第二章58 月のない夜①
金色の籠手、霊装貔貅が手に戻った燎祐は、その感触を確かめながら、東烽高校の敷地内を走り回っていた。舟山の声が宿る鳥が宙を羽ばたきながら、そのあとを追う。
怪物は既に倒した。跡形もなかった。汚染された黒服たちの屍体も消えていた。
閃光のあとに残っていたのは稲木出の補助魔導機だけだった。
どうしてそれだけが残ったのか燎祐にはついぞわからなかったが、それを拾い上げた瞬間、指先を通して、ある映像が頭の中に流れ込んできた。
それは、相羽と稲木出が人骨らしきものを運んでいるやや俯瞰した映像で、場所は東烽の校内だった。
むろん燎祐にサイコメトリー能力はない。となると、いまの現象は記憶を再生する魔法が発動した、ということになるが――
――稲木出……、これがお前の罪滅ぼしなのか
真実がどうあれ、燎祐はそのように解釈した。
『――だいたいの話は分かりましたが……、それで、イルルミさんは』
「戦える状態じゃないが無事だ。今は安全なところに匿ってもらって、そこで療養している」
燎祐は、これまでの経緯を、若干ぼかしやフェイクを交えながら舟山に伝えていた。
もちろんメイのことや、封鎖区画の少女のことは喋っていないが、生徒Aと稲木出、それから相羽とカリス、また遭遇した北領の兵隊の話はした。その辺りの事情は、舟山も知っていたので、さして驚きはしなかったが、レナンが重症を負った話に触れた途端、舟山は言葉を失っていた。
普段あれだけ言いたい放題しているのが嘘みたいに静かになった。
『…………イルルミさんは、どこに居るんです?』
「すまないが、それは言っちゃいけない約束になってるんだ。俺も、恩人の信頼を裏切りたくない」
『まあ……、私も似たような状況ですし……、今は置いておくとしましょう』
「そうしてくれると助かる」
『ただ知っておいて下さい。イルルミさんは、八和六合の宝です。あの子が人の手によって害されたと知れば、専女さまが黙っていません。それこそ人間世界との全面戦争も辞さないでしょう。ですから、この話は私と常陸くんだけの秘密です』
「……分かった」
それで話を切ったのち、一拍おいて、燎祐はキモ・バードを通じて舟山に言った。
「それにしても凄いな。装着と同時に頭の中に使い方が閃いたぞ。どんな魔法だ?」
『さっき言ったとおりですよ。仕様が思考とリンクするようになっているので、私が事細かに説明するまでもなく、常陸くん単独で貔貅の機能を扱えるんです。一部解禁されていない機能もありますけどね。とりあえず魔力のストックがあればオッケーな感じです』
「最初からつけといてくれよその機能……」
『いや元々あったんですよ? でーもー、常陸くん魔力なしじゃないですかー、べつに要らないかと思ってオミットしました』
「ヒトを種なしみたいに言うんじゃねえよ!? つーか、前になんで【威光】が使えたのかずっと謎だったんだが、貔貅の仕様が分かって、なるほどって感じだったぜ……。ちっとは期待してたのに、やっぱり魔力ないんじゃん俺……」
『ハハハ、貔貅は雑食も雑食ですからね。しかも、自分からは決して外に出さず無尽蔵に溜め込む性質なんで』
「んで、平素からまゆりの余剰魔力を食い過ぎて、自壊するほどの【威光】を発揮して爆散したと……」
『そもそも霊装が爆発するほどの魔力ってなんだよって話なんですけどね……』
「まゆりですから」
『久瀬さんですもんね』
その一言で片付いた。
こと、これについて二人の間に異論はなかった。
『ちなみに、今回の貔貅爆散原因の一端は常陸くんにもあります』
「俺にも?」
『はい』
断定的な物言いに、燎祐は眉をハの字にした。
彼にして思えば、レナンの【威光】だって貔貅爆散に一役買っているはずであった。
