骨の展性が限界を迎えた音がして、相羽の上背がさらに一段下に沈み、パンパンに膨らんだ腹が水風船のように揺れた。

 その振動は、卵巣のような腹に胎動を生んだ。

 そして、亀裂の太いところから、ざんっ、と人間の腕が突き出した。一カ所でだけではない、複数の箇所からだ。

 卵巣のごとき腹から生えた何本もの腕が、何かを掴もうと藻掻き蠢く。まるで人に取り憑いた不気味な巨大蜘蛛だ。

 その腹に収まっていた小蜘蛛たちが、いよいよ母胎を割て外に出でる。


 ミチミチ


 と、皮膚と肉を引き裂く音がする。その向こう側から、母胎の血と筋肉の繊維を絡めたもう一対の腕が生えてくる。

 そこからはあっという間に母胎の外に全身がまろび出て、七匹の小蜘蛛たちが、一斉に立ち上がった。

 肌は、生まれたばかりの赤ん坊のようにしわくちゃで、酷くふやけているが、その相貌は紛れもなく相羽であった。


「コ……セ……」


 母胎の相羽が最後の言葉を発した。

 生まれ落ちた相羽の一人が、その声の出所を、思い切り踏み潰した。

 母胎の顔面がブシャリと飛び散り、バケツごと墨をぶちまけたような、大きな血痕を作った。


「言われるまでもない」


 頚部から血を噴き出し、ピクピクと震える母胎に背を向け、新生した相羽は屋上の床を蹴って飛ぶ。その背に六つの影が付き従う。

 一拍後、七人の相羽が下階へ降り立った。

 そして、言葉もなく、それぞれが別々の場所へ散った。




**** 

 

 燎祐は、相羽から離れたことで、なんとか心に平静を呼び戻した。

 そして、再び不抜をキメた燎祐は、複数の相羽が追ってくるのを感知していた。


「同じ気配が七つ。俺の【威光(イコウ)】はあと二発。使いどころが問題だな」


 燎祐は【破滅】を手に、身を限界まで低くして校舎の中を走り回っていた。

 しかし、その脚は出口を目指してはおらず、何かを確かめるように視線をあちこちに走らせ、上階と下階を行き来していた。

 この勝負は、【破滅】を確保したまま、本当のタイムアップまで逃げ切れば勝ち、捕まれば負け、というシンプルなジャッジ。

 街へ出て隠れるのが得策である。

 だが燎祐がそれをしないのは、相羽が、稲木出以上に何をしでかすか分からないからだ。

 そうでなくとも、街は分裂した稲木出で軽いパニックを起こしているに違いなかった。

 よって、燎祐の選べる戦場は東烽高校に限られた。

 勝負をするならば、ここで決着をつけなければならない、と。


 一番手っ取り早いのは相羽を撃破することだが、いまで七体。

 これがあと何体に増えるか判断できない以上、いきなり戦闘に持ち込むのは早計である。

 ゆえに、戦うにしても燎祐は待つ必要があった。全ての相羽が出揃うのを。

 判断はそのあと、と言いたいところだが、既に腹の中は決まっていた。


 『殲滅』一択である。


 燎祐は、まゆりを、レナンを、タクラマを、そして稲木出を苦しめた相羽を許す気はない。

 野望ごと木っ端微塵に粉砕してやらねば、収まるものも収まらない。

 だから逃がすつもりも、また逃げ出すつもりもない。

 何があろうと完膚なきまでにひねり潰す。今は、その機を窺っている。


「一体が下駄箱で張って、あとの六体が校内巡回中と。加えて、捜索範囲を狭めないよう、相互に距離を保ったまま移動している。全部同一人物だから成せる妙技ってヤツか。やんなるほどの連携プレーだぜ」


