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最後の王子  作者: 秋山らあれ
3/13

3. 絶望






 アルディスは、雪の散らつく庭へと出た。毛皮の裏打された厚手のマントを着ているにも拘らず、冷える。

 (冬が早いな....)

 七つ目の夏を迎える以前から諸国を訪れて来た彼ではあったが、メインデルトの様な極北の地を訪れるのは、実に初めての事であった。彼の父であるクルトニア帝国皇帝スルターク五世がこのメインデルトを欲しがったのは、確かにこの国の抱える鉱山が理由の一つではあったが、それ以前に位置的な理由からであった。戦の頻繁に勃発したこの時代の事、軍事国家クルトニアは正に軍事的理由から、このメインデルトを侵略したのである。 

 それにしても今回のこのメインデルト攻略が、これ程簡単になされるとはアルディスも正直思ってはいなかった。今頃は、すでに国中の有力者達の住居も、クルトニア軍が占拠している頃であろう。


 アルディスの姿に気付いた兵卒等が姿勢を正した。地面に座らせられていたメインデルト人達には、アルディスの姿を盗み見る者、目を逸らし俯く者、あからさまに敵意のある目を向ける者と、様々である。

 女の腕の中で寒さに震え、泣きべそをかいている幼い子供達がいた。捕虜達の中には、この寒空の中をマントも着けていない様な者達が何人もいた。庭には火が焚かれてはいたが、彼らにとってはあって無い様な物であろう。アルディスは己のマントを脱ぐと、無言のままその小さな二人の子供達に着せかけた。母親らしき女は、身を堅くし、二人の子供達は怯えた瞳でアルディスを見上げた。気付くと、隊長格らしき兵が直立不動で彼の傍に立っていた。

 「捕虜を城内に移せ」

アルディスは、踵を巡らしつつ隊長に命じた。

 「はっ。ですが城内のどちらに? 殿下」

 「何処だっていい、火の焚ける処ならな」

 「はっ」

 隊長は敬礼すると素早くその場を離れ、他の兵等に指示を与え始めた。アルディスは、それを背中で聞きつつ城内へと戻った。

 その様子を遠目に眺める者がいた。エドキスである。城内のガラス窓から覗いたその顔には、嘲笑が浮かんで消えた。





 アルディスは、とある小さな広間へと足を踏み入れていた。階下の喧噪とは裏腹に、そこはひっそりと静まり返っている。晴れた日には、その大きなガラス窓から太陽セラの光が燦々と差し込んで来るのであろうが、今は薄暗く寒かった。

 その薄暗い部屋の壁には、絵画が数点飾られている。アルディスは歩を進めると、その内の一枚の絵を見上げた。金髪の少年が、同じ色の髪をした幼い少女の手を取っていた。ふわふわとした髪に小さな愛らしい造りのティアラを載せた大きな瞳の少女は、あどけなく小首を傾げて笑っている。その絵と向かい合う様にして、反対側の壁にも絵が掛かっていた。金髪の男女の姿が描かれたその絵は、金髪の子供達の絵と正に対を成している。

 その絵の中で、金色の波打つ髪を垂らした彼女は、肘掛け椅子の片側に優雅に白い手を置いて微笑んでいる。その傍らには、やはり同じ金髪の今は亡き彼女の兄が微笑みながら立っていた。それらを描いた画家の腕は大したものである。王女の肌の色も、その髪の様子も、そしてその蒼い瞳も、ふっくらしていながら決して厚くは無い唇も、彼女そのもの、実に良く描かれている。

