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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
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第二章56 宵闇にだかれて④

 燎祐とヨーコが互いの戦場に着いた頃、二人が飛び出したあとの常陸家の近辺は、やや慌ただしくあった。

 あざやかに置いてけぼりを食らった黒服たちが、互いに顔を見合わせたり、司令塔に対応を仰いだりしているのである。

 黒服たちの頭に浮かんでいる言葉は、ひとつ。『これからどうする!?』だ。

 頭の中はそれ以外にない――と、いうよりは、他のことが思いつかないくらいに動揺しきっているのである。

 

 そんな彼らの情けない姿を、ほど近くから、不可視の目が凝と見ていた。

 国魔連の放った監視部隊のひとつである。

 この監視部隊は、国魔連オリジナルの視認攪乱魔法を展開して、これまで穏便に、ずっと景色に溶け込みながら常陸家と黒服を見張っていたのだが――

 

 事態が動くと同時、燎祐の追跡に二名を出した。

 残りのメンバーは現場に待機し監視を継続している。


 彼らが全員で、かつ全力で追走をしなかったのは、走り去った燎祐から微弱な魔力反応があったからだ。

 常陸燎祐に魔力はない、というデータを曇らせる事態に、監視部隊は「幻影ではないか」と疑心暗鬼になっていた。

 これは種を明かせば簡単な話で、燎祐は礼子(アヤコ)の魔力結晶を所持していたから微弱な魔力を放っていただけで、燎祐に魔力があるわけではなかった。


 だが、問題はその次だ。感知した微弱な魔力が『黄昏の射手』と同じだった上に、本人が隣にいたのである。

 そのことが、ますます彼らを常陸家の前に釘付けにさせていた。

 葉礼子(たにあやこ)は囮で、常陸燎祐はまだ家の中にいるのではないかと。


 魔法のエキスパートである彼らが、こうも頭を悩ませるのはほかでもない。


 『全ての命には魂と魔力がある』――誰もが信じて疑わない絶対の摂理。


 その片輪がポロンと外れた少年を捉える常識など、魔法が発達したこの世界には存在しないからである。


 魔力がないがゆえに、魔力による個体識別ができない。


 個体識別ができないがゆえに、魔法台による魔力監視ができない。


 魔力監視ができないがゆえに、魔力情報を基盤にもつセキュリティでは一切の対応ができない。


 感知魔法でも『動く物体』としか認識できない。


 ゆえに、常陸燎祐の存在を確認するには、記録された映像上からその姿を見つけるか直接的に観る以外に手立てがないのである。

 だったらば、家の庭にでも潜伏しておいて、隠密に徹して直に監視していればと思うだろうが、早い話が出来なかった。というより、無理だった。黒服にも、国魔連の監視部隊にもだ。


 端的にいって、常陸家は、久瀬まゆりの結界で守られた異次元の要塞だった。

 まず、敷地の外縁部に完全に外界を隔離・遮断する次元の断層が存在していた。文字通り、通行不能の『異次元』である。


 この次元断層を通過するには、久瀬まゆりの『許可』が必要で――

 許可がない者は、十把一絡げに、敷地内に立ち入れないだけでなく、外界から中の様子の一切を知ることが出来ないようになっている。当然、音も聞こえない。さながら情報を持ち帰らせてくれない事象の地平である。これにはどんな魔法使いも笑顔でお手上げだ。

 なお、玄関の向こうからもれいずる全ては『結界が見せている幻覚』という徹底ぶりである。


 というわけで、燎祐に対してできるアプローチは、本当の意味で『待ち』以外になく、否応なくそれを強いられる。

 だが、魔法を避けたり殴ったり出来る動体視力と反射神経に、イルルミ・レナンに匹敵する戦闘能力を持っている少年が、そう易々と思い通りになるわけがなく――――

 とりわけ黒服は任務に失敗したが、国魔連の監視部隊も追っ手二人を出したとは言え、順風だったのはそこまでであった。


 結局、補助魔法を全力開放で追跡していたにも関わらず、追いつくどころかあっという間に引き離され、河川敷に着いたとき、燎祐の姿は、たったいま神隠しがおこったかのように影一つなかった。