 燎祐は素直に相羽の行動を褒めた。

 とはいえ、相羽の索敵能力はそれほど高いわけではないらしく、未だ燎祐を見つけられていない。

 確かに、指輪の認識攪乱魔法で、相羽は燎祐を感知できないが、それでも【破滅】は見えるので、探すアテがまったく無いわけではないが、この手のことは不得手だったらしい。

 であれば、気の短い相羽のすることは知れている。

 燎祐は、このまま逃げ続けて、相羽が増えるのを待つことにした。


 それから十分ほどが経った。

 七つあった相羽の気配は、いまは九つになっていた。むろん全て相羽である。

 この追加の二体は、燎祐の感知する限り、A棟の外からやってきた。

 すなわち七体に分裂したものとは別の個体である。

 これに加えて、A棟の周辺に、同じような気配があるのを燎祐は薄らと掴んでいた。

 相羽は燎祐が外にでてくるのを待っている。

 よって、このまま逃げ続けていれば、そのうち全員が燎祐を探し始めるに違いなかった。


「にしてもだ。相羽のモザイク化を見たときは、【破滅】(こんなの)をどうやって持ち帰ったもんかと思ってたが、まさか貔貅(ヒキュウ)に禁忌耐性があったなんてなぁ。メイさんはそこまで知っていて俺に奪取を依頼したのか……?」


 確証はないが、あり得なくはない話だった。

 そうでなければ燎祐は【破滅】を手にした時点でモザイク化していた。

 けれど、もしも貔貅(ヒキュウ)が間に合っていなかったらと考えて、燎祐は少しだけ心胆が寒くなった。


メイさん(あのひと)……、どっかでこの状況を傍観してるんだろうな」



****


 人気も灯りもない、寒く、薄暗い夜の校舎を、厳めしい顔をした男が全速力で走り回っている。

 相羽から分裂した個体の一つだ。

 そいつがいま、リノリウム質の床の上に、ヒタヒタと素速い足音を残しながら、死に物狂いで燎祐を探している。

 が、ことによって全裸である。

 全裸であるが、性別を主張するものが股間から垂れ下がっていない。

 なにより毛の一本もなく、その部分だけマネキンのように綺麗だ。

 

