第四話『森ガール』
村から出発して十分もしたところでオレはそのサナギの森に着いていた。
普通に走ったらそりゃあ一時間も掛かるが、オレには神水晶があるし『神格魔術』もある。
体の動きを数十倍にし平原を進むのなんて余裕だ。
森の入り口は手入れされているという感じのない植物達が自由に育っている。
木々は太陽の光を通さず、奥までいけばしっかりとした視界が確保できるかどうかも怪しい。
「さて、と」
神水晶の力で松明を生み出し、左手に持つと森の中へ入る。
さっきからサナギの森の中には魔物の気配をビンビン感じている。今は範囲を小さくしてサナギの森だけに集中しているわけだが、魔物の数は奥へ進むごとに増えていく感じだ。
チカは何度か魔物のそばを通っている様子だが、魔物が動く気配はなく……うまく避けているようだ。
それから数分も掛からずにチカを見つけることはできた。
ちょっとした波乱もなく、簡単なことだった。
しかし、チカのいる場所、近くに魔物がいる。
「お、いたいた。えーと、チカちゃん?」
サナギ型の魔物だ。茶色く木と同化するような色をしている。
暗闇の中じゃあ、見分けつかないだろう。
くだんのチカはオレにも魔物にも気付いていない様子である。
ビクッと体を硬直させたがすぐにこちらを振り向く。
その顔はひどく怯えたもので、思わずオレはチカの反応を待たず手を取る。
同時に牽制代わりに魔物に松明を向ける。
「さ、ここから出よう。家でお父さんも待ってるからさ」
なるべく安心させるつもりで平常心のまま笑顔で言えたと思う。
「……いや」
手を振りほどき俯きながら言う。
チカの境遇を知っているだけに、なんと言おうか迷ってしまう。
うーん、と頭をひねるもののやはり思いつかないので逆に聞いてみることにした。
「じゃあ、チカちゃんはどうしたい?」
「……お母さんに会いたい」
ぽつりと、小さくつぶやくチカ。
体を強張らせ、何かを期待するような目で。
「お母さんは……いや、探そうか」
「……いいの?」
大きく目を見開き、こちらを見る。
そんな可愛らしい姿に思わず微笑んでしまう。
「チカちゃん、ダメって言われるのキライなんだろ? じゃ、兄ちゃんが手伝ってやるよ」
「……お兄ちゃん」
「けど、どこから探す? 森は広いからなぁ、真っ暗なのによくこんなとこまでこれたもんだよ、うん」
「なんで、いいの? 私、ダメって言われたのに来ちゃって……どうして?」
オレは間髪入れずに言う。
「当然、オレってば神の使者ってヤツだからな。困ってる人を見捨てておけないのさ」
「神の使者? お兄さん、優しいんだね」
初めて笑顔を見せてくれるチカ。
まだまだ子供だってのに、思わず意識しちゃったじゃないか。
恥ずかしくなって、それを隠すために無理やりチカの手を取ると森の奥へと進む。
「あ、ちょっとお兄さん? この森、魔物いっぱいだから――」
「気を付けろって? 大丈夫、魔物の気配ならわかるから避けていこう」
ムッとした顔になるチカ。
それでも手を握っているオレの歩調に合わせ、小走りで付いてきてくれているからありがたい。
「さっきの場所も魔物がこっちをジッと見てたんだぞ? 茶色のサナギの魔物」
「えっ?」
歩きを緩めると、オレとチカは先ほどまでの場所を見る。
しかし、一寸先は闇、何も見えない。
ギュッと、チカの手に力が入るのを感じる。
「大丈夫だ。オレがいるからな」
「……お兄ちゃん」
もう五年くらい早くチカが生まれてたら完全に惚れてたなぁ、これ。
絶対に守り切ろう、と改めて思いつつ周囲に『気配察知』を使う。
魔物や人、魔力を持ったものなら気配がわかるのだが……生憎と幽霊に効果があるほど万能じゃあないみたいだ。
「そういえば、チカちゃんのお母さんは薬草を取りに森に来たんだろ? じゃあ薬草ってどこに生えてるかわかるか?」
「……わからない、けどどういう場所にあるのかはわかるよ!」
「よっしゃ、じゃあしらみつぶしといこうか」
