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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

狂犬は少女にとっての守護者である。

作者: 遠野九重

●主要人物紹介


赤井(あかい)彰良(あきら):元不良、少女漫画家志望 ゴツい

鷹觜(たかばし)伊緒(いお):理屈屋、取り扱い注意、拗らせている



 __________________________________

  

  問.あなたが本当になりたかったものを答えなさい。

                          (配点:人生観)


     a).少女漫画家

     b).ヒロインを守る守護天使めいた王子様

     c).不良漫画に出てくるような最強キャラ

 __________________________________




   

 中学時代、俺は“血塗れの狂犬(レッドワン)”なんて仇名で呼ばれていた。

 いわゆる不良という人種で、雨にも負けず風にも負けず、毎日ひたすらケンカ三昧。


 元々ガタイはよかったし、高校生が相手でも楽勝だった。

 地元で有名になってる連中を片っ端から叩き潰し、何度も“遠征センチメンタルジャーニー”を繰り返した。


 やがて最強だなんだと持て囃されるようになったが、達成感なんてものはありゃしない。

 ただひたすらに虚しいばかり。

『俺は、どうすれば満たされるのだろう?』

 答えの出ない問題を抱えたまま、漫然と暴走族を潰しまわっていた。


 そんな時だった。


「アキさん、これマジおもしれーんスよ。いっぺん読んでください、ドハマりしますよ!」


 弟分のジュンが、一冊のマンガを持ってきた。

 それはいわゆる少女漫画というヤツで、ケンカに飽き気味だった俺は何の気なしにパラパラと読み始め……ドハマりした。

 ちょっと不器用なヒロインと、甘い言葉を囁くイケメン。


 これだ。

 これだったんだ。

 俺の本当にやりたかったこと。

 





 ケンカなんてくだらない。

 みんな! 少女漫画を描こうぜ!






 かくして俺は更生を果たし、なんとか県内のまっとうな高校へと滑り込んだ。

 そして。

 


「私は君のような人間が嫌いではないけれど、君は私を嫌っても構わない。それが心の自由というものだよ」



 あいつに――鷹觜(たかばし)伊緒(いお)に出会ったんだ。















 * *











 これから俺が語るのは、短い高校生活の終わりと、長い異世界生活の始まりだ。

 その世界はかなりのファンタジーで、オークみたいな魔物も存在している。

 おかげでちょっと血腥(ちなまぐさ)い内容になるのは許してほしい。


 とはいえ、こんなのはあくまで背景に過ぎない。


 本題は、伊緒について。


 鷹觜(たかばし)伊緒(いお)

 演劇部のエースで、成績も上々。素行だって悪くない。

 ただちょっと難儀な性格で、自分が“女の子”ってことを拗らせている。

 これは一から十までそういう話だから、もし苦手だったりしたら途中で逃げてくれ。

 

 じゃあ、始めるぞ。


 あれは高校入学から一年が過ぎた、二年生の春。

 俺たちが昼休みにサンドイッチをパクついていたころのことになる――。















 




<第一章 失踪のパスポート>



















 鷹觜(たかばし)伊緒(いお)は女子のなかでも独特の存在で、普段は体育のジャージで過ごしている。

 髪は短めに切り揃え、立ち姿はまるで少年のよう。

 演劇部の講演ではたびたび王子様役を務めていることもあってか、後輩女子からの人気はものすごいらしい。


「……今年の1年生はもっと男子に興味を持つべきじゃないかな」


 昼休み。

 部活棟の空き部屋で、俺と伊緒は志津屋(駅前のパン屋)のサンドイッチをつまんでいた。

 

「新学期が始まってから13人、さすがの私もうんざりだよ」


 呆れたように肩をすくめる伊緒。

 何が13人かというと、こいつに告白してきた後輩女子の人数だ。


「アキ、君はどうすればいいと思う?」

 

 赤井(あかい)彰良(あきら)、略してアキ。

 それが俺の名前だ。

 「彰」の一文字だけで「あきら」と読むんだし、わざわざ「良」をつけなくてもいいと思う。

 これも一種のキラキラネームかもしれない。

 いったい何を考えてこんな名前にしたんですかね、天国のお父様とお母様。

 ついでに伊緒の悩みについてもアドバイスお願いしますよ。

 

 ……そんな芝居を脳内で繰り広げたところで、別に斬新な答えが出てくるわけでもない。

 俺はいつもどおりの答えを伊緒に返す。

 

「髪を伸ばして、ジャージ姿もやめてみるか?」

「前者は難しいね。役者はそう簡単に髪型を変えられないんだ。後者は……ふむ」

「フツーに制服で過ごしてりゃ、カン違いするヤツも減るだろ」

「――陸軍としては海軍の案に反対である」

「なんだそれ」

「レトロゲームからの引用さ。理屈に基づかない『NO』と思ってくれ」

「残念。足細いし、スカートもよく似合ってるんだけどな」


 俺はちょっとイスを引いて、長机の下へと視線を落とす。

 スカートからは伊緒の白い肢がまっすぐに伸びていた。


 伊緒はいつもジャージを着ているが、たったひとつだけ例外がある。

 昼休み、空き教室にいる間だけは制服姿だった。

 紺色のブレザーに茶色いスカート。

 個人的にはかなり眼福だし、ぶっちゃけた話――


「伊緒って、うちの学校でいちばん可愛いよな」

「……まったく」


 はぁ、とため息をつく伊緒。


「いつも言っているだろう。私には恋愛という感性が欠けている。

 どれだけ(おだ)てようと、君を異性として意識することはありえない」

「分かってる分かってる。友達だろ、友達」


 俺と鷹觜伊緒の関係は、なんだかちょっとねじくれている。

 お互い、波長みたいなものはかなり近いんだろう。

 話しやすいし、隣にいるとリラックスできる。

 だから毎日のように昼休みは二人で過ごしたりするんだが、どうにも甘酸っぱい青春とは程遠かった。


 ――人生は短い、恋愛なんかに振り回されるのはナンセンスだよ。

 ――君とは誰よりも親しくありたいけれど、恋人という関係はどうにも想像の埒外なんだ。


 去年からずっとそんな風に「牽制」されているせいか、いまいち距離を掴みあぐねている。

 なんだろうな、これ。

 人間として好ましく思っていても、どうにも一人の異性として認識しきれない状態。

 俺に美人の姉妹でもいれば、ちょうどこんな感じだったんだろうか。






 * *




 


「じゃあ俺、先に行くから」

「うん、また教室で会おう」


 予鈴が鳴る5分前、俺はひとりで空き部屋を出る。

 伊緒はジャージ姿に着替えたあと、予鈴を待って教室に戻るはずだ。

 別にやましいことはしてないわけだし、一緒のところを見られても別に問題ないと思うんだけどな。

 階段を降りて、部活棟の1階へ。

 ちょうどその先で、クラス委員の油川賢治に出くわした。


「よお、委員長」

「あ、赤井くん……」


 油川は少し怯えた様子で二歩、三歩と後ずさりした。

 たぶんこのシーンを目撃されるほうが、伊緒といるよりずっとマズい。

 第三者からすれば「優等生をカツアゲする不良」にも見えるだろう。


 高校受験の前には更生したんだが、俺はもともとロクデナシだった。

 髪の毛をリーゼントに固め、昼も夜もケンカ三昧。

 そのせいか今も物騒な空気は消せず、クラスでもちょっとハブられ気味だったりする。

 あとはまあ、目付きが悪くて身体がゴツいってのも威圧感を倍増させているんだろう。

 2年になった今も柔道部や空手部から勧誘が来るし、「せのじゅん」に並べば最後尾だ。

 

「横、通っても、いいかな……?」

「悪ぃ、ここの階段って狭いよな」


 俺は半身を逸らしてスペースを作る。

 油川はまるで逃げるようにタタタッと横を駆け抜けようとする。

 その背中に。


「委員長、もしかして今から漫研か?」

「う、うん……」

「じゃ、俺も行くわ。原稿の集まりもチェックしたいしな」


 実のところ俺と油川は部活仲間だったりする。

 所属は漫画研究会、主な活動は隔月での部誌制作。

 油川は本職のイラストレーターかってくらいに絵が上手で尊敬しているんだが、どうにも距離を置かれてしまっている。

 やっぱりこのゴツい見た目が悪いんだろうか。

 ああ、細身のイケメンになりたい。


 油川にくっついて部室に向かうと、ドアの鍵は開いていた。

 中には後輩の女子がひとり、紅茶片手にくつろぎ中。

 なかなかフリーダムな感じで素晴らしい。


「あれっ、ゆっかー(油川)センパイにあっきー(彰良)センパイじゃないですか。もうすぐ昼休み終わっちゃいますけど、もしかしてお二人で個人授業的なアレコレですか? んふふふふふ」


 相変わらずこいつは手遅れだ。

 我が漫研期待の新人である加賀(かが)祈里(いのり)は、まあなんというか、腐っていた。

 

「気弱な優等生と、オラオラ系の不良。いいですねいいですね。ああっ、でも鷹觜(たかばし)センパイとあっきーセンパイの、美男×野獣も……!」

「伊緒は女だぞ」

「世の中には男体化というものがありまして――」

「業が深すぎるだろ……」


 そもそも“生モノ”の妄想話は勘弁してくれ。

 するなとは言わないが、口に出されるとキツいものがある。

 しかもその対象が自分だったりするとダメージが倍々ゲーム、精神力がガリガリ削れる音がする。


「油川、あとは任せた」


 俺はパパパッと原稿の集まり具合をチェックすると、足早に部室を逃げ出した。

 男らしくないって?

 いやいや、むしろ英断と褒めてくれ。

 油川のやつ、加賀に惚れてるみたいだしな。

 同級生の恋路を応援するため、お邪魔虫は早々に退散……したものの。


 あと一分くらいは部室に留まっておくべきだったかもしれない。


「ほう、君もけっこう色男なんだな。中から楽しそうなお喋りが聞こえてきたよ」


 部室を出たところで、ばったりと伊緒のヤツに出くわしたのだ。

 両目を細めて、いかにも不機嫌そうな様子だった。


「どうせ次は家庭科だ、遅刻にも寛容だろう。もうすこし愛しい彼女とお喋りしてきたらどうだい?」

「待て、伊緒。いろいろと誤解してないか」

「正しく状況を把握しているつもりだよ。君は私と別行動になったあと、部室で誰かと密会していた。そういうことだろう?」

「違う、委員長の油川に引っ付いて来ただけだ。そうしたら後輩の女子が先にいてだな――」


 ちょうどその時、タイミングよく背後の部室から楽しげな声が聞こえてきた。

 

「……ふむ」

 

 数秒ほど伊緒は腕を組んで考え込むと、やおら俺に背中を向け。


「わかった、君の言い分を信じるとしよう。

 ――ところで、私は次の授業に出るモチベーションがきわめて低い」

「家庭科の麻野、嫌いだもんな」

「それはあの女が君に色目を……いや、なんでもない。ともかく、教室に戻る気がまったく起きないんだ」

「二人でサボるか?」

「…………魅力的な誘いだが、学生の本分を投げ出すわけにはいかないだろう」

「じゃあ、どうする?」

「私を部活棟の外まで連れて行ってくれ。手段は任せる」


 そう言うと伊緒は、なぜか左手を意味もなく()()()()とさせた。

 まるで魚が食いつくのを待つ釣り針のようだ。

 最近、インターネットでこういうシチュエーションにピッタリの言葉を見た覚えがあるぞ。

 そんなえさでおれさまがつられくまー。

 ……と、いうわけで。

 

「――二番線、電車が発車します」

「なんだい、これは」

「電車ごっこだ。小さい頃にやらなかったか?」


 伊緒の両肩を後ろから掴んで、ゆっくりと押していく。


「まったく」

 

 嘆息する伊緒。


「君は子供だね。やれやれだよ」




 その横顔は、すこし嬉しそうだった。







 * *






 これが俺の日常だ。

 放課後は部室でムダ話をしたり、美術部に出張してデッサンを教えてもらったり。

 適当な時間になったら伊緒を迎えに行き、寄り道しながら下校する。

  

 荒れ果てた中学時代に比べれば、ずっとずっと充実していた。

 穏やかな高校生活。

 永遠に続けばいいと思っていた。






 * *





 でも。

 ゴールデンウィークが過ぎ、中間考査が終わった次の週。

 伊緒のやつが、急に姿を消したんだ。


 ただの家出や失踪じゃない。

 変な言い方になるが、この世界から存在そのものを消し去られていた。


 クラス委員の油川(いわ)く。


鷹觜(たかばし)伊緒(いお)……? そんな子はいなかったと思うけど――ヒッ、ご、ごめん! お金ならいくらでも貸すから……!」


 あるいは、後輩の加賀(かが)祈里(いのり)(いわ)く。


「えっ、あっきー(彰良)センパイといえばゆっかー(油川)センパイですよ。ほかのカップリングなんてありえません! 鷹觜(たかばし)伊緒(いお)? いつもジャージ姿で演劇部? ふふーん、まさかセンパイ、自分と絡めてほしいキャラを自分で作っちゃったんですか?」


 誰も彼もが伊緒のことを忘れていた。

 学校の名簿にも名前はなく、鷹觜(たかばし)家を訪ねてみても不審がられるばかり。


 伊緒を覚えているのは、俺ひとりだけだった。

 こうなってくると、自分の記憶こそ間違っているような気もしてくる。

 あいつは本当に存在していたのだろうか?


「ぜんぶ俺の妄想でした、なんてオチじゃないよな……?」


 俺はかつてない混乱に見舞われたまま寝床に就き――奇妙な夢を見た。






 そこは真っ白な空間で、眼の前にはギリシャ彫刻みたいにヒラヒラした衣装の女性が浮かんでいた。

 女性は自分のことを「恋の女神シルト」と名乗り、


「キミの大好きな伊緒ちゃんだけど、実は、異世界に行っちゃったんだよね」


 などと、荒唐無稽(こうとうむけい)なことを語り始めた。

 その内容を簡単にまとめると――。


 ・登校途中、伊緒のヤツはトラックに轢かれて命を落とした。小さい子供を庇ってのことだった。

 ・その後、ある神の気まぐれによって異世界へと転移することになった。

 ・元の世界での記憶・記録はすべて抹消されるはずだが、なぜか俺だけは伊緒のことを覚えていた。


「本当なら伊緒ちゃんには特別な力が与えられるはずだったんだけど……ごめんね、あたしの弟神(おとうと)ったらホントに抜けてて、いろんなものを渡し損ねちゃったの」

「じゃあ、シルトさんは身内のヘマをフォローしに来たってことですか?」

「うんうん、合ってる合ってる。それでね、彰良くん。もしよかったらキミも異世界に行ってくれないかな? いろいろと力は貸すし、伊緒ちゃんのことを助けてほしいの」

「日本に連れて帰れ、ってことですか?」

「ううん、“向こう”への道は一方通行なの。だからそのまま異世界に住んでもらうことになるんだけど、いい、かな……?」


 おずおずと、探るように訊ねてくるシルト神。

 俺は少しだけ考え、まず、自分のほっぺたを(つね)ることにした。

 痛い……。

  

「何してるの、彰良くん」

「これが夢かどうかを確かめようと思いまして」

「信じられないかもしれないけど、現実だよ。ほら」


 シルト神は両手で、俺の右手をゆっくりと包み込んだ。

 掌の暖かさ。

 指の感触。

 どれもリアルそのものだった。

 

「もちろん断ってもいいんだよ」

 俺の手を握ったまま、シルト神はポツリと呟く。

「無理を言ってるのはこっちだし、彰良くんには彰良くんの人生があるから――」

「でも、伊緒はいま困ってるんですよね。ひとりぼっちで」

「……まあ、ね」

「だったら、行きます」


 答えそのものは最初から決まっていた。

 俺にとっての問題は、これが現実かどうか――本当に伊緒のところに行けるかどうか、ということだった。

 だって、すべてが夢だったとしたら虚しすぎるじゃないか。

 伊緒に会えると期待してたのに、目が覚めたら相変わらずの日本。

 そうなった時、俺はきっと大暴れする。

 “血塗れの狂犬(レッドワン)”が復活し、“遠征センチメンタルジャーニーを繰り返すだろう。


「ほんとうに? まだ撤回しても大丈夫だよ?」

「男に二言はありません。ただ……」

「何かな。できるだけ要望は聞くけど」

「今日まで俺を育ててくれたおじさんとおばさんには、こう、遺族年金とかそういう感じのものをお願いします」

「へえ。キミってオーガみたいな見た目だけど、けっこう義理堅いとこがあるんだね」

「もしかして俺、ケンカ売られてます?」

「ううん、そうじゃないよ。そういう硬派なところ、個人的にはポイント高いかなー、って。

 ……よし、決めた! キミには伊緒ちゃんに渡すはずだった力にプラスして、あたしからも特別サービスしておくね」

「サービスって、どんなものがあるんですか」

「称号とかユニークスキルかなー。あっ、まずはキミが行くことになる世界について説明するね!」


 俺が異世界行きを引き受けたことで安心したのだろうか、シルト神の表情は明るかった。

 相変わらず俺の右手を握ったままで、ブランブランと振り回している。

 ツインテールの髪型もあってか、ちょっと幼い印象が強い。


「その世界にはね、魔法があって、魔物がいて、それからレベルとかスキルの概念があるんだよ」

「まるでゲームみたいですね」

「うーん、実際は逆なんだけどね」


 逆?