「どこに行ったぁぁああ!! 小僧ぉぉぉ!!」 


 怒りに足を止めた相羽は、腹の底に響くほどの激声を上げた。

 その様を傍で見る限りは、脱衣所の衣類を何者かに持ち去れ、怒り狂った温泉客である。

 だが現実はそんな生ぬるい話ではない。

 この追いかけっこの先に待っているのは『殺人』、東烽高校のA棟は間違いなくその現場になる。

 相羽の目の奥で燃え上がる黒い殺意の炎が、どこだどこだと燎祐を探す。手が、指先が、今すぐくびり殺してやるぞと、禍々しく蠢いている。

 無間に噴き出し続ける憎悪が、強い破壊衝動を喚起し、相羽は、いますぐ何もかも叩き壊したくて堪らなかった。

 だが我慢した。燎祐を燻り出すために堪えた。爆発しそうな憤怒を奥歯ごと噛みつぶした。


「早く殺さねば、殺さねば殺さねば殺さねば殺さねば殺さねば!! 早く、早く早く!!」


 相羽の顔は瘴気(ミアズマ)に憑かれていた。

 その表面には、時折、ミミズやナメクジ大の筋がボコボコと浮き上がって、不規則に脈打っていた。

 そのうちに、固く閉じられていた顎が右に左に動きだして、ギィギィと歯の軋む耳障りな音がしはじめた。

 そして、何が気に障ったか、さっきまでの我慢を忘れ、子供のように声にならない声をあげて、ドシンドシンと地団駄をふんだ。


「ドコダァアアア!!!」


 叫んだ相羽の声は、人間の声質とは別の物が混じりだしていた。近いものでたとえるなら、洗礼者一歩手前の稲木出か。

 理由は不明だが、この個体は、どうやら洗礼者化が進んでいるのかもしれなかった。


 その時だった。

 相羽が、なにかを察知した野生動物のように動きをとめ、無表情になった顔をキョロ、キョロとさせた。

 別の個体が記憶を同期させてきたのである。

 瞬時に情報を理解した相羽は、片目をぐわっと大きく見開き、口許を目一杯に歪めた。


「ソコカ!! ソコニイタカ! ヒタチ!!」


 相羽は、同期した情報にあった場所を目指して、闇に沈んだ廊下の上を駆けだした。

 廊下の角を曲がったとき、その姿はもう、相羽の形を保ってはいなかった。

 相羽だったものは、洗礼者になっていた。



****


 九人の相羽が校舎の中を駆けずり回っている頃、燎祐は屋上に引き返していた。

 【威光(イコウ)】を打ち込んだ相羽がどうなったか、確認をしにきたのだ。

 結論から言うと、そこに相羽の亡骸はなく、野太い筆を走らせたような黒い血痕と衣類だけがあった。


「塵に返ったか」


 燎祐は、封鎖区画で目撃したことを思い返していた。

 そこから目を離すと、今度は、気取られないようにA棟の周囲の様子を伺った。

 その位置から、少なくとも四人の相羽を認めた。


「やっぱり、まだ他にもいたな」


 他にもまだいないかと、屋上を練り歩いていた時だった、燎祐は見知らぬ気配を感じた。

 何だ、と思って、磁石に引っ張られるようにそっちを向いた。

 校門の直ぐ蕎麦の茂みだった。

 じっと目を凝らしてもなにも見えないが、確かにそこから二人の人間の気配がした。


「んん……? 認識攪乱の魔法か……?」


 二つの気配は、かなり警戒はしているが誰に対しても敵意はなかった。

 燎祐は指輪の力を使うまでもないと思って、気配に背を向けた、その瞬間――


「いた! 彼だ! 常陸燎祐だ!! お前の言っていたとおり屋上にいるぞ!! あそこだ!!」


 気配が燎祐に気づき大声を上げたのである。

 声を上げたのは国魔連の八間川だった。沢田は即座に八間川の口を塞いで黙らせ、茂みの奥に引きずり込んだ。

 その声を聞きつけた相羽たちは、首が転げ落ちそうなほどに、その場から、一斉に屋上を睨んだ。

 結果、誰一人として燎祐の姿は見つけられなかった。

 が、認識攪乱で消えていない【破滅】を見たものが一人だけいた。

 その情報は、即座に相羽全体に同期され、居場所を知られることになった。

 相羽たちは、押さえ込んでいた暴力性をすべて解放し、床を踏み抜くほどの脚力でもって屋上を目指した。


「相羽の気配が……、なんだこれ一気に増えたぞ!? どんだけいるんだよ!?」


 現在感知している相羽の数は、およそ二〇。

 それが全部、一斉に、一様に屋上を目指している。


「くそっ! 最悪すぎるだろ、このタイミングはっっ!!」


 燎祐の理想は一本道での一網打尽。

 それが、穴だらけの屋上だ。

 ここで遭遇戦となったら、いくら敏捷性に長けた燎祐であっても、二〇の相羽を対処しきれるわけがない。


「どうする……!」


 その瞬間にも、校内のいたるところで、壁や防火扉に何かがぶち当たる音があがり、その音は、確実に屋上に近づいている。このA棟はロの字型、屋上の出入り口は四カ所。天井の抜けた場所を含めるなら六カ所から上がってこられる。

 いつ、どこから相羽が飛び出してきてもおかしくはない。

 燎祐は、決断するしかなかった。


「ええい、ままよ!!!」


 燎祐は、まだ気配の密度が薄い最寄りの階段へ走る。

 それを迎撃するかのごとく、鋼を撃つ爆音がする。

 鉄の扉が、弾丸となって一直線に飛んできたのだ。

 燎祐は、足を緩めず、ハードル走さながらに際っきわの高さで鉄の扉を飛び越える。

 そして、階段から顔を出した洗礼者に、最大加速した蹴りを放った。


「力を借りるぞレナン!! 纏火(テンカ)蹴烈迅(しゅうれつじん)】!!」


「ヒタ――ヒブベァ!!」


 燎祐の猛襲をまともにくらった洗礼者は、矢のように階段口のコンクリート壁にめり込んだ。

 打ち込まれた炎の(ジン)が、体内で暴れ出し、たちまち全身から炎があがった。

 そして、燎祐が階段の踊り場に着地し、下階へ身を切り返したと同時、洗礼者は、黒焦げながら崩れはじめた。


「ヒ……タ……」


 伸ばした黒焦げた手の先から、相羽であるときは見えなかった燎祐の姿が零れていく。

 洗礼者は、もう相羽ではなかったが、相羽であったなにかであった。

 燎祐の姿が完全に遠のいたとき、洗礼者は黒灰となってこの世から消えた。

 