 夜風に撫でられた背の低い草が、さやさやと、静けさの内に鳴った。

 後に引くような、気味の悪い静けさだった。

 黒服と同じく、置いてけぼりを食らった二名の隊員、沢田と八間川(やまかわ)は、風に揺られた頭髪がバサっと抜け落ちるような薄ら寒さを感じていた。


「おい嘘だろ、こっちは最大出力でトバしてんだ!? 生身のヤツに追いつけないなんて道理があるか! でなきゃバケモンだぞあれは! どうなってんだ!? それになんで【黄昏の射手】が?! こりゃあ幻術の類いか?!」


 顔を青くした沢田が、頭の天辺に降り立った恐れを振り払うように喚いて、隣の八間川を見た。


「幻術、か。だったらよかったが、ありゃあどうみても、なあ」


「あ? お前、なにが言いたいんだ?」


「見たまんなのことさ。お前、あの少年が普通じゃないって話、聞いたことくらいあるだろ」


「魔力がないってやつだろ?」


 そっちじゃない、とでも言いたげに八間川は首を振る。

 沢田は、ますます分からない、といった顔で、いまの答えを八間川に催促した。

 八間川は「あれだよ」と切り出して、忘れ掛かっていた話を思い出すように言葉を足していた。


「あの無能の少年がさ、垂燈妍(しずり とうげん)の秘蔵っ子と引き分けたってヤツさ。なんでも学校で決闘したらしい。最近……つっても一、二週間は前だったな。聞いたときは眉唾と思って右から左に流してたが、こんな駿足をな、まざまざと見せつけられちまったらな……、もう信じるっきゃねえかな」