 重い扉の開く音が静寂を破った。アルディスははっとしてそちらを振り返る。

 「アムリアナはどうした? しっかり見張れと言った筈だが」

 アルディスは兄の顔を一瞥すると、すぐに少年と少女の絵に視線を戻した。

 「 “死ぬ事はいつでも出来る” そうだ」

 エドキスが片方の眉を上げた。 

 「安心しろよ。彼女は死なない」 

 「そうか」

 それ以上咎めもせずに、エドキスは弟が熱心に見詰めている絵画に視線を移した。

 「こんなガキ共の絵の何処がいいんだ? 私はあちらの方が好きだがな」

 エドキスは反対側の絵を仰いだ。

 「あの絵を見た限りでは、あの雌猫もいっぱしの貴婦人だな」

 そう言ってエドキスは皮肉気に笑ったが、俄に黙り、アルディスの肩に手を置きその耳元で囁く。

 「あの娘、生娘だったぞ。やりたきゃお前もやれ、大目に見てやる」

 その言葉に、アルディスの右手の拳がエドキスの顔面目がけて飛んだ。エドキスは楽しそうに笑いながら自らの腕でそれを遮った。

 「虐げられた女を見るのは辛いか、アルディス? 母親を思い出すから? お前は甘いな」

 エドキスはアルディスから離れると窓辺へと歩み寄った。憎悪を剥き出しにしたアルディスの瞳が、その背を追った。

 「お前の母親は、泣くしか能の無い愚かな女だった。弱過ぎて何も出来ない女だった。心の内で父上を恨み、憎む事以外はな」

 「止せ、その話は」

 アルディスは、血の滲む程に強く拳を握りしめた。

 「何時だって世界中の不幸を背負い込んだ様な顔をしていた」

 「止せよ」

 「私は、父上がお前の母をものにした様に、好き好んで征服した国の王女を娶るわけじゃない。だが、これも政の一部なら仕方が無い。せめて将来、お前の妻となる者が、お前の母やアムリアナの様な立場の女でない事を祈るだけだ」

 エドキスが振り返ってアルディスを見た。いつものあざける様な、皮肉っぽさの混じる笑みは消えていた。

 「私はお前の母親が好きだった。実の母などよりも数倍もな.....」

 アルディスは腹立たし気にエドキスの真顔から目を逸らすと、足早にその場を去った。





 セーナは同情を込めて、クルトニアの捕虜となったこの王女の世話をした。白い肌のあちこちに痣が出来ており、顔はというと、口元が切れ頬は赤く腫れ上がっている。彼女のチュニックが引き千切られた様子から、セーナは何が起こったかを素早く悟った。皇子エドキスの酷薄さは承知していたが、それにしてもこの酷い仕打ちは........と、彼女は内心思う。それともこの王女は、皇子の気分を害する様な事でもしたのであろうか........。

 アムリアナは、無表情のまま歌を歌っていた。湯を使っている間も、その後も、同じ歌を歌い続けていた。

 (まさか、気が触れたのでは.......、あんな目にあったら、気が触れたっておかしく無いわ......)

 セーナは、アムリアナを窓の近くの長椅子に座らせると、髪を梳いてやった。

 「綺麗な御髪おぐしですこと。結って差し上げましょうか?」

 セーナはアムリアナに気を使って、努めて優しく話しかけたが、アムリアナは首を横に振るだけであった。

 「そうですわね、姫様の御髪は、結ってまとめてしまうには惜しいですわね。やはりこのままに.....」

 「セーナと言ったわね?」

 アムリアナが唐突に口を開いた。その低い声にセーナはびくっとしたが、すぐにほっと胸を撫で下ろす。王女の気は確かな様だ。

 「はい、姫様」

 「私は、やはりこの部屋からは出られないの?」

 「はい、エドキス様のお許しが無い限りは......。部屋の外には衛兵達が控えております。」

 「そう......。ならば、せめて義母ははの様子を教えておくれ」

 アムリアナに見詰められ、セーナは戸惑った。出来る事なら教えてやりたかった。

 「お許し下さい。私は何も存じません」

 頭を垂れるセーナに、アムリアナも肩を落とし俯いた。

 「アルディス様がお出でになられましたら、お尋ねなさいまし。きっと教えて下さいましょう」

 「あの者等の顔など見たく無い、虫酸が走る」

 「アムリアナ様」

 憎々し気なアムリアナの言葉を、セーナは慌てて遮った。

 「口をお慎みなされませ。そのような事を仰っても、姫様には害になるだけでございます」

 セーナは声を落として、怒りと口惜しさに顔を歪めているアムリアナを諌めた。今のアムリアナには、どうする術も無いのだ。父と兄の無惨な最後を思うと涙が溢れ出そうになる。そして己の身に起こった事、無理矢理貞操を奪われたあの屈辱と痛みは、そのまま激しい憎悪となった。

 (義母上なら、どうなさるだろう...、このまま、大人しくクルトニアの言いなりになってしまうであろうか....)

