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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
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第二章53 宵闇にだかれて①


 一通りの話が終わって、長い沈黙が訪れたあと、ヨーコは、とりあえず今日は寝ようと提案した。

 相羽との決戦を想定していた燎祐は、最後まで準備や対策に時間を費やしたかったが、そんなのは考えるだけ無駄だとヨーコに諭された。それで張っていた気がぷつりと切れてしまったか、燎祐は、憑き物が落ちたように、微睡(まどろ)みの中へと落ちてしまった。

 気がついたときには、カーテンの隙間は、また黒く塗り潰れはじめていた。


 十七時であった。

 土曜日の、である。

 金曜日は昨日に過ぎた。

 燎祐は、あれから丸一日以上寝ていた。

 それと分かった瞬間、錯乱したように周囲を見回した。

 すると、隣で、何かがのそっと起き上がった。


「お~、やっとお目覚めかよー。マジどんだけ寝るのかと思ったわ~」


 長い金髪をぐしゃぐしゃにた寝ぼけ眼のヨーコだった。

 ふあーと、大あくびをしているあたり、どうやらこちらも寝起きたばかりのようだった。


「あーそうそう、布団は勝手に敷かせてもらったから」


 と言われたので、改めて辺りを見回してみると、居間のテーブルは端っこに追いやられていて、民宿よろしく、布団が川の字に敷かれていた。といっても二人分だが。


「ありがと……、ん?! まさかヨーコもここで寝たのか!?」


「いいじゃん別に。変なことしてないし」


「そういう問題じゃないだろ!? 少なくとも男女だぞ?!」


「まゆりんとは同衾(どうきん)してるくせに、なーに言ってんだか」


「!!」


「ほーらやっぱり」


 単なる出任せのつもりが、ど真ん中を貫いていたと分かって、クスクスと笑うヨーコ。


「やっぱアンタの隣は信用できるよ。十年も一緒なのに未だにまゆりんに手ぇ出してないってんだからね」


「おまっ!?」


「どーせ魔法が使えるようになるまでそーいうの封印ー、とか思っちゃってるんだろうけどさーあ」


「いいだろ別に?!」


「よくないってーの」


 子供じみたい掛け合いだった。

 しかし、ヨーコの声音が、少しだけ真面目な色を帯びた。


「人生の中で、いまが一番自由で、いまが一番楽しいときだってのにさ、あの子をいつまでアンタの独りよがりに付き合わすのさ」


「――」


「アンタはさ、まゆりんと魔法、どちらか一方しか選べないってなったとき、どっち選ぶんだろうね」


「まゆりに決まってるだろ、そんなの」


「夢の足下に(すが)ったままでよく言うわ。ホント、ダサいったらないわー、マジないわー!」


 そう言ってヨーコは、布団の上に、ごろんと手足を投げ出す。

 で、ぐるっと身を転がして、枕の中に顔をうずめて、時折小さく足をバタつかせた。

 かと思えば、枕を顔に押しつけたまま、布団の上をゴロゴロしはじめた。

 それが、あまりにヨーコらしくない感じだったので、いやに目についた。


「ヨーコ?」


「うっさい死ね」


「まだなにも言ってないぞ」


「なんでもない。なんでもないったら」


「……分かった。んじゃ、ちょっと部屋で着替えてくるから、風呂でも何でも好きに使っててくれ」


 枕に顔をうずめたままのヨーコが、コクっと頷いた。

 返事はそれだけだった。