 誰でもない、塵となって。



****



 ところどころ天井がない廊下を走りながら、燎祐はひやりとした汗を浮かべていた。


「いまのあいつ、俺のことが見えてた! あの化物になると指輪の魔法が解けるってことか!」


 燎祐は、洗礼者の目が、自分に向いていたことに気づいていた。

 もし相羽がこのことを知って、洗礼者で詰め将棋をはじめようものなら、今度こそ凌ぎきれる自信がない。

 これは燎祐の勘だが、洗礼者は、変異元がなんであれ完全に別個体の可能性が高い。

 その場合、攪乱魔法は、遭遇した個体毎にかけるか、一度に全ての洗礼者を術に陥れるかの二択になるが、前者では指輪の魔力がどこまで保つか分からないうえに、後者ではリスクが高すぎる。


 よって、燎祐は、この情報を相羽に知られるわけにはいかなかった。

 ただ幸いなことに、現時点で追走してくる相羽者がいないことから、洗礼者から相羽へに情報がリンクされないことは知れた。


「情報は相羽から化物への一方通行。この先、同時に沸いてくれないことを祈るぜ……!!」



****



 月のない夜空の下、もたらされた情報を元に、屋上へ集結した十九人の相羽は、ギョロギョロと辺りを渡して【破滅】を探した。

 しかし、既にその場をあとにした燎祐を見つけることはできず、募らせるに募らせた憤りが、皮膚の下から、いまにも爆発しかかっていた。

 そのうちに、数体の相羽が、自身の内側からほとばしる強烈な感情に呑み込まれ、一瞬、輪郭がぼやけた途端、人の形を失い洗礼者になった。

 洗礼者に変貌した相羽は、壊れた蓄音機のように同じ言葉を繰り返した。 


「コ、ロサネ、バ……コロ、サネ……バ……!」 


 洗礼者化した相羽だったものは、不規則な動きで屋上を徘徊しはじめた。

 それを尻目に、形を保っている上位個体の相羽たちは洗礼者を蔑んだ。


「駄目だな。これでは使い物にならぬ」


「所詮は下位個体から枝分かれした末端だ。あの御業(ミワザ)は本来、上位個体しか耐えられんからな」


「この計画に下位個体を抜擢したのがそもそもの間違いであろう」


「いまさらそれを言っても仕方あるまい。それよりも【破滅】(ルイナ・ペルド)だ。私の目から逃れたあの小僧をどうやって探す」


「先ずはそのことよ」


 と言って、相羽たちは一様に頷いた。

 だが、打開策が思いつかないらしく、顔をしかめたまま腕組みをして押し黙った。

 夜風が、ひゅうと相羽の撫でた。

 ほどなくして一体の相羽が洗礼者に代わった。


「コ、ロ、サ……ネ、バ、コ……」


「下位個体に自我の補強を施し、使い捨てるのでよかろう。処分にも困らぬ」


 A棟の外から来た、衣類を纏った相羽の一人が吐き捨てるように言った。

 言い終えた直後、全裸の相羽からまた一人、洗礼者が出た。

 今の段階で、集合した相羽の数は十四人になっていた。

 うち十人が全裸、残る四人がA棟の外からきた上位個体。

 外からきた上位個体の四人は、右手でネクタイを緩めながら、夜気を切るように右に左に首を振った。


「異論ない。その()のことは上位個体のみで処理に当たればよい」


「ならば我々よりも下位個体はここですべて始末すればよいな」


「「で、あるな」」


「それにしてもだ。あの小僧、【破滅】(ルイナ・ペルド)の禁忌をどうやって破った。魔力もないただの無能であったはず」


「ククク、おおかたあの霊装の力であろうよ」


「ほおぅ。ならば霊装ごと腕を引き千切ってくれようではないか。それをイルルミの前にぶら下げてやろう。どんな反応をするか見物だろうて」


「「「それは愉しみなことだな」」」


 四体の相羽は、この場における最上位の個体らしく、全裸の十体をキッと睨み、別に垂れ下がってもいない前髪をおもむろにかき上げた。その動きは四人同時。一糸の乱れもない。