 母とはいえ、継母けいぼである。アムリアナの実母は既に亡い。継母は大人しい気質ではあったが、心の強い女である。結局子に恵まれないままに、未亡人となってしまった。だが、子は無くて良かったのであろう。万が一それが王子であったなら、いかに幼かろうと今頃はもう首を落とされていたであろうから....。





 その夜、アルディスが様子を見に訪れた時、セーナは困惑してしまっていた。アムリアナは椅子に凭れて、歌を口ずさんでいた。

 「ずっとあの様に、わけの分からない歌を歌ってお出でなのです。食事も全くなされません」

 セーナの訴えを耳にしながら、アルディスはアムリアナの姿を見詰めた。優雅な水色のドレスを身に着けた彼女は、顔の痣さえなかったなら、どんなに美しかっただろう。

 

 「アムリアナ姫の好きな様にさせてやれ」

 「殿下......」

 「葡萄酒をくれないか、セーナ」

 「はい.....、只今......」

 セーナは、心配そうな目をアムリアナに今一度向けると、葡萄酒を取りに姿を消した。

 アルディスは、じっとアムリアナの歌に耳を傾けていたが、やがて哀し気に目を細め、わざと物音をたてて、彼女に近付いた。アルディスに気付いたアムリアナの歌声は止み、敵意のこもった瞳が彼を射た。

 「食事を摂っていないと聞いたが.......。いざって時の為には食っておいた方がいいんじゃないのか?」

 「余計なお世話です。食べたくなったら、言われずとも食べるわ」

 「なら良いがな......」

 アルディスは、小さな溜息を一つ吐くと、窓辺に立って外を覗いた。暗い中に散らつき続ける雪が見て取れる。

 アムリアナは、やや躊躇ったが意を決し、外を眺めるアルディスの横顔に向かって懇願した。

 「義母に会わせて下さい。貴方にお願いします、アルディス皇子」

 アルディスは、暫くの間答えなかったが、やがて外に向けていた視線を伏し目がちにして口を開いた。

 「それは出来ない」

 「何故? 私は貴方に恥を忍んで懇願しているのよ」

 「それならば、懇願する相手をたがえている。悪いが俺には何の権限も無い」

 「ふざけないで、貴方はクルトニアの皇子でしょう?」

 「ああ、疎まれもののな」

 アムリアナは眉をしかめた。アルディスが首を巡らす。

 「だが、こればっかりは誰に懇願した処で無理な話だ。王妃は先程自害した」

 感情の読めないアルディスの声に、アムリアナは気が遠くなる思いであった。

 「どうやら王妃は毒を所持していたと見える。侍女達かしずきたちによれば、毒をあおってから息絶えるまで、あっという間だったそうだ。大して苦しんだ様子も無かったという事だ」

 アムリアナは、目の前が真っ暗になるのを感じた。誰かに肩を抱えられ座らされた。やがて右手に何かが触れた。気付けば杯を持たされていた。

 アムリアナは、震えながらその杯を両手で握りしめると、一気に飲み干した。空っぽの体内に、熱い液体が流れ込んだ。

 「これが、毒だったらいい.....。もしこのまま私が死んだら、クルトニアを呪ってやる。もし死ななかったら、生きながら呪ってやる......」

 誰へとも無く呟くアムリアナの蒼い瞳から、涙が一筋零れた。

  

 失意のアムリアナが眠りに就くまで、アルディスは無言のまま、その傍らに付き添った。





 アムリアナは夢をみた。幸福だった頃の夢。家族達は皆楽し気に笑い、不思議な事に、そこにはユーリもいた。ユーリはアムリアナの髪をくしゃっと撫でると、楽し気に笑いかけてきた。アムリアナは嬉しくて無邪気にユーリの首に抱きついた。

 目覚めた時、彼女は暫くの間、現実を受け入れる事が出来なかったが、セーナの姿がそれを余儀なくさせた。

 