「は!? 燈妍とこのって、炎の(ジン)のあの子か!? あれと生身で互角って、本当に人間か!? 異常だぞ!?」


「けど、あの少年が湊暁丞(みなとあきつぐ)の愛弟子っていえば、お前も納得がいくか?」


「……おいおい、(みなと)ってあの(みなと)だよな!? 素手で魔女クラスを狩ったとか、蹴りで山脈を吹き飛ばしたとかって噂の――」


「噂じゃない。実話だ」


「は?」


「全部記録がある本当の話だ。湊暁丞(みなとあきつぐ)は国魔連の最終兵器(リーサルウェポン)と呼ぶに相応しい、最強の怪物だよ。そもそも人間なのかすら怪しいがな」


「よくそんなのに師事したなぁ……。俺だったら一日だって人間の形を保ってられる自信ないぞ」


「バーカ、俺らじゃ十秒でミンチだ」


「そこまで形が残ってりゃいいけどな……。なあ本当に人間なんだよな、あの少年は……」


「普通じゃないのは確かだが、人間には違いない――――」


 その先を言いかけて、八間川は、右隣を走る沢田の前を右手で遮って、止まれと合図をした。

 合図を出された沢田は、まばたきで意味を問い返すも、即座に八間川からのアイコンタクトで理由を把握した。

 『後ろの連中に道を譲る』というやり取りであった。


 沢田が振り返ると、後方から、手足の生えた一団の闇が移動してくるのが見えた。黒服部隊だ。

 かなりの速度で移動しているが、靴音はせず衣擦れの音もしていない。無音である。

 この闇の集団に八間川が気づいたのは、彼らの発する尋常ならざる気配だった。

 破裂しそうなほどの苛立ちが人間大のカプセルに閉じ込められているかのようである。


「はは。黒服さんたち、えらく焦ってやがる。ここは少し黙って見学していたほうが良さそうだ」


 八間川の言うとおり、黒服たちには、確かな焦燥の色が目の奥にあった。

 それが全身を伝って大気の中にオーラのように発散されている。少なくとも八間川にはそういう風に視えていた。

 監視部隊員である八間川は、こうした目に見えないものを掴むのに長けていた。

 といっても、もちろん魔法があって成せる技であって、燎祐のように自前の五感で感じ取っているわけではないが。


「その割には気持ち悪いくらい機械的に動く連中だなあ」


 沢田が、感心三割、呆れ七割な感じでだらっと漏らした。

 黒服たちの動きに、焦った人間特有の雑味はない。むしろ、軍事パレードのように統率された行動をしている。

 人間と機械が融合した存在は、きっとこんな風に命令(コマンド)に従順なのだろうと沢田は思った。


 しているうちに、人型の闇となって土手にやって来た黒服たちがバッと散らばった。

 八間川には彼らがなにをしているかが分かっていたが、沢田は黒服が自分たちを探しているのかと思い違いをし、身構えた。

 それと気づいた八間川が、沢田の手に握られていた補助魔導機に手を載せ、その必要はない、と視線だけで言い聞かせる。


「あいつらは少年の痕跡を探しているだけだ。そら時期に走り出すぞ。こっちも追う準備だ。楽させてもらおう」


 すると八間川の口にしたとおり、黒服は闇の中から燎祐の足跡を見つけたらしかった。猟犬もあんぐりするほどの速度である。

 黒服たちは一カ所に音もなく集合し、数瞬後、黒服たちの姿は河川敷から消えていた。

 八間川が、準備はできているな?、とでも言うように沢田の肩に手を載せる。


「あの少年がいつイルルミ・レナンと接触するかも分からない以上、万が一、黒服の連中に彼が確保されては目も当てられなくなる。何としても八和六合(シオノクニ)との戦争を回避する。追うぞ沢田。なに追跡用のマーキングは済んでいる」


「八間川は仕事が早くて助かる」



****



 金色の風が、人っ気の失せた街路を走り抜けた。

 『黄昏の射手』葉礼子(たに あやこ)こと、ヨーコである。

 現在、彼女は付近一帯に隠れ潜む稲木出を片っ端から叩いている真っ最中で――

 あえて存在感をだすべく荒く足音を立てながら、誰も居なくなった街を走り回っている。

 むろん、自らを餌として稲木出を釣るためだ。


「獲物を釣るなら、活きと新鮮さが命ってね」


 その狙い通り、ヨーコの姿を認めた稲木出がブロック塀の隙間から、軟体生物のようにヌルヌルっと這いだして、直後、水鉄砲のように飛翔。そして過ぎ去ったヨーコの背に迫った。

 瞬間、ヨーコが小さく跳躍し、宙空でくるっと軽やかに背後を向き、金色の光が灯る右手を突き出した。


「――――【旋迅弾(エアロ・ビュレット)】ッ!!」


 ヨーコの手から放たれた魔法の弾丸が、肉薄する稲木出を襲った。

 まるで、一本の竜巻が真横に走ったみたいだった。

 その余波で、周囲の構造物が紙細工のように千々になぎ払われ、魔法の射線上は、巨人のスプーンでごっそりと抉り取られてしまったかのように、一瞬で更地になった。もちろん稲木出も跡形もない。


「どああぁぁぁ!? あたしの投射系最弱魔法でこの威力かよおおお!!  あの魔王バカなんじゃないのぉおおおお!? なんつー加護を人間に寄越してくれてんのよ!!?」


 ヨーコの放った魔法は、男が使っていた【ギガロ・ストライク】よりも遙かに下位の部類に入る魔法だったのだが――

 

