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最後の王子  作者: 秋山らあれ
12/13

12.血涙





 「あなた、だあれ?」

 「ぼくはユーリ」

 

 羽根の様に軽そうな衣服を身に着けた、小さな女の子の見開かれた蒼い瞳を見て、小さな男の子は微笑むと木のうろから這い出した。


 「あなたは、きのなかにすんでるの?あなたは、ようせいなの?」


 余程驚いたのか、昂奮した面持ちで尋ねて来る小さな女の子の言葉に、小さな男の子は声を立てて楽しそうに笑った。


 「まさか、ぼくはにんげんだよ。ここはぼくのかくれがなんだ」

 「ふうーん」


 女の子は不思議そうな顔をした。


 「きみは、だれ?」

 「あたしは、アムリアナよ。にいさまはあたしのことを、アムリってよぶの」

 「アムリ?ふうーん、かわったなまえだね。きみにはにいさまがいるの?アムリ」

 

 小さなアムリは、にっこり笑って頷いた。


 「あなたは?」

 「ぼく、あにうえなら4にんいるよ」

 「そんなに?」

 「でも、すぐうえのあにうえいがいは、よくしらないんだ」

 「どうして?」

 「あんまりあったことがないから」 


 アムリは目を丸くした。兄弟なのにあまり会った事が無いなんて...、アムリには一人しか兄はいなかったが、メインデルトでは毎日顔を会わせていた。


 「ねえ、きみはここの子なの?アムリ?」

 「ちがうわ、あたしこれからおうちにかえるところなの」

 「うちって、どこ?」

 「メインデルトよ」

 「えっ?」


 ユーリは少女の幼い顔をまじまじと見た。


 「ここからメインデルトはとおいよ、アムリ」

 「でもかえるの。みんな、あたしをおうちにかえしてくれないから、ひとりでかえるの」

 

 小さなアムリは、泣き出しそうな顔になった。少年は、夏の木漏れ日を浴びてきらきらと輝く少女の髪を、くしゃりと不器用に撫でた。

 

 「きょうはよしなよ。ぼくといっしょにあそぼうよ。ぼく、ほかにもかくれがをもってるんだ。アムリになら、おしえてあげてもいいな」

 「ほんとう?」


 瞳を輝かせる少女に、ユーリは笑顔で頷いた。





 「何ですって.....?」

 アムリアナはオランド卿を睨みつけた。

 「一国の皇子を地下牢に監禁したですって?最低限の礼儀として、城内の一室にすべきではないの?」

 「恐れながら、あの皇子は大罪人であり、かなりの手練者ですぞ。念には念を入れるに越した事はありません。地下牢に捕らえておくのが一番間違いありますまい。そもそも人質としての価値も、どれ程のものか分かりません故」

 「どういう事.....?」

 「あの第五皇子は、外腹の皇子です。正室腹のエドキスや、もしくは他の側室腹ならまだしも、あの皇子の母はその昔滅びたシルキア王家の者で、何の後ろ盾も持たなかった者。その皇子の命と引き換えに、クルトニアがどれ程こちらの条件を呑むか....、怪しいものです。それならば大罪人として処刑してやった方がまだましだというものですぞ」

  アムリアナは会議の卓上の臣下達の真剣な面持ちを見回したが、オランド卿のその言葉に、それ以上口を開く事もせずに席を立った。部屋を出ると、アムリアナは苛立まぎれに足早に歩いた。その後を彼女の守役であるルデラントが追って来た。

 「どちらへ?姫」

 「地下牢へ」

 アムリアナの答えに、ルデラントは一瞬咎めるべきか迷ったが、彼女の気持ちを考えると結局止める事は出来なかった。

 「私もお供致しましょう、姫」

 ルデラントは、義務的な口調で申し出た。 城内の至る所に、血の痕や争いの痕が生々しく残されていたが、遺体はすでに運び出された後であった。負傷者は総て大広間に収容させて手当を受けさせていた。


 クルトニアは、司令官であったエドキスの死後降参した。アルディスはそれを表明し、参謀ブラコフ候と共に無抵抗で囚われの身となった。アルディスの唯一の要求は、クルトニア兵達の身の保障のみであった。