 ほどなく、燎祐が居間の襖を閉めた音が聞こえると、ようやくヨーコが顔を上げた。

 その頬には、微かに朱の色が差していた。


「これじゃ、なんで来たかなんて、言えっこないじゃん……」


 嘆きにも似た乙女の溜め息が、枕の上に零れた。



***


 先ほどより時計の短針がふたつ進んで、十九時を示していた。

 燎祐とヨーコは、その一時間ほど前から、居間で、これからの打ち合わせをしている。

 ヨーコ自身は、燎祐の口から出た言葉以上の内容はなにも知らないが――

 その割には、今まで随行していたんじゃないかというほど、燎祐が置かれた状況をすっかり呑み込んでおり、これからどうすべきかと、その整理にとりかかっていた。


「――で、その相羽ってヤツが、今夜学校にいるのは確実なんだろうけどさ、肝心の生徒Aの居場所が不明なんじゃあね」


「どうやって口を割らせるかが問題なんだが、いやそもそも、どうやっても口を割りそうにないんだよなあいつ」


「もう一人の、稲木出ってったけ? そいつがいるじゃない」


「稲木出か……。あいつ、なんとなく口は軽い気はするし、上手くすれば吐くかもしれないんだけど……、結構な暴走癖のあるヤツだからなあ。そんなヤツの単独行動を許すとは、なかなか思えないんだよ」


「まあねえ。けど、相羽ってのは手段選ばないんでしょ。んで、今日が目的成就に最適な日だってなら、用意周到に色々進めてると思うんだわ」


「それは、事後の処理も含めてって意味だな?」


 ヨーコが頷く。


「でも私が相羽ってヤツなら、煩わしいのはゴメンだから、手ずから口封じなんかしないな」


「記憶でも消すのか?」


「いんや。特攻命令を下した稲木出を差し向けて使い捨てる。そこに生徒Aを絡めれば、だいぶいい時間稼ぎになってくれるし、処理する手間も省けて、まさに一石二鳥って感じなわけよ」


 ヨーコの言葉を聞いた燎祐の脳裏に、相羽に惨殺された男の絵が、封鎖区画での一幕が甦っていた。

 そして改めて思った。

 相羽は、目的のためならなんでもやる、と。


「だったら……、カリスの陰謀も、相羽の蛮行も、ここで挫いておかなきゃな。そんな連中を野放しになんかしていいわけがないぜ」


 燎祐の空色の瞳に熱が籠もった。

 しかし、その言葉に、ヨーコの黄昏の瞳は懐疑的だった。


「は、なんでさ? アンタの目的は生徒Aの奪還でしょ? カリスとか相羽を追う必要なんてないじゃん?」


 ヨーコは、そう言って燎祐の方をチラッと見る。

 燎祐は口許を右手で覆ったまま、考え込んでいた。

 これまでのことを洗いざらい伝えはしたが、メイの件だけは教えてはいなかった。というよりも、どうやっても口にすることが出来なかった。話そうとすれば、口がひとりでに、辻褄が合うように別のことを喋った。

 いまも、そうなりかけている。口許を押さえ込んでいる手を離せば、きっとまた、そうなる。

 そんな燎祐に、ヨーコは今一度問うた。


「それとも、相羽を追う理由でもあるわけ?」


「まだ未精算(ツケ)のことがあってな。そいつを解決しようってだけだ」


「なにそれ気高い」


「茶化すなよ」


「茶化してねーしー。まっ、それは置いといてさ、アンタが気兼ねなく相羽と戦るには、それなりの準備がいるでしょ。魔法戦の対策もそうだけど、先ずは生徒Aの居場所掴まないと。それから、安全と脱出ルートの確保、それが担保できて、やっと戦える」


「そりゃそうなんだが、生徒Aのことは、学校中どころか街中探して手がかりがなかったんだ。もし稲木出が場所を吐いたとして、生徒Aが遠い場所に幽閉されてるんだとしたら、救出が間に合うかどうか」