しかし、舟山はそうではないと告げる。
『爆散の主因は魔力の全装填です。もし装填する魔力量を制御できていれば、頑丈な霊装が爆散することはなかったでしょう。ヒビくらいは入ったでしょうが……』
「それで魔力の貯蔵と装填の方法を【空想カートリッジ式】にしたわけか」
燎祐は、既に頭の中に入っていた貔貅の新仕様を口にした。
『そうです。いまの貔貅は、吸収した魔力を一定量ごとに【空想の弾薬】として保存します。これなら先天的に魔力がない常陸くんでも、容易に装填量を制御できます。で、現状の魔力ストックはどれくらいです?』
「ぶっちゃけ許ない。さっきの【威光】で半分以上飛んだ」
『むぅ、そうですか……。これでも私の魔力を相当量チャージしておいたんですが……なるほど、【威光】はとんだ大飯ぐらいですね』
「このキモい鳥食わせればあと二~三発いけるんじゃないか」
『マジで止めて下さい。この鳥くそ大事なのでやったらぶっ殺しますよ、泣いても喚いても許しませんからね、金目のものをしこたま寄越すまで絶対に』
「そんなに大事なのかこの鳥」
「もちろんですとも。何せ、八和六合式の上級秘匿魔法を使った通信媒体ですから。可聴領域にいようが読唇術を駆使しようが、この会話は完全に私と常陸くんだけのものです。誰にも理解できません。そういう魔法です」
今度はそこで、舟山が話を切った。
そして一拍おいて、真面目なトーンで口を開いた。
『ところで常陸くん。人が惨殺された現場に二度も居合わせたのでしょう。辛くはなかったですか』
「正直、まだ受け止め切れてない」
『……。君がまだまともでよかった』
「どうだろうな」
燎祐は思っていた。まともな思考の人間なら、死の待つ渦に自ら飛び込んだりはしないと。
だけれども、燎祐には飛び込むだけの理由があった。
「――とにかく今は、相羽を見つける前に、生徒Aを助け出さないと。他所に移されでもしたら、今度こそお手上げだ」
『そう言えば、映像らしきなんぞかを観たんでしたね。場所は分かっているんですか?』
「職員用の駐車場だ」
『駐車場……。そんなところに生徒一人を隠す場所なんか……いや、なるほど……そうでしたかっ! 隠したのは生徒ではなく、出入り口だったわけですね!』
「断定はしきれないが、恐らくな」
燎祐は、出発前にヨーコが言っていた通りになったと思っていた。
「なにも手がかりが出て来ないのは痕跡を断ったんじゃなく、誘拐した現場から移動していないから、か」
『え? なんです急に? 名探偵にでもなっちゃうつもりですか?』
「友人の受け売りだ。ついでに、『無意識に対象から除外している場所がある』って金言も貰ったよ」
『ほほぅ。その人、勘の良さはイルルミさん以上ですねえ。よほど凄い経験を積んでいるとみました。どんなご職業なんです?』
「勇者だよ。つって女子高生なんだけど、いまはレーテオルフって場所で冒険してるってさ」
『え!? そこ魔王が統治してる世界ですよ!? 女子高生がなんでまた!?』
「はっ!? 実在すんのレーテオルフ?!」
『しますします。聞くところによるとハトがドラゴン並みにデカいらしくて超凶暴なんだそうですが、魔王が勧善温厚ですので、それ以外は至って平和な世界らしいですよ。そうそう、まだこちらの世界には進出してきてはいませんが、こちらから向こうの世界にはたくさんの技術流入が行われていて、例えばクレジットカードや携帯電話も向こうの世界で使えるんですよ』
「…………あれ、その話どこかで聞いたような……」
燎祐はデジャヴに陥ったような気分で夜の学校を駆けた。
ほどなく、気分が煮え切らぬまま、職員用の駐車場に到着する。
