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最後の王子  作者: 秋山らあれ
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5. 露顕





 「これは、ずっとまえになくなってしまった、ぼくのかあさまのくにのうたなんだ」

 「ユーリのかあさまのくに、なくなっちゃったの?」


 小さな女の子は、きょとんとした顔をした。国が無くなるという事がありえるなど、幼過ぎて考えも及ばなかったのだ。


 「うん、ぼくがうまれるまえになくなったんだ」

 「どうして?」

 「ぼくのちちうえがとっちゃったから。だからかあさまは、いつもないてる。きっといまも....。もしかしたら、ぼくがいなくてよけいにないてるかもしれない...」

 「かわいそう....、ユーリのかあさま....。ユーリのとうさまは、どうしてユーリのかあさまのくにをとっちゃったの?けんかしたの?」

 「うん、ずっとまえにね」


 小さなアムリと手を繋いでいた男の子は、少し寂し気な顔になった。ユーリの陰った表情に、アムリは心細くなり、にわかに泣き出した。





 「王女はどうしている?」

 午後も大分過ぎてから、エドキスがデギナン公を伴いアムリアナの部屋を訪れた。

 「今は、歌を歌っておいでです、殿下」

 セーナが膝を折り、頭を下げつつ答えた。

 「ほう、という事は...、王女の機嫌は、然程悪くは無いという事か?だとすれば都合が良いのだがな、デギナン公?」

 エドキスは色彩の薄い瞳を、傍らの人物へと向けながら問いかけた。

 「左様ですな、エドキス殿」

 聖職者である公は、白を基調とした法衣に身を包み重々しく同意した。


 セーナが居室に続く扉を開くと、微かな歌声が届く。くだんの王女は窓際から外を眺めつつ、歌を口遊くちずさんでいる。扉の近くの壁に寄りかかっていたアルディスが、新たな入室者達を一瞥した。エドキスが僅かに表情を変えた。いつもの皮肉気な笑みを消したエドキスは、アルディスへと目を向けたが、何も言わずに彼女の歌に耳を傾けた。デギナン公も仕方無しにそれに倣う。無論、不満などはおくびにも出さない。

 異国語の歌......、デギナン公は不審に思った。彼の知らぬ言語の歌であったからだ。

 (一体、何処で覚えたのやら.....)

 楽し気でありながら、物哀しさを誘う美しい旋律。アルディスは相変わらず不機嫌そうに見えたが、エドキスは遠い目をして、じっと歌に聞き入っている。

 (この皇子が、こんな歌などに興味を示すとは......)

 デギナン公には、やや意外な事と思われた。


 アムリアナの歌がやがて途切れる。

 流れる沈黙の中、アムリアナの瞳は依然として窓の外へと向けられていたが、その実、何も映してはいなかった。今は、気を少しでも緩めればすぐに溢れそうになる涙を、只々堪える事に懸命であった。


 「その歌の最後は“ゲェィュヴ(花)”だ。“エーデ シエイデ ゲェィュヴ(花を思わん)”だ、アムリアナ姫」

 アムリアナの歌声の後に浮かんでいた静寂を、何者かの声が静かに破った。アムリアナは驚き、振り返って声の主を見た。その表情には驚愕の色を張り付かせていた。驚いたのは、突然話しかけられた為などでは無かった。声の主エドキスは、振り返ったアムリアナにフッと皮肉気に微笑んで見せた。

 「尤も“ギーヴ(星)”でも、別段おかしくは無いがな」

 アムリアナは、信じ難い何かを見るような瞳でエドキスを凝視した。そして、咎める様に尋ねた。

 「何故........、貴方がこの歌をご存知なのです?」

 エドキスも又、意外な事を問われたとでも言わんばかりの顔をした。

 「私がその歌を知っていては、おかしいか?」

 「.........」

 「その歌は、その昔に滅びたシルキア王家に伝わって来た歌だ。私の父は、シルキア王家の姫を娶っていたのでな。私がその歌を知っていたとして、何の不思議もあるまい?」

 「シルキア.......」

 アムリアナは、呆然と呟いた。

 シルキアといえば、現在ではクルトニア帝国北部に位置する一州の名であるが、嘗ては一王国であった。今から二十数年前に帝国に攻め滅ぼされたのである。ちょうど現在のメインデルトの様に.....。

 

 “これは、ずっとまえになくなってしまった、ぼくのかあさまのくにのうたなんだ”


 寂し気な表情をした少年の顔が、アムリアナの脳裏を過る。

 その昔、彼女が幼かった頃、木の実色の髪をした少年は、口移しにこの歌を教えてくれた。幼いアムリアナが泣き出すと、決まって少年はこの歌をまじないの様に歌ってくれた。それ以来、彼女が少年の思い出と共に愛し続けてきたその歌を、彼女を地獄へと貶めた男はシルキア王家に伝わる歌だと言う。無意識の内にアムリアナは呟いていた。

 「私は、花よりも星の方が好きだわ......」

 エドキスは、それに答えた。

 「貴方が、星が好きだと言うのなら、星でもかまわぬさ」

 その言葉が、彼女の心を抉る。

 

 “ギーヴ(星)がすきなら、ギーヴ(星)でもいいよ........”


 少年の言葉がこだました。

 (まさか......)