 ゲームこそが現実とか、そういうまさかの展開なんだろうか。


「どう言えばいいかな。レベルとかスキルってのは、本来なら()()()()()()()()()()()()()()()()()なの。けれどキミの世界じゃ、『ゲーム』なるものの中でしか実現されてなくって――なんだか変なんだよね。例外中の例外というか。人間が人間自身の力で生きるしかないから、『地獄』って呼んでる神様もいるみたい」


 やばい。

 話の内容が複雑すぎて、俺にはサッパリ理解できないぞ。

 伊緒がいれば分かりやすく説明してくれるんだろうが、ううむ。

 

「これから彰良くんが行くところは、レベルとかスキルがいろんなことを手助けしてくれる世界なの。自転車の補助輪ってあるよね、あのイメージでいいと思う。『地獄』出身のキミにとっては、天国みたいに思えるんじゃないかな。――あっ、でも恋愛だけは自力でなんとかしてね。あたし的には伊緒ちゃんとくっつくのを期待してるし、ガンバ!」

「……伊緒ってわりと難易度高いと思うんですけどね」

「だいじょうぶだいじょうぶ、同じオリに入れとけば自然とくっつくよ!」

「恋の女神なのにロマンチックさの欠片もないような……」

「気にしたら負けだよ! じゃあね!」




 かくしてシルト神は俺を、わりと軽いテンションで異世界へ送り出した。


 

 

 おかげでちょっと油断していた。

 きっと異世界じゃ伊緒も不安だろうな、知り合いが誰もいないもんな……くらいに考えていた。


 でも。

 青い光に包まれて異世界へとワープし、最初に目にした光景は。


「くっ……、離せ! 離せっ! んぐっ、んんんっ……!?」

「フヒッ、フヒイイイイイイイイイ!」

「フヒヒヒヒヒ!」

「ヒヒッヒイ!」


 オーク、というヤツだろうか。

 ファンタジー系のゲームに出てくるアレだ。

 合計三匹、いずれもブタ頭の肥満体。

 ジャージ姿の伊緒を地面に組み敷いて、何事か下劣なことを始めようとしていた。

































<第二章 救出のバイオレンス>






















 __________________________________


  問.貴方はかつて“血塗れの狂犬(レッドワン)”と呼ばれた暴れん坊ですが、

    今は更生し、平和な日々を送っています。

  

    さて、眼の前で大切な女の子が乱暴されそうになっています。

    次のうち、どの行動が適切でしょう。

                         (配点:鷹觜伊緒)


     a).平和的な話し合いをこころみる

     b).見て見ぬふりで逃げ出す

     c).カ シ ャ ン 

 __________________________________


 



 選択肢を検討する必要すら、ない。

 俺は伊緒を助けに来たんだ。

 だったら、やることはひとつだろう?  




 ――カシャン。



 

 頭の中で、“(タガ)”の外れる音がした。

 2年ぶりの感覚。

 ずっと抑えていたものが、解き放たれる。

 拳を握った。

 全身の細胞ひとつひとつが、息を吹き返していくような心地。

 自然と笑いがこみあげていた。

 牙を剥くように、ニィ、と。


「フヒィ!」


 一番手前のオークが、こちらに気付いて振り返る。

 さて。

 それじゃあ。

 異世界“遠征”に来たことだし、“記念スタンプ”でも押させてもらおうか。


「――ラシャァッ!」


 俺はオークの顔面に、右ストレートを叩き込む。

 

「ブビッ……!?」


 前方に長く突き出た鼻が、ぐしゃりと真ん中で折れ曲がった。

 そのまま攻撃の手は緩めない。

 左拳、右拳、左拳――殴りつけるたびに鼻が陥没し、顔じゅうが“(インク)”塗れになっていく。

 これで十分だろう。

 俺はオークの後頭部を掴むと、すぐそばの木に叩き付けた。

 本当なら白い壁とか塀にやるんだけどな、“記念スタンプ”。

 “スタンプ台”が木じゃ、どうにもちょっと見栄えが悪い。

 “観光気分(サディスティック)”が不完全燃焼だ。


 何度かスタンプを押し直していると、やがて1匹目のオークはグッタリと動かなくなった。

 

「ブ、ブヒッ!」

「ブヒィィィッ!」


 残り2匹は茫然とその光景を眺めていたが、ようやく我に返ったらしい。

 伊緒から手を離し、慌てて立ち上がる。

 遅い。

 欠伸が出る。

 “記念スタンプ”、二つ目だ。

 近い方のオークの腹を蹴り抜いた。

 身体が「く」の字に曲がったところで、下りてきた顔を掴み――地面に、ドン。

 骨の砕ける感触があった。

 

「ブブゥ!」


 そこに三匹目が襲いかかってくる。

 武器を手にしていた。

 大きめの棍棒だ。

 ギリギリで躱して、さあ、反撃だ。

 “記念スタンプ”ばっかりってのも芸がない。

 知ってるか?

 スタンプは二つで景品と交換してもらえるんだ。

 “血塗れ(レッドマン)”特製の“サンドバッグ”だ。


 まず、オークのだらしない腹を殴りつけて悶絶させる。

 その首を、左手で絞めあげた。

 

「フッ、ヒィ……」


 俺のほうがずっと背は高く、オークは宙に浮く形になる。


 それではみなさん、ここからはラジオ体操っぽくお願いします。

 はい、右手を強く握って、ひたすら顔を殴る運動。

 1、2、3、4、――5、6、7、8。

 2、2、3、4、――5、6、7、8。

 3、2、3、4、――5、6、7、8。

 4、2、3、4、――5、6、7、8。

 合計で、32回。

 オークの顔はすっかり平たくなっていた。

 きっと古代ギリシャ人からみた日本人はこんなのだろう。

 テルマエなんとやら。 




 こうしてオークどもを潰し終え――ふと、俺は冷静になる。




 目の前には、あまりに陰惨な光景が広がっていた。

 オークは三匹とも顔を潰され、ヒクヒクと四肢を痙攣させている。

 いくら伊緒を助けるためだったとはいえ、やりすぎというか、()っちまったというか。

 

 普段ならもっと手加減できるはずなんだが……。

 レベルやスキルの効果だろうか、攻撃のひとつひとつが想像以上の威力に変わっていた。

 

 なんて残虐ファイトだ。

 グロ過ぎる。 


「ア、キ……」


 すぐそばでは伊緒が震えていた。

 今にも泣き出しそうな表情。

 そりゃそうだよな。

 リアルでスナッフムービーを見せられたようなもんだし、ドン引きしたに決まっている。

 これは嫌われたかなー、なんて覚悟を決めた、その矢先。


「お、遅いじゃないか……ぁ。ばか、ばかぁ……!」


 伊緒はよろよろと俺の足にしがみつき、そのままわんわんと大泣きし始めた。




 

 

 しばらくすると伊緒は落ち着いたのかして、ここに至るまでの経緯を話してくれた。


 登校途中、トラックに撥ねられたこと。

 有無を言わさず神様 (シルト神の弟) によって異世界に飛ばされたこと。

 丸一日ずっと森の中を彷徨い、人影を見つけたと思ったらオークだったこと。


「本当に助かったよ、ありがとう。……アキには、また助けられてしまったね」

「懐かしいな、2年前だっけか」


 これは高校に入ってから知ったことだが、俺と伊緒は中学時代にちょっとだけ関わっていた。

 伊緒は修学旅行でうちの県に来ていて、自由行動中に運悪く不良に絡まれてしまったのだ。

 それを俺が追っ払って……ついでに、当時影響されていた少女漫画をマネて、思いっきりキザっぽく振る舞ってみたんだ。

 普通なら二度と会うことはないはずだし、旅の恥はかき捨て、って言うだろ?

 ま、この場合の旅人は伊緒なんだが。

 ともあれ、それっきり会うことはないと思ってたんだ。

 けれど。


「高校でまた出会って、今度は異世界で再会か。ほんとうに縁があるよな、俺たち」

「このまま死ぬまで付き合いが続く気がするよ。お互い、長生きができるといいね」

「違いない」


 俺たちは笑い合う。

 幸い、伊緒のやつは俺のことを怖がらずにいてくれた。

 オークたちの姿は消えている。

 逃げて行ったわけじゃない。

 サラサラサラ、と赤い粒子になって空気に溶けてしまったのだ。

 後には大きな紅のクリスタルが残っている。……売れば金になるだろうか。


「そういえばアキ、君はどんなステータスなんだい?」

「分からん。どうやったら見れるんだ?」

「ふむ、説明を受けていないのかな。額のあたりに意識を向けて、『ステータスオープン、オールエクスプレイン、オールパブリッシュ』と唱えるんだ」

「わかった」


 言われたとおりに呪文を口にすると、青白い半透明のパネルが浮かんだ。

 そこにはこう書いてある。





___________________________________


名前:アキラ・アカイ

年齢:17歳

性別:男性 

種族:異世界人

    1.レベルアップに必要な経験値が大幅に少なくなる

    2.レベルアップ時、次のいずれかがボーナスとして発生する

      a) 「新スキル獲得」 b) 「スキルランクアップ」

称号:

 『Il mio principe』

   半径25m内にイオ・タカバシ (以下「イオ」)が存在する場合、全能力に特大の補正

    ※補正は身体的接触によってさらに増幅される。増幅時間は1分~1時間。

 『血塗れの狂犬(レッドワン)

   自身と敵の流血量に応じて全能力に補正

 『シルトの加護』

   恋愛感情の高まりに応じて全能力に補正


レベル10


ユニークスキル:

 【絶対の守護者】

   1.本スキルの所有者は、イオから10日以上離れると死亡する

   2.本スキルの所有者はイオを対象とする

     あらゆる攻撃的行動をカバーリングできる

     a) この効果の発動においては

     いかなる空間的・肉体的制約も無視できる

     b) この効果の発動時、防御力に特大の補正

   3.本スキルの所有者は()()()()()()()()()()()()()()()()

     自らの意志で命令を実行する際、全能力に補正

     補正量は命令内容に依り、短期的・具体的であるほど大


 【次元連結型アイテムボックス】

   1.本スキルの所有者は、任意のアイテムを亜空間に保管できる

   2.個数・サイズに制限はない

   3.モンスターの死骸は自動的に素材として解体される


スキル:

 【エーテルフィールドⅢ】

   体表に万能属性のバリアを形成する。自動発動。

 【生活魔法Ⅰ】

   [身体浄化(クリアラ)]・[着火(イグニット)]が使用可能

 【言語知識Ⅳ】

   人族・亜人族が現在用いているあらゆる言語について、読み書きが可能


___________________________________




「……なんだ、この『イイ(Il)ミオ(mio)プリンシペ(principe)』って?」

「イタリア語かな、前に何かの本で見たことがあるよ」

「意味は分かるか?」

「『私のおう――なんでもない。どうやら勘違いしていたらしい、未知の言語だね、これは。

 それよりも、だ。ここに書いてある『シルト』ってのは誰なんだい?」

「恋の女神だったかな。そいつが俺をここに送ってくれたんだ。伊緒を助けてやれ、ってな」

「ああ、なるほど。だから『恋愛感情の高まりに応じて~』なんてふざけた文言なわけだ。

 ユニークスキルとやらはもっとひどいね。私と10日以上離れると死ぬだなんて、実質的に奴隷みたいなものじゃないか」

「嫌か?」

「君こそ、それでいいのかい?」

「俺は別に構わない。そもそも、伊緒を追いかけてここまで来たんだからな」

「……えっ?」


 キョトン、と戸惑ったような顔を見せる伊緒。

 そっか、そうだよな。

 俺、まだ異世界に来た事情をまったく話してなかったっけ。

 とりあえずザッと説明しておくか。



 伊緒がみんなの記憶から消えてしまったこと。

 俺だけは覚えていて、必死になって探し回ったこと。

 そしてある夜、恋の女神シルトに声をかけられたこと。



 このあたりを手早く伊緒に話す。


「……すまなかったね。私なんかのために」

 

 話が終わった後、ポツリ、と伊緒は呟いた。


「君は、日本で漫画家になりたかったんだろう?」

「別にいいさ、それくらい。むしろこの世界で『なかよし』で『りぼん』な『花とゆめ』を広めりゃいい」

「……元不良の君が言うと、すべてケンカ絡みの隠語に聞こえてくるね」

「なんだよそれ」

徹底的にボコって(なかよし)首を絞めて(りぼん)臨死体験をさせてやる(花とゆめ)……とか?」

「おまえちょっと日本に帰って出版社様に謝れマジで」

「それができれば苦労しないよ。異世界へは一方通行なんだろう? ――本当に、すまない」

「いいんだよ」


 このとき俺たちは地べたに座り込んでいて、大木を背にかるく寄り添っていた。

 俺の右腕に、伊緒の左肩が触れている。


「私がもっと普通の、可愛げのある女なら助け甲斐があるんだろうけどね」

「心配するな、俺にとっちゃ伊緒がいちばんだ」


 おかげで他の女子にもあんまり興味が持てず、男子の間でひそかに作られる『校内美少女ランキング』的なものにもイマイチ乗り切れない。


「つーか、伊緒のいない高校生活とかマジで灰色だしな」

「漫研の後輩ちゃんがいるじゃないか」

「ありゃ油川と両思いだよ、たぶん」

「だとしても、君と接点を持ちたい女子は多いと思うけどね」

「冗談はやめてくれ。こんなナリだし、ビビられてるのは自覚してる。話しかけてくれるのは伊緒くらいだよ」


 去年、もしも伊緒と同じクラスじゃなかったらどうなっていたことか。

 きっと俺はぼっち道を邁進し、無言の高校生活を送っていただろう。


「アキはほんとうに鈍感だ」


 心から呆れたように嘆息する伊緒。


「恋の女神とやらも、加護を送る相手を間違えたみたいだね」

「かもな。……けどまあ、物事はなるようになるもんだ。とりあえず人里を探さないか?」

「私も同意見だ。ただ、ひとつ問題がある」

「どうした?」

「情けない話だが、まだ腰が抜けていてね。――申し訳ないが、手を貸してほしい」

「おんぶでもするか?」

「それはセクハラだ」

「は?」

「いろいろと当たるじゃないか」


 当たるほどの胸はない。

 ……と指摘すると戦争が始まるので、俺は沈黙を保っておく。

 黙ったまま伊緒の肩と膝裏に手を回し、持ち上げる。

 正式名称、横抱き。

 俗称はお姫様抱っこ。

 

「…………君は無礼者だ」


 プイ、とそっぽを向く伊緒。


「じゃあ、やめるか?」

「……別にいい」



 





 * *








 どうやら俺たちは森のかなり外側にいたらしく、ほどなくして見晴らしのいい草原に出た。 

 街道に沿って進むと、やがて、城壁に囲まれた街が見えてきた。


「アキ、そろそろ降ろしてもらっていいかな」

「わかった。無理はするなよ」


 俺はその場にしゃがみこんだ。

 伊緒はゆっくりと両足で地面に立つ。

 なんとか歩けそうな雰囲気だった。


「大丈夫か?」

「まあ、我ながら及第点だね。……念のために腕を貸してほしい、あくまで念のために、だ」


 やたらと「念のため」を強調したあと、伊緒は俺の腕にしがみついた。

 

「門番がいるみたいだけれど、通れるかな」

「大丈夫だ」


【次元連結型アイテムボックス】には最初からいくつかのアイテムが入っている。

 そこには俺と伊緒の身分証もあり、おかげでサッと門を通ることができた。


「スィズ市は初めてですか?」


 門番の、赤い髪の少年が訪ねてくる。

 顔立ちは若々しいというより幼く、もしかすると俺より年下かもしれない。

 ニコニコと、人好きのする表情を浮かべていた。


「ええと――」


 俺は少しばかり戸惑っていた。

 なにせこのゴツい外見だ。

 相手に怖がられることはあっても、こんなにこやかに声をかけられたことなど数えるほどしかない。

 むしろ今回が初じゃないだろうか。

 この少年の、親の顔が見てみたい。

 きっといい人だろう。


「スィズ市は地下迷宮(フォートレス)の上に作られた都市で、冒険者のメッカとも呼ばれてるんです。

 商人もたくさん出入りしてて、中央区の露店通りなんかはデートにおすすめですよ」


 少年は俺たちをカップルと勘違いしたのだろうか、そんなアドバイスを贈ってくれた。


「デ、デートって……デートって……」


 街に入った後も、しばらくのあいだ伊緒のやつは動揺しまくっていた。

 俺の腕にしがみついたまま、フラフラフラ、フラフラフラ。

 危なっかしくて仕方ない。


 俺は苦笑しつつ、まず、今夜の宿を探すことにする。

 本来なら伊緒にも意見を聞くべきなんだろうが、たぶん遠慮して「どこでもいい」なんて言うだろうしな。

 こっちで察してセレクトするのが男の甲斐性ってもんだろう。

 伊緒の好みならだいたい把握しているしな。

 

  ・あんまり高級すぎるところは気疲れするからアウト

  ・かといって安っぽいところもダメ

  ・いかにも流行ってそうな宿はキライ

  ・けれど地味すぎるのもちょっと……

  ・表通りに面していると騒がしいからイヤ

  ・とはいえ奥まったところは治安的に恐い


 などなど。

 たまに「なんだか生理的に受け付けない」なんて意見も飛び出すからスリル満点だ。

 幸い、今回は1時間ほどでベストマッチな宿を見つけることができた。

 

 屋号は『影猫亭』。

 清潔感のある外観と内装で、静かな落ち着いた雰囲気。

 ちょっと表通りを外れたところにあるけれど、決して閑散とした場所じゃない。

 

「……まあ、及第点かな」


 口ではそう言っているものの、伊緒がここを気に入ったのは表情から丸わかりだった。

  

 ただ。

 部屋は一室しか開いておらず、さてどうしようという話になった。


「他のところを探すか? 別々の方がいいだろ」

「……いや、ここにしよう。別室だとお金もかかるし、何より、アキが折角探してくれたところだからね」


 そういうわけで、まさかの同室。

 割り当てられたのは宿の三階、廊下の突き当りだった。

 寝床は二段ベッドになっている。


「アキ、じゃんけんしよう」

「上、使っていいぞ」

「……よく分かったね」

「さっきからチラチラ見てばっかりじゃないか」

「それじゃあお言葉に甘えて――」


 嬉しそうにベッドの梯子を登る伊緒。

 その様子はどこか浮かれているように見える。

 

「ああ、布団があるってのは幸せだよ……」


 伊緒はしみじみと呟くと、そのうち静かに寝息を立て始めた。

 よっぽど疲れていたんだろう。

 俺はどうしようか。

 かなり元気が有り余っているし、外もまだ明るい。

 よし。

 さっきオークが残していったクリスタルでも売りに行こう。


「……って、どこに行けばいいんだ?」





















<第三章 懊悩のブレイクスルー>






















 宿のマスターに聞いてみると、魔物の素材はすべて冒険者ギルドなる組織が買い取っているらしい。

 親切なことに地図まで書いてくれて、おかげで夕方ギリギリには目的地に辿り着くことができた。


 ……なんで俺、こんなに方向音痴なんだろうな。


 冒険者ギルドは他に比べてもかなり大きな建物で、1階の右半分は酒場になっていた。

 俺の用事は左側、ギルドの窓口……なんだが、ずらりと10人くらい受付のお兄さんやらお姉さんやらが並んでいる。

 誰に話しかければいいのだろう。


「あの、すみません」


 とりあえず近くを通りかかったスーツ姿の女性に声をかけてみる。

 ちなみにこの世界の文化レベルだが、魔法とやらのおかげだろうか、中途半端に現代とファンタジーが入り混じっている。衣服のセンスも現代に近く、おかげで俺の格好も浮かずにすんでいた。


「は、は、はいっ!?」


 その女性はメガネをかけていて、いかにも理知的な雰囲気だったが……思いっきり、怯えられてしまった。

 やっぱりこのツラとガタイじゃ威圧感があるのだろう。

 高校の面接でもやたら怖がられたっけな。

 面接官に生活指導の焼畑(やきばた)先生が混じってなかったら、たぶん俺は落ちていたと思う。


 ――いいか赤井、まんまるスマイルや! 丸をイメージして笑ったらええねん!


