6.俺っちの新生活!
「んん…………ふぅ、朝か」
窓から差し込める日差しが顔にあたる。
いつもと違う寝床ということもあってか、心無しか体が痛い。
大きく伸びをしてベットから這い出すと、昨夜汲み上げておいた井戸水で顔を洗う。
この地方には季節というものはなく、一年を通して涼しい気候だ。
そのため、一晩置いた井戸水が肌にしみて良い目覚ましになる。
しっかり覚めた脳で思考を開始。
昨日はこの都ーーファゼンダに着いたのがもう夜だったから手近な宿に泊まったんだった。
馬車の中で聞いた話じゃ、このファゼンダは迷宮都市と呼ばれる都市の一つらしい。
迷宮都市ーー世界各地に点在する迷宮を目的として集まった人々が作り上げた都市。
迷宮はラビリンスと呼ばれ、全部で11箇所あるって言ってたけど、どれも攻略されてないんだったよな。
もしかしたら、英雄になる要素としてラビリンス攻略はいいかもしれない。
と言っても、ラビリンスとか他の要素についてまだまだ分からない事だらけだからちゃんと情報収集しなきゃ。
思い立ったが吉日、さっそく出かけよう!
服を着替えて、靴を履いてっと…………あれ、なんか忘れてるような……
「……ェスタァ」
あ、なんか聞こえた。
そうだった、神霊忘れてた。
「どこだー、クロノス?」
「……こぉこぉ」
いやいや、どれだけ声ちっちゃいの。
恥ずかしがり屋の女子小学生ですか、この野郎。
声のする方へ向かい、銀色の体を探す。
しかし、いつものつるんとした艶のある姿は見当たらず。
「あれ、どこにいるの?」
「……こぉこだぁって」
「へっ……!?」
それは足元に転がっていた。
からからに干涸びた泥団子。
手に取ってみる。
よく見てみる。
あっ、なんか目みたいなのついてるわ。
「って、クロノスさん? どうしました?」
今までより一層小さくなった泥団子に話しかけてみた。
「……みぃず」
「水? ああ、はいはい。ちょっと待って」
泥団子を持ったまま、水溜めへと。
手の中のものをそのまま放り込んだ。
すると、その小さな物体のどこに入るのか、凄まじい勢いで水が減っていく。
遂には、膝ほどまである桶の水が全てなくなってしまった。
残ったのは、綺麗な雫型のスライム一匹。相変わらず小さいままではあるが。
「クウウゥゥ〜〜〜。生き返るぅ〜〜」
目を細めて、ぐにゃりと体を伸ばした。
「……いや、何その面倒な性質」
「面倒っていうんじゃねえ! 俺っちだって好きでこんな体になったわけじゃねえんだよ!」
話によると、守護霊には活動のための養分が必要らしい。
基本的な守護霊は主の精神に住むため、主の体から養分を摂取する。
だが神霊の場合、人間の精神に入ってしまうとあまりの力の強さに精神が耐えきれず崩壊してしまうとか。
つまりは、神霊となると別の養分が必要となるわけだ。
「まあ事情は分かったんだけど、僕が定期的に水をあげなきゃいけないの?」
「ああ、俺っちの場合は水が養分だからな」
「自分でどうとか出来ないの? 体内に水を貯めとくみたいな」
「俺っちをなんだと思ってるんだ! 面倒臭がらずにそれぐらいやってくれよ」
「はいはい、分かったよ。じゃあ水筒も買わなきゃだな……」
資金は農業で稼いできた分がそこそこある。
それぐらいは買えるだろう。
「俺っちも復活したし、さっそく行こうぜ!」
◆❖◇◇❖◆
流石は都市、ファゼンダ。
一日の仕事を始める人々で朝から大賑わいだ。
特に目を引くのがラビリンスの攻略者たち。
食料や物資を大量に買い占めている。
中には欲しいものを確実に手に入れるため、走り回る者までいる程だ。
「なんであんなに一杯買うのかな?」
「さあな、俺っちに聞いたって分かるわけねえだろ。誰かに聞いてみるしか」
僕の首元からひょっこり顔を出すクロノス。
冒険者たちは買い出しで忙しそうなので、近くの食べ物屋に話しかける。
「あのー、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい兄ちゃん」
「あの人たちは、なんであんなに一杯買ってるんです?」
「そりゃおめえ、何日もラビリンスに籠るからさ」
「籠る?」
「ああ。ラビリンスはめちゃくちゃ広いからな。何日もかけて探索するんだ。攻略組ともなりゃ数週間帰ってこねえことだってある」
「す、数週間?!」
「なんだい、あんちゃん余所者かい? ここでは当然の事さ」
「そうなんですね……ありがとうございました」
会釈をして踵を返す。
「おいおい、もう行くのかい?」
「へ?」
振り返ると、食べ物屋のおじさんは何かを待っているよう。
分かるだろう? とばかりに腕組みをしている。
どこか試すような目線。
「じゃ、じゃあこの干し肉を」
「毎度あり!」
別に買わなければ捕まるなんてことはないが、これから住んでいく場所だ。
人付き合いも必要だろう。
「はぁ、こういうのにも慣れてかなきゃな」