この教職員が使用する駐車スペースは、全体像が田舎の百貨店並みの広さがある。別にそれだけの数の教職員がいるわけではない。
空間拡張魔法の上限が設定されていないので、やりたい放題にスペースを広げた結果、多くても三十台駐車できればいいスペースが、百台駐めてもかなり余るほどデカく造られている。
よっぽど車の運転に不慣れで、特に駐車がド下手であればこの広さに満足いくだろうが、それにしても日本人とは実に不思議なもので、これだけだだっ広い場所を自由に使わせて貰える立場にあっても、自由奔放に駐めるのはごく僅かの人だけで、大半はお互い近いところに駐めたがる。ついでに言うと、それを定位置として使い続ける嫌いがある。
「この時間でも駐車している車があるってのは考えもしなかったぜ」
燎祐の視線の先には、駐車場には数台の車が駐まっている。
レナンとまゆりと、三人で見回ったときにも見た車だ。同じ位置に駐まっている。
日中ならそこに何台駐まっていようとなんら不思議ではないが、今は夜だ。
舟山声を発するキモバードが、バサバサと燎祐の眼前で滞空した。
左腕をさし出すと、肘と二の腕当たりにとまった。
『何台駐まっていますか?』
「四台ある。クーペに、いかにもなワンボックス、セダンタイプが二台だ」
『詳しいですね。好きなんですか車?』
「逆だよ。大嫌いだ」
『は?』
「まゆりをつけ回す連中が多すぎてな。通報してるうちに詳しくなったんだ」
『あ、そういう……』
「で、相羽の車はどれだ?」
『白のセダンだった筈ですね』
分かった、と燎祐が視線をあらためる。が、そこで一瞬固まった。
「先生、どっちのセダンだ?」
『と、いいますと?』
「二台とも白で品川ナンバーだ。メーカーも同じだが型式が違うか。片方は最近のだ」
『ほう、相羽は古い手が好みらしいですね。では型式が古い方と見て間違いないでしょう』
「先生そりゃどういう推理なんだ、教えてくれ」
『この環境下で車種が被るのが偶然かって話です。もし敢えて被らせているなら、それは紛れ込ませる意図があってのこと。となると、車は後から用意したはずです。であれば、中古車を当たったと見るのが妥当。加えて、学校程度で被る車種なら、外でも被りまくりでしょう。何より、古い車種は人目を引かないし目立たない』
「それで型落ちの方か」
『ま、蓋を開けてみないと正解は分かりませんけれどね』
舟山は、確率はあくまで五分五分と歯切れ良く言い切ったが、その言葉に反して、声音から伝う心情を読み解く限り、この推理に自信があるようだった。
燎祐もそれを信じて、古い型式のセダンの方に向かった。
妨害魔法を警戒したが、特になにもなかった。完全に素通りで車のもとまで辿り着いた。
燎祐は、その場にしゃがみこんで、右頬を地面に押しつけながら車の下を覗き込んだ。
すると、車の影の中心付近が、微弱に発光しているのを見つけた。
「……先生、この車の真下の影が、一部だけ、少し光っている」
『おそらく転送魔法の核でしょう。登録されている転送キーがあれば近づくだけで飛べるはずですが』
「そんなもん持ってないぞ? 【威光】でぶっ壊せないか?」
『ダメですよ。それじゃ転送魔法が壊れるだけで解決しません。やはり解析するしかありませんか……』
「どれくらいかかる?」
『普通の魔法士なら十時間は必要でしょうが、私なら三十分あればいけるでしょう。といっても私がそちらに到着するのには、あと何時間か必要ですが。なにぶん、準備が整っていないので』
「厳しいな。そんなに時間を預けていたら相羽に逃げられかねない」
『とはいえ、打つ手は他にありません。せめて国魔連に応援を頼めたらいいのですが』
「出払っているんだろ。知ってる」