 焼山先生のアドバイスを思い出し、俺は笑顔を浮かべてみる。

 眼鏡の女性は「ヒッ」とか細い悲鳴をあげた。

 何故だ。

 仕方ない、話を続けよう。

 喋っていれば俺が善良な一市民であることも分かってくれるはずだ。

 

「素材の買取って、どこに行ったらいいですか? ギルドに来るのは初めてでして……」

「冒険者登録は、してらっしゃらないんですよ、ね……?」

「どうやったら登録できますか?」

「でしたら、こちらへどうぞ……」


 女性に連れられ、一番手前の受付に向かう。


「こ、こちらの書類に記入をお願いします」


 どうやら彼女が登録作業をやってくれるらしい。

 カウンターを挟んで向かい側に座っている。

 手渡された紙には、名前・性別・年齢・住所・志望動機の欄があった。


「今は宿屋に泊まってるんですけど、住所ってどうしたらいいですか?」

「それなら身分の証明になるようなものを提出していただくことになりますが……」

「分かりました。どうぞ」


 俺はアイテムボックスから身分証を取り出した。

 手のひらサイズのカードで、プラスチックのような手触りだ。


「えっ……!?」


 女性はその顔に明らかな動揺を受けべていた。

 カードの文字をまじまじと見つめている。

 なんだろう。

 悪いことでも書いてあったのだろうか。

 手渡す前にちゃんと読んでおけばよかったかもしれない。


「ちょ、ちょっと失礼します!」


 弾かれたように奥のドアへと駆け込んでいく女性。

 俺は首を傾げつつ、とりあえず書類の内容を埋めてしまう。

 志望動機は……「生活費を稼ぐため」で、いいか。


 やがて女性がこちらに戻ってくる。


「か、確認が取れました。シルト教の神官様だったのですね、申し訳ありません……」


 ものすごく恐縮しながら、女性は身分証を返してくれた。

 神官? 俺が? 

 どういうことだと思いつつカードに視線を落とすと、職業欄みたいなところにこう書いてあった。


 ――シルト教・自由神官・特級階梯。


 これはもしかして、シルト神の言っていた「サービス」のひとつなんだろうか。

 社会的立場の保証、みたいな。


「あのっ、神官様」


 先程までとはうってかわって、尊敬のまなざしを向けてくる女性職員。

 眼鏡越しの、キラキラとした視線がムズ痒い。


「シルト教ってことは、恋愛相談も受け付けてくださるんですよね……」


 顔を真っ赤にして、そんなことを呟き始める。

 えっと。

 シルトさま?

 恋の女神さま?

 気遣いのつもりで俺を神官にしてくれたのかもしれませんが、なんかむしろ厄介事を引き込んでません?


「実はわたし23歳なんですけど、8歳も下のコと付き合ってまして――」

 

 えっ、マジで相談するの?

 初対面の相手ッスよ、俺。

 どんだけ追い詰められてるんですかお姉さん。

 いやちょっと考え直した方がいいんじゃないでしょうかマジで。


 ……曰く。


 ・女性の名前はシーナ・リズ。今年で8年目になるギルド職員。

 ・恋人のウィン・トゥールは冒険者をやっていて、まだキャリア半年の駆け出し。

 ・はじめは弟みたいな感覚で面倒を見ていたが、だんだん異性として気になりはじめた。

 ・その矢先に居酒屋で相席になり、お酒の勢いもあってか気付くと朝チュン。

 ・いちおう付き合ってはいるものの、年の差もあるし愛想を尽かされないか心配。



「神官さま、わたし、どうしたらいいんでしょう……?」


 眼鏡の女性――シーナさんは本気で困っているようだった。

 縋るように、うるうるとこちらを見上げてくる。



「お願いします、どんな小さなことでもいいんです。アドバイスを頂けませんか……!」



 うう、そんな目で俺を、童貞かつ恋人のいない俺を見ないでくれ……! 

 “血塗れの狂犬(レッドワン)”最大のピンチだ。

 くそう。

 そういや、昔、不良仲間の誰かが言ってたっけ。


 ――オンナの相談事なんて、ひたすら聞いてりゃなんとかなる。

 ――こっちの意見なんか言わなくていーんだよ。


 ちくしょう、全然違うじゃないか。

 すごい勢いで意見を求められてるぞ、いま。

 もしかして“知り合いへの恋愛相談”と“専門家への恋愛相談”じゃ求めるものが違うのか?

 

 逃げたい。

 逃げ出したくてたまらない。

 けれど頼りにされている以上、男としては応えてやりたい。


 そうだ。

 もっと視野を広げよう。

 俺には、心強い味方がいるじゃないか。


 ――少女漫画だ。


 ただのフィクションと侮ることなかれ。

 一定のリアルがそこに含まれているからこそ、人間は深い共感と感動を覚えるわけで。


 考えろ……!

 考えるんだ、赤井彰良……!

 似たようなシチュエーションはなかったか!? 

 年上ヒロインの少女漫画……!

 『それでも世界は美しい』――あの二人はけっこううまく行ってる……!

 『きみはペット』――カンケイがオトナすぎて参考にならない……!

 『乙嫁語り』――少女漫画かどうか微妙だがアミルさんあたりは近いか……?

 ちなみに俺はパリヤの自分を持て余してる感じが伊緒っぽくてお気に入りだ……!



 そうして俺は、悩んで、悩んで、悩み抜いて――。

 ふと、何かが降りてくるような感覚があった。






 * *






 それはシルト神が手を貸してくれたのかもしれないし、あるいは火事場の馬鹿力だったのかもしれない。

 突如として思考がサアッと澄み渡ると、自然と言葉が溢れ出してきた。

 語った内容については秘密にさせてほしい。

 とんでもなく偉そうな“説教(SEKKYOU)”で、思い出すたび死にたくなるからだ。


 大雑把に説明するなら「少女漫画に出てくる“擦れ違い”って、互いが互いを気遣いすぎて起こるよな」という話だ。

 ほんの少しだけ会話を抜粋すると。


「シーナさんは自分が年上なのを気にしてますけど、向こうも自分が年下なのを気にしてると思いますよ」

「でも、ウィンくん、悩み事とかあんまり話してくれなくって。きっとわたしが頼りないから……」

「『シーナさんが悩み事をあんまり話してくれない。きっと自分が頼りないからだ』――きっと向こうも同じことを考えてるはずです。

 お互い、相手に頼られたくて強がってしまう。そのせいで悩みを話せず、距離が開く。

 ふたりは今、そういう状況だと思います。

「……じゃあ。どうしたらいいんですか」

「シーナさんの方から甘えてあげてください。男って単純ですから。好きな相手が寄りかかってきたら、なんかもうそれだけで幸せになったりするんです」

「でも、鬱陶しがられたりは――」

「これまでほとんど甘えてこなかったんでしょう? だったら大丈夫です」



 ……とまあ、そんな感じだ。

 童貞の知ったかぶりなんて突っ込まないように。

 いや実際その通りなんだが、一応、経験に基づく発言もあるからな。

 

 こう、さ。

 伊緒のなにがカワイイって、強がりながら甘えてくるところなんだよな。

 懐いてるのか懐いてないのかよくわからないけど、気付いたらくっついてるネコ的な。

 俺はちょっと極端な例だが、たぶん、甘えられて嬉しいってセンスはすべての男に共通だと思う。

 

 ともあれ。

 シーナさんとしては、俺の言葉に何かしら感じるものがあったらしい。

 最後はメモまで取って、深くうんうんと頷いていた。


 これだけ真剣に想われてるなら、彼氏のウィンくんとやらも幸せ者だ。

 ぜひとも結婚式には呼んでほしいと思う。



 そのあと俺はオークのクリスタルを換金し、冒険者ギルドを出た。

 ちなみに魔物がクリスタルを残すのは、よほどのオーバーキルをかました場合だけらしい。

 オークのクリスタルはひとつあたり5000ディル、3つなら15000ディルだ。

 今の宿が素泊まり4000ディルということを考えると、まあ、そこそこの額と言えるだろう。


 もしかすると普通に働くより、魔物を狩るほうが簡単に稼げるのかもしれない。

 ……そんな不純なことを考えていた罰だろうか。


「道に迷った、だと?」

 

 気が付くと、知らない道に入り込んでいた。

 ちゃんと地図は見てたんだけどな。

 なぜだ。

 俺の何が悪いんだ。

 頭か、頭なのか。

 ついでに言うと運も悪いらしく、昔からこういう時に限って厄介事がやってくる。


「テメエ、チョーシくれてんじゃねえぞ、ああん?」


 ほら、やっぱり。

 裏路地っぽいところを歩いていたら、すぐ近くからガラの悪そうな声が響いてきた。

 次の角を曲がった、先だ。


「返せ! その剣はシーナさんが買ってくれたものなんだ!」

「ハッ、またおねだりしたらいいんじゃねーか? このヒモ野郎がよぉ!」

「酒の勢いで(たら)しこみやがって、毎晩イイ思いしてるんだろ?」

「なあウィン、オレらにもちょっと分けてくれよ? イッパツ500ディルでいいんだぜ?」


 なんだかところどころ、聞き覚えのある単語がチラホラと混じっている。

 ええと。

 シーナさーん。

 彼氏のウィンくん、ゴロツキに絡まれてますよー。

 

「いいだろ、なあ、500ディルでよお?」

「誰がお前たちなんかに……!」

「はぁ? ウィンのくせにナマ言ってんじゃねえぞ、コラ」

「グルトさん、コイツ、どーします?」

「決まってんだろ、ちょっと礼儀ってヤツを教えてやれ」


 さて、どうするかな。


 さっき俺はシーナさんの恋愛相談に乗った。

 顔がメルトダウンしそうな恥ずかしさを堪え、いろいろ必死に語ったわけだ。

 あれだけ頑張ったんだし、二人には幸せを掴んでもらわないと困る。マジで困る。

 もしも彼氏のほうがゴロツキにボコられた挙句、ポックリ死んでしまったらどうする。

 こっちは恥のかき損じゃないか。


 ま、そんな背景がなくても助けに入るけどな。

 暴力で要求を突きつけるのは嫌いなんだ。

 俺自身もゴロツキと大差ない人種なんだが、それでも、力の使い方ってものは(わきま)えてる……つもりだ。

 

「グルトさん、腕とか折っちゃっていいですかね?」

「足もやっちまえ、足も」

「出血大サービスで鍛えてやるからな、ドバドバ流してくれよ?」





 ――俺が物陰から飛び出したのは、このタイミングだった。



 


「……イヤッホォォォォォォォォォゥゥゥゥゥゥゥッ!」


 

 

 奇襲における雄叫びは、奇声であればあるほど望ましい。

 なぜかって?

 相手の理性に、できるだけデカい空白を作っておきたいからだ。

 実際、今回は大成功だった。

 俺という第三者の“登場(エントリー)”に、その場の全員が戸惑っていた。


「シィァッ!」

 

 シーナさんの恋人と思しき赤髪の少年をジャンプで飛び越える。

 そのまま一番近くにいた男の頬を右下から殴り抜いた。

 手応え、アリ。

 衝撃が相手の脳まで突き抜ける“感触(エキサイティング)”。

 

 

「ぐべ……っ!」


 そいつはブタのような吐息を漏らし、ぐるりと白目を剥いた。

 失神したのだろう。

 膝から力なく(くずお)れる。

 まずは一人目、“脱落(ノックアウト)”。

 

「な、何だテメエ!」

「じゃ、邪魔すんじゃねえ!」


 今更になって反応し始める、残り二人。

 

「このヤロウッ――!」 


 二人目。

 なんだか世紀末に生きてそうなモヒカンの男が殴りかかってくる。

 その拳を、右手で受け止めた。

 

「離せっ! 離しやがれっ!」


 お断りします。

 人にモノを頼むときはちゃんと頭を下げましょう。

 ほら、こんな風に。


「~~~っ!?」

   

 掴んだ拳ごとモヒカンの身体を引き寄せ、同時に膝蹴りを叩き込む。

 狙い違わず、鳩尾へ。

 

「ぁ……っ……!」


 潰れたカエルのような吐息を漏らし、モヒカンはその場に倒れ込んだ。

 ピクリとも動かない。

 意識を失うほどの五体投地。

 ああなんて礼儀正しい姿だろう。

 更生させた俺って偉い。

 ま、冗談だけど。

 

「ヒッ……!」


 残る一人、“グルトさん”と呼ばれていた男は真っ青になっていた。

 そういや『ぐんぐんグルト』って乳酸菌飲料があったっけ。

 他にもいろいろ類似商品が多いけれど、俺と伊緒は『ピルクル』派だ。

 学校帰りに買ってやると、やったらめったら機嫌がよくなる。

 まあそういうわけで“グルトさん”に向ける慈悲はない。

 名前が“ピルクルさん”だったら手加減したんだけどな。


「ぐぅ……っ」


 頭を引っ掴んで、壁スタンプ。

 “グルトさん”は三回目で気絶した。

 

 さてさて。

 折角なので、いつものケンカにもう一工夫。

 三人の服を脱がせ、互いの手足を絡めるようにして縛り上げます。

 一人が抜け出そうともがけば、のこり二人の骨が軋みます。

 誰かが通りかかるまでは決して助かりません。

 果たして犯人は何を考えてこんな残虐な行為に及んだのでしょう。

 犯人である俺もよくわかりません。

 










 * *







 

 

 世の中には都合のいい偶然というものがあるらしい。

 俺が助けた赤髪の少年――シーナさんの恋人であるウィンくんなんだが、


「あれ……? 昼に、門のところでお会いしましたよね」


 なんと、門番をやっていた彼だった。


「本業は冒険者なんですけど、シーナさんから危ないことはしないでくれ、って言われてまして……。だからときどき、門番のバイトで稼いでるんです」


 ウィンくんは朗らかな笑顔でそう語る。

 いかにも無邪気というか母性本能をくすぐりそうな表情で、たぶんシーナさんはコレにやられたんだろう。

 

「今日は助けて頂いてありがとうございました。――あっ、自己紹介がまだでしたね。ウィン・トゥールです。今は『影猫亭』って宿に泊まってるんで、もし用事があればいつでも訪ねてきてください」

「待ってくれ、『影猫亭』だって?」

「どうしたんですか?」

「……俺も、そこの客なんだ」


 ほんとうに、ビックリするくらいできすぎた偶然だよな。

 運命すら感じるよ。


 その帰り道、「どうせ同じ宿なら」ということで晩メシを一緒に食べることになった。

 『影猫亭』の1階は料理店になっている。

 階段を降りたところのロビーで落ち合う約束をして、お互い、ひとまず部屋に戻った。


「…………遅い」


 ドアを開けた先には、ジト目の伊緒が待っていた。

 頭から布団をかぶり、雪ん子みたいな恰好でぶーたれている。


「アキ、こっちに来るんだ」


 伊緒がそう口にすると、俺の足が勝手に動き出した。

 何かの魔法だろうか?

 いいや、違う。

 思い当たるフシが、ひとつ。

 俺のユニークスキル。


___________________________________


 【絶対の守護者】

   1.本スキルの所有者は、イオから10日以上離れると死亡する

   2.本スキルの所有者はイオを対象とする

     あらゆる攻撃的行動をカバーリングできる

     a) この効果の発動においては

     いかなる空間的・肉体的制約も無視できる

     b) この効果の発動時、防御力に特大の補正

   3.本スキルの所有者は()()()()()()()()()()()()()()()()

     自らの意志で命令を実行する際、全能力に補正

     補正量は命令内容に依り、短期的・具体的であるほど大


___________________________________


 【絶対の守護者】、第三の効果。 

 それによって身体を操られているんだろう。

 俺は二段ベッドの梯子を登ると、伊緒の横に腰掛けた。

 

「……アキ、私が起きた時の気持ちがわかるかい?」


 伊緒はすこし沈んだ口調で呟く。


「部屋のどこにも君はいない。もしかすると一人だけ日本に戻ってしまったんじゃないか。私は取り残されてしまったのかもしれない。――不安で不安で、仕方なかったんだ」

「置き手紙、残しておいたよな」

「見つけたことは見つけたさ。けれどそういう問題じゃない。……ああもう、こんなことをグチグチと言っている自分が嫌になる。アキもうんざりしてるだろう?」

「むしろ可愛いと思う」

「私たちのあいだに嘘はいらない」

「本音だよ、本音」

「どうだか」


 口ではそう言いつつ、伊緒はほんの少しだけ俺の方ににじり寄ってくる。


「……気立てのいい女性なら、こういう時、笑顔で君を出迎えてくれるんだろうね」

「俺としては、今の伊緒みたいな反応のほうが嬉しいけどな」

「理解しがたいね。まさか被虐趣味者なのかい?」

「違う違う。俺がいないのを寂しく感じて、それで()()()()してたんだろ? 男冥利に尽きるじゃないか」

「独特すぎる見解、いわゆる悪趣味ってヤツだね」


 伊緒はフッと口元を緩める。


 ――やがて、どちらともなくグゥゥゥと腹が鳴った。


 互いに目を見合わせて、大笑いして、それから一階に降りた。


「あっ、アキラさん!」


 ウィンは俺の姿を見つけると、パタパタとこちらに駆け寄ってくる。

 さっきまでの革鎧姿ではなく、私服に着替えていた。

 上着は白いパーカー、下はデニムっぽい生地のショートパンツ。

 なんというか……その。

 中性的な顔立ちに長めの赤髪も相まって、正直、少女にしか見えなかった。

 

「……アキ、この女の子は誰だい」


 そして実際、伊緒のヤツは勘違いしていた。

 声もちょっと怖い。

 俺の肘をつねるのやめてくれませんかね。













 

 









 






<幕間 恩恵のジレンマ>


 

 






















 少しだけ愚痴(グチ)を聞いてくれ。

 これは伊緒にも言えないことなんだ。もちろんウィンやシーナさんにも喋っちゃいない。

 ここだけの、話だ。


 

 まずはここまでの戦績を見てほしい。



___________________________________


 1.VSオーク×3  記念スタンプ2回、景品のサンドバッグ1回

 2 VSゴロツキ×3 不意打ちパンチ→五体投地レッスン→記念スタンプ

___________________________________



 見てのとおり俺は異世界に来てからも無敗で無双で絶対無敵、やっぱり“血塗れの狂犬(レッドワン)”様は最強だな!