 城内の誰もが勝利に酔いしれている。喜んでいない者などいなかったであろう。だがアムリアナの表情は、ずっと翳っていた。





 アルディスが激しい痛みの為にぼんやりと意識を取り戻した時、彼の周辺には複数の人間がいた。誰かが激しく痛む部分に触れている気配がする。どうやら傷の手当をしているらしい事に考え至る。誰かが傷口に何かの液体を振りかけた。余りの痛みにアルディスは呻いた。

 

 それからどれ程の時が経ったのか.....、次に彼が意識を取り戻した時、薄暗い室内には人の気配は無かった。黴臭さが鼻を突き、空気は酷く冷たかった。両手の自由が利かず、脇腹がじんじんと酷く熱かった。アルディスの意識は、再び浅瀬を彷徨った。


 幼い子供達が二人、笑いさざめきながら木々の間を走り抜けて行った。少年が少女の手を引きながら、駆けて行く。アルディスはその子供達の後ろ姿を見詰めながらぼんやりと立っていた。すると背後で、くすくすっという小鳥の囀りのような笑い声が起こった。振り返ってみると、そこには豪華な衣服に身を包んだ細面の蒼白い顔の女が、やはり豪華な布ばりの椅子に病的な程に細い体を預け、空を見上げて嬉しそうに笑っていた。アルディスは引き寄せられる様に彼女の傍らに立つと、その華奢な肩にそっと手をのせた。

 「母上?」

 声をかけてみると、アルディスよりも歳若く見える母親は、笑うのを止めて彼を見上げた。

 『ユーリ、わたくしのユーリ』

 彼女は、アルディスの両手を取って握りしめた。その尋常では無い程に細い腕の、どこにそんな力が潜んでいたのかと思う程に強く握りしめられた。

 『そなたはシルキア王家最後の王子、そなたが死ねば、シルキア王家の血も絶える』

 母の瞳の中に狂気を見出し、アルディスは哀しみに目を伏せた。

 『呪うが良い、クルトニアを。シルキアを滅ぼしたクルトニアを、あの男を、皆、皆、呪い殺してやるが良い』

 彼女は再び笑い出した。

 『クルトニアなど滅びるが良い!帝家の人間など、死に絶えるが良いっ!』

 常軌を逸した甲高い笑い声が響き渡った。

 「俺にも、帝家の血が流れているんだ...、母上....」

 ぽつりと呟かれたアルディスの言葉は、狂った母の耳には届かなかった。

 突然景色が変わり、アルディスははっとして振り返った。目の真ん前にエドキスの背があり、彼の肩越しから敵の振りかざす刃の煌めきがアルディスの瞳を強く射た。エドキスの体を斬り裂く音が生々しく耳に響いた。


 『私は姫との誓いを果たしたよな?


           私は姫との誓いを果たしたよな?


                   私は姫との誓いを果たしたよな?』


  エドキスの声が木霊した。開かれたままの薄い色の瞳は、アルディスを見詰めていた。エドキスの手を握りしめながら、アルディスは思わず己の目を覆った。涙が零れそうであったのだ。辺りは暗くなり、意識は再びあやふやになる。どこかで子供達の楽し気な笑い声を聞いたと思った。





 アムリアナはアルディスの汗に濡れた額にそっと触れた。手巾を取り出すと、優しく拭ってゆく。アルディスは薄らと目を開くと、ぼんやりとアムリアナを見詰めた。アムリアナは暗がりの中、アルディスの顔を覗き込むようにそっとかがみ込むと、その唇に優しく口付けた。

 「アムリ...」

 アルディスは掠れ声で呟いた。これが夢なのか現なのかが分からなかった。目の前の愛しい顔に触れたくて手を伸ばそうとしたが、自由が利かなかった。毛布の中から現れた彼の両手は戒められていた。