「仮に遠けりゃ国魔連か警察にでも通報すりゃいい話。自分で救いたいって気持ちは分からんでもないけど、全部アンタが背負わなきゃいけないって道理はないでしょ」


 ご尤もな指摘だった。

 そしてそのまま、話のペースをヨーコに握られた。


「つか、アタシの見立てだと、生徒Aは案外近場に捕まってると思うね」


「どういうことだ?」


「手がかりが何も出てこないのは、完璧なまでに痕跡を断ったんじゃなくて、誘拐した現場から殆ど移動してないんじゃないかってこと」


「そりゃないだろ、だって学校中を隈無く探したんだぜ?」


「職員室も?」


「え、いや、そこは流石に」


「ほーら抜けがあった。ってことは、ちゃんと見てない場所がいくつもあるってことでしょー、ここは見なくても大丈夫だーとか言ってさーあ」


「うっ……、それは否定できないかもしれん」


「ったく、三人もいて何やってんだか」


 もう一言くらい強く言いたい気持ちがあったが、ヨーコは、それ以上責めるのを止め、代わりに深い溜め息をついた。

 燎祐はますます気後れして、下を向いた。


「学校に着いたら、とにかく洗い直しをすることね。絶対に何かを見落としてるはずだから。普通ならまず見ない場所とか、普通は見えない場所とかさ、そういうところ徹底的に探しな」


「はい……」


「……アタシは東烽の生徒じゃないから、結界があるうちは学校の敷地には入れないし、手伝ってやれない。けど、もし結界が解けて、アンタ一人の手に負えないときは、これで報せてよ」


 そう言って、ヨーコは黄金色のビー玉を数個、どこからともなく取りだした。

 燎祐はその一粒を摘まみあげて、その向こうにヨーコを透かす。


「この色、結晶化させたヨーコの魔力か。どうやって使うんだ」


「ヤバいときは空に投げて。アタシの魔力色なら照明弾の代わりになる」


「なるほどな。それ以外の使い道は?」


「ないけど」


「ないのかよ」


「だってリョウ魔法使えないじゃん。まあ使えたところで、他人の魔力を使うのには調律要るから、よっぽどの手合いじゃないと無意味よ、それ。まあ残りの結晶は、そうね、補助魔法(エンハンス)を持続させるための予備バッテリーとでも思っておいて」


「へえ。結晶化した魔力ってそんな使い方ができるのか。でも、まゆりがやってるの見たことないな」


「まゆりんの場合そもそも補助魔法の持続時間を心配する必要がないっつーか、あの子は補助魔法の効果を毎回自分で切ってるからね」


「え、あれって自然に切れてたんじゃないの」


「いんや、いつも手動だね」


「なんでまた」


「自分で切らないと補助魔法の効果が半永久的に続くんだってさ」


「まじか」


 初めて知る真実だった。



***



 時刻はまもなく二十時になる。

 燎祐とヨーコは、出発の仕度を調え、居間でテーブルを挟んで座したまま、目端で時計の分針が進むのを窺っている。

 メイの言葉通りなら、相羽は今夜中に東烽高校に現れる。

 しかし、燎祐の到着が早すぎても、遅すぎてもいけない。

 絶好のタイミングは、結界が貯蔵する月光の魔力が枯渇する頃、その時、必ず、相羽は学校結界を破壊するために姿を現す。

 ヨーコの計算では、そのタイミングは、もう間もなくの予定だった。


「行く前に、アンタにもうひとつ渡しておくものがあるんだわ。っていっても、アタシからじゃないんだけどさ」


「?」


 不思議そうな顔をでヨーコを見返す燎祐。


「台所にあったんだ。誰さんかは知らないんだけど、これ、アンタにってさ。準備いいねー」


 そう言ってヨーコは、テーブルの上に、白い織物を出した。外套だった。

 燎祐は、以前それを見た記憶があった。

 外套に目を向けながら、一瞬、深く考え込んだあと、燎祐は閃いたように視線を上げた。


「レナンの……、御庭番の外套だ」


「そうなの? なんかアンタ用に仕立ててたらしいよ。見たところ、従来の魔力被覆とは違う種類のコーティングと加工が施されてるみたいだし、丸腰のリョウにはピッタリじゃん、よかったね」