 そして四人の相羽が、示し合わせたように檄を飛ばす。


「「「「さあ狩りの時間だ貴様ら!! 今度こそ常陸燎祐を殺し、霊装と杖を奪い取るのだッッ!!」」」」


 相羽たちの眼に真っ赤な凶の色が灯り、屋上の空に、禍々しく鬨の声が打ち上がった。

 次の瞬間、弾かれたように、赤く燃える眼光が光芒となって屋上を走った。



****



 その頃、燎祐は、校舎の三階の教室にいた。

 明かりのない教室のなか、燎祐は、掃除用具箱のまえを行ったり来たりして、溜め息を付いた。

 火葬杖(エクスーロ)【破滅】(ルイナ・ペルド)を物理的に隠すべきか、それとも魔法で隠すべきかを迷っているのである。


「相羽が俺を見つけられないってことは、位置を特定する魔法を杖に仕込んでないってことだから、どっかに隠すってのは悪い手じゃないと思うんだが……」


 しかし、相羽はあの癇癪な性格である。

 以前、教室で手合わせをしたときと同じく、見境なく魔法をぶっ放すに違いない。

 そうなれば、隠し場所なんて、あってないようなものである。

 加えて、逃げ回っている最中に【破滅】(ルイナ・ペルド)が相羽の手に渡ってしまったら、燎祐は再び奪還しなくてはいけないが――

 相羽も、今度こそは予断なく燎祐を殺しに来るに違いなかった。魔力の回復手段を知られている以上、【悪食】(グロスイーター)も使わせて貰えないだろう。そうなれば頼みの【威光(イコウ)】は使えない。燎祐は完全な詰みである。


「やっぱ手放せない」


 燎祐は今一度、大きな溜め息を付く。


「俺に魔法が使えたら、きっと【破滅】(こいつ)でパパッと終わらせられたんだろうな、全部さ」


 静寂の闇に、しんみりとした呼気が溶ける。

 燎祐は肩を落とした。

 無力さを痛感している場合でないことは分かっている。それよりももっと今は考えるべきことがあると。 

 だが、魔杖【破滅】(ルイナ・ペルド)が、自分には、ただの重荷でしかないことを思うと、やはり考えてしまうのだ。

 せめて少しでも魔法の才能があったら、と。

 燎祐の顔に冷たい空気が触れる。

 はぁ。と溜め息が漏れる。

 気持ちを切り替えるスイッチには、まだ手が届いていない様子である。


 と、その時、弾かれるように燎祐が身構えた。

 それは本能的で、ほとんど反射的だった。

 つまりは直感が為したことであって、燎祐本人はまるで状況への理解が追いついておらず、その表情は、自分の行動に対して戸惑いの色があったが――――


「――!?」


 その時、燎祐の、野生の獣よりも鋭敏に澄まされた感覚が、神経が、逆撫でられたようにぶるっと震えた。

 殺気だ。

 それも、確実に命を刈り取らんとするほどの、強い殺気だ。

 凡人には一ミリも感じられないであろうが、燎祐には、窓を打つ雨のように、それが何であるかはっきりと分かっていた。


「相羽だ。近くにいる……!」


 全身の感覚をさらに研ぎ澄ませ、自身が一本のアンテナになったかのごとく、燎祐は相羽の気配を探す。

 ほどなく、害意に満ちたドス黒い殺気が、教室の扉や壁から、湧き水のように染み出してきた。

 

――上の階から、このフロアに近づいてきている……。


 燎祐の感覚は正しかった。

 一体の相羽が、上階からの階段を降り、このフロアにやって来た。

 若干の猶予があると分かっていた燎祐は、そっと壁際に身を伏せていた。


――神経を尖らせなくても分かる……。そこだ、相羽はそこにいる。ほんの数メートル向こうに!