 「何という事......」

 アムリアナが、今にも泣き出しそうな顔をした。アルディスはアムリアナがチュニックの懐から短剣を抜き、手首の戒めを解く様を人事の様にぼんやりと見ていた。

 「ユーリ....,許して...」

 哀し気に呟く愛しい顔に、手を伸ばして触れてみると、急に現実味を帯びて来た。頭がはっきりと覚醒するにつれ、脇腹の痛みも激しくなった。アルディスは身を起こそうとして、一瞬表情を顰め短い呻きを洩らした。アムリアナが息を飲み、美しい顔を歪めながらその身を支えた。アルディスのチュニックの右脇腹の辺りは斬り裂かれており、その赤黒い大きな滲みが生々しく痛々しかった。チュニックの裂け目から覗く白い包帯にも鮮血が滲んでいる。フッと小さな笑い声をたてて、アルディスは口を開いた。

 「刀傷ってのは、痛むもんだな。誰にやられたかさえも分からない。気付いたら手を負っていた」

 何でも無い事の様にさらりと言うアルディスを見詰めるアムリアナは、瞳に目一杯の涙を溜めていた。アルディスが彼女のふっくらとした唇に自らの唇を重ねると、彼女の瞳からは幾滴もの涙が零れ、アルディスの鼻先を濡らした。

 「又、泣いて俺を困らせようっていうのか?」

 囁く様な優しい声に、アムリアナの瞳は止めどなく涙を零した。アルディスは彼女を引き寄せ、そっと胸に抱き締めた。


 「取り戻したな....」

 その言葉に、アムリアナは答える事も出来ず、唯、アルディスの腕の中で肩を震わせるばかりであった。

 「これで良かったんだ....。総てが元には戻るまいが、少なくともこの国は正統な統治者の手に戻った.....」

 まるで自らに言い聞かせているかの様なアルディスの口調に、アムリアナは彼の瞳を見上げた。

 「これで良かったんだ......」

 再度呟くアルディスの瞳は、何も映し出してはいない様に見えた。

 「すぐに...、部屋を用意させるわ、一国の皇子をこんな処に閉じ込めるなんて、幾らなんでも酷すぎる...」

 「その必要は無い、アムリ」

 「いいえ、必要ですとも」

 唇を震わせるアムリアナの顔を両手ではさみこみ、涙を拭ってやりながらアルディスは微笑んだ。

 「ならば、そのかわりに俺の頼みを聞いてくれ」

 「私に出来る事なら、何でも」

 アルディスはアムリアナを再度抱き寄せ耳打ちした。

 「短剣を一振りくれないか...?」

 「短剣....?」

 「ああ...」

 アムリアナは懐から細身の短剣を取り出して目を落とした。黒地に金の繊細な細工の施された短剣、幾度かこの二人の間を行き来したアムリアナの守り刀であった。

 アルディスを見上げたアムリアナは、そこにすべてを悟り切ってしまったかの様な瞳の色を見てぞっとした。

 「何の為に.....?死ぬ....為に....?」

 問う声が掠れた。アルディスは何も答えない。

 「貴方の身は、必ずクルトニアへ無事お送りするわ、約束するわ、貴方を死なせたりしない...」

 アルディスは自嘲気味な笑いを漏らした。

 「国の事を、臣達の気持ちを考えるべきだ。皆、俺の死を望まないわけは無い。エドキスならまだしも、俺の命など人質としての価値は殆ど無いんだ。交渉にあたったとしても帝国は大した条件は呑まないだろう。この首を賭けてもいい。結局ここで処刑するはめになるさ。むしろブラコフ候の命の方がまだ使い道はある筈だ」

 「...嘘よ.....、信じないわ...」

 「信じてくれ、真実だ。たとえ皇帝の息子であろうとも、俺は死ぬ程帝国を憎み呪った女から生まれた。そんな女から生まれた子が疎まれないわけが無い。仮に条約でも結ぼうものなら、かえって危険だ。人質がある事で油断させておき、いきなり攻めて来ないとも限らない。俺の命など、帝国ではいつでも容易く切り捨てられる程の、価値の無い物だ。クルトニア帝を信用するな。過去クルトニアがどんな手段を使って周辺国を侵略して来たかを考えろ。条約や条件など、クルトニアにとっては敵を騙す手段でしかない事の方が多い。平気で掌を返すだろう。となれば、俺を生かしておいたって、メインデルトにとって利となる事なんて無いって事がわかるだろう....」

