2. 侵略
_______________メインデルト、初冬
真夜中の事だった。アムリアナは、突如目を醒した。酷い胸騒ぎを覚えた。
(何だろう?表の様子がおかしい....)
彼女は、寝台から出ると窓辺へと駆け寄った。そしてそこで、息を飲んで瞳を見開いた。
アムリアナの部屋から見渡せる庭園内からは、無数の赤い光が見て取れた。彼女は即座に夜着を脱ぎ捨てると、普段身に着けている衣服を素早くその身に着けた。男が身に着ける様な、膝丈のチュニック姿であった。
「姫様!クルトニア軍の奇襲です!お逃げを!」
侍女が、数人の護衛兵達を従えて部屋に飛び込んで来た。アムリアナは、剣を掴むと駆け出した。
「父上と兄上の元へ」
「いけません、姫様!敵はもうこの城内に侵入しております!隠し扉からお逃げをっ!」
アムリアナは、侍女の必死な懇願には耳も貸さずに走り出していた。
途中、クルトニア兵と鉢合わせした時、侍女と味方の兵達とは離ればなれになった。父王の私室の辺りには、すでに幾人もの味方の兵達が、生々しい血を流して倒れていた。アムリアナは、一目散に父の部屋へと飛び込むと、その場に凍り付いた。幾つもの死体が転がっていた。父王の側近達や、名の知れた騎士達の姿が、兵達に混じって倒れ臥していた。そして、敵兵等の持つ松明に囲まれて、司令官らしき男が、今正に、床に倒れ臥している男の首から剣を引き抜いた。メインデルト王_____アムリアナの父であった。
そのすぐ傍らには、世継ぎであった彼女の兄の姿があった。但し、首を境に、頭と胴とが真っ二つに分かたれてはいたが.........。 父と兄の物であろう、床を満たすその血の色のあまりの毒々しさに、アムリアナは体の内からわき上がる震えの激しくなってくるのを、どうにも止める事が出来なくなった。
父と兄の遺骸と、その流れ出た夥しい血の色に気を取られたアムリアナは、父王を囲む敵から多少離れた処に立っていた初老の男には気付かなかった。更に離れた処で、壁に寄りかかり腕を組んでいた男にも、無論気付くゆとりなど無かった。だが壁に寄りかかっていた男の方では、逸早く扉口で蒼白になっているアムリアナに目を止めていた。若い男である。若いが、明らかに一兵卒では無い。その事は、彼が鎖帷子の上から着けていた血に薄汚れたチュニックの豪華な金糸混じりの刺繍を見れば分かる。司令官らしき男にも見劣りしない姿をしている。
男はアムリアナの訪れを、味方に知らせるでも無く、冷めた瞳で室内の様子とアムリアナの様子を伺っていた。その一瞬の後、敵が一斉にアムリアナに気付き振り返った。
「おのれ....,よくも....」
アムリアナは、前後の見境も無く、既に血に濡れていた剣を手に、父王の首から剣を引き抜いた司令官目掛けて襲いかかろうとした。だが、数人の兵達が素早く彼女の前に躍り出、それを阻んだ。
「王女アムリアナです」
初老の聖職者らしき男が司令官の傍へ寄り、そう耳打ちした。司令官は酷薄な顔を、にやりと歪めた。壁の男は、無表情のままにアムリアナを見ていた。
アムリアナは狂った様に剣を敵兵へとぶつけた。彼女の剣が一人の首を横様に薙ぎ、その頭からすっぽり着込んだ鎖帷子が鈍い音を立てた。その兵がもんどりうって倒れる前に、アムリアナの剣は他の兵の顔面を斬りつけていた。
「アルディス」
司令官が壁の男に声をかけた。彼は無言のまま、のろのろと壁から離れると、アムリアナの方へ歩み寄って行った。アムリアナは、肩で息をしながら、目の前の男の剣を抜く様を睨みつけていた。
男は剣を抜きはしたが、アムリアナに攻めかかろうとはしなかった。他の兵も同様、剣を手にしたアムリアナを取り囲んでいるのみである。アムリアナは気魂と共に男に襲いかかった。男は巧みな剣技で彼女の剣をかわし、そして軽々とその剣を彼女の両手から払い落とした。あっという間の事であった。それと同時に敵兵が一斉にアムリアナに駆け寄り、暴れもがく彼女を押さえつけた。
