4.俺っちの誤算!
「エスタとやら……妾は、そちのことが気に入ったぞ」
「き、気に入った?! この僕をですか?」
「お主のその真っ直ぐな瞳。妾を真の美としてのみ捉える、その目を気に入ったのよ」
睫毛を揺らすと、猟奇的な上目遣いで。
その碧眼に見つめられれば思考停止。
ただ見つめ返すことしか叶わない。
「えっ、あの…その……」
意味のない声だけが喉から出てくる。
その間も視線を逸らすことは許されず、釘付けにされた。
「なに、そう焦らずともよい」
優しく包み込むような声色と共に、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
遠目にも堪らないほどの美貌。
それに近付かれてしまってはどうにもならない。
この女神の前では、一度の瞬きも許されなかった。
いや、許されないのではなく許せない。限りあるこの時を、全て網膜に焼き付けたいのだ。
ついに、美神との距離は無に。
甘く濃密な、それでいてどこか清々しい香りが視界を染め上げる。
はち切れんばかりの豊かな胸は、僕の胸元に押し付けられた。
心臓は獅子の如き唸り声をあげ、辺りに鼓動音が響く。
「のお、エスタ。妾をものにしたいか?」
耳元で囁かれるのは淫楽めいた魅惑の呪文。
吐息が首元を擽り、背筋を撫ぜる。
「……はい」
迷いはない。
だが、そう答えた瞬間に心臓が掴まれるような感覚に陥った。
まるで、鉄の鎖で縛り上げられたような。
「ふふ、左様か。嬉しきことよ……ただの、妾は強いおの子を好くのでなあ」
挑発めいた口調の女神は、身体を引くと舐め回すように僕を見る。
その瞳は、僕が好くに値しない者だと語っていた。
「……」
ひたすらに、自らの魅力不足を恥じることしかできない。
「そんなに虚しそうにするでない」
気遣う素振りで眉をひそめると、しっとりと言った。
その直後、美しき肢体が光を放ち出した。召喚の時と同じ紫色の光である。
光はこの夢のような一時の終わりを告げる。
「そろそろ時が来たようだの……再び会えることを望んでおるぞ」
光は次第に強まり、柱を形作り出す。
「……あ、あの! 僕、強くなります! 必ず」
今、僕に言えるのはこれしかない。真の美しさを教えてくれた神への進言。
神に対する必死の誓い。
それを聞いた女神は、口元を僅かに綻ばせるに留まった。
自分に向けられた、我が子を見守るような目付きに見惚れる。
気がつけば既に去っていた。
残ったのは、高鳴る鼓動と屋根のない小屋。
しばしの間、物思いに耽る。
この十数年もの間、夢見てきた美との対面。
全身が火照ったままの僕は、よく晴れた空を見上げた。
「どうだった? 満足したか?」
クロノスが話しかけてきたのは数分後だった。
余韻に浸っていた僕への、彼なりの配慮だろう。
「満足してないように見える……?」
空を見上げたままに応じる。
「いや。いま死んでもいいってぐらいに満足そうだな」
「そっか……でも僕は死ねないよ、そうだろ?」
「ああ、そうだ。お前は強くならなきゃな」
「……いや、それだけじゃダメだ」
強くなる、それではいけない。
僕にはやらなければならない事が出来しまった。
「って言うと?」
「僕は英雄になる……そして、英霊になりたい」
そう、英霊となって霊界に赴く。
それが僕の目標であり、誓い。
「おお! そう来たか! 確かにそりゃいいな」
銀色の体を嬉しそうに揺らす。
「だろ? だからさ……これからよろしく、クロノス」
笑みを浮かべ、そっと手を差し出した。
「おう! よろしくな、エスタ」
スライムの横腹からにょきりと突起が生える。
それは、僕の手を掴むと上下に振った。
「なんか変な感じ……」
「なっ、なんだよその微妙な顔は! 俺っちだって手ぐらいあるわ!」
「ごめんごめん……あれ?」
「ん? どうした?」
「なんか少し小さくなってない?」
「へっ……ホントだッ!!」
クロノスの体は心無しか小さくなっていた。
最初、僕の膝ほどまで来ていた頭のトンガリが、今は脛の半ばあたりだ。
「や、やっぱり?! どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
そう言うと、ぶつぶつと何かを唱え始める。
次第に慌てだし、何度も何度も唱え返す。
「何やってるの?」
「……やべえ。俺っち、力が使えねえ!!」
口を魚のようにパクつかせると、目を見開いた。
「えっ! なんで?!」
「どうやら人間界じゃ、力が抑えられてたみたいだ。それなのにイシュタルの召喚なんてしちまったから、もう力が……」
ただでさえ小さくなった体が、しなしなと萎れていく。
「そ、そんな」
「くそっ、俺っちとした事がとんだ失態だ。神霊が本来の力を使えたら人間界も滅ぼせちまう。だから抑えられてるのか……なんでそんなことに気づかなかったんだ!」
神が自分を責める光景など滅多に見ることはないだろう。
その悔しがる顔は何処か人間味を感じさせた。
「それじゃあ、僕が魔法を使えるって話もなし?!」
もしそうなら一大事だよ!
英霊になるだなんて息巻いていられない。
「いや、それは大丈夫だ。召喚主は、守護霊の加護を受ける。いま失われてるのは俺っち自身の力だからな、エスタには関係ないはずさ」
「そうなんだ……僕への加護はどんなのがあるの?」
「たぶん大地の加護とか、そんな感じだと思うけど……ちょっと確認してみるな」
そう言うと、僕の足元まで這い進んで肩へと駆け上ってきた。
「クロノスって意外と軽いんだね。銀色だからてっきり重いのかと」
「まあ守護霊だからな。重さとかは存在しねえさ」
僕の肩の上で目を瞑ると、唸り声をあげだした。
イシュタル召喚の時と同じように体が光り出す。
「……どう?」
「うーんと……幾つかあるな。大地の恩恵、土壌の加護、豊作の理。あと一つ……なんだこれ」
目を瞑ったまま顔をしかめる。
「な、なに?」
「えーーと、魅了の輝き………ま、まさか!」
目を見開くと、耳元で喚き出した。
「えっ、なになに?!」
「くそっ、やっぱり一筋縄じゃいかなかったか……」
「だから何が!」
「お、お、お、落ち着いて聞け、エスタ。と、と、と、取り乱すんじゃないぞッ」
柔らかな身体を小刻みに震わす。
「いや、取り乱してるのはクロノスだろ! 早く教えてってば」
「………お前はイシュタルに呪いをかけられてる」
いつも本作を読んでいただきありがとうございます。
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次話からは冒険開始予定ですのでお楽しみに。