その言葉だけで舟山は納得した。
久瀬まゆり、湊暁丞、常陸寵看、少なくともこの三人から、いくらかの事情を聞かされていても不思議ではないからである。
と、その時である。
「転送魔法……アクセス……承認コード……要求ヲ受諾……コード……送信中……送信中……」
燎祐の外套のポケットが喋った。
手を突っ込んで確かめてみると、音源は稲木出の補助魔導機だった。ポケットが喋ったのではなかった。
『常陸くん、いまのは?』
「……稲木出の補助魔導機だ。さっきからコイツが喋って……そうか、これが転送キーか!」
『遺品じゃないですか!? もしかして手癖悪い方ですか!? というかそんなのよく拾っていましたね!? むしろ、よく拾う気になりましたね?!』
「あとで埋葬しようと思って」
『う わ 重 っ !!! てか、どこに墓作る気ですか?!』
「えーっと、学校?」
『なに久瀬さんみたいに小首傾げた感じで可愛く言ってるんですか! ダメですよ絶対! 学校にそんなの埋めないでくださいね! 学び舎はお墓じゃありませんからね! 墓は墓地に作って下さいよ!』
という風に、急に説教をされたので、燎祐は舟山にバレないうちに稲木出の墓をこさえると決めたのであった。
****
「――転送完了シマシタ」
空間転送は完全に自動的だった。
ハッとしたときには、燎祐はキモ・バードと一緒に、見知らぬ場所に飛んでいた。
だが、燎祐には既視感があった。けれど、それを口に出しはしなかった。
あの女の子のいる隠れ家のヒントになりかねないからだ。
『転送終わったみたいですが、どこに飛びましたか?』
「なんだか古くさい感じのする通路の隅っこにでた。天井から裸電球がぶら下がってる。壁は、エビみたいに赤いレンガだ」
『……。他には?』
「空気が冷たいな。地下室みたいに冷んやりしてる。あと、俺の後ろは壁で、道は前にあるぞ。どっちが前かは知らんけどな」
舟山には音声でしか情報を伝えられないため、燎祐はなるべく詳細に答えた。
『まさか相羽がここまで知っていたとは……』
ぼそりと舟山が呟いた。
距離が距離なので余さず聞こえていたが、舟山のただならぬ感じから、燎祐は口を挟むのを止めた。
というよりも、メイが言っていたことが耳の中で思い出されていたのだった。
日本軍は各地に地下施設を作って秘密裏に魔法の研究をしていたの
その最重要機密が眠る施設に蓋をしているのが東烽高校
東烽高校の下には『到達限界境界線を超えた技術』
『時間遡行の秘密』が眠っている
舟山の声色から察して、ここは、その研究所と関係する場所であろう。或いは、同じ時期に造られたものだ。
しかし、それ以上に気になったのは、この場所が、まゆりと瓜二つの少女が案内してくれた施設と同じ造りだったことだ。
両者が無関係とするには無理がある。
もしメイの話を全て信じるなら、あの場所は――そして、この場所は――日本軍の秘密研究所だ。
――特別な手段をこうじなければ辿り着けない場所、強力な結界、そして蓋……
たった三つの共通点だが、この三つが偶然に揃う筈がない。
燎祐の中で、バラバラだった幾つものピースが、ピタリと嵌まりあった気がした。
『進みましょう』
「それしかないよな」
燎祐はおもむろに歩き出した。
頬に当たる空気の冷たさに、一瞬、背筋がぞくぞくっとした。
いやに肌寒かった。
外套を着ていても、霊気が布の隙間を縫って入り込んでいるようであった。
静けさの中で、燎祐が足音が、カツーン、カツーンと通路の中で反響していく。
やがて靴音がとまる。
燎祐が立っているのは、一本道の終点。『EMETH』と書かれた札の下がった扉の前だった。
――この文字、あの施設にもあったヤツだ。一体どういう意味が……?