 よかったね、と口にしている割には、声のトーンがやや下がって聞こえた。

 心なしか、眉も不機嫌な形をしている気がした。


「でも、どうしてこんなものを」


「さあね。レナンって人に直接に聞いてみたら?」


 ヨーコはぶっきらぼうに言い放って顔を背けた。

 燎祐は、なにも言わせて貰えず、黙って外套を受け取るしかなくなった。


「……」

「……」


 手に取って広げてみると、外套は確かに燎祐の背丈に合わせた寸法だった。

 背には白狐の刺繍が施されている。

 あの日レナンが身に纏っていたものと同じ純白。

 紛れもなく、八和六合(シオノクニ)の御庭番が役目を果たすときに着る外套だった。

 燎祐が、外套を服の上から体に合わせていると、ヨーコが、着れば?、みたいな視線を寄越してきた。

 なんでそんなに立腹しているのか分からないまま、燎祐はその場で立ち上がって、白い外套に袖を通した。

 素材が特殊だからなのだろうか、丈長であるのに、不思議と重さを感じない。

 

「似合ってんじゃん」


 ヨーコがぽつりと言った。

 聞き漏らした燎祐が、え?、と顔を向けた時には、ヨーコはまたそっぽを向いていた。


「その外套のすーぱーぱわあがあれば、別にアタシを呼び立てることもないでしょーよ。アタシの結晶なんか、ただの電池でしょーよ」


 ヨーコの声は、どこかねじけているような、不貞腐れているような感じがあった。

 目もどこかジトッとしているし、燎祐の方を見ようとしない。

 燎祐は、まあいいか、と思いながらその場に胡座をかいて、暫くヨーコの方を見ていた。


「なによ? 言いたいことでもあるわけ?」


 ヨーコはささくれ立っていた。

 が、燎祐はまったく意に介した様子はなく、これからのことを思いながら、言葉を返した。


「ヨーコが来てくれて本当によかった。お前の補助魔法、あてにしてるぜ」


「――えっ、あ、うん!? 期待して!?」


 言った途端、ヨーコが柄にもなく慌てふためき、かと思えば居住まいを崩して、テーブルの上に飛び込むように思い切り顔を伏せた。


――アタシなに嬉しくなってんだバカーーーーー!!


 腕の外堀に隠された顔は、湯気が上がりそうなくらい赤くなっていて、そのせいかヨーコは軽く眼を回していた。

 そんなヨーコを、不安そうに見下ろす燎祐。

 していると、ヨーコの上着のポケットから、メールの着信音が鳴った。止んだと思ったら、連続して鳴った。


――なによ、こんな時に!? うっさいわね!!