 「構わないわっ!」

 アムリアナは、アルディスに縋り付き叫んだ。そして小さな嗚咽を漏らしながら先を続けた。

 「それでも...、構わない...」

 アルディスは、アムリアナの額に唇で触れた。

 「忘れるべきじゃない、お前はメインデルトの君主だ。これからこの国を治めて行く義務を負ってる。侵略者の命など、惜しむべきじゃ無い。....だが、少しでも、俺を想ってくれるなら....、頼む、その短剣を俺にくれ、アムリ...」

 アルディスはアムリアナがきつく握りしめている短剣にそっと手を伸ばした。嗚咽を漏らしながら、首を横に振り続けるアムリアナが痛ましかった。これ程に彼女を悲しませなければならない事が、身を引き裂かれる様に辛かった。

 「頼む、ここで死ぬべき者の身を救おうだなんて考えるな...」

 アルディスは声を殺しながら泣き続けるアムリアナの髪を撫で、その濡れた瞳を覗き込み、懇願し続けた。

 「頼む、アムリ...」 と.....。


 アムリアナは頑に拒みながらも、やがて短剣を握りしめていた手の力を抜いて、計り知れない悲懐と共にそれをアルディスの手に委ねた。彼を処刑の屈辱から守る為に。彼の矜持を守る為に......。



 衛兵達を遠ざけ、自分一人だけ僅かに開いた扉の脇に立っていたルデラントは、自らの首に肌身離さず掛けているペンダントを引っ張り出した。暫し悲痛な面持ちでそれを見詰めると、それを外して強く握りしめた。

 「ルデラント卿、そこにいるんだろう?」

 扉の内からかけられた声に、ルデラントははっと面を上げた。そして意を決し、牢内に足を踏み込んだ。


 最早言葉を紡ぐ事も出来ない程に歎き悲しむアムリアナを託す為に呼んだメインデルトの若騎士は、姿を現すと、アルディスの前に礼を尽くして跪いた。そして「これを...」と言って何やら差し出した。声を押し殺して泣き続けるアムリアナを片手に抱きながら、アルディスは無言でそれを受け取った。親指程の大きさのペンダントであった。アルディスはペンダントを開いて中を確かめると、ルデラントに視線を移した。

 「せめて.....、せめて苦しまれる事の無きよう......」

 それだけ言うと、ルデラントは俯いた。

 「ルデラント卿....、忝い」

 静かで穏やかな声に、ルデラントは思わず顔を上げると、アルディスは微かな笑みを浮かべていた。

 「もう、行った方がいい...」

 その言葉に反応したアムリアナは、言葉にならない言葉を呟き、アルディスにきつく縋り付いた。

 「お前に、もう一度会えて本当に良かった。惨い形での再会だったが.....,どんな形であれ、再会しなかったら、お前を愛する事も無かった...アムリ....」

 それだけ耳元に囁くと、アルディスは嫌がるアムリアナを引き離し、その唇に最後の口付けを落とすと、彼女の手をルデラントへと託した。ルデラントは一礼すると、アムリアナの手を取り彼女を抱き抱える様にして扉へと向かった。アルディスは短剣を手にしたまま、肩を落として俯いたが、アムリアナが扉口に立った時、暗示めいた事を呟いた。

 「流血は流血を生み、略奪する者は略奪される。俺の父は、いつかそれを思い知る。そして滅びるだろう.....」

 アムリアナは、涙で霞む瞳を必死で瞬き、アルディスを狂おしく見詰め、やがてルデラントに抱えられ姿を消した。

 アルディスは、長い間身じろぎ一つしなかった。すぐに衛兵が駆け戻り、彼の姿を確かめると頑丈な扉に錠をおろした。その後も、彼はじっとしたまま動かなかった。


 

 それからどれ程の時が過ぎた後であったか.....,地下牢を見回っていた兵の一人が、ある独房の扉の下から、細い蛇が這い出して来るのを見付け、仰天して叫んだ。

 その深紅の蛇は、床の石と石の間を縫う様にして幾重にも分かれ、とどまる事無く這い出して来た。




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