「先生、道の終端に扉がある」
『そうですか。ところで常陸くん、扉にはなんて書かれていますか?』
当たり前のように返された言葉だったが、燎祐はその中に含まれる違和に気づいていた。
いま燎祐は、舟山に『扉がある』としか伝えていない。
なのに、舟山はそこになにが書かれているのかを訊ねた。
扉と、そこにある文字を結びつけられるのは、この場所を知っている者だけだ。
舟山は、間違いなくこの場所を知っている。
そして、見つけてはいけないものを燎祐が見つけてはいないか、探りを入れている。その可能性が高い。
燎祐がどうしてそう思ったのかは、やはりメイとの対話に起因していた。
――八和六合の幹部を教師として配置。言われてみれば確かに、おかしな話だ
力のある生徒を押さえ込むだけなら、舟山ほどの能力者である必要はない。もっと下位の人外でも人間相手なら圧倒できる。
それなのにだ、一般人からすれば異次元レベルの強さの舟山が、現場の第一線で教師をしている。
その不自然さに、どうして今まで気づかなかったのだろうか、と燎祐は思った。
――学校結界が思考を誘導しているのか。それとも、メイさんが切っ掛けを与えてくれたからなのか……
そのどちらであるかは分からない。舟山が真に味方であるかもだ。
燎祐はその思考を語気から気取られないように平静を保ち、そして慎重に言葉を選んだ。
「……。アルファベットで何か書いてある。イー・エム・イー・ティー・エイチ……なんだこれ?」
『エメスですね。ヘブライ語で、真理を意味する言葉です』
普段の舟山らしいトーンで返ってきた。
どうやら答えを誤ったわけではなかったようだが、探りを入れられているような奇妙な感覚は、どうしても拭いきれなかった。
――俺の考えすぎならいいんだが……
その答えが分からない以上、やはり舟山にレナンの居場所は教えられないと思った。
****
錆び色の耳障りな音が天井いっぱいに木霊した。
道を塞いでいた扉を燎祐が開いたのだ。
扉の向こうから、冷凍庫を開いた時のような冷気が凪いだ。向こう側は通路よりも寒いらしい。
燎祐は首から先だけを扉の向こうにやる。
明かりは点いていない。視界の先は無間に広がる闇。視覚的に冷たさが増す思いだ。
燎祐は、さてどうやってこの中に入っていこうか、と逡巡する。
『常陸くん、部屋の中にはなにが見えますか?』
すると、扉の先が何だとも言及していないのに、舟山がそう訊ねた。
燎祐は気づかないふりをして、左腕にとまる鳥にこたえる。
「鳥を連れていても足下すらろくに見えない。まるで闇に光が吸収されているみたいだ」
『相羽が仕掛けた幻術ですね。もし入りづらさを感じさせたなら人払いの効果も備えているはずです』
「どうすりゃいい?」
『その魔法、せっかくなので貔貅に喰わせましょう』
「できるのかそんなこと」
『【悪食】を使ってください。貯蔵魔力を装填すれば起動できます。やり方は、わかりますね?』
「頭ん中ではな」
『相羽程度の魔法なので食いでがないかもしれませんが、ストックがマイナスになるってことはないでしょう』
というやり取りの後、燎祐はおもむろに左腕を闇の中に差し込んで、魔力を装填した。
すると、視界前方に広がっていた無間の闇が、貔貅の口の先で一点に凝集し、漆黒のビー玉となった直後、ばくんと喰らいついた。
で、もしゃもしゃと咀嚼している。文字通り、貔貅が相羽の魔法を喰い破ったのである。
「こいつ動くぞ?!」
『動きますよ』
「聞いてねーよ!?」
『言ってませんし』
「言えよ!?」