 異界レーテオルフの魔王からの加護を授かっているために、必要に応じて、ヨーコの能力は数千~数万倍に上昇するのである。

 ちなみにレーテオルフでは常時数千倍。


 というわけで、もしヨーコが気合いを入れて影響範囲の広い魔法でも使おうものなら、もっと酷いことになる。


「魔法台に観測されてる以上、派手な魔法は使ったら一発アウトなんだからさあ、マジで勘弁してよもお……!」


 世界のバランスを壊しかねない能力は駆除される。

 そのために魔法台による全面監視が行われている。

 特に、いまのヨーコは、登録上の能力値と、そこから推測される魔法の出力がまったく噛み合っていない。

 いくら国魔連の要請に応じて仕事をこなしているといえど、危険と判断されるに足る能力を発揮してしまっている。

 むろん、これでも全力のゼの字も出していない。


 で、この破壊力なのだから、潜在的な危険度はなかなかに計り知れないわけで――久瀬まゆりのように首輪を付けられない場合は、やはり駆除は免れない。


「自分で自分にしこたまデバフかけなきゃいけない日が来るとか! あんのクソ魔王! 絶対にただじゃおかないんだから!」


 魔王に掛けられた加護は、ヨーコ本人の意志に関係なく作用する。

 なので、いくら制御しようと本人が奮闘しても全くの無駄で、問答無用の大出力。

 何を隠そう、魔王さまは超が百個ついても足りないくらいの過保護なのである。


 よって、ヨーコは、自分に目一杯のデバフをかけまくり、能力を最低レベルまで引き下げているのだが、それでもこの威力。

 こうなればもう、威力を持たない魔法を選ぶしか道はない。


「へへん! 攻撃魔法じゃなければまだワンチャンあるっ! さすがアタシ冴えてるー!」


 ヨーコは、周囲の稲木出の注意を引きつけるが如く、声高に叫びながら、無人の道路の上を走る。


「おいこら稲木出ー! おめーら全員、一匹残らず駆除してやっかんなー!」


 その声に釣られて、辺りに隠れ潜んでいた稲木出が続々と顔を出し、次々にヨーコに飛びかかった。

 ヨーコは、待っていましたとばかりに口角を持ち上げ、全身に黄金の風を纏った。

 直後、その姿が世界から消えた。

 地面に、巨大なクレーターができあがっている。

 ヨーコは跳躍していた。

 それも短い距離ではない、一瞬にして数百メートル昇るという大跳躍だ。


異世界(レーテオルフ)の勇者なめんなよ!」


 突き出されたヨーコの右腕が、足下で右往左往している稲木出の群れを捉える。


「くらいなアタシの十八番!! ただし今日だけ最弱極小サイズ!! 【風牢迎(シュタイフ)夜嵐(ェ・ブリーゼ)】!!」


 ビー玉サイズに凝縮された黄金の弾が、一条の光となって、稲木出の群れの中心に突き立つ。

 その魔法は、レーテオルフでも頼りにしているヨーコの得意技。負圧によって敵を引き寄せ、風の牢獄に閉じ込める被殺傷の捕縛魔法。


「これで一網打尽よ! 案外ちょろかったわね!」


 射出された魔法の出力を見て、ヨーコは余裕をかました。

 が、その直後、とんでもないことが起こった。

 黄金の弾の落ちた付近の、景色という景色がつるりと滑ったのだ


 ん?、と疑問を浮かべた瞬間、周囲の構造物が、根こそぎ、黄金の一点に向かって勢いよく滑り出した。そして、そこにあった何もかもが、ただ一点に凝集した。まるで栓を抜いた排水溝のようであった。


 ヨーコがその事態を理解するよりも先に、眼下の地形は、無に変わり果てていた。

 たった数秒の出来事である。 


「……ぇ、なにこの魔法……、え……?」


 ヨーコの頬っぺたが尋常じゃないほどに引き攣っている。

 もはやラグナロクとか核戦争とか、そんな終末系の単語しか浮かばない威力だった。

 上空に飛び上がっていたヨーコの身体が、今度は垂直に落下をはじめた。


「魔法台に監視されてんだぞアタシ!? こんなんじゃ二度と現世に還ってこられないじゃんかああああああああ!? 捕まったら百パー死刑囚だっつーのおおおおお!!!」


 と、数百メートルの高度から自由落下に身を任せながら嘆いていると、ぐんっ、とヨーコの身体が宙に止まった。

 どうやら誰かに腹を抱きかかえられているらしい。

 次いで、声が降ってきた。


「私たちの勇者が現世で死刑は困ります。ターニャにはちゃんと魔王様を倒していただかないと」


 それはヨーコには耳慣れた声だった。

 まさかと思って顔を上げると、テキトーな顔が描かれた真っ白いお面をつけた男が、そこにいた。

 レーテオルフの魔王の腹心、超悪魔神官の(チョウ)だった。

 普段のヨーコが見知っているローブ的な姿とは違い、スラッとしたタイトなスーツに身を包んでいるが、背中から黒い翼を生やして、パタパタと空を飛んでいるあたり、そして「(たに)礼子(あやこ)」を略して「ターニャ」と呼ぶ辺り、間違いなく、ヨーコの知る超悪魔神官(そいつ)であった。


(チョウ)!? アンタなんでこっちの世界に?!」


「実はこのたび、こちらの世界の交通系ICカードと、レーテオルフの『マジカ』の相互利用が決まりまして、今日はその打ち合わせに――」


「ンなこたぁ聞いてねーし!? アンタこっちに来れたの?! つーか、いつからいんのよ!?」


「仕事で毎週来てますよ? あれ、言ってませんでしたっけ? なみに今回はターニャが帰った日に来ました」


「初耳だわ!」


「ところで、さっきっからなんで街を破壊してるんですか?」


「お仕事だよ!」


「鬼畜ですね!」


「壊したくて壊してんじゃねーよ?! あの魔王(ジジイ)の加護で魔法の威力がトチ狂ってんだよ!? っておいぃぃぃぃ、口笛吹いて誤魔化すんじゃねーよ!! 間接的にお前等のせいだろこれ!? なんとかしろこらああ!!!」