 すごい! かっこいい! きゃー抱いて―!



 んなわけあるか。

 こんなモン、何の自慢にもなりゃしない。



 ちょっと考えれば分かるだろ?

 今の俺は、自分の力だけで戦ってるわけじゃない。

 種族、称号、レベル、スキル、ユニークスキル――。

 シルト神から色々と恵んでもらったおかげで、好き放題ができているんだ。

 

 余計なことをしやがって、とは言わない。

 借りモノとはいえ、その力のおかげで伊緒を守れた。ウィンだって助け出せた。

 俺だけなら、オークやゴロツキに負けていたかもしれない。

 

 

 なんつーか、さ。

 今のこの現状、日本にいたころとあんまり変わらないよな。ある意味。


 日本で学生をやってたころは、オトナ(大人)とかシャカイ(社会)に保護されていた。

 そのおかげで好き勝手が許されていたわけだ。


 今の俺はシルト神に保護してもらってる。

 それは単に、ステータス上の強さだけじゃない。

 アイテムボックスには路銀と身分証が入っていた。

 しかも神官様なんて立場まで融通してもらってる始末。


 これはもうシルト神に頭があがらない。

 感謝の気持ちでいっぱいだ。

 ありがちなHIPHOPっぽいフレーズになってしまったが、本気でそう思っている。


 だから、うん。

 この状況で「俺ってつよい! 俺ってすごい!」とか自慢するのって、ものすごく格好悪いよな。

 

 シーナさんの恋愛相談も似たようなもんだ。

 後から振り返ると、あれはたぶんシルト神が力を貸してくれていたと思う。

 でなけりゃ、ああも立派な説教ができるはずもない。

 本当にありがたい話だ。



 ありがたい話なんだが、な。



 裏を返せば、“自分(テメー)の力”だけで成し遂げたことが何もないんだよ。

 ――恵んでもらった力で(いき)がってるだけじゃないか。

 そういう気持ちがぬ拭えない。

 忸怩たる思い……って言葉は、こういう場面で使うんだろう。

 たぶん。

 

 
























<第四章 愛しさのコンプレックス>



 



















「そうか、男性だったのか。勘違いしてすまないね」

「いえいえ。なんか僕って、私服だとよく女の子に間違えられるんですよね」


 ウィンに関する誤解はすぐに解け、おかげで俺はさほど肘にダメージを負わずに済んだ。

 ただまあ、ちょっと皮が伸びたような気もする。


 俺たち三人はやや奥まったところ席に着き、ウィンからオススメを聞きながら注文を済ませる。

 料理が来るまでのあいだ、互いの身の上話をすることになった。

 

「僕はもともと農家の生まれなんです。四男坊なんで、ほとんど邪魔者扱いだったんですけどね」

「じゃあ、冒険者になったのは口減らしってヤツか?」

「それもあるんですけど、実は村長の息子さんがちょっとアレで……」


 もじもじ、と身を竦めるウィン。

 食前酒のせいもあってか頬には紅が差しており、それこそ少女めいた雰囲気が漂っていた。


「アレっていうと……なんだ?」

「えっと、何度も押し倒されかけたというか……」


 ゴニョゴニョゴニョ。

 あまり話したくない内容なのだろう、最後はほとんど聞き取れなかった。


「ぼ、僕のことはこれくらいでいいじゃないですか。ほ、ほら、今度はアキラさんのことを教えてくださいよ」


 俺か。

 さて、何をどうやって説明したものかな。

 異世界から転移してきたなんて話、信じてもらえるかどうか。

 うーん。


「アキラさん、たしかシルト教のかたなんですよね」


 困っている俺を見かねてか、ウィンのほうから話を振ってくれる。


「よかったら身分証、もう一度見せてもらっていいですか?」

「わかった、ちょっと待ってろ」


 俺はアイテムボックスから身分証を取り出し、テーブルの上に置く。

 すると伊緒のやつが、横から興味津々といった様子で覗き込んできて。


「『シルト教・自由神官・特級階梯』……? ……くくくっ、アキが神官だと! あははははっ!」


 一体なにがツボに入ったのだろう、伊緒は腹を抱えて爆笑し始めた。

 他方、ウィンはしばらく顎に手を当てて考え込んだ後。


「自由神官ってことは、お二人とも異世界の出身なんですか?」


 などと訊ねてきた。


「確かにそうなんだが……ええと、異世界とかそういうのって、ここじゃ当たり前の事なのか?」

「ええ、僕が実際に会ったのはアキラさんが初めてですけど……」


 そんなふうに前置きして、ウィンはいくつか興味深い話を教えてくれた。


・異世界人の存在は、稀ではあるが常識として知られている。

・異世界人はそれぞれ、己を転移させた神の『自由神官』という身分を与えられる。神殿に行けば生活上の便宜を図ってもらえる。

  (異世界での処遇についてはその神が責任を持つ、ということなのだろう)

・ただし『特級階梯』というのはとてつもなくレアであり、神様からかなり気に入られている証拠。



「なるほどなあ……」


 俺は頷きながら、葡萄ジュースに口を付けた。

 注文していた料理は、話の間に揃っている。

 緑色のまぶしいサラダに、挽肉たっぷりのボロネーゼ。チーズもトマトもふんだんに使ったマルゲリータピザ。

 とてもイタリアンな雰囲気のメニューだった。


「アキラさんはお酒、苦手なんですか?」


 ウィンはかるく自分のグラスを掲げてみせる。

 そこには赤色の液体が注がれていた。

 葡萄ジュース……ではない。

 アルコール入り、つまり赤ワインだ。

 この世界では15歳から飲酒が許可されているらしい。

 

「よかったら飲んでみます? スッと入りますよ?」

「すまない、酒は20歳からと決めているんだ」


 お酒はハタチになってから。

 異世界に来ておいて何を今さらとも思うが、刷り込みというのは恐ろしい。

 どうにも酒を飲むのに抵抗があるし、これでは酔っても楽しくないだろう。


「じゃあ、アキラさんが20歳になったらお祝いしましょうね。約束ですよ」


 ウィンは人懐っこい性格だが、アルコールが入ると何倍にも増幅されるらしい。

 イスごと俺の横に移動してくると、小指に小指を絡めてきた。


「これ、約束のおまじないなんですよ」

「俺の故郷にも似たような風習があるな」

「もしかしたら他の転移者が伝えたのかもしれませんね。破ったら大変なんですよ」

「針を千本呑むのか?」

「睾丸が爆発します」


 ひぃぃぃぃぃ。

 想像したらキュッ、と両足のつけ根が寒くなった。

 

「冗談ですよ、冗談。でも、ちゃんと約束は覚えててくださいね」

「ああ、楽しみにしてるよ」

「んふふふふふ」

「どうした?」

「アキラさんと呑むの、楽しみだなーって。――あっ、ちょっと動かないでくださいね」


 ウィンは急にそんなことを言い出すと、ポケットからハンカチを取り出して俺の頬を拭った。


「ピザのトマト、ちょっとついてました」

「悪いな。洗って返すよ」

「気にしないでください。これくらい当然のことですから。

 ……ところでイオさん、大丈夫ですか」

「たぶん、な」


 俺は自分の膝元に目を向ける。


「すぅ……、すぅ……」


 そこでは伊緒のやつが、とても気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 自分の席に座ったまま、姿勢としては90度回転。寄りかかる先は俺の太腿(ふともも)だ。


 何が悪かったかといえば、アルコールのせい。


 ――せっかく異世界に来たんだ、ちょっと背伸びをさせてもらおうじゃないか。なに、両親とも酒豪だからね。私も無様は晒さないつもりだよ。

 

 まさか食事前のあのセリフが、見事な前フリになってしまうとは思わなかった。

 一口飲んだだけでフワフワ状態になり、二口めでノックアウト。

 部屋に連れて帰ってもいいんだが、こいつ、まだ何も食べてないしな。

 そういうわけで、起きるのを待っている次第だ。 



 ただ、ある意味でこの状況は都合がいい。

 ちょうど話題も切れたところだしな。

 

「ウィン。ちょっといいか?」

「なんでしょう、アキラさん」

 

 酔いのせいかウィンの眼はうるうると輝き、同じ男ながらドキッとさせられる色気が漂っていた。

 村長の息子とやらの気持ちも分からないでもないが……平常心、平常心。

 俺としては、シーナさんとうまくいってほしい気持ちだしな。

 これから話す内容も、それに関連したものだ。

 

「おまえ、ギルドの受付嬢と付き合ってるんだろ? シーナ・リズ、だっけな」

「……ご存じなんですか?」

「今日、その人に冒険者登録をしてもらったんだよ。ついでにウィンのことも小耳に挟んでな。

 ――シーナさんとの関係で、何か悩んでいるんじゃないのか」






 * *






 今日の夕方、冒険者ギルド。

 俺はシーナさんに対して説教(アドバイス)を行った。


 振り返って考えると、あの時の俺にはシルト神(恋の女神)が憑いていたんだろう。

 だとすれば、俺の一連の発言は“神のお告げ”みたいなもので。


 ――シーナさんは自分が年上なのを気にしてますけど、向こうも自分が年下なのを気にしてると思いますよ。


 この言葉のとおり、ウィンも恋愛に関して悩みを抱えているんじゃないだろうか。



 余計なお世話というやつかもしれないが、こっちはすでにシーナさんから相談を受けた身だ。

 乗り掛かった舟だし、もうちょっと首を突っ込んでもいいだろう。

 


 それに、さ。

 レベルやスキルが関わらない分野で、何かをしてみたかったんだ。

 

 ――もちろんウィンとシーナさんの幸せが最優先だけどな。






 * *






「無理に話せ、ってわけじゃない」


 話題のせいもあってか、ウィンのやつは少しばかり緊張気味になっていた。

 それをほぐすように、俺はゆっくりと言葉を重ねていく。


「ただ、口にしてみりゃ考えがまとまるし、楽になることもある。

 個人的にも興味があるんだよ。8歳も年上のおねーさんをメロメロにする方法、とかさ」


 俺はちょっとだけ露悪的に、ニヤリ、と笑ってみせる。

 

「ほら、言えよ。言っちまえよ。ゴロツキどもから助けてやっただろ?」


 わりと恩着せがましい態度と思うが、ウィンの様子しだいですぐやめるつもりだった。

 このへんの呼吸には自信がある。伊緒とのやりとりで鍛えられてるからな。


「……仕方ないですね」


 やがてウィンは、やれやれ、といった様子で呟いた。

 

「別に大したことはしてないんですよ。シーナさんのことは最初に会った時から気になってて、ちょくちょく話しかけるようにしていたら――って感じです」

「じゃあ、ウィンの方から距離を詰めていった感じか」

「ええ。――ただ、自分でもこんなトントン拍子に進むとは思ってなくって、だからかえって、不安なんです」

「不安?」

「僕が15歳で、向こうが23歳ですから、その……いつか子供っぽさに愛想を尽かされるんじゃないか、って」


 おお。

 さすがシルト様。

 あの説教(アドバイス)通りじゃないか。

 

「それにシーナさん、何か悩んでるみたいなんです。けれど僕には話してくれなくって」

「もっと頼りにしてほしい、ってことか」

「はい、だからアキラさんが羨ましいです。イオさんからもアテにされてますし……」

「――俺はそう大したヤツじゃないさ」


 すべてはシルト神が“サービス”してくれたおかげだ。

 裸一貫で異世界に放り出されていれば、きっと伊緒を助けることもできなかっただろう。

 とはいえ、俺自身の“劣等感(コンプレックス)”は、今ここで語ることじゃない。 

 重要なのは、いかにウィンとシーナさんを向き合わせるか、だ。

 よし、ここは……。

















 ――話が終わるとすぐに、ウィンのやつは『影猫亭』を飛び出していった。



 俺は別にそう大したことは言っちゃいない。

 前回と同じく具体的な会話は伏せておくが、おおまかな雰囲気だけ紹介しておくと――。

 

 互いが年を気にするあまり、かえって溝が広がってる。こんな時は男のほうから突撃しろ。夜は短し走れや少年、さあゆけそれゆけウィンパンマン。愛と勇気とお酒の力を借りて、いま必殺の夜戦(ナイトレイド)だ。御下命、如何(いか)にでも(はた)()し、死して屍拾うもの無し、ザンギリ頭を叩いてみれば、祇園精舎の鐘の声!

 

 え、脱線が多いって?

 そこはちょっと許してくれ。

 途中でうっかりワインを飲んで、酔いがグルグル回ってたんだ。



「……なかなか興味深い話だったね」



 ウィンがいなくなった後、伊緒はゆっくりと身を起こした。

 ふぁ、と蕩けたようなあくび。

 

 

「聞いてたのか、伊緒」

「途中からね。具体的には『8歳も年上のおねーさんをメロメロにする方法』のところからだ」

「ほとんど全部じゃないか」


 つまり俺が延々と語った、あの支離滅裂な“説教”も聞かれていたわけで――。


「やばい、死にたくなってきたぞ……」

「アキ」

「なんだよ」

「私には小さな自慢があってね。演劇の台本なんかを一発で覚えることができるんだ」

「つまり?」

「君のセリフは一言一句違わず心に刻んである」


 なんだと……!?

 どどどどどうする。

 くっ、落ち着け俺。

 まだ致命傷だ。

 たかがコックピットをやられただけだ!

 って。

 俺、まだアルコールが抜けてないっぽいな。

 落ち着こう。


「ところでアキ、ひとつ頼みごとをしていいかな」


 ニヤニヤと小悪魔じみた笑みを浮かべる伊緒。


「聞いてくれないと、ポロリと君のありがたーい“説教”をひろめてしまうかもしれない」

「……わかった、何でも言ってくれ」

「そう身構えることじゃないよ。私はまだろくに食事を取っていない。だから、ほら、分かるだろう?」

「ああ、なるほどな」


 俺は小皿の上にピザを取り、伊緒に手渡した。


「違う、そうじゃない」

「じゃあ、どうしたらいい?」

「その……」


 伊緒はうぬぬ、と口籠る。

 そして。


「――――君は意地悪だ」


 そっぽを向いて、小さく呟いた。










 ちなみに、その後。

 アキのやつは“説教”の件で俺をひたすら(いじ)り倒してきた。

 ぐう。

 いっそ、殺してくれ……!











 * *











 翌朝、俺は朗らかなスズメの声で目を覚ました。


「ん……」

 

 部屋に伊緒の気配はなく、浴室のほうからシャワーの水音が聞こえてくる。

 どうやら風呂に入っているらしい。

 ちなみに着替えについては昨日のうちに買ってある。

 『影猫亭』で部屋を取る前、ちょっと服屋に寄ったのだ。

 

「あいつ、どんな服買ってたっけな……?」


 俺はそんなことを呟きつつ、布団の中で今日の予定をおおざっぱに考える。


「まずはシルト教の神殿だな」


 ウィンの話どおりなら、たぶん色々と相談に乗ってくれるだろう。

 俺達はこの世界についてロクに知らないし、手引きしてくれるアドバイザーが欲しいところだ。

 

「それから職探し、だな」


 スィズ市の最低賃金はどれくらいなんだろう。

 場合によっては、それこそ、迷宮で魔物を狩るほうが儲かるかもしれない。


「何にせよ、細かいところは伊緒と要相談、と」


 ちょうど頭の中がまとまったところで、ガラリ、と風呂のドアが開いた。


「アキ、そろそろ起きたかい?」


 どこか待ち遠しそうな調子で、伊緒のやつが声をかけてくる。


「ばっちり目が覚めてるよ。……着替え中だったりしないよな?」

「大丈夫だ、ちゃんと脱衣所で済ませてある」


 それはよかった。

 少年漫画みたいなお色気シーンとか、リアルで起こったら気まずいどころの騒ぎじゃないしな。

 トラブルなんて無い方がいいんだ、無い方が。

 俺は小さく伸びをすると、二段ベッドの下から這い出した。

 それから、伊緒の方を向き、


「んん?」


 思わず、二度見、三度見してしまった。

 伊緒の(よそお)いが、いつもと全く違っていたからだ。


 ジャージじゃ、ない。


 まず上半身。

 薄桃色のニットだ。

 やや小さめのサイズなのだろうか、スラリとした身体のラインがよく出ている。

 襟元からは細い首筋と鎖骨が覗き、いかにも華奢な印象を強くしている。


 続いて下半身。

 白いレーススカートだ。

 花柄なのがいかにも“女の子”っぽい。


 ちょっと照れくさいのだろうか、足先は内側を向いてもじもじしていた。


 そして改めて髪を見れば、毛先がやや外向きに跳ねている。ちょっとしたオシャレ感。

 

 つまり、総合すると。

 

「俺、異世界に来てよかったよ……」


 ホロリ。

 涙が零れるほどの感動だった。


「よく似合ってる。ものすごく似合ってる。伊緒マジ可愛い」

「そ、そうかな」


 横髪のくるくると弄りながら答える伊緒。

 頬も心なしか朱色に染まっている。


「なんだかもう他の予定をぶっちぎって、お花見にでも行きたくなる気分だよ」

「う、うん……まあ、アキには色々と助けてもらったからね。ちょ、ちょっとはこう、サービスしてあげようかな、って」

「そいつは素敵だ。最高だ」


 人間、髪型と服装でこうも印象が変わるんだな。

 俺は機嫌よくシャワーを浴びて (野郎のお風呂シーンなんて目の毒でしかないから描写はカットだ) 、パパッと着替えを済ませる。

 そして部屋に戻ると。


「……神は、我を、見放した」


 あまりにも無惨な光景がそこに待ち受けていた。

 