 「朝餉の後、会議にご出席下されます様にと、エドキス様の仰せです」

 「そう.....」

 アムリアナは無気力なまま素直に着替えをすませ、素直に朝餉を摂った。切れた口元が乾いて痛んだ。否、痛むのは口元だけではなかったが.....。

 朝餉を終えたアムリアナに、セーナは化粧を施した。昨日よりも腫れは引いていたものの、彼女の顔には痛々しい程の痣が残っていた。

 「これでしたら左程目立ちませんわ」

 セーナの差し出す手鏡の中の己の顔を見た。確かに痣はそれ程酷くは目立たなくなったが、口元の傷は隠しようも無い。

 「酷い顔......」

 「もう二〜三日もすれば、元通りの綺麗なお顔に戻られますわ、姫様。さあ、会議の方へおいで下されませ」

 アムリアナは立ち上がると、迎えのクルトニア兵達に囲まれて会議の場へと出向いた。

 たった数日の内に城内はアムリアナにとって、まるで知らない場所と化してしまったかのようだった。処彼処ところかしこに立っているのは、鉄の甲冑を着けたクルトニア兵であり、メインデルトの人間は一人として見当たらない。城内からは又、女の華やかさも消え失せており、ただ剣呑な空気だけが流れていた。

 アムリアナが会議の場に足を踏み込むと、室内にいた十余人の男達は一斉に立ち上がった。 

 「お待ちしていた、アムリアナ姫」

 エドキス....、今この場で刺し殺してやれたらと、アムリアナは憎悪の瞳を向けながら思う。恥辱はどうしようもなく甦って来る。あの痛みはまだ消えてはいないのだ。

 アムリアナは室内を見渡した。クルトニアの見知らぬ顔に混じって座に着いている、見知った顔を総て認めた。叔父デギナン公とその側に付いた裏切り者達。アムリアナはその内から、雪の降る空の様な色をした髪の青年を瞳に捕えた。彼女の護衛役であった騎士である。彼は胸に手を置いて彼女に黙礼した。

 (貴方まで裏切ったの? 嘘よね?)

 アムリアナは情けなくなった。己付きの騎士までもがデギナンの手の者であったのだろうか....と。


 「聞いておられるか? 姫」

 エドキスの冷たい瞳がアムリアナを見詰めていた。 

 「聞いています」

 エドキスは、手短にクルトニアの側近達をアムリアナに紹介している最中であった。どうやら彼は、社交辞令やらを長々と話す事は好きでは無いらしい。クルトニアの屈強の騎士達は皆、アムリアナに対し丁重に頭を垂れた。

 エドキスはいきなり本題に入った。今の処、処刑が定まっているメインデルトの貴人等に関する事から、クルトニアがアムリアナ自身に要求する事柄。つまり、国王王妃並びに王太子の死去、そしてクルトニアとの婚姻、クルトニアとの同盟条約の調印、それらの声明を唯一のメインデルト王位継承者であるアムリアナの名において発する事。

 「私がそれを拒んだら?」

 アムリアナは、エドキスに鋭い視線を向けた。皆が静かに腰を下ろしている中、エドキスは冷たい笑みを見せながら、ゆっくりをアムリアナの背後を歩いていた。否、正確には、立ち上がっていたのは、エドキスともう一人。窓辺に寄りかかっていたアルディスの二人であったが....。

 

 「貴方が拒むなら致し方ないが....、だが考えてみたら如何か? 貴女の民への影響力というものを。貴女が屈しないが為に民達が反乱でも起こせば、我々も、一般市民だからと甘い顔もしていられなくなる。我が国の軍事力をご存じない貴女ではあるまい? 貴女の態度次第で死体が増えも減りもするという事だ」

 アムリアナは、デギナン公とその手の者達に視線を泳がせ、そして答えた。 

 「分かりました」

 その彼女の姿を、アルディスはじっと見詰めていた。

 「よろしい。衛兵! 姫が戻られる。部屋までお送りしろ」

 アムリアナは立ち上がった。窓辺のアルディスの視線に気付く。アムリアナはアルディスを見据えて口を開いた。

 「アルディス皇子に送って頂きたい」

 アムリアナはそう言うとエドキスを見た。エドキスは鼻で笑うと、アルディスに顎をしゃくってみせた。

 「送ってやれ、アルディス。姫はお前がお気に召したと見える」

 アルディスは、案の定無愛想な表情でアムリアナの手を取ると、共に部屋を出て行った。参謀であり、又、二人の皇子達の後見人でもあったブラコフ候は、仮にもクルトニアの皇子であるアルディスを、一介の騎士の様に扱ったアムリアナに良い思いは抱かなかった。




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