5.俺っちの旅立っち!
「の、呪い?! 僕死ぬの?」
突然放たれた不吉な言葉。
呪いと聞いて思いつくのは、殺意や怨恨といった負を象徴するもの。
呪い殺すなどという言葉もあるぐらいだ。死を連想するのは当然だろう。
「いや、そんな物騒なもんじゃねえさ」
ただ、今回は違うらしい。
「そっか、よかった……」
てっきりイシュタル様に殺意を抱かれてるのかと。
気に入ったとまで言ってくれたのに、それはあんまりだもんな。
「いいかどうかは知らねえけどな」
「どういうこと?」
「うーん、まあ一応加護なんだけどな……内容がいかんせん」
口をへの字に曲げると、苦虫を噛み潰したよう。
「一体どんな効果なの?」
「魅了の輝き。相手と瞳を見つめ合うことで対象の潜在的欲求を引き出すことができる……めちゃんこ厄介な能力だぜ」
そう思うだろう? とばかりにこちらを一瞥。
「…………ごめん、どういうこと?」
さっぱり分からん。
「そうだなー……例えば、婚期逃しまくり行き遅れ女と見つめ合えば「エスタきゅーーん! 私を! 私をエスタきゅんで満たしてえ!」ってなるし、生まれてこの方彼氏出来てません系女子と見つめ合えば「おほっ! うほっ! エスタッ! エスタァアアア!」ってなるわけだ」
「いや、なんか命の危機を感じて頭に入ってこないんだけど……」
「つまりはあれだ。無闇矢鱈に誰かの目を見ることはしないほうがいいってこった」
大きな目の中で小さな黒目をぐるぐると回す。
「随分まとめたな……でも、なんでこんな加護を僕に?」
「イシュタルの事だから、ツバつけとくみたいな感じだろ。あとは、お前を試してるのか」
肩をすくめ、うんざりとばかりに首を振る。
もちろん、肩も首もないが。
「ああ! 他の女の人の誘惑に勝てって事か! イシュタル様は僕に試練を与えているんだね! 僕をより精神的に強くしてくださるための手助けを!! ああ、イシュタル様! なんと慈悲深い」
手を胸の前で組み、恍惚とした表情。
「……はぁ、恋は盲目とはよく言ったもんだぜ。まあ、その恋を利用させてもらうんだが……さあさ! アホ面晒してねえでさっさと行くぞ!」
「あ、ああ、そうだね。さあ行こう!!」
二人してガッツポーズ。
「ってどこに行くんだ?」
「うーーん。どこに行くんだろ……」
「おいおい、なんの考えもなしかよ」
「し、仕方ないだろ! 英雄だなんて目指した事ないんだから」
「そりゃそうだろうけどさ。逆に目指してたら痛いやつだぜ」
「た、たしかに……でも英雄か。何か素晴らしい功績を残せるようなこと……」
腕を組み唸るが、そんなことでは思いつくはずもなく。
「……まずは、情報収集だろ。俺っちはずっとこの小屋の中にいたし、お前はここで土いじくってただけだもんな」
口を大きく開くと、どこか皮肉っぽく言ってくる。
「その土いじりのおかげで顕現できたんだぞ! 少しは感謝してくれよ」
「はいはい、神霊のクロノス様が平民のエスタに感謝しまーーす」
「はぁ……でもまあ、情報収集が最適だろうな」
「だろ! 俺っちの言う通りにしてればいいの! さあ、そうと決まればこんな田舎じゃなくて都市に出発だ!」
待ち遠しそうに、ぴょこぴょこと跳ねる。
小さくなった体と相まって、その姿は子供のよう。
「ははーーん。もしかしてクロノス、街に行くのが楽しみなのか?」
「な、何がだ! 俺っちは神霊様だぞ! そんなことで、喜ぶ訳がねえだろ!」
「まあ、そう言うことにしてあげるさ」
クロノスは今まで、泥団子の姿でしか人間界にいられなかったからな。
