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最後の王子  作者: 秋山らあれ
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8. 徒花





  自室へと足を運びながらも、アルディスの脳裏にはアムリアナが現れては消えて行った。初めて剣を合わせた時の、怒りと憎悪に満ちた彼女の瞳、『私は死なない』と言った時の彼女の表情の失せた痛々しい顔、アルディスが幼き日の友であった事を知った時の悲し気で蒼白な顔、そして彼女を抱きしめた時の柔らかな感触と、その金の髪から漂った花の香り....。


 アルディスは一旦は自室へと戻ったが、幾許いくばくもしない内に、マントを掴み再び部屋を後にしていた。その後を小姓が慌てて追って来た。

 「どちらへ?殿下」

 まだ幼さの残る顔立ちの小姓は、アルディスの背に尋ねる。

 「散歩だ。別に付いて来なくていいぞ、レイク」

 アルディスは歩を止めもせずにマントを着込みながら答えると、振り返る事無く歩いて行く。

 「そんなわけには、殿下。こんなお時間にお独りでなんて.....。ここはクルトニアではありませんし....」

 「クルトニア城内よりも安全かもしれないぜ。少なくともここには、皇后はいない」

 アルディスは振り返ると、背後の小姓に揶揄的な笑みを向けた。少年は言葉を詰まらせた。内心その通りだろうと思ったからだ。何せクルトニア皇后に関しては、意に染まぬ者には平然と毒を盛るとの噂がまことしやかに囁かれているのだ。身内に対してでさえも毒を盛るとの噂が........。ここ最近の事であれば、末姫の母親が原因不明の死を遂げている。皇帝の寵姫であった彼女を、皇后は悋気を起こし毒殺したというのが水面下での専らの噂であった。


 「付いて来るなら、その格好じゃ寒いぞ」

 そこで小姓レイクは、マントを持って来なかった事にはっと気付いた。

 「すぐに参ります、殿下」

 そう言うと、レイクは飛ぶ様な勢いで駆け戻って行った。そんな少年の後ろ姿にアルディスは短い笑いを零し、再び歩き出した。すると又、浮かんで来るのはアムリアナの面影ばかりであった。苦しかった。


 アルディスは改めて考えてみる。この二十一年の間、一度でも幸せだと思った事があったであろうか......?不幸だと思った事は一度も無かったが、何故こうも毎日が無意味に感じられるのか......。こうして生きて来て、楽しいと思った事が一度でもあったであろうか?見目麗しい娘と二人きりで寝台の中にいる時でさえ、楽しいなどと思った事は一度も無かった。

 「いや...、そんな事も無いな....」

 アルディスは独り言つ。あのエスニアでの幼かった日々は、確かに楽しかった。人目を忍んで幼いアムリアナを連れ出したのは、今となっては唯一の楽しかった思い出だ。考えてみれば、あれは初恋だったのだろうか.....。

 表へ出ると、凍り付く程に冷たい夜気がアルディスを包み込んだ。彼はそれを胸一杯に吸い込んだ。空は晴れ渡っており、夥しい数の星々が金貨の如く瞬いている。地面の雪に月明かりが反射して、外はそれ程暗くは無かった。灯りを手にしたレイクが、雪を踏みしめながら駆けて来ると、アルディスの傍らに立った。アルディスの足は殆ど無意識の内に、アムリアナの部屋の臨める庭園へと動いていた。見上げれば、厚手の垂れ幕のきっちりと下ろされた窓からは、幾ばくかの明かりさえも洩れては来ない。もうこんな時刻である、起きている筈も無いと思いつつも、彼はアムリアナの部屋の窓を見上げ続けた。

 と、その時であった。アルディスの見上げる窓の垂れ幕がそっと引かれ、柔らかな髪のシルエットが窓に浮かんだ。アルディスは息の止まる様な思いで、室内の明かりにぼんやりと浮かぶアムリアナの顔を見詰めた。彼女の手が窓の硝子に触れた。彼女の瞳も又、暗闇の中にぽつりと点る、松明の明かりに浮かんだアルディスの姿を驚きと共に捉え、縋る様に見詰めた。