「あ、あれは部屋着なんだ。出かけるんだから仕方ないだろう……」


 俺はがっくりした。

 ものすごくがっくりした。

 伊緒のヤツが、ジャージ姿に変わっていたからだ。

 厳密にはこの世界の服屋で売ってるジャージっぽい服装なんだが、ともかくもジャージに戻っていた。

 ちくしょう。

 

「“よそいき”よりも部屋着のほうがかわいいとか、明らかに間違ってるだろ……」

「う、うるさい! 不特定多数にあの格好を見られるのはイヤなんだ!」


 あー。

 それは、うん、確かに。

 俺も、伊緒のあの格好を他の連中に見せたくはないな。

 独り占め、だ。

 







 







 * *






 





 『影猫亭』を出て、大通りに向かう。 

 行き交う人々の姿はさまざまだ。


 ローブ姿の旅人、革鎧の冒険者、ターバンを巻いた商人とラクダ――。


「こういうのを見ると、いかにもファンタジー世界という実感が湧いてくるね」

「今すれちがったヤツ、耳が尖ってたな」

「エルフかな? いわゆる亜人というのも存在するのかもしれないね」


 俺と伊緒はそんな話をしながら街の中心部へ近づいていく。

 だんだんと人の波も激しくなり、なかなか思う方向に進めない。

 

「伊緒、はぐれるなよ。はぐれたらたぶん、俺が迷子になって死ぬ」

「頼りないボディーガードだね」


 仕方ない、とため息をつく伊緒。

 俺の右手をくい、と握り――。


「………これはあくまで一時的かつ緊急的な措置だ。勘違いしないように」

「だったら、いっそ肩車でもするか?」

「っ、セクハラだ、それは!」

「痛っ、ちょ、やめろって、痛ててててて!」


 伊緒は思いっきりツメを立ててくる。

 しかも場所は親指と人差し指の付け根、一番キツいところだった。

 

「……死ぬかと思った」

「アキのデリカシーが足りないからだよ」

「そりゃ申し訳ございませんでした。――おっ、シルト教の神殿って、アレか?」


 大通りからすこし外れたあたりだろうか、白い三角屋根の建物が見える。

 近づいてみると、そこは神殿というより教会とか礼拝堂という言葉が似合いそうな場所だった。


 入口のところには女神像が立っている。

 やや幼い顔立ちに、ツインテールの髪型。

 シルト神を(かたど)ったものだろう。


 俺たちは、何とはなしに手を繋いだまま神殿に入る。

 内装もやっぱり教会みたいな雰囲気で、左右には長椅子、真ん中には赤い絨毯が敷かれている。

 奥にはステンドグラスと祭壇があり、そこにもシルト神の像が立っていた。


「おや、我が教会に何かご用事ですかな、若い方」


 鷹揚な様子で話しかけてきたのは、黒い法衣を纏った初老の男性だった。

 ロマンスグレーというやつだろうか、白髪交じりの黒髪がなかなかに洒落ている。

 司祭というよりは、どこかの屋敷で執事でもやっていそうな雰囲気だった。

 

「ふむ……」


 司祭様は少し視線を下げた。

 俺と伊緒のあいだ――繋いだ手に気付いたらしく。


「結婚式の相談ですか? よろしければ奥で伺いましょう」


 なんてことを、言い出した。

 

 あー、結婚かー。

 ぶっちゃけまだ縁遠い話なんだが、とりあえず伊緒のウェディングドレスは見てみたい。

 今朝のニット&スカートで目覚めたんだよ。

 もっといろんな服を着てほしい的な気持ちがムクムクと大きくなっている。


 ……とまあ、俺がそんな暢気なことを考えている一方で。


「な、な、何を言ってるんだい!? こ、これは、彼が迷子にならないためであって、ええと、その、そういうことじゃないんだよ!」


 伊緒のほうは、かつてないほどにひどく狼狽えていた。

 擬態語で言うなら、「あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ」という感じだろうか。

 ものすごく動揺している。

 そんな伊緒に、司祭様はとっても暖かい視線を向けていた。「若いですねえ」とでも言いたげだ。



「ア、アキ! 用件を話すんだ! 早く! 可及的かつ速やかに! ハリーアップ!」





 ――身分証を手渡すと、司祭様 はそれだけですべてを察してくれたようだった。





「すでにシルト様から託宣を頂いております。遅ればせながらようこそ、アキラ様、イオ様」


 俺達は奥の応接室に通され、そこで話を聞かせてもらうことになった。


「わたしはフランツ・ジェラルド、この神殿を預かっている者です。階梯は第三位、まあ、漠然と『偉いひと』とでも思ってください。特級――シルト様の目に(かな)った方々を迎え入れることができ、実に喜ばしく感じております」

 

 ジェラルド司祭は穏やかな表情のまま右手を差し出してきた。

 俺も握手に応じる。

 

「アキラ様は、なかなかお強いみたいですな」

「司祭様こそ」


 ケンカ慣れしている人間なら分かると思うんだが、互いの手を握るだけでも実力ってのはそれなりに推し測れる。

 この司祭、かなりの強者だ。

 たっぷりとした法衣のせいでカモフラージュされているものの、身体つきはガッチリとした筋肉質。

 昨日ウィンに絡んでいた連中くらいなら軽々と潰せるんじゃないだろうか。


 久しぶりに血が騒ぐ。

 ちょっと“力比べ(アームレスリング)”でも挑んでみたい気分だ。

  

 でもなあ。

 今の状態で戦っても、互いの純粋な実力じゃないんだよな。

 スキルやらレベルやらの補正込みでの勝負になるわけだし。

 ……残念だ。


「年に一度、神々の恩恵が消滅する時間があります」

 

 俺の考えを察したのだろうか、ジェラルド神父がそんなことを呟いた。


「その時なら、純粋な力比べができるでしょう。いかがですかな?」

「――――ぜひ」


 ニヤリ。

 ニヤリ。

 お互いに口元を綻ばせる。

 

「なんだか男の世界だね……」


 横では、伊緒が少し退屈そうな様子で肩をすくめていた。


 




 * *






 ジェラルド司祭曰く、自由司祭というのはほんとうにフリーな存在らしい。

 別に仕事を課せられるわけでもなく、好き勝手に暮らしていいんだとか。


 ただ。


「シルト様は恋の女神ゆえ、街の人々からプライベートな悩みを打ち明けられることもあるでしょう。その際は親身な対応をお願いします」

「俺にできますかね」

「無理であればシルト様に選ばれることもないでしょう。自信を持ってください」


 そんなことを言われてもなあ。

 俺の場合は「伊緒を助けるための人材」としてリクルートされた感じだし、恋愛については度外視されているような気もする。

 

「いざとなれば私がいるだろう、アキ。君よりはマシなアドバイスができると思うよ」


 ちなみに伊緒も俺と同じ身分で、シルト教の自由司祭だ。


「恋愛感情がないとか言ってるヤツに任せるのはちょっと……」

「それなら君も大概だよ。『彼女のいない期間=年齢』だろう?」

「伊緒も似たようなもんだろ」

「私はこれまでに13人の女性から告白されている。頷けばいつでも彼女を作ることができた」

「いや、おまえの場合は彼氏だからな?」



 最終的に「困ったらジェラルド司祭に投げよう」という方向で話は落ち着き、俺達は神殿を立ち去った。











 * *




「だ、だったらいっそ、ア、アキとわた……っ、わた、―――い、いや、なんでもない。なんでもないからな、うん」




 * *



























<第五章 前のめりのセーフティネット>































「迷宮に行ってみないか?」


 先にそう言い出したのは、伊緒だった。


「冒険者をやった場合、どれくらい稼げるのかを見ておきたいんだ」

「……伊緒も、一緒に来るのか」

「当たり前だ。『Il mio principe』の発動条件は、私が近くにいることだろう?」



___________________________________

称号:

 『Il mio principe』

   半径25m内にイオ・タカバシ (以下「イオ」)が存在する場合、

   全能力に特大の補正

    ※補正は身体的接触によってさらに増幅される。

     増幅時間は1分~1時間。

___________________________________



「俺としては安全な場所で待っててほしいんだけどな」

「この世界じゃ何が起こるか分からないからね。私もレベルアップしておきたいんだ。もし断る場合、昨日の発言を片っ端からリピートするからよろしく」

「なんて脅迫だ……」

「そして最後に『連れていけ』と命令を下すだろう」

「だったら命令だけでいいんじゃないか?」

「やるなら徹底的に、心から屈服させたいじゃないか」

「外道だ、外道がいる……」


 くそっ、伊緒なんかに絶対負けたりはしない!

 ……スキルの効果で逆らえない以上、敗北は確定してるんだけどな。


 それはともかくとして、迷宮に入るなら伊緒の冒険者登録が必要だ。

 ギルドの建物へと足を運ぶ。

 一番手前の窓口には、見覚えのある眼鏡の女性が座っていた。


「あっ、アキラさん……!」


 シーナさんもこちらに気付いたらしく、ペコリ、と小さく会釈してくる。

 その表情は明るく、いかにも幸せそうだ。


「…………アキ、君とあの女性の関係を説明してくれ」

「ギルドの事務員だよ。名前はシーナさん、昨日、ウィンの話にも出てただろ?」

「ああ、彼の恋人か」

「そういうこと。だから誤解するなよ」

「何のことやら、意味不明だね」


 そんなことをヒソヒソと話しつつ、俺達はシーナさんのところへ向かった。


「すみません、こいつの登録をお願いしてもいいですか?」

 

 俺はアイテムボックスから伊緒の身分証を取り出し、カウンターの上に置いた。


「ありがとうございます。自由神官ってことは、ええと、こちらの方も――」

「私はアキと同郷でね」

 

 少し食い気味に答える伊緒。


「もともと先に私が転移していたのだけど、後になって彼が追いかけてきたんだ」

「ロマンチックですね……!」


 もしかしてシーナさん、けっこう乙女だったりするんだろうか。

 眼鏡の向こうで青い瞳がキラキラキラと輝ていた


「じゃ、じゃあ、もう結婚とかも……!」

「い、いや、別にそういう仲ってわけじゃなくて、だね」

「実はわたし、ウィンくんと一緒に暮らすことになりまして」

「わ、分かった。ところで登録を……」

「これもアキラさんが相談に乗ってくれたおかげです。えへへ、ウィンくんって頼りなく見えますけど、ときどきすっごく男らしくって――」

「あ、ああ……」


 おおう、なんだか珍しい光景だ。

 伊緒のヤツが完全に圧倒されてる。


「昨日なんて急に家まで訊ねてきたと思ったら、玄関先でぎゅっと抱きしめてくれて、そのあと――――」


 そしてシーナさんの色ボケぶりがものすごい。

 聞き手を完全にスルーしてのノロケ三昧。登録の手も完全に止まっていた。

 周囲の職員はドン引きし、冒険者たちは壁を殴る。

 なんだかとんでもないカオスが展開されているが、まあ、良しとしよう。


 二人がうまく行くなら、それに越したことはない。

 よかった、よかった。

 


 その後もしばらくシーナさんの話は続き、気付いた時にはもう昼過ぎになっていた。

 

 俺達はギルドの食堂で軽くサンドイッチをつまむと、一息ついてギルドを出た。

 

 ちなみに装備品だが、武器についてはジェラルド司祭が用意してくれた。

 俺は頑丈そうなメタルグローブ、伊緒は青い水晶のマジックワンドだ。


 防具はナシで、今の服装のまま。

 なぜかと言えば、ジェラルド司祭曰く。


 ――【エーテルフィールド】をお持ちでしたら、一般的な防具はむしろ足枷になるでしょう。


 とのこと。

 ここからの説明については俺自身あんまりよく分かってないから微妙なんだが、とりあえず聞くだけ聞いてくれ。

 

 俺も伊緒も【エーテルフィールドⅢ】というスキルを持っている。

 EF(エーテルフィールド)はあらゆる攻撃を自動で弾いてくれる防壁で、要するにAT●ィールドのようなものらしい。

 ここに鎧を身に付ければさらに安心……と思いきや、EFには困った性質がある。

 人工物が増えれば増えるほど、かえって防御性能が低下してしまうのだ。

 防具を纏うことによる安心感がEFを弱めているという説もあるものの、詳しいことは分かっていない。

 ともあれ【エーテルフィールド】持ちの場合、普段着が一番安全という不思議な状況が成立してしまうのだ。

 

 ――【エーテルフィールドⅠ】ですら、フルプレートアーマーを越える防御性能を誇ります。大丈夫ですよ。


 その言葉を信じ、俺はTシャツ、伊緒はジャージで迷宮に挑む。

 いいのかそれで。


 ああ、そうそう。

 伊緒のやつも俺がオークを倒した時にレベルアップしていたらしく、いちおう、それなりのスキルを持っている。

 ステータスとしてはいま、こんな感じだ。



 __________________________________


 名前:イオ・タカバシ

 年齢:16歳

 性別:女性 種族:異世界人 

 称号:なし

 レベル10

 スキル:【エーテルバリアⅢ】【治癒魔法Ⅰ】

     【魔物知識Ⅱ】【言語知識Ⅳ】

 __________________________________



 

 迷宮への入口はスィズ市の各所に散らばっており、全部で12個あるという。

 それぞれ地下10~15層までは別々の構造で、やがてひとつに合流していくんだとか。

 俺達はギルドから一番近い3番入口へと足を運んだ。

 入場料は時間帯によって分かれており、午後からは一人あたり2000ディルだ。……なんだか遊園地っぽい料金システムだな。

 ふたり合わせて4000ディルを支払い、地下へと足を踏み入れた。


「大きめの鍾乳洞、って感じだね。昔行った秋吉台がこんな感じだったよ」

「島根だっけか、それ」

「惜しい、山口県だよ、山口県。ちゃんと場所は分かるかい?」

「大丈夫だ、中学時代に“遠征”で行ったこともある。……そういやあのツララみたいなヤツ、何て言うんだ?」


 俺は天上から伸びる石のトゲみたいなものを指差した。


「鍾乳石だよ。炭酸カルシウムに不純物が混じってできるんだけど、大きいねえ。さすが異世界、ってところかな」


 地下一層はすでに他の冒険者たちによって狩り尽されたのかして、魔物の姿はひとつもなかった。


「魔物は夜に増えるという話だし、もっと朝早くに来るべきだったね」

「それはそれで魔物に囲まれる可能性もあるだろ。初回なんだし、討ち漏らしを探していけばいいんじゃないか?」

「オーケー、アキの言う方針で行こう。とりあえず、もう少し下の階層に降りてみようか」


 かくして俺達は地下二層へ。

 そこで待ちに待った (?) 魔物との遭遇があった。


「グルルルルルルル……」


 それは煌々と輝く赤眼の、どこか不吉な雰囲気を漂わせた黒い犬だった。


「――ブラックドック。スキルは【体当たりⅡ】と【噛みつきⅡ】だ」


 伊緒は【魔物知識Ⅱ】を持っている。

 そのおかげか敵の能力が分かるらしい。


「レベル4。アキなら楽勝だよ」

「オーケー」


 俺は頷き――走り出す。

 前に何度かドーベルマンとケンカしたこともあるが、経験上、イヌに対しては先手必勝だ。

 アイツら、ピョコピョコ飛び回るからな。

 まずボディに一発ブチこんで、動きを鈍らせるんだ。

 それが無理だったら?

 片腕に噛みつかせて、泥沼のインファイトで倒すんだ。


「グァァァァッ!」


 黒犬が牙を剥いた。

 一対一、正面からのぶつかり合い。

 

「なっ……!」


 さすが異世界。

 さすが魔物。

 ブラックドックの動きは、想像以上に早かった。

 ほとんど予備動作もなく、弾丸のような勢いで飛びかかってくる。

 ――【体当たりⅡ】。

 俺はやがて訪れるであろう衝撃に歯を食いしばっる。


 ペシ……。


 あれ?

 まるで子供が紙くずを投げつけてきたくらいにしか感じられなかった。

 【エーテルフィールドⅢ】のおかげだろうか。

 俺は少しばかり拍子抜けしつつ、黒犬の胴体を蹴り抜いた。


「キャン!」


 まさに犬としか言いようのない悲鳴を上げ、吹っ飛んでいくブラックドック。

 そのまま天井に激突し、消滅。

 カランカラン、とクリスタルが落ちてきた。


「お見事」


 パチパチパチ、と拍手する伊緒。

 

 ――俺達はそのまま夕方まで探索を進め、キリよく地下10層で引き返すことにした。


 そこまでに出会ったモンスターとしては、ブラックドックの他にオーク、人頭大の毛玉おばけ「ウーウール」、同じく人頭大のトゲトゲおばけ「ガラガラモン」の四種類だった。

 

 いずれもあまり強い魔物ではなく、一発か二発で勝負は決まった。

 ラッキーなことにすべてクリスタルになり、今日の儲けは、というと。


「合計、44000ディル、です……!」


 計算を終えたシーナさんは、驚きのあまりしばらく茫然としていた。

 どうやら俺達は、駆け出しにしてはかなりの額を稼ぎ出したらしい。


「週休2日で働いたとして、ひと月でおよそ90万ディルか。……ふむ」


 伊緒はしばらく何やら考え込むと。


「シーナ女史、ひとつ参考に教えてほしい。この街で家を購入する場合、いわゆる相場はどれくらいなのかな」

「えっと……わたしが住んでいるところでもいいですか?」

「もちろんだよ」

「先月の終わりに、ウィンくんと暮らすつもりで買ったところなんですけど、頭金が300万ディル、全額で3560万ディルで――」


 おっ?