やっと動ける体になって、人間界を旅できる体になって、さぞかし嬉しいんだろう。
意外と可愛らしいところもあるじゃん。
「な、なんでニヤニヤしてんだ。気持ち悪いぞ! さっさと行こうぜ!」
「よし、いこう!」
◆❖◇◇❖◆
馬車に揺られ、車窓から外を見やる。
そこは山や森のない場所。
馴染み深い木造の家ではなく、煉瓦造りの建物が目に入る。
十数年間住んできた土地から離れるのが寂しくないといえば嘘になる。
でも、これからは自分の目標へ向けて精進しなきゃな。
「エスタくん、楽しみかい?」
「ええ、今までの生活も楽しかったですけど」
「農業をやめると言われた時は驚いたけど、やりたいことが出来たのはいい事だ。応援しているよ」
「マスターには本当に感謝してます。初心者の僕に農業のことを教えてくれたのはマスターですから。それにわざわざ送ってもらってますし」
隣に座るのは民営農業ギルドのマスター。
僕がお世話になってきた人の一人だ。
正直、農業をやめて都に行きたいと伝えた時は反対されると思っていた。
ところが、僕の思いをしっかりと伝えると、いつもの優しげな笑顔とともに賛同してくれたのだ。
「にしても、冒険者になりたいだなんて……エスタくんも夢を見る男だったんだな」
目を細めて何処か嬉しそうに、それでいて寂しげに笑った。
「ええ、まあ。あはは」
なんか心が痛いな。
まさかその夢が惚れた神のためだなんて言えないよ。
それにクロノスには、守護霊のことは黙っておけって言われちゃったし。
今、クロノスは僕の服の中に隠れている。
どうやら普通の守護霊は召喚された時以降、主の精神に住むらしい。
つまりは、守護霊が実体を持って歩き回るのは異例なことだとか。
見た目がスライムのクロノスが外を歩いていれば、ただのスライムと間違われてしまう。
かと言って神霊だと言えば、何故5歳の頃に判明しなかったのかと疑われるだろう。
そんな訳で、基本的にクロノスのことは内緒にしなきゃいけないようだ。
「おや、そろそろ着いたんじゃないか?」
「おお! これが都!!」
そこには、煉瓦造りの建物が所狭しと肩を並べている。
今までの村では一生を通しても見ることがないほどのひと。ヒト。人。
大通りには馬車が何台も行き交い、整備されたら歩道が敷かれる。
時は夕暮れ、酒場に足を運ぶ男たちや、八百屋で食材を物色する奥様方。
屋台を切り盛りする大男は、よく通る声で客引きをし、武器屋はそろそろ店じまいを始めた。
肉や魚の焼けたいい匂いが何処からか運ばれる。
「どうだ、すごいだろう?」
「ええ、本当に……こんなに凄いところだったんですね。もっと早く来ればよかった」
今までに何度か都へと誘われたことがあった。
だが、土のことしか考えていなかった僕は何も考えずに断ってきたんだ。
「ははっ、そうしたらもっと早くから冒険者を目指していたかもな」
「そっ、そうかもしれません……」
服の中でクロノスが動いた。
首元からこっそりと顔を出すと、一緒に都を見る。
「どうだ、クロノス。すごいだろ?」
「……ああ。これが人間界か……俺っち、やっと報われたんだな」
潜められた声は何処か震えていて、瞳はうるうるとしていた。
守護霊として召喚されて数百年。いや、数千年という間、報われてこなかったのだろう。
神とはいえ涙するのも仕方ないことだ。
「そうさ、これから始まるんだ。僕たちの英雄譚が」
「……そうだな。よろしく、エスタ」
「なにさ、そんなに畏まって」
「いまぐらいこんなでもいいだろ」
「それもそうだね。よろしく、クロノス」
夜を告げる鐘が鳴った。