 桜色に咲く感情を一曲でぶち壊した携帯に、ギリギリと手をのばすヨーコ。

 怒りに燃える指先が画面をタップしてメールを開き、金色の瞳が、ギロリとそれを睨め付ける。

 と、その直後、ヨーコの瞳がかっ開き、起き上がりこぼしのようにビヨンと跳ね起きた。


「ちょ、嘘でしょ?! なんでよ?!」


「どうした、レーテオルフから最新のハト画像でも送られてきたか」


「違うっつーの!! 茶化すんじゃないわよ!!」


 急に声を張り上げ、燎祐を睨むヨーコ。

 これは大事があったなと察して、燎祐の目つきが、ガラッと変わる。


「何があった」


「国魔連から緊急の出動要請っ! 湾岸地区で暴れてる馬鹿がいるって! こいつよ!!」


 ヨーコが手の中の携帯を燎祐の鼻先に押しつける。

 急に寄ってきた画面に焦点が合わず、燎祐は、首をぐっと後ろに引いて、眉間に力を寄せた。

 開かれたメールの文面に目を落としながら、燎祐は画面を下に送った。

 画像が添付されていた。

 湾岸地区の監視カメラからの画像だった。

 その画像の中央に映っているのは、刀のようなものを振り回している、大きなタワシ頭の人物。

 燎祐の目に、驚きの色が浮かび上がる。


「稲木出だ!」


「え!? このタワシが!? あ、ちょい待って! もう一通来た! 今度は県境でって、えっ!? これもタワシ頭じゃん!? どうなってんの?!」


「出るぞヨーコ!」


「待って待って! これおかしいって! 場所が全然違う! 一通目は湾岸地区、もう一通は県境の街道付近、なのに発生がほぼ同時刻よ! これ誤報じゃ――――」


 そう言っている間に、三通目、四通目、五通目のメールが届き、ほどなくメールは合計で八通になった。

 そのどれもに、稲木出の画像が添付されているが、出現場所がひとつとして重なっていない。

 燎祐は、急ぎ部屋から地図と画鋲を持ちこんで、テーブルの上に広げる。

 ヨーコが番地を読み上げる。

 燎祐が地図上に画鋲を立てる。

 大まかにではあるが各地点の位置関係が視覚化された。

 それを見下ろしている燎祐とヨーコは、ともに口をあんぐりとさせていた。

 さもあろう、各地点は相互に数キロ程隔たっていたのである。


「国魔連を学校に近寄らせないための陽動ってわけか、これじゃあカリスのことをタレ込んでもダメそうだな……」


「つか、なんで稲木出に化けてんのこいつら? 罪着せようって(ハラ)なわけ……?」


「…………いや、違う。八人すべてが稲木出だ。相羽はここであいつを使い潰す気だろう」


「は? 全員本人って、いやいや、それはさすがに無理でしょ」


「相羽は生徒Aを複製していた。そして相羽自身も。それと同じことをしているなら、この八人のタワシ頭は幻術でも変化でもない、全員が稲木出だ」


「人体の一部を複製するならまだしも、存在そのものをコピーしたってコト!? よく碧瑠璃の魔女に解体されないわね、その魔法……。いや、道からも理からも外れた『理外の理』外道の魔法の類ならありえるのか……、カリスみたいだし」


「たしか御業(ミワザ)って言ったか。いったいどんな魔法なんだかな。気味が悪いぜ」


「アタシの知ってる限り、御業(ミワザ)は魔法って言うよりは、魔法と同等の振る舞いをする概念のようなものっぽいけどね。ただ、種類も雑多にあるみたいで、それぞれに名前がついてるから各々がどんな機能なのかは知らないけど……」


 そこでヨーコは押し黙った。

 燎祐は深く腕組みをして、目を閉じ、頭を捻った。

 二人とも、さてどうしたものか、といった顔つきだった。

 

 予定では、もう出発する時間だ。

 だが、稲木出を放ったまま東烽高には向かえない。

 しかし、八人の稲木出を追えば、対処に時間を食われ、相羽をみすみす逃がすことになる。生徒Aだって救えないかも知れない。

 

 ヨーコの携帯が鳴った。

 国魔連からの電話だった。

 内容は、出ずとも察しがつく。どの現場でもいいから、直ちに急行してくれというもので間違いないだろう。


「生活保障してくれんのはいいけど、ライセンス持つとこれだからなあ……、ったく……」

 