『霊装は駆動に回す魔力があれば生き物みたいに活動しますからね。特に真の所有者には有益な働きをしますので、好かれると何かと便利ですよ』
「そういや霊装は気難しいだの、持ち主を選ぶだの言ってたな。あれってそういうことなんだ?」
『ええ。霊装にも性格と好みがあって、真の主人であっても嫌われてしまうと言うことを聞きません。相性問題ってやつです。ちなみにサンゲイはイルルミさんにベタ惚れなせいか、本来スペックの何倍もの性能を発揮しています。それこそ溜め込んだ久瀬さんの魔力を全装填した、しかも上級霊装である貔貅の【威光】と打ち合える程度に』
「そんなに変わるのか相性で……」
『貔貅の場合、真の所有者が長らくいませんでした。しかも、現在までに相性が良かった所有者は一人もいなかったとか。常陸くんはどうでしょうね』
「久方ぶりの所有者が魔力なしとかお前も災難だったな。まあ、仲良くやろうぜ」
燎祐は両手の籠手に目を落とす。
なんとなく獅子の両頭がコクっと頷いた気がした。相性は悪くない、のかもしれない。
『今の捕食で魔力はどれくらい回復しましたか?』
「減ったぞむしろ」
『はあぁあああああああああ?! どんだけしょっぺえクソ魔法だったんですか?! 鬼化した私の鼻息で木っ端微塵にぶっ壊れるくらいスッカスカのカス魔法だったんじゃないでしょうね!? これじゃあ奨めた私がバカみたいじゃないですかああああああ!? 私よりも給料高いくせにィィィ!!! 絶対に絶対に許せませんねこれは!! 相羽死すべし!!』
重大なストレスを抱えているのか、今日一番の舟山の叫びが鳥のクチバシから飛び出した。
そのそしり合わせて鳥の全身がこれでもかと脈動した。とんでもなくキモかった。
燎祐は、さながらぶちまけられた汚物に向けるような冷たい眼差しを鳥にやる。
「何に怒ってるんだよ先生は……」
『給料に決まってるでしょう!! 給料に!!』
「守銭奴か!!」
『な に を い ま さ ら !』
「高 ら か に 言 う な !?」
と、しょうもないやり取りはそこで終わった。
舟山が無言になったのである。
それは暗に、何が見えるかと問うているようであった。
燎祐は、鳥を通じで発せられる舟山の圧に促されるまま、視線を扉の向こうへ向ける。
そこは先に舟山が口走ったように、部屋だった。
そして廊下と同じように、天井から裸電球がぶら下がっている。
暗闇ではなかった。
燎祐は部屋の隅々まで舐めるように目を走らせた。
「部屋の中は、なんて言うのかな。あれだ、爆発事故の跡って感じだ。足下に色んなものが散乱しているよ。それと奥に……鉄格子が、檻みたいなのが見える」
『檻、ですか。それは妙なものがあったものですね。行ってみましょう』
舟山の声音は依然として変わらないが、圧縮された時間の中で約八年の時を過ごした燎祐には、声の底の方で微かに感情が揺らいでいるのを感じていた。
動揺か、或いは焦りが滲んでいるのだろうか。
燎祐はそれには触れず、言われるがままに部屋の奥に見える檻に近づいていった。
空間を仕切る、野太い、黒い鉄の棒が地面から天井に向かって等間隔に生えている。
横並ぶその鉄格子には、扉と呼ぶべきものがない。出入りが考慮されていない、閉じ込めるためだけの造りだった。
「この檻、魔法生成物か」
燎祐は以前のように鉄格子を強引に開こうかと思ったが、これが魔法の産物であるならばと、貔貅の【悪食】を起動した。
野太い鉄格子の輪郭が急にぼやけ、数秒後、ブワッと細かい粒子状に分解された。【悪食】の起動によって、魔法が生成物の形状を維持できなくなったのだ。
こうなってしまうと、あとはあっという間だった。