「放せっ!放せっ!!」
アムリアナは、自分を捕えようとする数々の手を振り払おうと暴れ、喚き散らした。その声を背に、男は剣を納め、その後ろから、司令官ともう一人、初老の男が歩み寄って来た。アムリアナは、自身の目を疑う。その初老の男。だがすぐに総てが読んで取れた。クルトニア軍が、これ程容易くこのメインデルト城内に侵入して来れた事、父と兄がこれ程早くに討たれた事。
司令官が、アムリアナの細い顎を片手で掴んだ。
「お初にお目見えする、アムリアナ殿下。私はクルトニアのエドキス、貴女の夫となる者だ。見知りおき願いたい」
その顔に儀礼的な冷たい笑みを浮かべて、クルトニア帝国の第四皇子は自らを名乗った。
両腕を敵兵に捕られ、顎を敵の皇子に掴まれたまま、尚彼女の目は初老の男を追い、そしてエドキスの暖かみの無い、色素の薄い瞳を睨め付けた。
「私の夫だと....?ふざけるな....」
アムリアナの声は低かった。エドキスは手を離すと、声を上げて笑った。そして傍らの男を振り返った。
「威勢の良い姫だな、デギナン公。気に入った」
アムリアナは声を震わせた。
「叔父上ともあろう方が...、恥知らずな事を」
「私は、メインデルトにとって最悪の事態を避けただけだ」
「王弟たる貴方の裏切りにより、父と兄は討たれ、城は落ちた。これが最悪の事態でなくて、一体何だと言うのです!」
デギナン公は、アムリアナの激した言葉に、顔色一つ変えなかった。
「分からぬか?そなたの父が早くにクルトニアと同盟を結んでおれば、こんな事にはならなかったのだぞ」
「同盟だと?」
アムリアナは、エドキスに鋭い視線を向けた。
「婚姻による同盟か?」
アムリアナは鼻を鳴らした。
「戯けた事を、叔父上。クルトニアが求めて来たのは、婚姻による服従ではないか!同盟などでは無かった」
「メインデルト王家の血が絶えるよりは、良かった筈だ」
デギナン公の声は、周囲を憚るかの様に、低く掠れた。アムリアナはそれ以上何も言う事が出来ずに、憎しみに悲しみの入り混じった表情で叔父の顔を見詰めた。
「お前にも、その内分かる日が来る、私が正しかったと言う事がな。これからは、せいぜいしとやかにしていて貰いたいものだ。エドキス殿の妃として恥じぬ様にな」
アムリアナはデギナン公につばを吐きかけた。だが公は何も言わず、それを拭った。
エドキスは、酷薄な笑みを浮かべながら彼らの様を見ていた。先程アムリアナの剣を叩き落とした男は、相変わらず室内で起こっている事には無関心の態で、一人ぽつりと窓から外を眺めている。
「アルディス」
エドキスが指で差し招くと、窓辺の男は再び、返事もせずに無言のままエドキスの元へ来た。
「これはクルトニアの第五皇子アルディス。本日から姫の後見人となる。この通り愛想は無いが、剣の腕は確かだ。すでにこれと剣を合わせられた姫はお分かりだろうがな。それと、姫のお義母上はご無事だ、今の処はな」
アムリアナの唇に血が滲んだ。きつく噛み続けた為だ。
エドキスはアルディスに向き、人差し指で弟の胸を軽く突ついた。
「任せる。いつかの様に死なせるなよ」
そう言い残すと、エドキスは数人の兵達とデギナン公と共に部屋を立ち去った。
アルディスは無言のままアムリアナに近付いた。そして彼女の憎しみに満ちた瞳を一瞥すると、徐に彼女の胃の腑の辺りを拳で一撃した。アムリアナは気を失い、アルディスの腕に頽れた。
「えーん、えーん、えーん、
おうちにかえりたい、かえりたい.......」
小さな金色の、くせのある髪をした女の子は、泣きじゃくっている。
「ユーリ、あたしおうちにかえる」
「なかないで、アムリ、ぼくがかあさまのうたをうたってあげるから」
そう言うと、小さな男の子は、小さな女の子の頭を撫でてやりながら、異国の歌を歌い始めた。
......えーん、えーん、えーん.........