 ヨーコが立ち上がって、携帯を手に廊下に出た。

 いまから対処に向かうと話しているらしかった。

 迷っていられる時間は、もうない。


「これしか、ないか」


 襖越しに洩れるヨーコの声を、閉じた眼の暗闇の中で聞きながら、燎祐は一つの決断を下す。

 開かれた空色の瞳が燃えるような色をたたえ、燎祐が立ち上がった。

 純白の裾がしなやかに揺れ、燎祐の肩が居間の敷居を越えて廊下に出る。

 そこで驚き顔のヨーコと目が合った。

 燎祐が小さく頷くと、ややあって、ヨーコも頷いた。

 二人の静寂には、音にならない言葉があった。

 その眼下、ヨーコの携帯のスピーカーから聞こえる声だけがかしましい。

 数瞬、時を止めていた二人の時間がゆるりと解けて、ヨーコは、身を翻し一歩先を行く燎祐の後ろに続きながら、電話の相手に雑な返事を聞かせて通話を切った。


「リョウとは河川敷でお別れだわ。悪いけど、応援には行けないかも知れない」


「楽はさせて貰えそうにないな」


「お互いにね」


「確かに」


 響き合う二人の声が、廊下を抜け、玄関に至る。

 トントンと、つま先を鳴らす音に続いて、ガラガラと玄関を開く音がした。

 二人の肩が、風を切りながら外へ出る。

 ヨーコが携帯を宙に放った。

 次の瞬間、携帯は金色の粒子となって虚空に消えた。

 ヨーコの固有空間に還ったのだ。

 まるで静かな花火だった。


 その閃光が常陸家の夜空に瞬いた時、燎祐とヨーコが、地を強く蹴って、駆けだした。


「補助魔法は河川敷でかけてやる! それまで足を止めんなよリョウ!」


「お前こそ途中でヘバるなよヨーコ!」


「は? ぶっ殺すぞ?」


「おぉ怖っ」


 二人は事前の打ち合わせ通り、常陸家から全速力で飛び出し、一路目的地へと疾る。

 その光景に瞠目し、硬直する、幾つもの影があった。防衛省の黒服部隊と、国魔連の監視部隊だった。

 燎祐が家に戻ることに期待して、その身柄を確保すべく張っていたのである。

 そんな彼らの目の前を、燎祐とヨーコが、一瞬で突っ切った。

 そして一弾指を弾く間に、二人の姿が風となって通りの奥に消える。

 置き去りにされた連中が事態を理解するのには、そこから更に数秒を要した。

 消えた二人の姿を追い求め、黒服も監視部隊も入り乱れて、急げ急げと走り出す。

 しかし、その時にはもう、二人は、河川敷を目前に控えていた。


 夜の風が、緑豊かな河川敷の上をなで下ろす。

 凪に、背の高い雑草の群れが、ざあっと波打つ。

 空に月はなく、薄らと掛かった灰色の雲の向こうで、小さな星が、灯火のように微かに瞬いている。

 この時間帯にしては昏い夜であった。

 心なしか、街明かりも少ない。


 疾る燎祐の後ろに付けていたヨーコが、わずかに加速して、隣に並んだ。

 ヨーコの右手が、燎祐の肩に伸びる。

 その手には、宵闇をつんざく金色の光が宿っている。ヨーコの、魔力の光だ。

 

「アタシの補助魔法は持続時間が短い。魔力結晶を合わせても一時間は保たないと思って」


「とかいって、二時間保つんだろ、実は」


「いや、三十分も保てば御の字っつーか。アタシ補助魔法苦手だから、マジで」


「俺の期待を返せよ、せめて半分返せよ」


「返さねーし。リョウが三十分以内にカタぁ付ければいい話だし」


「俺は魔法が使えないってのに、そんなご無体な」


「この際だから言っとくんだけど、いまアタシは軽い補助魔法かけてんのに、アンタ生身じゃん?」


 言われた燎祐が、それが?、とでも言いたげな顔でヨーコを見る。

 ヨーコは、理解してない燎祐の様子に、深い溜め息をついた。


「補助魔法と拮抗する運動能力って、普通に考えて、頭おかしいからね? どーいう鍛え方すりゃそうなんのよ?」


「仕方ないだろ、他に鍛えるものがなかったんだから」


「仕方ないってアンタね……。つーか、そんだけ身体能力あんなら、もう魔法使えなくていいんじゃないの……」


「まあ、正直、魔法を諦めようと思ったこと、あったよ」


「嘘でしょ、アンタが?」


 ヨーコが驚いたように返す。


「嘘じゃない。それに諦めようと思ったのは、一度や二度じゃない、もう数え切れないくらいだ」


 燎祐のトーンが下がった。

 心なしか、纏っていた覇気が薄らいだ感じがした。

 燎祐は、鼻で小さく息をついた。


「だから魔力がないって言われたときには、ドン底の底すら突き抜けて行っちまった気がした。もう無理だって、どうしようもないじゃないかって思った。だってさ、才能とか努力の問題じゃないんだぜ? 自分じゃどうにもならないんだぜ? そんなの、俺にどうしろってんだよってな」


「リョウ、その、アタシ――」


「――それでも、俺には、果たさなきゃいけない約束がある。守らなきゃいけない誓いがある。その為なら人生を賭すって決めたんだ。だから、どれだけの絶望に塗れようと、行く先に希望がなかろうと、立ち止まってなんかいられないんだ。たとえ一歩も進めていなくてもなっ」