 一秒毎に相羽の気配が、大きくなる。

 鼓動が早くなる。

 燎祐は息を殺し、壁に耳を付ける。

 壁越しに、ひたひたと、しっとりとした足音が聞こえる。

 コツコツとした靴音ではない。


 一層熱量を増した殺気が、水攻めさながらに教室の中へ流れ込んでくる。

 燎祐は、殺気の海に溺れかかりなりながらも、必死に気配を殺す。

 

 相羽の足音が、どんどんと近づいてくる。

 まっすぐに燎祐のところへ向かってくる。

 そして、壁一枚を挟んだところまできて、ぴたっと止まった。


「…………」


 無言。相羽はなにも言葉を発さない。

 あまりの静かさに、気配がしたのは錯覚だった気さえしそうだった。

 しかし、燎祐の表情には一片の安堵もない。むしろ強張っている。

 関節のひとつひとが、ボンドでガチガチに固められてしまったみたいに固まっている。

 壁越しに尋常でないプレッシャーが襲ってきているのである。

 およそ言葉では語り尽くせない、細胞の一片まで嬲り尽くすほど真っ黒な憎悪の瀑布が、壁という物理的な隔たりを無視して、燎祐の全身をしゃぶり尽くすように絡め取っているのだ。

 

 燎祐は動けない。

 相羽は動かない。


 この限界までピンッと張り詰めた緊張が、もし千切れてしまったら、一触即発は免れ得ない。

 それだけならまだしも、対峙している間に別の相羽に【破滅】(ルイナ・ペルド)を奪われてしまったら一巻の終わりだ。

 その後の相羽の行動など想像するまでもない。目につく物の悉くを破壊するだろう。


 なぜならば、カリスにとって、現世は理想郷のための踏み台だ。悲願の【時間遡行】さえ果たされてしまえば、現世など、やがて消え去る虚構に過ぎない。

 故に相羽は、現世で切り捨てたすべてに、痛む良心は愚か、罪過があるとさえ感じていない。

 完全なリセットという究極の免罪符は、それほどまでに相羽の思考を歪めていた。


 だからこそ、燎祐はここでしくじるわけにはいかなかった。


――相羽は、まだ俺に勘づいていない。仕掛けるのは、あいつが意識を外した瞬間だ


 燎祐の額に冷たい汗が流れる。

 ひた、っと音がした。

 燎祐は全神経を研ぎ澄ます。

 また、ひたっと音がした。

 しかし、気配は遠ざかっていない。

 だとしたら方向転換をしたのであろうか。それとも相羽の心理作戦か。

 燎祐は疑心暗鬼になる。

 と、その時であった。


「見つけたぞ小僧」


「――!!」


 その言葉に、心臓が破裂しそうなほど烈しく跳ねた。

 気が動転しそうなほど頭が真っ白になった。


――落ち着け俺! ただのハッタリだ! 相羽は俺を見つけられない!


 分かってはいる。分かってはいるが、それでも燎祐は、もしもを疑ってしまった。

 相羽の声には、そうと思わせるほど真に迫って聞こえた。傲岸不遜たる持ち前の素質が強くプラスに働いているのだ。

 実際、相羽は燎祐を見つけてはいなかった。


「隠れん坊は終わりだ」


「――――」


 瞬間、燎祐は壁際から一気に距離を取った。

 その刹那、一瞬前まで身を隠していた壁に無数の線が走った。

 相羽の十八番、不可視の斬撃である。

 飛び退いた燎祐の頬に、ピシッ!、と赤い筋が走った。

 斬撃の一筋を受けてしまったのだ。

 相羽は、柔らかい物を裂いた、その感触に気づいた。

 そして獲物を追い詰めた狩人のような笑みを浮かべ、壁を剥がした教室に、改めて向き直った。

 崩れた壁の破片に血痕を見つけ、一層深い皺を作って笑った。


「終わりだと言っただろう小僧! 今すぐ(くび)り殺してくれるぞ!!!」


 相羽の怒声が飛ぶと同時、燎祐がいた付近が、黄色く爆ぜた。

 爆発の光に照らされ、相羽の目に【破滅】(ルイナ・ペルド)がとまった。

 相羽の手が突っ込むように杖に伸びた矢先、杖の柄が、その鋭利な先端が、相羽の腹に吸い込まれるように、空中を一気に疾った。


 ザシュゥ!