 ちょ、ちょっと待った。

 今のシーナさんの発言、俺としてはものすごく引っかかったんだが。


 ちょっと時系列を整理しよう。

 ええと、ウィンとシーナさんが付き合い始めたのって、一ヶ月前のことだったよな。

 で、同棲が決まったのは昨日。


 なんで先月の時点で家を買っているんだ。


 ええと。

 よし。

 あんまり深く考えない方がよさそうだ。

 愛が深いんだろう、愛が。











 * *








 伊緒は、どうしてシーナさんに家の相場を訊ねたのだろう。

 曰く。


「家というのは典型的な“大きな買い物”だ。それを基準にして、今の私たちがどれくらい稼いでいるのか知りたかったのさ。……それ以外の意図はないよ」


 と、いうことらしい。


「10層までの探索でも生活はできるけれど、贅沢を言えばもう少し深層に行きたいところだね」

「下の方ほど強い魔物が出るんだっけか」

「その通りだよ。具体的にどんな魔物が生息してるか知りたいし、ギルドの資料室に行ってみようと思う。アキはどうする? 無理に付き合わなくとも構わないよ」

「いや、一緒に行くよ。たまには勉強しないとな」


 資料室はギルドの二階全面にわたって広がっており、まるで図書館のような場所だった。

 あたりはシーンと静まり返っており、足音ひとつ立てることも許されない雰囲気だ。

 

「じゃあ、また後で」


 伊緒は小声でソッと囁くと、難しげな本が並ぶゾーンに消えていった。

 俺は、どうするかな。

 マンガで解説シリーズ的なものはないか? ないよな。ちくしょう。

 とりあえず内容が簡単そうな、『迷宮のしおり』なる本を手に取った。

 イスに腰掛け、パラパラとページをめくる。





 ……ぐう。





 …………はっ!





 集中力なさすぎだろ、俺。

 知識は荷物にならないんだし、もうちょっと頑張ろう。

 読むぞ!






 …………ぐう。





 ……………………はっ!






 

 ダメだ。

 この本にはなにか魔法がかかっているに違いない。

 いちおう言っておくと、別に活字は嫌いじゃないんだ。

 伊緒に紹介されて、いろいろ小説を読んだりもしたしな。

 うっかり居眠りしてしまったのは……たぶん『手引書』が退屈なせいだろう。



 そうこうしているうちに伊緒は調べ物を終えたらしい。

 満足そうな表情で俺のところにやってくる。


「すまないね、2時間も待たせてしまって」

「大丈夫だ。……ほとんど寝てたからな」


 というか、2時間も過ぎていたのが驚きだ。

 俺としてはまだ10分少々のつもりだった。


「伊緒、晩メシはどうする? 『影猫亭』に戻るか?」

「今日はかなり儲かったしね。ギルドに還元するのはどうだい?」


 そういうわけで、ギルド併設の居酒屋で食べることになった。

 『影猫亭』に比べると値段は安く、量は多い。ピザに至っては1.5倍のサイズだ。

 ただやっぱり味はお察しのとおりで、ポジションとしてはファミレスとか牛丼屋みたいなものなんだろう……と思いつつ席を立った矢先。


「アキ、会計は任せていいかな」

「どうした?」

「シーナ女史の様子がおかしい」


 伊緒はギルドの窓口のほうに視線を向けていた。

 すでに業務時間は終わったのかして、他の職員の姿はない。

 その中でシーナさんだけが、不安げな表情のまま受付に座っていた。


「私は少しばかり話を聞いてくるよ。なにやらただ事ではなさそうだ」


 こういう時、伊緒の勘はけっこう当たる。

 まさかとは思うが、ウィンに何かあったんじゃないだろうな?


 俺は落ち着かない気持ちのままレジに並ぶ。

 時間帯が悪いのだろうか、かなり混雑していた。俺の前には3組。しかも最後の連中はレジで細々とした割勘を始めてしまう。

 そういうのは席でやってくれよ、頼むから……。


 結局、俺が会計を終えた時には20分が過ぎ、時計は22時を回っていた。

 ため息をつきながら、足早に窓口へと向かう。

 すると。


「アキ、グルトという名前に聞き覚えはないか?」


 伊緒のやつが、いきなりそんなことを問い掛けてきた。

 グルト、グルト……『ぐんぐんグルト』。

 ああ、思い出した。


「――昨日、ウィンに絡んでた連中のリーダーだな」

「そうか……」

 

 険しい表情で頷く伊緒。


「シーナ女史と一緒に調べていたんだが、グルトのパーティ、それからウィンくん。どちらもまだ迷宮から戻っていないんだ」

 







 * *







「捜索隊が出たりはしないのか?」


 俺がこの時イメージしていたのは、山登りでの遭難者だ。

 ああいう場合、たしか地元の猟友会やら何やらが探しに来てくれる。

 同じようなシステムはないのだろうか。


「残念だけど、ギルドは動いてくれないよ」


 伊緒は嘆かわしそうな表情で目を伏せる。


「昔は冒険者同士のトラブルを仲裁したり、迷宮からの未帰還者を捜索してくれたらしいね。でも、今はそういう事業がすべて廃止されている。赤字になるから、ってね」


「待った。冒険者ギルドって互助組織みたいなもんじゃないのか」


「どうやらここ最近は利潤追求の企業になりつつあるみたいだね。だから未帰還者が出た場合、冒険者側が有志を募って救出に向かうしかないんだ。

 しかも夜間に迷宮へ入る場合、入場料は昼の10倍で2万ディル。安い宿屋を取れば一週間は働かずに暮らせる額だよ」


「……それ、誰も行かなくなるだろ」


「その通りだよ。シーナ女史もあちこちに声をかけたみたいだが、結果はゼロだ。

 入場料の問題だけじゃない。夜間の迷宮は危険地帯だし、なにより、みんなグルトとやらに関わりたくないらしい。厄介者だそうだよ、彼は」


 肩をすくめる伊緒。


「…………私はかなりの(ひね)くれ者だが、隣人の不幸を祈るほど落ちぶれてはいないつもりだ」


 それは前後の脈絡を欠いた、唐突な呟きだった。

 伊緒はやおら俺の方を向き直ると、やや早口に(まく)し立てる。


「情けは人の為ならず、あるいは、因果応報。自分の行いというのは自分に戻ってくるんだ。恩を受ければ恩で返してもらえるし、仇を受ければ仇で返される。そうでなくても人間というのは、いいことをするだけで気分が良くなる生き物なんだ。つまり、これは安っぽい正義感とか同情で決めたことではないのだけれど、やらない善よりやる偽善という言葉もあるし――」


「わかった、わかった」


 俺は両手を挙げ、伊緒の言葉を遮る。

 本当にややっこしいよな、こいつ。

 何か重大な決め事になると脳内で自分へのツッコミが噴出して、その対応に追われちまうんだ。

 だから俺の方で、シンプルにまとめてやらないとな。


「要するにアレだろ? シーナさんを放っておけないしウィンのことも心配なわけだ」


「……否定はしないよ。とはいえ、私は自分の身のほどを(わきま)えている。一人で行くのは無茶そのものだ。だからアキにも来てもらいたいのだけれど、これはつまりウィンの探索だけでなく、私の護衛を頼むことになる。非常に申し訳ないと思ってるし、君にはもちろん断る権利がある。【絶対の守護者】で命令すればいいのかもしれないが、私はアキに対してそういうことをしたくないんだ。あるいは君だけに行ってもらうという選択肢もあるけれど、『Il mio principe』を欠いた場合どれだけ戦闘能力が低下するのか、その検証がまだできていない。ぶっつけ本番で試すのはナンセンスだし、何よりアキだけを危険な場所に向かわせるのは私の気が咎めるんだ。ああいや、そういう感情的な判断で前に出てこられると迷惑だという批判もあるだろうが、私には【魔物知識Ⅱ】というスキルもあるから同行させるメリットはあるわけで、ええと、つまり、その――」


「伊緒、落ち着け」


 ポン、ポン。

 俺は伊緒の頭を撫でる。


「俺はべつにお前のことを否定しないよ。意地の悪いツッコミをグチグチ投げたりもしない。ウィンを探しに行きたいんだろ? そうじゃないとモヤつくんだろ?」


 だったらそれでいいじゃないか。


「何があっても俺は伊緒の味方だ。――ほら、行くぞ」


 俺は右手を差し伸べる。


「いいのかい、アキ?」

「遠慮するなよ、伊緒」

「…………それじゃあ、遠慮なく」


 伊緒は、俺の手を取った。


「アテにしてるよ、Il mio principe」




 そして俺たちは冒険者ギルドを出て、迷宮の8番入口に向かった、

 ウィンもグルトたちも、今日はここから迷宮に入ったらしい。


「話は聞いてるよ。……あんたたち、偉いよな、マジで」


 入口番をしていた中年冒険者は、少し眩しそうな様子でそう言った。

 4万ディルを支払って、中へ。


「今日の稼ぎがパアだね」

「また明日稼げばいいさ」



 俺達は少しだけ愉快な気分になって、クスリと笑い合った。



























<間章 中略のデータベース>





















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  ●これだけはおぼえておこう! 迷宮3原則!


   1.駆け出しのうちは午後から!

      

      魔物は夜のあいだに生まれます。

      だから朝一番の迷宮はとっても危険!

      午前中の探索はベテランに任せ、

      討ち漏らしの魔物を午後から狩っていきましょう。



   2.階段でこまめに休もう!

 

      フロアとフロアを繋ぐ階段は、一種の安全地帯です。

      魔物が入ってくることはありません。

      慣れるまではここで最低10分の休憩を取りましょう。

      ただし30分以上留まっていると、

     “迷宮の意志”が働いて下のフロアに追い出されます。

      その後しばらくは階段が封鎖され、

      他の冒険者にとって大・迷・惑! です!

      かならず時計を持ち歩きましょう。



   3.午後5時までに帰ってこよう!


      日が沈んだあとの迷宮は、昼とまったく別の世界です。

      

      新たな魔物が生まれたり、階層構造が変化したり。

      一般に「浅い階層には弱い魔物、深い階層には強い魔物」

      と言われていますが、

      必ずしも「浅い階層で弱い魔物が生み出される」とは()()()()()

      浅い階層で強い魔物が生み出され、その後、

      強さに見合った階層へ移動する――

     「再配置(リポジショニング)」という行動も報告されています。


      夜間の迷宮はふだんの常識が通用しません。

      かならず日が沈むまでに地上へ戻りましょう。



                 『迷宮のしおり』 P2より抜粋


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 _________________________________

 

  ●夜の迷宮はこんなにあぶない!


   1.いつどこで新たな魔物が生まれるか分かりません!

     気が付けばあなたの横に! 後ろに! 足元に!


   2.突如としてフロアの構造が変化することがあります。

     迷子になったり、最悪、“かべのなかにいる”!


   3.基本的に、浅い階層では低レベルの魔物が生み出されます。

     ですが何事にも例外はつきもの!

     浅い階層でも高レベルの魔物が出てくることもあります。

     特に調子に乗ったルーキーが迷宮に長居していると、ハイリスク!

     おそらく“迷宮の意志”が働いているのでしょう。気を付けて!


                 『迷宮のしおり』 P14より抜粋

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 Q.「再配置(リポジショニング)」において

    魔物はどうやって下の階層に移動するのですか?


 A.夜間の迷宮はとても“やわらかく”、一部は流体状になっています。

   魔物は階段を使わず、迷宮の壁内を“泳いで”階層を移動するのです。



       『第三十八回 夜間迷宮学会 公開講座』における質疑応答






























<第六章 遭遇のランナウェイ>




























 昼の探索を経て、俺はいくらかレベルが上がっていた。

 現状のステータスとしては、こんな感じになる。


 


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  名前:アキラ・アカイ

  年齢:17歳

  性別:男性 

  種族:異世界人

  称号:『Il mio principe』『血塗れの狂犬(レッドワン)

     『シルトの加護』


  レベル18


  ユニークスキル:【絶対の守護者】【次元連結型アイテムボックス】

  スキル:

   【エーテルアーツⅤ】(new) 

    格闘攻撃時に自動発動・ダメージに特大補正・防御系スキル無効

   【エーテルフィールドⅣ】【生活魔法Ⅰ】【言語知識Ⅳ】

   【気配察知Ⅱ】(new) 敵感知に補正


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 【気配察知Ⅱ】は読んで字のごとくなのでいいとして、【エーテルアーツⅤ】がどんなものかといえば――



「ヴヴゥルルルル……ッ! ヴヴゥルルルル……ッ!」


 灰色の体毛に包まれた、まるい怪物が襲いかかってくる。

 ダダダダダッ、と壁や天井や地面を跳ねまわり、ジグザグの軌道で体ごとブチ当たってくる。


 レベル12魔物、ウーウール。

 ジョークみたいな名前とは裏腹に、素早い動きゆえに「駆け出しにとっての第一関門」と呼ばれている。

 フサフサの毛の下には弾力性に富んだ身体が隠されており、生半可な打撃は弾かれるだけ……らしい。


「この……っ!」


 ウーウールの姿を正面に捕らえて、拳を叩き込む。

 まるで空気の抜けかけたゴムボールを叩いたような感触。

 殴打そのもののダメージはゼロに等しい。

 だが。

 

「ウヴ……ッ!」


 数秒の空白を置いて、ウーウールが地面にベチャリと倒れ伏す。そして。

 ――パアァン! 

 まるで体内にダイナマイトでも仕込まれていたかのように、全身が爆発四散した。

 肉片が飛び散り、しかし、すぐに粒子になって消滅する。

 後に残るのは紅色のクリスタルのみ。


 これが【エーテルアーツ】だ。

 伊緒が資料室で調べてくれたことなんだが、どうやら敵の体内で魔力を炸裂させるスキルらしい。

 

「いやはや、G-18指定したくなる戦い方だね」


 パチパチパチ、と手を鳴らす伊緒。


「アキはすごいね。これなら20層や30層に降りても大丈夫そうだ」

「別に俺が強いわけじゃない。称号やスキルのおかげだよ」


 仮に俺本来の実力で戦ったとすれば、きっとウールールどころかブラックドックにも勝てないだろう。

 すべてはシルト神に力を恵んでもらったおかげ。

 誇れる要素はどこにもない。

 むしろ魔物を倒すたび、自分がズルをしているような罪悪感が湧いてくる。


「この世界の人間は、レベルやスキルも含めて“自分の力”って認識らしいね。アキもそう考えてみたらどうだい」

「俺は不器用なんだ。はいそうですか、でアタマの中は変えられないよ」

「アキは扱いにくいヤツだね。まったく、仲良くできるのは私くらいじゃないかな」


 やれやれ、といった具合に目を伏せ、肩をすくめる伊緒。


「せっかくシルト神が上等なステータスを融通してくれたんだ。それを有効活用しても(ばち)は当たらないんじゃないかな。

 ――恵んでもらった力で我が物顔。そういうのは三下の所業だ、軽蔑に値する。けれどアキはそうじゃないだろう?

 私を守ってくれてるし、昨日はゴロツキからウィン君を助けた。そして今も彼の救援に向かってる。

 そういう風に力を使うことは、間違いなく、賞賛されるべきことだ」

「“力そのもの”じゃなく、“力の使いみち”を誇り(プライド)にしろ……ってことか?」

「大筋の理解としては間違っていないよ。なに、そうそう深く悩むことじゃない。アキが格好悪いことをしていたら、私が平手打ちをしてでも止めてみせるさ」


 ククク、と悪ぶった表情を浮かべる伊緒。

 冗談めかした調子で、ゆっくりと俺のほっぺたに手を伸ばしてくる。

 そのままだと背が届かないので、俺のほうで少し膝を曲げる。

 暖かい手だった。


「他に悩んでることがあるなら言ってくれよ? 私だって守られてるばかりじゃ申し訳ない。君の支えになれたらいいと思ってる。――さて、そろそろ行こうじゃないか」



 

 

 俺達は迷宮を降りていく。

 地下1層、2層、3層――


 そこで、ちょっとしたトラブルに見舞われた。

 魔物は夜に生まれるらしいが、その光景を目撃してしまったのだ。

 壁が波打ち、そこから粘液まみれの魔物がズルズルと這い出してくる。

 その全身はドロドロに濡れており、あちこちに糸が引いている。


「ひっ……」


 伊緒はそういう生々しい光景に弱いらしく、俺の背中に顔を埋めていた。

 俺のほうは何ともない。

 襲い掛かってくるブラックドックやらオークやらを、【エーテルアーツ】で片っ端から爆発させていく。

 戦闘、終了。

 

「……さっきまでの伊緒はクールだったんだけどな」

「う、う、うるさい! 私は都会っ子で工学系なんだ! ああいうバイオなのは……うう……」

 

 さっきのシーンが目に焼き付いて離れないのだろう。ぐりぐりと額を押し付けてくる。


「やっぱり引き返すか?」

「いや、大丈夫さ……。まさか精神攻撃まで仕掛けてくるとはね。夜の迷宮を侮っていたよ……ぐっ……」

「俺の服にゲロらないでくれよ。そうじゃなきゃ別に引っ付いててもいいからな」

「お言葉に甘えさせてもらうよ……。ぅ……ぁ……」

 




 * *





 伊緒が復帰するのに思ったほど時間はかからなかった。

 そこからは大きな問題もなく、4層、5層、6層と進んでいく。

 7層や8層はモンスターの姿も見えず、9層ではオークがたった1匹だけ。


「この調子だとすんなり行けそうだな」

「油断しない方がいいよ、アキ。迷宮には意志があるらしい。舐めてると痛い目に遭うよ」

「分かってる。恐れず侮らず、だな」


 地下10層に足を踏み入れる。

 この階層の構造も、9層までと大して変わらない。

 いくつもの開けた空間があり、それぞれが細い通路で繋がっている。

 イメージとしてはそんなところだ。

 

 俺達の目的はウィンを探すことなので、フロア全体をくまなく探索することになる。

 その、途中。


「ひ、ひっ、ひぃぃぃぃぃっ! た、助けっ、助けてくれぇ!」


 まるで断末魔のように悲痛な叫びが聞こえてきた。

 

「……アキ」


 伊緒が硬い表情で見上げてくる。


「行くぞ。伊緒は俺の後ろに」

「分かった」


 俺達は声のするほうへと歩き出す。

 ちょうど、今から進もうとする細い通路の先だった。


 段差が多く、油断すると足を取られそうになる。 

 加えて天井からは地面に届きそうなほど長く大きい鍾乳石が伸びており、半身になって避けなければ通れなかった。


 やがて、かなり大きめの空間に出る。

 入ってすぐのところには鉄格子のように鍾乳石が垂れ下がり、俺達の行く手を遮っていた。

 向こう側に行くにはかなり迂回せねばならない。


 鍾乳石の隙間からあちらを覗き込めば。


「や、や、やめてくれぇ! た、た、頼むっ!」


 あまりに凄惨な光景が、繰り広げられていた。


 まず目に入ったのは、黒紫の巨体。

 背丈は2メートルを超えるだろうか。

 全身の筋肉それぞれが弾けそうなほどに隆起し、震えている。

 まるで岩石のような、威風堂々たる体躯だった。


 額からは槍の穂先のような鋭い角が雄々しく伸び、その下で、赤い両目が爛々と輝いている。


 鬼。


 それが、俺の抱いた第一印象だった。

 