 アルディスは思う。星の数程も女はいるのに、抱きしめたいと望むのは何故彼女一人だけなのだろう...と。決して自分の手には入らない女だ。自分を憎むべき立場にある女だ。それなのに、何故、彼女でなければならないのだろう......と。


 「殿下、そろそろ中へ。さもないとお風邪を召されます」

 アルディスが我に返り小姓を振り返ると、哀れな少年はぶるぶると震えている。どれ程の間、アムリアナを見上げていたのか分からない。

 「俺よりも、お前の方が風邪を引きそうだな、行こう」

 レイクはほっとしたかのような表情で、歩き出す主の後に付いて城内へと戻った。

 「もうお休みになられますか?殿下」

 「ああ、そうする。お前に風邪で寝込まれても困るからな」

 「いえ....、そんな.....、私は....」

 少年は照れた様に口ごもった。

 「お休み前に、何か召し上がりますか?」

 この小姓は、アルディスの顔を見るに付け、何くれと無く世話をしたがった。帝国では、変わり者だと言われているこの五番目の皇子を、この少年は好いているのである。

 「そうだな、熱い葡萄酒が欲しい、体が冷えた」

 アルディスが答えると、レイクは嬉しそうな返事を返して厨房へと駆けて行った。





 アムリアナは、目を疑った。こんな夜更けに、よもや彼の姿をこのような形で目にしようとは思いもしなかった。

 (ユーリ.....)

 その名を心の中で呟いた。今では悲しみを呼び覚ます名だ。

 小さな松明の炎に照らされ浮かぶ姿に、アムリアナの瞳は縫い止められる。遠目にも、彼が自分を見詰めている事が痛い程に分かる。彼を愛しているのだと悟った。到底許される筈の無い恋である事など分かっている。敵国の皇子に、故国を奪った皇子に、心を奪われるなどと.....、何と罪深い事であろうか.....。初めから適う筈など無い恋であるのだ。アムリアナの脳裏で、幼い日のユーリが微笑んでいた。

 (こんな思いをする位なら、忘れてしまえば良かった....。いいえ、初めから出会わなければ良かった......)

 指に触れる窓硝子は、凍える程に冷たかった。

 アルディスがやがてくびすを返しても、アムリアナは彼を見詰めていた。その姿が見えなくなっても、誰かが扉を叩くまで彼女は窓辺に佇んでいた。





 辺りは当然の如く静まり返っている。その中をアルディスは独り、階段を登って行った。時たま眠た気に欠伸を噛み殺している衛兵の姿がある位で、他には誰も見当たらない。もう夜も更けている。自分に宛がわれた部屋のある階まで来ると、彼はふと立ち止まった。この階段を境に彼の私室は西の棟に宛がわれており、そして東の棟の一角には、アムリアナがいるのだ。その東の棟へと続く通路を、何者かが足早に横切った様な気がした。アルディスは不審に思い眉を顰めた。僅かな灯りしか灯されておらず、又、その通路までは百歩程の距離もある。定かに見たわけでは無い。だが確かに一瞬何かが横切った。

 (衛兵か?)

 アルディスは一瞬考えるも、不振さは拭えない。彼は足音を忍ばせながら、密かにそちらへと歩を進め、曲がり角まで来るとそっと様子を伺った。そして更に不審感を抱く。警備があまりにも薄いのだ。このアムリアナの部屋の一角は、常に厳重な警備が命じられていた筈である。それが今宵はどうであろう。扉付近に数名の衛兵の姿しか無いのだ。

 (おかしい....)

 彼は、足を踏み出した。一番手前に立っていた衛兵が、アルディスに気付き背を正した。その前を通り過ぎざま、衛兵の顔に見覚えの無い事を確認する。目当ての部屋の前で足を止めると、その扉を守る二人の衛兵に扉を開く様命ずる。

 「アムリアナ殿下は、既にご就寝されております、アルディス殿下」

 一人がそう答えた。

 「かまわん、開けろ」

 そう命じた時、もう一人の視線が背後へと泳いだのを、アルディスは見逃さなかった。 突然沸き起こる殺気。振り向きざまに抜かれたアルディスの剣は、背後から襲いかかって来た衛兵の長槍を真っ二つにし、返す剣で後の二人の槍もそれぞれ二つに切り割っていた。三人の衛兵は、折れた槍をかなぐり捨て腰の剣を抜くや、次々にアルディスに襲いかかった。だが所詮はアルディスの敵では無かった。あっという間に剣をたたき落とされる者、平打ちされる者、三人が三様、左程の時間もかからぬ内に床に伏した。