「ぐあああああああああァァアアァア!!!」

 

 槍の如く握り込まれた【破滅】(ルイナ・ペルド)が相羽の腹を易々と貫いた。

 相羽の口から呻吟が、腹にあいた穴からはドス黒いなにかが溢れ出た。

 燎祐は、差し込んだ柄をさらに捩じ込む。

 途端、相羽の体が、電気ショックを与えたみたいに、不規則かつ機敏に動いた。


「あアァAァアAアァぁAァア!!!」


 機械の合成音声のような叫びが、教室いっぱいに木霊した。

 まるで壊れたアンドロイドのようだった。


「アーA……a■■■■■■■!!!」


 相羽の体は、腹に刺さった柄の周りから、モザイク化していく。その内側はとっくに禁忌に侵されていた。

 そして、ハンマーでかち割られた石膏像のように、四肢の先端がボロリと崩れ、最後にはモザイクの塊となった頭が宙空を滑り落ちた。


 ガシャァン!


 ガラスが砕けるようなとともに、相羽の頭部だった塊は砕けて散った。

 それからほどなくして、モザイクの破片は、雪が解けるように跡形もなく消えた。

 文字通り、蒸発して消えたのである。


「……世界の禁忌って、とんでもねえな……」


 魔力も要らず、突き刺すだけでこの威力。切り札である【威光(イコウ)】よりよっぽど強力だ。

 相羽と戦う上で、これは強力な武器になる。

 しかし、こればかりに頼れないという考えも燎祐にはあった。

 禁忌の克服――相羽は確かにそう言っていた。

 もし、相羽のなかに禁忌を克服した個体が混じっているのだとすれば、必殺の突き刺し攻撃は、最大のピンチを招く。

 よって、破滅(ルイナ・ペルド)をアテにするならば、相羽の素質の有無、その判別や秘密を見破ることが急務だった。


「……なにか変だ。結果的に禁忌に侵されたとはいえ、相羽は杖に触れようとしてきた。あいつは狡猾だ。自ら危険を冒すわけがない……」


 燎祐は考える。

 相羽との会話を回想する。

 斬撃で破壊された壁面が、パラパラと崩れ、塵が垂らした砂時計のように積もっていく。

 燎祐の顔がゆっくりと正面を向く。

 どうやら仮説の一つくらいは思いついたらしかった。


「恐らく、相羽は禁忌を克服したんじゃない。耐性を獲得したんだ。そんで、禁忌耐久力が一番高いのが、杖に触れなければならない手のひら!」

 

 確証はないが、その可能性が高かった。

 現に相羽は躊躇なく杖に手を伸ばしたが、杖が刺さったら直ぐに死んだ。

 となると、次の問題は、個々の相羽の禁忌耐久力ということになるが、こればっかりは判断のしようがない。なんせ相羽自身、自分の耐久力を見誤ってモザイク化していたのだから、第三者が分かろう筈もない。