さすがに正確な場所はわからないらしいが、オレたちは迅速かつ魔物を避けながら確実に薬草採取ポイントを回っていく。
いわく、この森には二種類の木が生えていて一つはブラハの木といって可燃性の蜜を出す木。もう一つはタタラカの木といって成長がはやく、その葉は天を覆うほどというこの森の九割がたはその木らしい。
つまりはこのブラハの木というのを探せば、その根元には病気に効く薬草が生えているわけだ。
一割といっても、探そうと思えば見つけられるもので三十分ほどで五つ見つけることができた。
しかし、どれも幽霊の気配といったものはなかった。
「あ、お兄さん! あそこにもあるよ!」
指差す方には確かにブラハの木があった。
しかし、距離的にイヤな気配と重なる。おそらくあの木にはサナギの魔物がぶらさがっていることだろう。
「チカ、イヤな気配がする。ちょっとここで待っててくれないか?」
「いいよ、でもどうしたの?」
「魔物がいるっぽい。松明、持っててくれ」
チカに松明を渡すと、剣を抜いてじりじりと魔物のほうへ近づいていく。
松明の光で薄く照らされた魔物は、近くでみると数本の線が入ったような特徴があり、色は茶色で一瞬だが台所で見ると発狂しそうなアレを想像してしまった。
「大丈夫、コイツはカサカサ動かないし、動けない!」
思い切り振りかぶって切り裂く。
気味の悪い音とともに魔物は一刀両断されると、けたたましい叫び声とともに緑がかった血を流しながら木から落ちる。
鳥肌の立つ光景だ。
「やば、ちょっと吐き気が……」
思わず手を口に当てて吐くようなポーズをとるが、酸っぱいそれはちょうど食道あたりをいったりきたりしている。結構つらい。
そんな、異世界初殺生に苦しめられていると地面に光るものを発見する。
暗くてよく見えないが、これは指輪だろうか。華美な装飾こそないものの、真っ赤な宝石のつけられた……まるで結婚指輪のようだ。
「これは……そうか。ここか」
チカを呼ぶ。
松明の光を浴びてブラハの木を完全に見渡せるようになる。
周囲を一周するも死体のようなものはない。
数年前という話だったし……当然か。
「お兄さん? あ……」
チカに声をかけられそちらを向くと、彼女が魔物の死体を見て顔を青くしているのがわかる。
しまった、と思いつつかける声を探していると体の奥からぞわりとしたものが湧き上がってくる。
原因はすぐにわかった。ここら一帯の動かないはずの魔物の気配が動いている。
「コイツの断末魔でこの森の魔物を怒らせちまったか」
しかし、不用意に近づきすぎようものならサナギとはいえ魔物。危険なことには変わりない、取って食うくらいのことはされるだろう。
後悔していても始まらないので剣を鞘にしまい、チカの腕をつかむと強引にお姫様抱っこの状態までもっていく。
「お、お兄さん? あの、どうしたの?」
「逃げるぞ! 目的のものは見つかったしな」
「でも、お母さんが……」
「大丈夫、なんとかなりそうだ」
わからない、といった表情のチカ。まさか、現在進行形で魔物に取り囲まれているとは思うまい。
気配が動くのが早い。まるで空でも飛んでいるようだ。
完全に取り囲まれる前に逃げなければ。
「お前も、突っ立ってないで付いてくるんだぞ?」
オレは『霊魂操作』で"見えないなにか"を捕まえると一気に駆け抜ける。
木々を右へ左へ避けながら、ここまで来るときと同じように『神格魔術』で何十倍も体を強化しながら走る。一瞬、魔物達とすれ違うが……蛾のような姿の魔物だがまるでオレの動きについてこれていない様子であたりをふよふよ回転するように飛んでいる。
追いかけるつもりもないらしい。
数分もしないうちに森から脱出することができた。
「お、お兄ちゃん……はやい」
ぐでん、とした様子のチカ。
森から少し離れた木の陰に横にすると、太陽が傾いていくのが見える。
「もうすぐ夜になるけど……少し休んでからいこうか」
「……ありがとう」
オレも木を背もたれにすると、少し休むことにする。
村に戻れば大仕事になるかもしれないな、そんなことを思いながら。