貔貅がカっと口を開くと、粒子状に分解された鉄格子の吸引が始まった。
「おおぉ! 喰ってる喰ってる! サイクロンな掃除機みたいだ! すげー!」
『はん! 相羽のカス魔法なんていくら喰ってもクソの足しにもなりませんよ! クソ以下魔法なんてクソ食らえですよ! うんこ食べたて方がまだマシですよ! うんこ・イズ・デリシャスですよ!』
とんでもない暴言を吐く舟山の気圧されて、燎祐は「いまので魔力のストックが持ち直した」とは口が裂けても言えなかった。
と、その時である。
「……カカカ、まさか、おめえが来るたァな」
唐突に頭上から声がした。燎祐が見上げると天井に黒いシミがあった。
「俺様ァてっきりレナンが来るもンと思ってたンだけどなァ」
声は黒いシミの中から発せられていた。そのままシミを見続けていると、表面に波紋が立って、中心から真っ白い球形のものが浮上してきた。頭骨だった。といっても人間のものではない。人間と似ているが亜人の頭部だ。
シミの中から絞り出された頭骨が、ぬるっと宙を滑って、落下してきた。
燎祐は思わず両手でキャッチすると、頭骨の眼球がギランと赤く光った。
「よォ、おめぇ久しぶりじゃねぇか!」
「な!? 骨が喋った!?」
「おっとォ! そういやァ俺様、タワシ野郎の体質を押しつけられちまったンだったなァ! 燎祐、おめぇ、もう俺様のことが分かンねぇだろ」
『なっ!? あの厄介な体質を写されたんですか!?』
「その鳥よォ、魔力の質からして舟山先生だろォ。秘匿魔法使ってンなら解除してくれ、何喋ってンのか分かンねえ」
『おや! これは失礼しました!』
鳥がクチバシと羽をカッとお広げてキモいリアクションをした。
燎祐は、手の中で、生徒A――の頭骨がギョッとして固まっているのが分かった。
「ま、まあ、とりあえず無事でよかった」
「そいつが、まったく、そーともいい切れねンだなァ。なんせ身体がどっかいっちまったからよォ、カカカ!」
「は!? 笑い事か?! 平気なのかそれ!?」
燎祐は目の高さに頭骨を持ち上げる。
頭骨の口許がカカカカと揺れる。
「もちろんヤベぇゼ! けどまァ、どうしようもねえからなァ! カカカカ!」
『そ、そうでした! 身体と分離してどれくらい経つんです! それと、稲木出少年の体質を写されたって……! 相羽になにをされたっていうんです?! カリスの外道でも使われたんですか!?』
「先生よォ、ちっと焦りすぎだゼェ。まァ落ち着けよォ」
『で、ですがっ! その状態が続けば、君は遠からず消滅してしまうじゃないですか! いったいどれくらい分離しているんです!?』
「ン~~。ここに放り込まれてすぐだったからなァ。まァ、あと数日は保つンじゃねーかァ?」
その言葉にギョッとした燎祐の顔が、鳥と頭骨を高速で往復する。
「なんだそれ! おちおちしてる場合じゃねーぞ! なんとかならないのか先生っ!」
『いくら出します?』
「貔貅、この鳥食っていいぞ」
『ちょおおおおおお?! 冗談ですって! ティーチャー舟山の鉄板ジョークですよ! もぉ、常陸くんは堪え性がないですねえ! いつ私がお金を取って仕事しましたかって話ですよー!』
「アンタは部活の諸料金代わりつって、まゆりに魔法生成物させたモンをネット通販で捌いてるだろうが!!?」
『ど う し て そ れ を 知 っ て い る ん で す ?!』
「マジかこの教師。腐ってやがンな」
割と食いつきが良かった頭骨もドン引きだった。
二つの蔑んだ視線が、キモい鳥に突き刺さる。