「突き刺してみなきゃあアタリ・ハズレも分からないのか……、こいつを使うのは半分博打だな」


 ぼやきながら、燎祐は【破滅】(ルイナ・ペルド)を右肩に担いで教室を出た。

 廊下の真ん中にたって左右を見渡す。


「こっちから来てるな」


 燎祐は、空気中に漂う殺気の偏りから相羽の居所を察知し、より殺気の密度が薄い方へと足を走らせた。

 向かった先は四階。

 燎祐は音を殺しながら急ぎ階段を駆け上がり、踊り場からフロアに出る。

 少し離れたところに、壁の崩れた教室が見える。

 燎祐は、一瞬目を疑った。崩れた教室の状態に見覚えがあったからだ。

 暗闇の中、目を凝らし、恐る恐る、教室の上に掲げられているプレートを見る。


「……なっ!?」


 唖然とした。

 気が遠く思いがした。

 そこは、いま出立したばかりの三階だったのだ。


「俺は確かに階段を上がって!? どうなってんだ!?」


 踵を返し、燎祐はもう一度階段を駆け上がる。

 そして、今度こそとフロアに出る。

 置いてきたはずの景色がまた広がっている。

 やはり三階である。


「なんで四階に辿り着かないんだ?! 幻術の類いなのか?!」


 燎祐には未知の経験だった。

 それはかつて、B棟に仕掛けられたトラップ魔法と同じもの。

 舟山の転移魔法並みに存在感がなく、かつ飛ばされたことに即座に気づかないほどの高度な魔法は、当初、相羽が仕掛けたものとは思われなかった。

 だが、見た目や言動に相反し、相羽が緻密な攻撃が得意であることを燎祐は知っている。


「相羽の仕掛けた魔法トラップか……!」


 もし、この場にレナンがいたら、即座にそう結論付けていたに違いない。


「どうすりゃ抜けられるんだ……! いまさら別の通路を行ってる暇なんかないぞ……!」


 そうこうしている間に、殺気の混じった足音と、強大な憎悪が近づいてきている。

 さっき倒した全裸が、燎祐の位置情報を全体に共有していたのだ。

 が、相羽たちは二の轍は踏むまいとしてか、全速力で向かってはいない。

 それだけが救いであったが、しかし、確実に、確実に近づいてきている。


「もう時間がない! 行くっきゃねえ!」


 燎祐は意を決して、三度(みたび)、階段に挑んだ。

 力んだ弾みでか、握り込んだ左手に、不意に、炎の(ジン)が灯っていた。

 燎祐が、そのまま階段を駆け上がると、なんと四階についていた。

 なんで……、と言いかけたとき、顔の前を、火の粉が舞って照らした。

 燎祐が視線を下ろすと、左手に(ジン)の炎が薄らと灯っているのが目に入った。


「原理とか意味とか全っ然分かんねーが! これが答えなんだな、レナンっ!」


 誰もいない四階の踊り場で一人頷いた。

 左手から(ジン)の熱が消える。

 燎祐は目を閉じ、静かに呼吸する。

 その呼吸で、自分自身と全神経を一本にする。

 不抜である。

 燎祐は、己の為すところを理解している。

 その準備はまだ終わっていないが、覚悟は出来ている。


「相羽の位置はだいたいつかんだ。この場所なら、いま追ってきてる連中を一網打尽にできる」


 見開いた双眸に反撃の炎が燃え上がる。

 燎祐は鼻から大きく息を吸い込んで、胸を膨らます。

 そして、肩に担いでいた【破滅を】(ルイナ・ペルド)を両手で握りしめて、思い切り床に打ち付けた。

 

 ギィィィン!


 金属質な音が廊下いっぱいに反響する。

 構内に存在する相羽たちの気配が面白いくらい反応するのを、燎祐は感じた。

 燎祐は、もう一度、【破滅を】(ルイナ・ペルド)を打ち付ける。

 その音に釣られ、最初に飛び出してきたのは、四体の洗礼者だった。

 黒いハチミツのように天井からドロリと垂れてきて、そのうちに、ぼやけた人型になった。


「「「「コ、ロ……ポポ…サ、…ネ……ポポ……バ……」」」」


「魔力装填――纏火・【赫天吼】(カクテンコウ)!!」


 対峙した直後、燎祐は、杖を宙に投げ、間髪入れずに奥義を叩きこんだ。

 レナンの(ジン)で纏火し、さらに加速した超連撃は、刹那の間に四体の洗礼者を消し炭に代えた。

 一拍のあと、のんびりと宙を滑り落ちてきた杖を右手でキャッチし、それを突き立てて支えにし、ゼエゼエと苦しげに息をする燎祐。


「この技は魔力以上に身体にかかる負担がヤバいな……。今にも手が千切れそうだ」


 急ぎ気息を整え、迫ってくる気配のほうを睨むが、まだ足が動かない。

 【威光(イコウ)】の奥義は、人域を超えた技であるがゆえ、本来であれば、魔法で自己強化を重ねた上で使用するものを、生身でつかっているのだから、その反動は相当なものであった。

 燎祐の汗が、床の上に、数滴跳ねる。


「さあ、最後の追いかけっこをはじめようぜ」

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