 アルディスは抜き身の剣を手にしたまま、扉に耳を寄せ室内の様子を伺うや用心深く扉を開いた。控えの間は無人であった。侍女達かしずきたちの姿も無い。夜更けであろうと、通常は数人の侍女かしずきが控えている筈である。ノックも無しに居間に通じる扉を開けると、部屋のほぼ中央に白いドレス姿のアムリアナが独りで立っていた。


 「ユーリ...」

 哀し気な表情でそう一言呟いたきり、アムリアナは押し黙ってアルディスを見詰めた。

 アルディスも又、無言のまま辺りに視線を投げ掛けた。剣を使う者としての勘が、彼に何かを伝える。そう、まるで殺気の様なものを。彼の抜き身の剣は、マントに被われ端からは見えない。アルディスは眉間に微かな皺を寄せ、足を踏み出した。アムリアナの横を足早に通り過ぎ、迷いの無い足取りで窓を覆い隠す厚手の垂れ幕の前まで来るや、アルディスはおもむろにマントの下で握っていた長剣を走らせた。

 横様に切り裂かれた垂れ幕から人影が躍り出るのと、アムリアナがアルディスに抱き付くかの様にしてその剣の動きを妨げたのとが、同時にして起こった。アルディスは自分を見上げて来るアムリアナの瞳に必死の色を見た。

 垂れ幕の影から剣と共に現れたのは、アルディスの見知った、明るい砂色の髪をしたメインデルトの若騎士であった。歳の頃は恐らく彼ともそう変わるまい。会議などでは、必ず末席に連なっていた人物であった。

 「確か、ルデラント卿...、だったな」

 「我が名を覚えていて頂けたとは至極光栄です、アルディス殿下」

 礼を欠かないその口調とは裏腹に、灰色の髪をした騎士の剣先はアルディスを捉えている。

 アルディスは、微かな笑みを浮かべた。

 「そういう事か...」

 その時、寝室の扉の影からアルディスの背を目掛けて飛び出して来た騎士がいた。左手でアムリアナを脇へ押しやるとアルディスは振り向き様に相手の剣を受け止め、その次の一撃でそれを退けるや、その彼の一瞬の隙をついて振りかぶって来るルデラントの剣をも受け止めた。剣を激しく交える事三合、剣と剣のぶつかり合う鋭い音もまた三度響いた。三合目にルデラントの剣を打ったアルディスの剣は、彼の手を離れたかに見えたが、次の瞬間、彼の右手は逆手に剣を掴み取り、再び打ち込んで来る相手の剣をそれ一本で受け止めていた。それと同時に左手は蛇の様な正確さで動いた。


 「動くなっ!双方!」

 アルディスの後方にいた騎士は剣を振りかぶろうとして怯んだ。

 「動いたら...、死ぬぜ」

 アルディスの涼し気な顔に、ルデラントは全身を強ばらせていた。彼の背中には壁があり、剣はアルディスの右手一本に封じられていた。そしてルデラントの首の急所には、アルディスの左手にしっかりと握られた短剣が押し付けられていた。ほんの少し引くだけで、間違い無く血が吹き出るだろう。


  

 己とて、アムリアナ姫の守役を務めた騎士である、剣の腕には多少の自身はあった。それがどうであろう、この無様な敗北は.....。

 (力量が、違う...)

 剣の腕は、明らかにこの帝国の皇子の方が数段上であった。ルデラントは奥歯を噛み締めた。 万事休すは否めぬとの思いが過った時、彼は一瞬で覚悟を決めた。しかしその覚悟に反して、ルデラントの首に押し付けられたアルディスの短剣が横に引かれる事は無かった。


 「双方、剣を納めてもらおうか」

 静かに言うと、アルディスはゆっくりとルデラントの剣を押さえ込んでいた自身の剣から腕の力を抜いた。そして左手の短剣と共に、二人の騎士達が己の視界に入る処まで退くと、剣と短剣をそれぞれ納めた。




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