それからしばらく散策し、道具屋で少し大きめの水筒を購入。
ファゼンダの中心部を目指す。
その道中、全身鎧姿の大男や猫耳を生やした女剣士、ローブ姿の魔導師など様々な冒険者を目にした。
「流石は迷宮都市って感じだな」
「そうだね。獣霊主や魔霊主なんてあっちにはいなかったから、なんか新鮮」
獣霊や魔霊というのは、比較的貴重な守護霊だ。
そのため需要もある。そんな者達が田舎で燻っていることはなく、大半が都市部で生活する。
二人して初めて見るものに、うおお!とか、うわあ!、うひゃあ!と田舎者全開で歩くこと十分ほど。
ファゼンダの中心部に着いた。
中心部には、この都市を象徴する時計塔。
その高さは30メートルを超えるほどで、白色が随分とあせている。
装飾はきらびやかという訳ではなく、比較的質素な印象を受けた。
その高さゆえ、近くから見上げた所でちっとも時計は見えない。
灯台もと暗し状態である。
時計塔の真下にはファゼンダを迷宮都市たらしめる建物ーーギルドがある。
目当てはこのギルドたちだ。
「にしてもすごいねここ。民営ギルドとは段違いの規模だよ!」
「そりゃあラビリンスの近くだからな」
「情報収集と言ったらなんてったってギルド! いやあ、緊張してきた」
「んな事言ってないでさっさと入れよ」
「そう焦るなってー。どこがいいんだろ」
赤を基調とした冒険ギルド。
青を基調とした魔法ギルド。
緑を基調とした農業ギルド。
黒を基調とした鍛冶ギルド。
白を基調とした運搬ギルド。
全てのギルドが密集したここは、色々な格好の人達でごった返している。
「人が多いのは冒険ギルドだろうな。エスタの場合、魔法が使えるから魔法ギルドでもいいけど」
「なるほどねー。そう言えば、まだ魔法使ってなかったな……僕ってちゃんと使えるの?」
「ああ、もちろんだぜ。慣れるまでは大変だろうが潜在能力はピカイチだ」
「そうなのか。なんか実感わかないや」
「今まで使ったことなけりゃそうだろうさ。試しに魔法ギルド行ってみるか?」
「それがいいかも。魔法について色々知りたいし」
魔法ギルドは、一階建てながらも入口が大きい。
重厚な扉は高さ3メートル、横幅5メートルもあろうかと言うほど。
門番と思しき人が左右に立って警備をしている。
恐る恐る近づき、扉を押す。
扉は思ったより軽く、すんなりと中へ入れた。
「うわッ、ひろ!」
村で一番大きな役場の倍はあろうかという広さ。
外装と同じく青色の床と壁。
太さ1メートルほどの柱が何十本も天井へ伸び、大きな屋根を支える。
入口の正面には長いカウンターが右に詰める形で配置されていた。
五人の受付嬢が余裕のある間隔で座り、訪問者の対応をしている。
その左横にはいくつかの長机と沢山の椅子が用意され、多くの魔導師たちが談笑に興じていた。
暫しギルド内を観察したあと、受付へと向かう。
艶のある栗色の髪を胸のあたりにまで伸ばし、落ち着いた雰囲気の女性へと声をかけた。
「あのー」
「はいっ。ええと、ここは初めての方ですか?」
目を細め、口元を綻ばせる。
見事な営業スマイルだ。
イシュタル様に出会う前なら思わず見とれてしまう程。
「ここは、と言いますか……魔法ギルドが初めてでして」
「あらっ、そうなんですね。守護霊召喚の時はギルド登録はしなかったんですか?」
首を傾げて澄んだ茶色の瞳を向けてきた。
「あえッ……えぇ、まあそんな感じです」
思わぬ問いに上擦った声を出してしまった。
どうにかごまかそうと真っ直ぐな瞳を向ける。
「はぁ、そうなッ……んです……ね……」
すると、突然びくんと体を震わせた。
呂律が回らなくなり目付きが蕩ける。
「あ、あのー、どうかしました?」
動かなくなった相手に思わず困惑していると……
「……どうもこうもなあぁぁあい!!」
いきなり大声をあげ、カウンター越しに飛びついて来た。
想定外の出来事にそのまま後ろへ倒れ込む。
「えぇっ?! ど、どうしたんです!」
受付嬢は返答もせずに抱きついたまま、顔を擦りつけてくる。
「おいッ! お前、目を見ただろ!」
クロノスが僕にだけ聞こえる声量で叫んだ。
「え……ああ! 確かに! や、やっちゃったよ……これどうすればいいの? なんかすごい胸が当たってッ、ひゃアッ」
「どうもこうもねえ! こうなりゃしばらく元に戻んねえよ!」
「えぇ?! そんなの聞いてないよ!」
どうにか引き剥がそうにも華奢な体からは想像もつかない力で抑え込まれる。
「何を一人で言ってるのかしらぁ? 私をちゃんと見てよお!」
僕の顔を胸元に押し付けると、見事な動きでマウントポジションを取られた。
「何?!……こやつ、やりおる! さては元冒険者かッ」
辺りからは冷たい目線。
「いや、ごめん。今のなしでッ!……ちょっ、どんだけ欲求不満何ですかッ!……だ、誰か助けてぇぇえええ!!」
僕の虚しい叫びがギルドに響く。