 アムリアナは、怒りの中に不安の色の入り混じった瞳でエドキスを凝視し、己からゆっくりと彼の方へと近付いた。そして消え入る様な掠れ声で尋ねた。

 「貴方は....、ユーリなの?」

 エドキスの瞳が驚きに見開かれた。

 「ユーリ.....?」

 アムリアナは、氷を浴びせられたかの様にぞっとした。

 「....デギナン公、すまぬが話は又、後程にして頂けぬか?」

 エドキスのその望みに、デギナン公は不審気な顔を見せたが、あっさりと部屋を去った。


 「ユーリ....か...。懐かしい呼び名だな」

 公を遠ざけ、おまけに人払いをして侍女達まで遠ざけた後、エドキスは独り言を呟く様に、懐かし気にその名を口にした。そして彼は、俯き加減のアルディスの様子を盗む様に見た。アルディスは僅かに眉間を寄せ、いつもの様に黙りこくったままである。

 アムリアナは運命の女神シェリアスを呪いたい気持ちになった。国を侵略し、父と兄を殺害し、義母を死に追いやり、そして自分を辱めたこの男が、あのユーリだなんて酷過ぎる。あまりに酷過ぎるではないか。

 「違うと言って....」

 エドキスは、酷薄な瞳でアムリアナを一瞥するや、あざける様な笑い声を一頻りたてた。

 「私がユーリだったらどうする?姫」

 肩を震わせながら、エドキスは楽しそうに尋ねる。アムリアナの顔色はみるみる白くなっていった。

 「貴方がたの国の他に、運命シェリアスをも呪わなければならなくなるわ」

 「それは大変だ。女神を呪う者は、女神からも呪われる。その様子じゃ、ユーリの素性を知らぬらしいな、顔も覚えていないのか?」

 睨め付けてくるアムリアナの、恨みと不安の籠った瞳を真っ向から受け止めながら、エドキスは皮肉な言葉を吐き出す。そしてゆっくりと室内を歩き出した。

 「一体、何時、何処で会ったんだ?」

 辺りをゆっくりと歩き回りつつ、彼は尋ねた。エドキスの瞳はアムリアナへ向けられてはいなかった。壁際にいたアルディスが無言のまま視線を上げると、呆然と立ち尽くすアムリアナを見た。エドキスは、そんな弟の様子へと目を据えながら、口を開く。

 「姫に、ユーリの本名を教えて差し上げよう」

 アルディスが目を微かに見張り、詰る様にエドキスを睨んだ。

 「アルディス・ユーリディン......そこに立っている無愛想な私の弟の名だ」

 情け容赦もなく告げられた名に、アムリアナは目を見開き、アルディスは苦し気に顔を背けた。

 「生憎だったな、“ユーリ”がクルトニアの皇子で.....。姫のお気持ちは、お察しする。だが私がユーリでなくて幾らかましだろう?」

 そう言い残すと、エドキスは弟の肩を軽く叩き、部屋から出て行った。

 アルディスは、暫しの沈黙の後に、ゆっくりと顔を上げた。深い空色の瞳が彼を見詰めていた。彼の瞳はそれを受け止め、どれ程の間、そうして互いを見詰め合っていただろう....。

 

 小さな男の子は、別れ際、小さな女の子の頬を両手でそっと挟んで口付けをした。別れたくなかった。だが、それは叶わぬ事だと、子供ながらに痛い程理解していた。もう二度と会えないのだと思った。小さな少女が、メインデルトの王女だという事は知っていた。接触を許される状況では無かった事も知っていた。しかし、あの極度の緊張を強いられた状況の中で、“小さなアムリ”は、彼にとって唯一の救いであったのだ。


 アムリアナは、ゆっくりとアルディスに歩み寄った。そして彼の木の実色の瞳を見上げていた。あの時の少年も、確かこんな木の実色の瞳をしていた事に思い至り、アムリアナは更に驚愕する。

 「ユーリ......」

 見開かれた深い空色の瞳......。その昔、初めて出会った時、大きな木のうろの中から這い出て来たアルディスを見て、小さな女の子はやはりこんな風に目を丸く見開いていた。

 アルディスは手を伸ばし、アムリアナの金色の柔らかなくせ毛をくしゃっと撫でた。その昔、幼かった彼女によくそうしてやった様に.....。

 「運命の女神シェリアスを呪わなければならなくなったな」

 「ユーリ.....」

 アムリアナの瞳は、見る見る潤み、涙が吹き出る様に零れ落ちた。

 「忘れていたら良かった物を.....、あんな歌....」

 アルディスは、瞳に浮かんだ哀しみの色を隠そうとでもするかの様に、瞳を閉じた。アムリアナの口元には、ほんの小さな微笑が浮かぶ。

 「泣かない為の大事なお呪いだもの.....。貴方がそう教えてくれたのよ...、ユーリ....」

 「子供ガキ戯言たわごとを、今までずっと信じて来たのか?」

 「貴方には戯言だったとしても、私にとってはそうで無かった。今まで、幾度も幾度もこの歌に救われて来たのよ」

 国が落ち、惨い辱めを受けた時でさえ泣かなかった彼女が、はらはらと涙を零していた。

 「酷い話ね....。こんな形で再会しなければならないなんて......。貴方の事、ずっと覚えていたのよ、ユーリ....、忘れた事なんて無かった........。貴方がクルトニアの皇子だったなんて、ちっとも知らなかったわ.....、ちっとも.........」

 アムリアナの声は最後、か細く震えた。彼女は両肘を抱え、アルディスに背を向けた。細い肩は、時折小刻みに震えていた。

 「あの小さくて泣き虫だったアムリが、こんなに強い女になっているとは思いもしなかった。良く泣いては、俺を困らせたのに.......」

 昔の情景を思い起こしていたアルディスの顔には微かな笑みが浮かんだが、しかしそれもすぐに哀し気な表情が取って代わった。


 「俺もだ......、俺も忘れた事は無かったよ、アムリ........」


 消え入るが如きの、囁き声であった。





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