『と、とにかく! いまの君の状態はヤババンなので、私に預からせて下さい! 数日で消滅なんてことがないようにしますから!』
「とかいって、俺様の保管料の名目で、あとまゆっちに仕事させる気なンだゼ」
「この教師マジか。腐ってやがる」
『しませんよ!?』
「信用できないから一回ぶっ殺しておこうぜ」
「ンだな。喰っちまおうゼ」
『ちょっとおおおおお!? 私だってやるときは無料でやる教師なんですよおおお!? 少しは信頼していただけませんかねええ?!』
「ちゅーか先生よォ、俺様ンこと忘れた感じじゃァねえみてぇだけどよォ、そいつァどういうカラクリでぇ?」
手の中の頭骨が、不思議そうな声音で訊ねる。
と、舟山が答える前に燎祐が割り込んだ。
「稲木出から聞いた話だが、亜人に人外、それと強力な加護に守られていると効かないそうだ。俺は記憶なくしちまったみてーだが」
「ほォ、そっけぇ」
『残念ながら、私程度では、記憶が消失する体質を取り除くことはできません。相羽がどうやったかは分かりませんが、どうにか除去する方法を見つけないと、永遠にこのままです。君は人間の記憶に残りません』
「いいンじゃねえか別に。人間連中は俺様のことなンぞ記憶したくもねえだろうし、どうせ記憶で苦労すンのは燎祐くれえだろうからよォ。カカカカ」
「俺の記憶力をナメなん」
「いや、おめえ記憶力すげー悪りィだろうが」
「実はいいんだ俺の記憶力」
「なンでえ『実は』って。今までのが嘘みてえに言うじゃねーか」
「色々あったんだよ色々」
と言うと、頭骨が凝と燎祐の両目を見た。
「どうやら、吹かしじゃァねーみてーだなァ。何があったか聞く気はねえが……、にしてもおめえ、以前とは別人レベルで変わってんじゃねーかァ。そういやァ、おめえと最後に会ったのァ決闘の少し前だったなァ。ンで、勝てたのけえレナンに」
「負けなかったぜ? 勝てもしなかったけどな!」
「バーカ、そいつァ引き分けって言うンだゼ。けどまァ、結果聞けて良かったゼ。そいつだけが俺様の心残りだった。あの日、応援に行ってやれなくて悪かったなァ燎祐」
「なぁに辛気くさいこと言ってんだ。お前そういうキャラじゃないだろタクラマ」
「ン」
『あれ』
「どうした?」
「いや、おめえ、なんつった今」
「どうしたって言ったぞ」
「その前だよぶっ殺すゾ」
『そうですよぶっ殺しますよ』
「え、急になに団結しちゃってんの二人で?! 俺なにか変なこといったかよタクラマ!?」
「それだよそれ!! 思いっきり言ってるじゃねーのォオオオオ?! なんでおめえ俺様の名前覚えてンだっつーのオォオオオ?!」
「いやいや忘れてっから。タクラマのこと覚えてねーから」
『 自 覚 な か っ た ぁ あ あ あ あ あ !!』
またまたご冗談をとばかりに笑う燎祐。
唖然とする鳥と頭骨。
そのいかんともし難い雰囲気にあてられ、燎祐も、いよいよ自分の異変に気づきはじめる。
「もしかして俺、なにか重大なことを口にしてます?」
そう言うと、鳥と頭骨が二度頷いた。
『思いっきり彼の名前言ってますよ』
「マジで?」
「マジよ」
『でも覚えがない、ということは無自覚に変換されているだけで、記憶が消失する影響は依然として残ったままなんでしょう。たぶん私が■■■■と言っても聞き取れないですよね』
「先生それ自分でピーって言ってないか」
『言ってませんよ!? え、ていうか私のそれピー音で聞こえるんですか?! 放送禁止用語みたいでメッチャ嫌なんですけど!? もう一回、もう一回やってもいいですか!? もう一回だけ!! お願いっ!』
次はお色気シーンでお馴染みのセクシーボイスが聞こえた。