 鬼はその両腕でもって、モヒカン頭の男を捕まえていた。

 昨日ウィンに絡んでいたゴロツキの一人だ。


「た、た、助けてっ、たたた、――っ……!」


 その表情は恐怖に震え、命乞いの言葉すら紡げないでいる。

 いや、もしも喋れたとしても意味があっただろうか。


 鬼は大きく口を開くと、頭から、モヒカン男に齧りついた。


 似たような光景を、先週、美術の教科書で見た。

『我が子を食らうサトゥルヌス』だったか。

 モヒカン男の胴体を両側から掴み、その頭蓋をガリボリと噛み砕いている。


「見るな、見るなよ……」


 俺は咄嗟に右手で、伊緒の視界を遮っていた。

 だが、聞こえてくる悲鳴と音までは誤魔化せない。


「ぐっ、ううっ……」


 何が起こっているのかを想像してしまったのだろう、伊緒はその場に蹲る。

 両手を口に添え、込み上げてくるものを必死に抑えていた。

 ひどく、震えている。


 俺はその背中をさすりながら、視線を走らせる。

 周囲にはたくさんの死体がうち捨てられており、まさに屍山血河というべき状況だった。

 中にはグルトと思しき男の遺体も混じっている。

 ウィンは無事だろうか。

 無事であってくれ。 

 祈るような気持ちで、赤毛の少年の姿を探す。

 ――いた。

 少し離れた場所に倒れていた。

 両脚ともひどい怪我を負っていて、うまく立ち上がれないでいる。

 それでもなんとか身体を引きずり、魔物から遠ざかろうとしている。


「伊緒、通路まではひとりで行けるか?」

「……あ、ああ。なんとかね」

「俺はウィンを回収してくる。下がっておいてくれ」

「わかった」


 顔面蒼白になりつつも、気丈に頷く伊緒。


「アキ、その前に、少しだけ聞いてくれ」

「どうした?」

「【魔物知識Ⅱ】で得られた情報だ。あいつの名前はオーガ、レベル89。本来なら地下50層にいるようなバケモノだ。間違っても正面から戦おうとしないでくれ」

「……なるほど、な」


 俺はさっきから肌のヒリつくような感じを覚えていた。

 本能的な危険信号。

 オーガとのレベル差を聞いて納得する。


 悔しいが、これは撤退一択だ。


「じゃあ、行ってくる」

「また後で」

「ああ」

 

 俺と伊緒は視線を交わし、すぐに動き出した。

 鍾乳石を迂回し、ウィンのもとへ。


 オーガはまだモヒカン男の身体を貪っている。内臓までしっかり食べるつもりのようだ。

 こちらには、まだ、気づいていない。

  

「ウィン、逃げるぞ!」

「ア、アキラさん……! どうしてここに……?」

「伊緒と夜の迷宮デートをしてたんだよ」


 俺は軽口を叩きつつ、ウィンの小柄な体を抱き上げる。

 見た目通り、軽い。


「ちゃんと掴まってろ。首に手を回せ」

「で、でもこれってお姫様だっこじゃ……」

「だからなんだ。喋るな、舌をかむぞ」


 俺は両手をずらしてウィンの位置を調整する。

 その、背後で。


「オオオオオオォォォォォォ……!」


 殺意の籠った唸り声が、這うように響いて来た。

 振り返る。

 巨人はモヒカン男の下半身を投げ捨てると、ギョロリ、とこちらを向いた。

 まずい。

 直感的に理解した。

 ターゲットとしてロックオンされた、と。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――」


 咆哮。

 鼓膜ごと、脳が揺れた。

 視界がグラリと歪み、身体ごと倒れそうになる。


「……ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 オーガの全身が、一瞬、大きく膨らんだように見えた。

 突進。

 黒紫色の巨体が、濃密な死の気配を引き連れて、迫る。


「――――っ!」


 ギリギリだった。

 なんとか躱せた。

 圧倒的な大質量が脇をかすめ、コンマ数秒ほど遅れて烈風が駆け抜ける。

 ほんのちょっとでも遅ければ、どうなっていたことか。

 想像もしたくない。

 危なかった。

 ……危なかった!

 全身を怖気が包む。

 ――オーガはスピードを殺しきれず、そのまま壁面に激突していた。

 轟音。

 迷宮全体が揺れ、天井からパラパラと砂粒が落ちる。

 壁にはクレーターのような大穴が穿たれ、天井と地面に亀裂が走る。

 あたりに立ち込める、土煙。

 

「……ォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ」


 その中で、オーガはゆっくりとこちらを振り返った。

 煌々と輝く紅瞳。

 絶対に逃がさない。

 まるでそう宣言するかのように、強く強く、俺をねめつけてくる。


「――――ちぃっ!」


 喧嘩を売られている、と。

 それは分かっていた。

 でも、受けるわけにはいかないんだ。

 

「ア、アキラ、さん……」


 腕の中で小さく震えるウィン。

 こいつを地上に帰してやらないとな。

 付き合いたての時点で家を買ってしまうような前のめりのお姉さんが、不安に押し潰されそうになりながら待っているんだ。

 俺は走る。

 

「ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……」


 まるで「卑怯者」と謗るかのような鳴き声を振り切って、走る。

 通路の中に飛び込んだ。

 俺ですら窮屈に感じるほど、狭い。

 ここまではオーガも追ってこれないだろう。


「アキ!」


 前方には伊緒の姿。

 アイコンタクトを交わす。

 それですべて通じた。

 来た道を、引き返す。


「こっちだ! 道を間違えるんじゃない!」


 伊緒に先導してもらい、地下九層に繋がる階段を目指した。





 これは『しおり』にも書いてあったが、階段というのは安全地帯らしい。

 俺達はその中ほどに腰を降ろし、ひとまずウィンの治療を行うことにした。


「伊緒、頼む」

「わかった。それじゃあウィンくん、始めようか」


 伊緒が、ウィンの足に手をかざす。


「――《リジェネレイト》」


 それは肉体を修復する魔法のひとつだ。

 まだ【治癒魔法】スキルが低いので速度はゆっくりだが、徐々に出血が止まり、裂けていた皮膚が元通りになっていく。


「ありがとうございます、アキラさん、イオさん。……まさか、助けに来てくださるなんて」

「やっぱり、グルトに絡まれていたのか?」

「はい、実は――」


 事の顛末は、ある程度まで俺の予想通りだった。

 もともとグルトはシーナさんにしつこく言い寄っており、ウィンのことを逆恨みしていたらしい。

 昨夜の私刑(リンチ)が失敗に終わったことで怒りの炎を燃やし、徒党を集めてウィンを殺そうとしていたんだとか。


「階段を封鎖してきたり、大量のモンスターを押し付けてきたり……なんとか切り抜けてきたんですけど、10層のところで取り囲まれたんです」


 そうしてもはやこれまで、と覚悟を決めたところで第三者の乱入があった。

 黒紫の巨人、オーガ。

 夜の迷宮は時として階層に不釣り合いな高レベルモンスターを生み出すと言われているが、それがちょうどグルト達を直撃したわけだ。


「お二人が来てくだされなかったら、僕も食べられていたところでした。――本当に、感謝しています」


 先程の恐怖が蘇ったのだろう、ウィンはブルルと身を竦ませた。

 オーガ、か。

 とんでもないバケモノだった。

 俺も、思い出すだけで手が震える。

 中学時代、騙されて電車に轢かれかけたことがあったが……あれと同じ感覚だ。

 逃げきれてよかった。

 ……かつて“血塗れの狂犬(レッドワン)”と呼ばれたヤツにしては情けない話だが、心からそう思う。


 ほどなくしてウィンの治療が終わり、俺達は地上への移動を再開する。 


 地下九層に出る。

 新たに生まれてきたのだろうか、トゲだらけのまんまるオバケ――ガラガラモンたちがアチコチで跳ねまわっていた。


「せぃっ……!」


 近づいて来る連中を、片っ端から殴り飛ばす。

 スキルが発動し、あちこちで血と肉の花火が咲いた。


「い、今のって、【エーテルアーツ】ですよね!」


 少しばかり興奮気味に尋ねてくるウィン。


「いいなあ! レアスキルですよ、レアスキル。やっぱりアキラさんって、すごい人なんですね……!」

「……ま、な」


 褒めてもらえるのは光栄なんだが、どうにもこうにも居心地が悪い。


「くくっ」


 ちょっと意地の悪い表情を浮かべ、伊緒が俺の脇腹をつついてくる。


「いやあ、本当にアキのスキルはすごいね、スキルは」

「言ってろ」

「冗談だよ、冗談。そう拗ねないでくれ」


 まったく。

 ひどいからかい方もあったもんだ。

 でもまあ、伊緒の調子も戻ってきたみたいでよかった。

 さっきは顔が真っ青だったもんな。


 

 俺たちは順調に歩みを進めていく。

 九層、八層、七層、六層……そして、ちょうど中間地点になる、地下五層。

 それは、何度目かになる魔物の襲撃を退けた直後のことだった。



 ――ォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ――



 俺は思わず、ウィンと目を見合わせた。

 

 

 ――ォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオ――



 まるで誰かを探すような遠吠え。

 ズウン、ズウン、と。

 大きな重量を伴った足音が、地面を揺らしている。


「アキラさん、これって」

「下にいた、オーガか……?」


 まさか、追いかけてきたのか?

 新たに生まれてきた可能性もあるが、どっちにしろ、ヤバさは変わりない。


 ――ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――


 だんだんと音が近づいてくる。

 

「……これまで以上に急いだ方がよさそうだね」


 伊緒の言う通りだ。

 俺たちは誰ともなく頷いた。

 息を潜め、気配を殺し、足早に進む。


 幸い、魔物と出くわすことはなかった。

 雄叫びも聞こえてこない。

 諦めてくれたのだろうか。


 やがて、一直線の通路に辿り着いた。

 その向こうには少し開けた場所があり、奥の階段が第四階層に繋がっている。


 何事も起こってくれるな、と祈りながら俺たちは進み、けれど。

 ドォン、と。

 何かが砕けて崩れる音が、階段の方から、聞こえた。


「ゥォォォォォォォ……オオオオオオオオオオオ……!」


 唸り声が、今までになく強く、はっきりと聞こえてくる。

 空気が震えていた。

 全身の皮膚が粟立(あわだ)った。

 

 まさか、ショートカットしてきたのか?


 俺は第五階層の地図を思い浮かべる。

 この階層はおおまかにいうと「の」の字を描く構造だ。

 階段は右下のところにあり、もしかすると中央の部分とは壁で接しているのかもしれない。

 そこをブチ破ることで、ヤツは、俺たちの先回りをしたのか?


 通路の出口が、塞がれた。

 黒紫の巨体。

 紅の瞳が爛々と光を放っている。


 オーガ。


 こんな浅層にいるはずのない、バケモノ。

 そいつは、ニィ、と歯を見せて笑った。

 左右の八重歯から、血が滴り落ちる。

 

「……引き返すぞ」


 俺が背後の二人にそう告げたのと、ほぼ同時。


「オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォ――!」


 オーガの巨躯が、弾丸のように突っ切ってくる。

 眼前に迫る、大質量。

 バリィン、と、硬質の何かが砕ける音がした。

 ――【エーテルフィールドⅣ】、防御補正特大。

 それが、破られたのだ。 

 全身をバラバラにされたかのような衝撃。

 加速度の付いた浮遊感。

 弾き飛ばされていた。

 意識がフッと虚ろになり――壁面に、叩きつけられる。

 それで(ようや)く、我に返った。

 手足は折れていない。

 身体の痛みも耐えられるレベルだ。

 砕かれたとはいえ【エーテルフィールドⅣ】のおかげだろう。

 

 視線を走らせる。

 通路の入口を越え、その手前の部屋まで戻されていた。

 伊緒もウィンもすぐそばに倒れている。

 

「うう……」

「くっ……」

 

 二人とも息はあるようだが、ひどく(うな)されている。

 脳震盪でも起こしているのだろうか。

 とても動かせる状態じゃない。

 

「ヴォォォォォォォォ……ォォォォォ――!」


 そして通路の入口には、全長2メートルを超える筋骨隆々のバケモノ。

 赤い瞳が、殺意にぎらついていた。






 血戦が、始まる。






「オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォッ!!!」


 まず動いたのは、黒紫の巨人。

 雄叫びとともに疾走し、飛び掛かるようにして左腕を叩きつけてくる。


「しぃっ……!」


 俺は右前方に飛び込み、それを躱した。

 背後で爆撃のような音が鳴り響く。

 ピリピリとひりつく怖気を感じながら、反撃に転じようとして――

 まずい……っ!

 咄嗟に膝を畳み、上体を反らす。

 ブヴ――ンッ。

 ギリギリのところを、死神の鎌のようなラリアットが駆け抜ける。

 

「グオオオオオオオオオオオオッ!」


 オーガの追撃は止まらない。

 両腕を組んで振り下ろす、スレッジ・ハンマー。


「ちっ!」


 不格好に横へ転がり、回避。

 衝撃が炸裂した。

 直撃を食らった地面が陥没し、砂塵が舞い上がる。

 当たっていればペシャンコになっていただろう。

 俺はそのまま距離を取って体勢を立て直す、が。


「グオオッ! ――ヴォォォッ! ヴオオオオオォォォッ!」


 右、左、右、左。

 次々に迫る、殺意の剛腕。

 一度でも当たれば、たぶん、“()っていか(逝か)れる”。

 骨が砕け肉が爆ぜ、か細い勝機すら失ってしまうだろう。

 

 俺は紙一重のラインでそれを避けて、避けて、避けて、今だ……!


「ヴォァァァァァァァッ!」


 オーガが、俺の腹めがけて拳をブチ込んでくる。

 それをギリギリで躱した。

 轟風を伴った拳が脇を掠め、そのまま、俺の背後の壁に突き刺さった。

 決定的な隙を、掴んだ。

 

「よしっ……!」

 

 一歩踏み込んで、オーガの顎を、右下から殴りつける。

 “入った”。

 そういう手応えがあった。

 人間なら確実にオチている。

 【エーテルアーツⅤ】も発動しているはずだ。

 やったか?

 いや、油断するな。

 相手が完全に動かなくなるまで、勝負ってのは終わらない。


「お――らぁっ!」

 

 俺はもう一度、その顔面に拳を叩き込む。

 けれど。


「ヴォァア……?」


 オーガは、嗤っていた。

 ニタァと口元をだらしなく緩め、平然とした様子でこちらを見下(みお)ろしている。

 効いて、ないのか……? 

 

「このっ――!」


 殴る、蹴る、叩き付ける。

 何をしても、オーガの巨体は揺るがない。

 ただニヤニヤとした笑みを返してくるばかり。

 舐められている。

 それは分かっていた。

 けれど、届かない。


「ヴォォ……」


 オーガの右腕が閃く。

 まずいと感じた時には、手遅れだった。

 カウンターのように放たれた拳が、俺の鳩尾を直撃していた。

  

「が……ぁっ――!」


 天井近くまで打ち上げられ、そこから伸びる鍾乳石に激突する。

 ガンッ、と激しい音がして――墜落。

 受け身なんて取る余裕もなかった。

 地面に叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。

 フッと全身の感覚が遠くなり――頬の裏肉を噛みちぎって、意識を保つ。

 それから遅れて、全身の痛みがやってきた。


「ぐっ……ぁあ……」


 呻きながら喘ぎながら、目を開く。

 前が見えない。

 髪の毛を伝って血が流れてくる。

 頭のどこかを切ったらしい。


「ヴォォォォ……ォォォォォ――!」


 まるで勝利の凱歌をあげるように、オーガが唸り声をあげる。

 くそっ、調子に乗りやがって。

 こっちはまだ生きてるんだ。試合続行だ。

 すぐに吠え面をかかせてやるからな……!