女の子の泣き声と、男の子の異国語の歌声は、不思議な調和音となって響いた。
「ユーリ、
ユーリ......、
ユーリ....、ユーリ......、ユーリ........」
突然、歌声は止んだ。
火の爆ぜる音がした。炉の火が彼女の金髪に照り返っている。
(綺麗だな....)
彼は、そう思った。実際彼女は美しかった。
暫くの間、彼は彼女の寝顔を眺めていたが、やがて窓の外へと視線を移した。
アムリアナは目覚めた時、そこが自室の寝台の中では無い事に気付き不審に思ったが、胃の腑の辺りの痛みが直ちに現実を思い起こさせてくれた。然程広くは無い部屋の窓辺に、団栗色の髪をした青年が寄りかかる様に座って外を眺めていた。他には誰もいない。アムリアナの内部に激しい憎しみがわき起こった。彼女は、そっと身動きをしてチュニックの中に手を入れて探った。目当ての物は見付からない。やはり.....と、内心落胆した時、青年がゆっくりと振り返ってアムリアナを見た。アムリアナが、エドキス皇子かと思ったその人物は、弟のアルディス皇子であった。
「探し物はこれか?」
彼は懐から、黒の細身の華奢な短剣を出して見せた。アムリアナは、唇を噛んだ。
アルディスは腰を上げると、アムリアナの傍へ来て、警戒する彼女にその短剣を差し出した。アムリアナは更に警戒し、相手の瞳を睨みつけながら、それを掴んだ。
「私にこんな物を持たせてもいいの?」
「自害するのに必要だろう?」
「他の事に使えるわ」
「女一人に何が出来る?この国は陥ちたんだ、潔く死ぬのがお前の身の為だ。自害するなら、人のいない今の内だぜ。俺は止めやしない」
淡々とそう語るアルディスを、アムリアナは睨め続けていたが、やがて低い声で呟いた。
「私は死んだりしない」
青年はその言葉を聞くと、背を向けて部屋から出て行った。
アムリアナは寝台から抜け出ると、窓辺へ駆け寄り、外を覗いてみた。夜はすっかり明けている。だが太陽は出ておらず、粉雪がちらちらと舞っている。この冬最初の雪であった。その中を、無数のクルトニア兵達が、メインデルト兵達を引っ立てている。皆、縄で繋がれていた。
(どうしたらいいの?一体どうしたら?)
ノックの音がしたかと思うと、女が一人入って来た。アムリアナは素早く短剣を窓の垂れ幕の影に隠した。
「アムリアナ様のお身の回りのお世話を言いつかりました、セーナと申します。何なりとお言い付け下さいまし」
頭を深々と下げたセーナは、その後アムリアナの為に洗顔の仕度をし、着替えを持って来た。
「エドキス殿下よりの贈り物にございます。どうぞお召しを」
セーナの翳す素晴らしい衣装を見ながら、アムリアナは拳を握りしめた。
「着替えはいらない、このままで良い」
「いいえ、そのような殿方の様な態はお止し下さいまし。エドキス殿下の御命令です」
アムリアナは、セーナの言葉を無視し顔を洗うと、再び窓から外を見た。セーナが何か言っていたが、全く聞こうとはしなかった。
庭に繋がれた兵達に混じって、女達や子供達もいる。恐らく下働きの者達であろう。空はどんよりとしており、粉雪の降る中を、彼らは皆地面に座らせられた。
(何とかしなくては....。義母上はどうしておられるだろう.....)