「タ、ターニャ落ち着いて! 暴れないで! 落ちちゃいますって!」


 どうどうとヨーコ、もとい勇者ターニャを宥める超悪魔神官。


「そんなに被害を出したくないのなら、以前に一度だけ使っていた、例のお友達の魔法を使ったら良いんじゃないですか? 標的のみをぶっ殺す、あのえげつない魔法です。確か、ディスティングリッシュ・ボルトって言いましたか」


「うっ……」


 ヨーコは痛いところを突かれたように押し黙った。

 超悪魔神官の超は、あれ?、と言った様子でターニャを見下ろす。


「いや、まあ、うん……。そうなんだけどさ……。あの魔法は、ちょっと、苦手っていうか……その」


「その?」


「いまは、あんまり使いたくないっていうか……」


「ターニャ、それで勇者が務まりますか」


「だって、あの魔法は……。それに失敗したら被害が――」


「だってじゃありません! ターニャは勇者です! いま最善を尽くさずしてなにをしますか! 世界の危機を救うのに、どの世界の勇者かなんて関係ありません! 世界の大小も関係ありません! 目の前の世界を守ることこそが、ターニャの、勇者の務めなのです!」


 勇者ターニャ、超悪魔神官にお説教をされる。

 しゅんと項垂れて、はい……、と、しおらしく返事をする勇者。

 超悪魔神官は、よろしい、と優しい声を差し向けると、ターニャをお姫様だっこして、空高く舞い上がった。


「え、超!? どこ行くつもり?!」


「ターニャが相手していた怪物を、一網打尽にするのに一番いい場所です。かなり広範囲に分布しているみたいですからね」


「アンタ、もしかしてずっとアタシのこと見てた?」


「一部始終は。って、勘違いしないでくださいね、ちゃんと仕事もしてますから」


「別に。そっちは疑ってないわよ」


「誤解されていなくてなによりです。ターニャはすーぐ頭に血が昇って私や魔王さまをボコスカ殴りますからね」 


「あ”ぁ”ん”?」


 勇者にあるまじき眼光ですごみを利かせるターニャから、スッと顔を背け、空の彼方を目指す超悪魔神官。

 やがて、深い雲海の上に降り立つ。

 濃紺の夜空には、星だけが瞬いている。

 眼下は、薄暗い灰色の雲のみである。


「このくらいの高さがあれば大気中での魔力の減衰も期待できますし、デバフによる出力の調整もいらないでしょう? さあ、一思いにやっちゃってくださいターニャ! 大丈夫、私もサポートしますから!」