 燎祐は、口端を持ち上げて、あざやかに笑った。

 そして、隣を走るヨーコにその顔を向けた。


「それが、俺の漢としての矜持ってやつなんだ」


「はっ、なにそれ! ダサッ! 超ダサッ!」


 ヨーコは燎祐から目を背けて吐き捨てる。

 その音を、カラカラとした燎祐の笑い声が吹き飛ばした。


「ははっ、言われてみりゃあ確かにダセーな! 諦め悪すぎて最高にカッコ悪りぃや!」


「ホントだよ! アンタ、マジでダセーから! ダセーから……――――はやくカッコ良くなってみなさいってのっ!」


「ごふぅッ!!!」


 黄昏色の光を放つヨーコの拳が、燎祐の背を思い切りぶん殴っていた。

 刹那、強い光と音が夜の中で盛大に弾け、燎祐の身体が、その場から二〇メートルくらい前方まで一気に吹っ飛んだ。

 容赦ない一撃だった。

 燎祐は打たれたところを右手で押さえながら、安定感のある着地を決める。

 で、振り返る間にヨーコが隣を追い抜いていったので、燎祐は再加速して、再び肩を並べる。


「おいヨーコ、いまのは新手の補助魔法か」


「んなわけないでしょバカ! ムカついたから殴っただけよ!」


「え、俺なんかした?」


「~~~!! これだからアンタはムカつくのよ! あーあ、まゆりんはどうしてこんな唐変木がいいんだか!!」


「なに怒ってんだヨーコ、てーか、まゆりは関係ないだろ――おおっと、んなこといってる場合じゃないや、もうじき分かれ道だぜ! とびきりの補助魔法を頼んだぞ!」


「あ~~もう! バリムカつくわ!! 補助魔法かけたらさっさとどっか行ってよね! 間違ってアタシについてきたらぶっ殺すからね!」


「言われなくてもっ!」


 二人の掛け合いが河川敷の風に流れる。

 走りながら、ヨーコが燎祐の身体の前に、握手を求めるように、ずいっと右手を出す。

 燎祐が意味を尋ねるようにヨーコの目を見る。

 ヨーコが顎先で、はよ握れ、と促す。

 燎祐がヨーコの手を握ると、重なった手の間に熱が生まれた。

 ヨーコが魔力増幅の短詠唱を口ずさむ。


「黄昏の射手が力を授ける――【トワイライト・エンハンス】」


 ヨーコの手を通じて、金色の光が、魔法の力が燎祐の身体に流れ込んでくる。

 不思議な高揚感があった。

 全身が羽のように軽くなって、今発揮している速力でさえ、まるで軽くステップを踏んでいるかのようだった。

 もし、いま、一歩を強く踏み出したら、空さえ飛べそうなくらい力が体中に漲っている。


「時間はねーんだ! タイムリミットまでにブチかましてこいよっ! 行ってこい、リョウ!」


「おうっ!」


 烈とした声で応えて、燎祐が全力で跳躍した。

 瞬間、河川敷の路面が、巨大な地雷を踏んだように爆ぜた。

 土と雑草が天高く打ち上がる。

 その爆風を置き去りに、燎祐の影が、河川敷を弾丸のように下って、東烽学校の方面に消えた。

 直後、金色の防郭魔法を纏ったヨーコが、土と草の混ざった爆風を突っ切った。


「あいつ張り切りすぎっつーか……、いや、そもそもアタシの補助魔法って、あんなに効力あったっけ……。ん、あ……、そっか、向こうに(レーテオルフ)に召喚された時に【魔王の加護】付いたの忘れてたわ……」


 なにやら合点がいったらしかったが、次なる問題が鎌首をもたげてきたらしく、ヨーコは、うーん、と眉を潜めた。


「やばいなあ、これ、国魔連の魔力封印対象になっちゃうレベルじゃん、どーしよ」


 ヨーコは、自分の置かれている状態に半ば呆れながら、はは……、と半笑いを浮かべながら、走った。

 そして、「まーいっか!」と適当に流して、地を走る流星となって、河川敷の彼方に消えた。

 二人のスピードに追いつくものは誰もいない。

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