アムリアナはセーナの目を盗み、そっと隠しておいた短剣を懐にしまい込んだ。その時、部屋に人の入って来る気配がした。セーナは小声で何やら言葉を交わすと、そのまま去った。
「まだそんな態をしているのか?姫。贈り物は気に入らなかったと見えるな」
アムリアナは振り返った。エドキスとアルディスであった。
「城の者達と、我が国の民を、どうなさるおつもりかお聞かせ願いたい、エドキス皇子」
エドキスは、アムリアナにゆっくりと近付いた。アルディスは壁に寄りかかり、腕を組んでいる。
「歯向かう者は、皆処分する。が、それ以外の者達は.........,さて、どうしたものかな?」
エドキスは笑った。
「少なくとも、一般市民に危害を加えるつもりは、こちらには毛頭無い。貴族等に関しては、おいおい考えるさ」
エドキスはアムリアナの顎を掴んだ。アムリアナは怒りを剥き出しにして、その手を邪見に振り払った。するとエドキスはそのアムリアナの手を掴み、もう片方の手で彼女の髪を乱暴に鷲掴みむと、無理矢理唇を重ねた。アムリアナは激しく抵抗した。
「そんなに暴れるな、私は貴女の未来の夫だぞ」
アムリアナは怒りに身を震わせ、エドキスの頬を思いっきり殴った。エドキスは、皮肉な笑みを楽しそうな笑いに変え、彼女に殴り返した。アムリアナは勢い余って床に叩き付けられる様に倒れた。エドキスは、そこでアルディスを振り返った。
「出て行く事は許さんぞ、アルディス。立ち会え」
扉に手を掛けていたアルディスは、明らかに敵意のある瞳をエドキスに向けたが、すぐに顔を背け、扉から離れ部屋の隅へと歩いて行ってしまった。
エドキスは、床に踞っているアムリアナを無理矢理、引きずる様にして寝台へと連れて行き、そこへ彼女を乱暴に押し倒すと、馬乗りになって彼女の衣服を引き裂いた。アムリアナは暴れ叫び、懐の短剣を掴むと、それを引き抜いてエドキス目がけて腕を振り上げた。だがいともたやすく、その腕は封じられた。エドキスは短剣を取り上げると床へ放り投げ、すでに唇に血を滲ませていたアムリアナの頬を数度張った。
「雌猫め!顔に似合わず気の荒い娘だ。だが私はお前の様な女は嫌いじゃないぞ、何をしても良い様な気にさせてくれるからな」
両腕を封じられ、体を弄られ、下肢までをも乱暴に開けられたアムリアナは、最後に鋭い悲鳴を上げると、それっきり叫ぶ事も、抗う事ももはやしなくなった。エドキスは事を成し遂げると、すぐに立ち上がり、先程床へ放った細身の短剣を拾い上げ、鞘に納めた。そして、部屋の隅の壁に寄りかかり立っていたアルディスへと歩み寄ると、彼の目の前にそれを翳した。
「武器は総て取り上げろと言った筈だ」
アルディスはエドキスを睨みつけ、短剣を引っ手繰る様に掴んだ。
「優しいアルディス皇子よ、あの娘は殺すなよ。もし殺したら.......、弟といえども承知しないぞ」
エドキスの色の薄い瞳と、アルディスの濃い色の瞳がぶつかり合った。
「お前を兄だなんて思って無い」
「ああ、ついでに父上を父と思った事だって無いんだろう?だが血の繋がりを否定する事なんて出来ないんだぜ、可愛いアルディス坊や」
エドキスはアルディスの頬を軽く叩くと、笑いながら出て行った。アルディスの目には憎しみが顔を覗かせていた。
彼はやがて寝台の傍へ近寄ると、ぼろぼろのアムリアナに、そっと掛布をかけてやった。服は破れ、露になった肌のあちこちには痣が付き、顔は殴られた為に腫れて血がこびり付いていた。彼女は、目を見開き宙を見詰めたまま動かない。
「だから死ねと言ったんだ。そんな目にあう前に.......」
アルディスは低く言った。
「死ぬ事なんて何時だって出来る。私は死んだりしない、父と兄の仇を討って、国を取り戻すまでは........」
アムリアナは掠れる声で言った。彼女は震えてはいたが、泣いてはいなかった。
「湯の仕度をさせよう」
アルディスは、そう言い残すと静かにその場を離れた。