 超悪魔神官が言った。

 その胸にゆったりと抱えられている勇者が、ニッと笑って、より高き天空に向かって右手をかざした。


「……っし」


「ターニャ?」


「うっし! 決めた!! アンタの言うとおり、全力でやってやるわ!!」


「はい、その意気です! 遠慮なくぶっ放して下さい!」


「魔獣を殺し、殲滅するためだけにつくられたこの魔法の真の力――いまこそ解き放つ!! 見てなさい!!」


 勇壮な声とともに、ターニャのリミットが外れ、押さえていた膨大な魔力が一気に解放された。

 その異様ともいえる魔力濃度は、魔力特性として顕現し、ターニャの周囲に黄金の風を吹かせ、地上まで伸びる巨大な渦を形勢した。

 この常軌を逸した魔力の重圧に、(チョウ)は、流れ出す冷や汗を押さえられなかった。

 そして、この魔法は危険すぎると判って、慌てて制止に入った。


「あ、待ってターニャ! やっぱり止めましょう! この魔法危ないです!!  今から下に降りるんで私と一緒に一匹ずつやりましょう! 私めっちゃ頑張るんで!!」


「駄目だ、撃つ!!」


「なんでえええええ?!」


「それが、勇者の責務だから!! 私が終わらせる!! 」


 勇者ターニャの右手が、星空を塗り潰すほど、夜の中に燦然と輝いた。


「さまよえる亡霊よ、この一撃で眠れ、【ディスティングリッシュ・ボルト】――――」


 雲海が、二人を中心に、口を開けたように真円に裂けた。

 灰色の絨毯の底が抜けて、遙か下に、点々とした街明かりが見えた。

 無限とも思える黄金の雷が大地に降り注いだのは、その時であった。



「――――続唱(セクエンツィア)・【ラクリモーサ】!!!」



 高高度から最大出力で放たれた超高威力の自動識別攻撃魔法は、地上に存在する稲木出だけを確実に穿った。

 命中した瞬間、真っ黒の塊たちは、超高熱の雷によって内側から白熱し、爆散した。その飛散した欠片に、再び黄金の雷が落ちる。飛び散る。命中する。

 それは消滅するまで繰り返される、決して逃げ切れない無間地獄。


 それは、人類に害なす魔に墜ちた獣――『魔獣』を仕留めるために、久瀬まゆりが創った魔法。

 そして久瀬まゆりが、葉礼子(たにあやこ)にだけ伝えた、ディスティングリッシュ・ボルトの本当のチカラ。


 続唱(セクエンツィア)に隠された力を、ターニャは解き放った。


 飢えに飢えた獣が獲物を貪るが如く、無尽に走る不可避の雷。

 明滅する奪命の光。

 避けることは出来ず、逃げ切ることも出来ない。

 ただ死ぬのみ。

 それはこの上ない理不尽な攻撃だった。

 久瀬まゆりという少女は、これを『涙の日(ラクリモーサ)』と名付けた。

 その『涙』の意味は、果たして誰のものだろうか。


「まだ、まだぁぁああ!!」


 絶え間ない魔法攻撃を受け、稲木出はその数をみるみると減らしていく。

 しかし、それだけに魔力の消費も尋常ではない。

 範囲も広すぎれば、的も多すぎるのだ。

 こうなれば魔力が尽きるのが先か、稲木出が滅ぶのが先かしかない。

 どちらにせよ、その命運は、勇者ターニャの手に握られている。


「ぐぎぎぃぃい!! きっつーーー!!! 魔力きっつうぅうう!!! こうなったらアンタの魔力も使わせてもらうからね!!」


「え、ちょ、なに勝手に私の魔力ドレインしてるんですかああああ!? やめ! あっ! あっ! なんか気持ちいいのでもっと吸って下さぁぁぁああい!! もっとおお!! もっとドレインをぉぉおおお!!」


「言われんでもアンタの魔力から先に使い切ってやるわっ!!」


「あぁぁ~~ん!! きんもちぃぃぃぃ~~~!!」


 黄金を纏う万雷が、絶えず稲木出を打ち据える。

 幾百幾千に枝分かれしたその先々で、稲木出が、次々に弾け、そして最後は白い煙となって消えた。


「う わ あ……勇者とは思えないほど(きた)ない魔法ですね……。もっとこう、パアァっと、背景に花でも出てきそうな美麗な浄化魔法とか知らないんですかターニャは?」


「うっさい! アタシは攻撃魔法専門だっつーの!」


「ていうか、私の魔力そんなに使われていないようなのですが……、もしかしてターニャ手加減してくれました?」


「アンタの魔力量が異常なだけでしょ!? こちとら殺すくらい吸ってやったわよ?! ……ってか、てか……」


「ターニャ?」


「ま、魔力……ぜんぶ、使い切っちゃったっ、ぽい、から……も、ぉ、む、りぃ……」


 地上で最後の雷が瞬いた瞬間、空に伸ばしていたターニャの手が、力なく落ちた。

 稲木出の最後の一編が消滅したのも、それと同時であった。

 ターニャの魔力は空っぽだった。

 意識を喪失していくなか、ターニャは「助けられなくて、ごめん……」と小さくつぶやいた。

 果たしてそれが、誰に向けられていたものなのかは分からない。


「彼の者の魂は、きっと救われたことでしょう。お疲れ様でした、礼子(アヤコ)


 悪魔とは思えない、我が子を憂うような、優しい声だった。

 ほどなくして、超悪魔神官は、眠れる勇者を抱え異界へと飛び去った。

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