 手足に力を入れて、立ち上がろうとした。


「う……ぁ――」


 激痛。

 意識が真っ白になる。

 アバラを何本かやられているのかもしれない。

 

「オオオォォォォ……!」


 唸りと共に足音が近づいてくる。

 このままじゃ、嬲り殺しだ。

 動け。

 動いてくれ、頼む。




 

 ――やがて、突如として全身の痛みが和らぎはじめた。







































<終章 守護天使のテスタメント>






































 痛みが、引いていく。

 側に誰かの気配を感じた。

 目元の血を手で拭うと、そこには伊緒の姿があった。

 手からは青色の燐光が洩れていて――回復魔法を使っているのだろう。 


「い、お……?」

「喋るんじゃない。――今、ウィン君が時間を稼いでくれている。君が動けるようになったら撤退しよう」

「ウィン、が……?」


 俺はオーガの方に視線を向ける。

 そこでは。


「――ああああああああああああああああああああッッ!」


 曲刀(カトラス)を抜いた赤毛の少年が、勇猛果敢にオーガへと斬りかかっていた。

 

「ヴォォォ……!」


 ほとんどダメージは通っていない。

 それでもオーガの足を止め、気を逸らすことはできていた。


「この――ッ!」


 ウィンは小柄な体を十二分に生かし、すばしっこく立ち回っていた。

 オーガの攻撃を紙一重で躱し、擦れ違いざまに斬撃を刻む。

 いつ崩れるか分からない、薄氷の均衡。


「二人とも……逃げろ。俺のことは、いい」


「不可能だよ。私たちが生き延びるには、ここでオーガを叩くしかない。

 そもそもアキを見捨てて生き延びることに、いったい何の意味があるんだい?」


 いつになく真剣な声で、伊緒は言う。

 吐息がかかりそうなほどすぐ近くで、囁いてくる。


「私はとても厄介で、面倒で、扱いにくいヤツなんだ。人間として不良品……いや、可愛さも足りないから“女の子”として不良品かな。そんなのに延々と付き合ってくれて、わざわざ異世界にまで駆けつけてくれた。――君を失って生きるくらいなら、ここで一緒に死んだ方がずっといい」


「…………伊緒は、重い、な」


「知らなかったのかい? 私はね、悪い部分だけは女性的なんだよ」


「はっ、言ってろ。――――今度、あのニットとスカートで、出かけるからな」


「君が着るのかい? G-18どころかG-200ものだね」


「人類の限界を越えてるぞ。伊緒が着るに決まってるだろ」


「あれは部屋着だと言ってるだろうに。……そろそろ、行けそうだね」


「ああ」


 俺は身を起こす。

 さっきまでのような激痛はない。

 伊緒が回復魔法をかけてくれたおかげだ。


「わざと頭の傷は治していないよ。『血塗れの狂犬(レッドワン)』の効果があるからね」



 ___________________________


  『血塗れの狂犬(レッドワン)

      自身と敵の流血量に応じて全能力に補正

 

 ___________________________




「【絶対の守護者】も使っておこう。補正は多い方がいいからね。

 ――君に命令する。“あの黒紫の気持ち悪いマッチョをぶちのめして、私のことを守ってくれ”」




___________________________________


 【絶対の守護者】

   1.本スキルの所有者は、イオから10日以上離れると死亡する

   2.本スキルの所有者はイオを対象とする

     あらゆる攻撃的行動をカバーリングできる

     a) この効果の発動においては

     いかなる空間的・肉体的制約も無視できる

     b) この効果の発動時、防御力に特大の補正

   3.本スキルの所有者は()()()()()()()()()()()()()()()()

     自らの意志で命令を実行する際、全能力に補正

     補正量は命令内容に依り、短期的・具体的であるほど大


___________________________________




「最後に、だ」


 伊緒はコホン、と咳払いした。


「ば、万全には万全を期す必要があるからね。……まったく、シルト神とやらも何を考えてこんな効果をつけたのやら――ああ、もう――――」


 ゴニョゴニョと呟きながら、伊緒はその場で膝立ちになった。

 目線の高さは、上体を起こした俺とちょうど同じだ。

 身体ごと、寄りかかってくる。

 ――頬に、柔らかな体温が触れた。

 その時間は、一瞬か、数秒か。


「今の、って」

「…………『Il mio principe』は、身体的接触で効果が増幅されるのだろう」


 頬を赤々と染めて、伊緒が呟く。


「だ、だから、仕方なくだ、仕方なく。ちゃんと、(わきま)えておくように」


 __________________________________


  『Il mio principe』

    半径25m内にイオ・タカバシ (以下「イオ」)が存在する場合、

    全能力に特大の補正

     ※補正は身体的接触によってさらに増幅される。

      増幅時間は1分~1時間。


 __________________________________



「なあ、伊緒」


「こ、これ以上の要求は聞かないぞ。聞かないからな」


「『シルトの加護』はどうなんだ?」



 _______________________


  『シルトの加護』

    恋愛感情の高まりに応じて全能力に補正


 _______________________



「ちょ、調子に乗るなっ! 私にそういう感情はない! 前から何度も言っているだろう!」


「分かった分かった。――ま、俺のほうはガンガンに燃えてるけどな」


「………………えっ? それは、どういう――」


「じゃあ、行ってくる」


 俺は立ち上がる。

 全身に力がみなぎっていた。


 当たり前だろ?

 可愛い女の子に抱きつかれて、ついでにほっぺたにキスまでされたんだ。

 これで勝てなきゃ男じゃない。

 

 深く深く、息を吸う。

 丹田、だったか。

 下腹で気を練り上げるようなイメージ。


 それからゆっくりとゆっくりと息を吐いて、吐いて、吐いて――。


 カシャン。


 頭の中で、錠の外れる音がした。





















 たぶん。

 俺がほんとうにやりたかったことは。


 少女漫画を描くことじゃなくって。

 少女漫画に出てくる男みたいに、格好よく、ヒロインを守ることだったんだろう。


 伊緒って世界でいちばん可愛いよな。

 異論は認めない。





























 ウィンの動きは徐々に鈍っていた。

 体力、集中力。

 どちらも徐々に削り落とされ、危なっかしい場面が増えつつあった。


「ヴォォオォォォォォォォオオオッ!!」


 オーガが拳を振り下ろす。

 それはウィンの肩をかすめ、その足元の地面を揺らした。


「っ、あ……!」


 もともと無茶な姿勢での回避行動だった。

 バランスが、崩れる。

 転倒。

 そのチャンスを見逃すオーガではない。


「ヴォォォアアアァッ!」


 ヘッド・バット。

 額の一本角でもって、ウィンの腹を貫こうとする。

 


 ――させるか。



 俺の戦線復帰は、このタイミングだ。

 ギリギリとのところでウィンの前に滑り込み、オーガの頭を、横合いから思いきり……殴りつける。

 

 右ストレート。

 オーガの口元が、ひしゃげて歪んだ。


「しゃぁっ!」


 ボディブロー。

 いや、ボディアッパー。

 さっきのお返しだ。

 鳩尾に、拳を、抉るように、突き込む!


「ヴァァ――ァァァァァァ……ッ!」


 オーガから、苦悶の声が漏れた。

 

「――ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!」


 回し蹴り。

 すべての体重と、すべての加速度を乗せての、一撃。

 骨の砕ける感触があった。

 オーガの太い角が、根元から折れる。

 額から離れる。

 

「もらったァ!」


 駄目押しの、追撃。

 飛び上がるようにして、反対側の足を、横薙ぎに、叩き付けた。


 オーガの巨体が、宙を舞った。

 天井の鍾乳石を砕きながら吹き飛び、遠くの壁に衝突して、止まる。


「アキラさん、本当に……本当に、すごい、です」


 すぐ後ろでは、ウィンがその場にへたり込んでいた。


「僕、こんなの、初めて見ました……!」


「すごいのは俺じゃない。スキルと称号と――――それから、伊緒だよ」


 俺なんて、ちょっと図体がデカいだけの馬鹿だからな。

 あいつを追いかけて異世界に来て、あいつに支えられて、これだけ強くなれたんだ。

 伊緒に視線を向ける。


「……」

「……」


 言葉は要らない。

 目を合わせるだけで、通じるものがある。


「ヴァ……ァァァァァアアアア……」


 オーガのやつは、まだ、生きていた。

 頭から血を流しながら、しかし、戦意の失せない瞳を俺に向けている。


「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 自らを奮い立たせるような咆哮。

 嵐が巻き起こり、俺の髪を逆立てた。

 

 そして。


 唐突に静寂が訪れる。

 オーガは身構えた。

 俺は、足元のツノを拾うと、身構えた。




「「――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!」」



 

 どちらが先に叫んだのか分からない。

 どちらが先に動いたのか分からない。


 俺とオーガはほぼ同時に駆け出していた。

 真正面から、ぶつかり合う。



「「――ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」


 

 オーガの剛腕を、俺は、避けない。

 右頬を殴られた。

 まるでクッションを押し当てられたような感触だった。

 ほぼ、ノーダメージ。

 俺はオーガに、ニヤリと笑いかける。


「効くわきゃねえだろ」

 

 そこはな、勝利の女神(伊緒のやつ)加護をくれた(キスした)ところなんだよ。

 さあ、締めくくりといこう。


「こういう“記念スタンプ”もアリ、だよな?」


 右手に握ったツノで、その胸を、一気に、ブチ抜く。


「ガァ……ァァァァッ――!」


 グラリ、とオーガの巨体が傾いた。

 そこにもう一発、左ストレート。


 ――――通った。


 身体の中から、マグマのようなエネルギーが迸る感触。

【エーテルアーツⅤ】

 オーガの体内で、魔力が暴れ回る。

 その全身が風船のように膨らんで、膨らんで、膨らんで……。


「――――――――――――――――――――――――――――ァァァァッ!」


 絶叫と共に、散華する。

 黒い粒子があたりに広がり、ゆっくりと空気に溶けていく。

 ガラリ、と。

 紫色の大きなクリスタルが地面に転がった。






 * *



 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ――!」


 ステータスに補正をかけまくった反動だろうか、俺は精根尽き果てていた。

 大の字に倒れ込む、

 もう本当に、動ける気がしない。 

 

「アキ、大丈夫かい……?」

「アキラさんっ!」


 伊緒とウィンが駆け寄ってくる。

 悪いな、もう返事をする気力も残っちゃいないんだ。

 

「ウィンくん、私は左肩を持つ、君は右を頼んでいいか」

「分かりました。とりあえず階段まで運びましょう」


 二人は左右に分かれると、ヨロヨロとした足取りながらも俺の身体を持ち上げようとしてくれる。


「悪ぃ、な……」

「これくらいは当然だよ」

「これくらいは当然です」


 なんとか、立ち上がれた。 

 不格好ながらも三人で歩いていく。

 通路に入り、えっちら、おっちら。


「アキ、私の方にもっと体重をかけてくれて構わないよ」

「アキラさん、僕にもっと寄りかかっても大丈夫ですよ」


 ははっ、優しいな、お前ら。


「む。こういう時くらい甘えてくれ、アキ」

「む。こういう時くらい助けにならせてください、アキラさん」


 んん?

 二人の間で火花的なものが散っているような、いないような。

 もてる男はつらいぜ。

 なお、片方は同じ男 (8歳年上の美人彼女と同棲予定) のもよう。

 ……ま、冗談だけどな。

 …………冗談でいいよな?




 やがて俺たちは通路の終わり際に差し掛かる。

 すこし広めの空間があって、奥には階段。


 あと少しで安全地帯。

 その、手前で。


「グルルルルルルルルル……!」

「ビフィ! ビフィ!」

「ウルルルルルッ! ヴルルルルル!」

「ガラララララララララッ!」

「シャァァァァァッ!」


 まるで狙いすましたかのように、魔物たちが生まれてくる。

 ブラックドック、オーク、ウーウール、ガラガラモン、その他、見たことのない魔物もたくさん。


「どうやら“迷宮の意志”とやらは私たちを返したくないようだね」

「通路に引き込んでの一対一を繰り返すか、強行突破か。……どちらにせよ、厳しいですね」


 思いがけない窮地。

 両側から聞こえる声も、堅い。

 

 これは、俺もおんぶにだっこじゃいられない。

 全身がバラバラになりそうなほどキツいが、死力の尽くしどころってヤツだろう。


 俺は覚悟を決めて、深く息を吸い……吐く時には、あっけなくすべてが終わっていた。

 

「――《サンダー・バースト・ボルテックス》」


 突如として視界を埋め尽くしたのは、白い閃光。

 稲妻の渦が魔物たちを薙ぎ払い、焼き尽くす。


 その魔法を行使したのは、伊緒でも、ウィンでも、ましてや俺でもない。


「シーナ嬢に言われて様子を見に来ましたが、いやはや、間に合ったようでなによりですな」

 

 黒衣のロマンスグレー。

 ジェラルド司祭だった。







「すみません、司祭様。ご迷惑をおかけしてしまって……」

「いえいえ。あなたがたを死なせてしまっては、シルト様に合わせる顔がありませんからね」


 ジェラルド司祭もかなり大柄な体つきで、申し訳ないことに帰りはおぶってもらうことになった。

 階段を昇って四層、三層、二層、一層――。

 道すがら何度か魔物に遭遇したが、すべてジェラルド司祭が魔法で倒してくれた。


「司祭様、やっぱ強いんですね」

「まあ、昔はヤンチャをしておりましたからな」


 そうして俺たちは、無事、地上に帰り着いた。

  

 















<エピローグ>


 




 


 

 










 地上で俺たちを最初に出迎えたのは、シーナさんだった。

 ジェラルドさんに一報を入れた後、ずっとここで待ち続けていたらしい。


「ウィンくん、うう、よかった、よかったよう……」


 シーナさんはえぐえぐと嬉し泣きしながら、ウィンの胸に顔を埋めていた。

 

「とりあえず、一件落着ってところかな」


 満足げに、両手で髪をかきあげる伊緒。


「乙女の涙は何よりも美しい。私たちの苦労も報われるというものさ」

「……なんだか伊緒が唐突にキザいセリフを吐き始めた件について」

「アキ、忘れてるかもしれないが私は元演劇部だよ。せっかく物語みたいな体験をしたんだ。最後もそれっぽいセリフで締めたいじゃないか」

「そういうのをリアルでやると激しく寒いからな、やめとけ」


 まあ、伊緒の気持ちも分かるんだけどな。

 目の前では、それこそハリウッド映画のラストシーンのごとくウィンとシーナさんがディープなキスをしている。

 ふう。

 未成年には刺激がきついぜ。

 照れ隠しで妙なことを口走るのも仕方ないだろう。


「いやぁ、よかった、よかったなぁ……!」


 少し離れたところでは、入口番の中年冒険者が男泣きしていた。

 

「ありがとう、ありがとう……! 他人事っちゃあ他人事なんだが礼を言わせてくれよ、ありがとう……!」


 さらには俺の両肩を掴んでやったらめったら礼を言ってくる。

 山賊みたいなナリのわりに、けっこうな感動屋なんだろうか。


 さて。 

 ウィンとシーナさんはまだしばらくイチャイチャしてそうだし、ここに留まっていても特にすることはなさそうだ。


「後始末はわたしが引き受けましょう。お二人は休まれてはいかがですか?」


 ジェラルド司祭もそう言ってくれたので、俺と伊緒は宿に戻ることにする。

 幸い、自分で歩ける程度の体力は戻っていた。


「大丈夫かい、アキ。辛いなら手を貸すから言ってくれよ」

「じゃあ、お姫様抱っこで頼むわ」

「わ、わかった。魔法を駆使すればなんとか――」

「ジョークだよ」

「まったく、君というヤツは」


 下らない話をしながら、静まり返った夜の街を歩く。


「…………今日は、君にずいぶんと迷惑をかけてしまったね」

「そうか?」

「たまたま上手く行ったからいいものの、ミイラ取りがミイラになる危険性があった。今振り返ると、ジェラルド司祭に動向を頼むという選択肢もあった。第三者からすると私の選択は批判されて当然――むぐっ!?」

「別にいいだろ、そんな『もしも』」


 俺は右手で、伊緒の口を塞ぐ。


「結果としてハッピーエンドだったんだ。助けに来てくれたジェラルド司祭に感謝して、受けた親切を何らかの形で周囲に返す。それでいいんじゃないか?」

「だが反省というものは常に必要で――」

「そんなのは明日、アタマが冷えてからでいい。今はお互いにテンションが上がってるしな。つうか伊緒、お前の場合は照れてるだけだろ」


 いいことをすると気恥ずかしい。

 そういうことって、わりとあるよな。


「もっと堂々と誇れよ。『私は自分の力を人助けに使ったんだ』、ってな」

「実際に働いてたのは君だけどね」

「伊緒がいなけりゃオーガにゃ勝てなかった。助け合いだよ、助け合い」

「なんというか、君は寛容だね」


 伊緒はそう呟くと、すこし早足になって俺の前へと歩み出た。

 そして、こちらに背を向けたまま、

 

「アキ、君は後悔してないかい?」


 やけに曖昧な問いを投げかけてくる。


「後悔って、何がだ?」

「それは……その、私なんかのせいで異世界に連れてこられて、今日なんてオーガに殺されかけたわけだし、不満があってしかるべきというか、ええと――」

「ない」


 俺は歩みを早め、伊緒の横に並ぶ。

 その小さな頭に右手を乗せた。

 かるく、撫でる。


「前提が間違ってるだろ。『私なんかのせい』じゃない。俺は伊緒を追いかけて“此処(異世界)”まで来たんだ。お前のいない“何処か(日本)”なんてどうでもいい」


 だから何も後悔はない。

 伊緒の隣が、俺のいるべき場所だ。

 ただそれだけで満ち足りた気持ちになれる。


「『君を失って生きるくらいなら、ここで一緒に死んだ方がずっといい』だっけか。俺も同じだよ。――――だからもう、勝手にいなくなるなよ」


 お前があっちの世界から消えちまった時、俺がどれだけ動揺したと思ってるんだ。

 まったく。

 俺は小さく嘆息すると、伊緒の頭に置いていた手をそのままスライドさせる。

 肩を抱いて、強くこちらに引き寄せた。

 

「それはセクハラだよ、アキ」

「今日の俺は頑張った。ご褒美を所望する」

「こんなのがご褒美になるのかい?」

「なるんだよ」

「じゃあまあ……いいさ」




 やがて俺たちは『影猫亭』に辿り着き、二段ベッドの一段目に倒れ込むようにして爆睡した。

 伊緒もさすがに二段目に登る力もなかったらしい。


 ちなみに布団はすべて伊緒が独占して、おかげで俺は寝冷えで風邪をひいちまったんだが……ま、余談だな、余談。


 夕方に目を覚ましてギルドに行ってみると、オーガを倒した件でちょっとした騒ぎになっていた。

 これがまた別の騒動を呼び寄せることになるんだが、ま、そのへんはまた今度でいいだろう。

 




 



 以上が俺の、短い高校生活の終わりと長い異世界生活の始まりだ。

 伊緒にも言ったが、この選択に後悔はない。

 むしろ良かったと思ってる。




 ところで、さ。

 俺の称号でもある『Il mio principe』の意味。

 伊緒の前じゃ気恥ずかしいから知らないふりを通していたんだが、最後にこれだけ紹介しておこう。

 言語としてはイタリア語だ。……なんでイタリア語なんだろうな? 恋の国とか呼ばれてるからだろうか、シルト神(恋の女神)的に考えて。

 ともあれ、日本語に直すと、だ。


 ――私の王子様。


 俺には勿体ない言葉だが、伊緒がそう思ってくれてるならすごく嬉しい。

 


 




 お読みいただきありがとうございました!

 

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Q.彰良くんの称号とユニークスキルはどうしてあんな風になってるんですか?


A.シルト様は恋する乙女の味方だからです。

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[良い点] 単純に面白い! [気になる点] 連載じゃない。 これはまだまだ話が生み出せそうなストーリーなのに! [一言] 是非連載を希望致します。
[良い点] こんな神作久しぶりに見ましたw 不良の主人公とツンデレ(?クーデレ?)のヒロインとのストーリーありきたりだけど今迄読んできた作品の中で1番良かったです! [気になる点] やっぱり文字数でし…
[良い点] 実は彰良が『Il mio principe』の意味を知っていたこと。 [一言] 素敵な糖度でした!! 続き…というか、正式に二人がくっ付いたり恋人や夫婦になってイチャイチャする話がみたいで…
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