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最後の王子  作者: 秋山らあれ
11/13

11.兄弟





 エドキスは、ブラコフの止める声も聞かずに北の回廊へと走り、敵に取り囲まれたアルディスを認めると剣を引き抜きながら敵のただ中へと飛び込んだ。

 「何処をほっつき歩いていた?馬鹿者がっ!」

 激しく敵と剣を打ち合わせながら、エドキスはアルディスに対して声を張り上げた。

 「お前こそっ!」

 気付いたアルディスが負けじと言い返した。エドキスは、敵の顔を斬り付けながら、その言葉ににやりとしたが、次の瞬間、アルディスのチュニックの脇腹の辺りのどす黒い染みに目を止め眉根を寄せた。アルディスの剣捌きは、普段に比べ若干鈍くなっている。一人でこの人数を相手にしていたのだ。一目では把握出来ない位の数の、しかも武具を身に着けた敵を...、手を負っていたとして不思議では無かった。

 気付けば、エドキスの目の端にブラコフと、親兵達の戦う姿が映った。ブラコフは彼特有の剣捌きで敵を倒している。エドキスは敵に応戦しつつも、今一度アルディスに目を馳せた。動きは鈍いながらも、相手とは互角に戦っている。だがその背後から、今一人アルディス目掛けて駆けて来る者、をエドキスは悪鬼の様な瞳の端に捕らえた。エドキスの剣は一気に敵の剣を振り払い、返す剣で相手に止めを刺すと、彼の足はそのままアルディスへと向かい、彼目掛けて振り下ろされた剣の前に辛うじてその身を投げ出していた。敵の剣は、エドキスの首筋から胸下までをばっさりと斬り裂き、エドキスの剣も又、相手の喉笛を横様に斬り裂いていた。エドキスの名を叫ぶ、ブラコフの声が聞こえた。

 「なっ!」

 言葉にならぬ声がアルディスの口から漏れた。酷く重く痛む体でやっとの事、敵の剣を叩き上げ、転倒させた敵を剣で刺し貫いた。渾身の力を込めて敵の鎖帷子を差し貫いた剣は、もう使い物にはなるまい。

 アルディスは、床に倒れ臥したエドキスの元に、信じ難い面持ちで慌ただしく膝をついた。エドキスは小さく呻いたが、アルディスを見るとすぐにあの皮肉を帯びた笑みを口元に上せた。

 「お前、....自分の剣を何処へやった?....己の剣を手放す奴があるか....馬鹿者。......お陰で私は取るに足らぬ者の手にかかったぞ」

 「何故...?俺を庇った?」

 表情を不審感に歪ませながら、アルディスは懐から手巾を取り出すとエドキスの首筋を強く押さえた。

 「何故だ..?エドキス?」

 声が僅かに震える。

 「お前は、昔から何かと俺を庇って来たが、お前にとって俺は飼い犬だからだと思っていた。何故、今、敵の剣の前に飛び出した?」

 エドキスは目を細めた。

 「兄が...弟を庇ったら....おかしいか?」

 「........」

 返す言葉を持たないアルディスに、 エドキスは低く笑った。

 「おかしいな....、クルトニア帝家に..あっては....、兄が弟を...殺すならまだしも。.....お前は...確かに.......可愛い飼い犬だった....」

 いつもの様な皮肉な言葉を、皮肉気な笑いと共に吐くと、エドキスは再び小さく呻いた。息が荒い。

 「エドキス....」

 アルディスは、エドキスの首筋を押さえる手に力を込めた。出血は酷い。アルディスの手をも深紅に染めている。

 「お前の...母と..約束した.....、お前が生まれた時.....、お前を...生涯守ってやると....、シルキアの姫に....そう誓った....」

 「もう喋るな、エドキス」

 アルディスは、痙攣を起こしているエドキスの手を強く握りしめた。

 「私は....姫との....誓いを......果たした..よ...な....?アル..ディス....」

 アルディスが頷いてやると、エドキスは安堵したかの様に小さな息を吐き、遠い目をして息絶えた。その悪鬼にも似た色の薄い瞳は、最早何も映し出しはしなかった。争いの喧噪は、いつの間にか止んでいた。辺りに敵はいない、息絶えた者達以外は....。アルディスの背後にはブラコフのみが跪いていた。他の親兵達は、皆斬られたのであろう。

 皇太子に次ぐクルトニア帝位継承権者は、こうして二十六の若さで命を落とした。


 アルディスは無言のままエドキスの瞳を閉じてやりつつ、幼い頃よりエドキスに守られて来た事を思う。散々蔑みの言葉を吐かれたが、実のところ、父である皇帝からも多くの兄姉達の誰からも顧みられる事の無かったアルディスを、唯一気に掛けたのはエドキスであった。気の触れた母が死んだ時も、エドキスは彼の実母である皇后に猛反対されながら、年端もいかなかったアルディスを強引に手元に置いて面倒を見た。アルディスの食事に毒が盛られた事があった時、エドキスは暫くの間、自らでアルディスの食事の毒味をした事もあった。殺したところで何の得にもならないアルディスに毒を盛ったのは、恐らく妾姫の子であるアルディスを厭う皇后であったのだろう。エドキスはそれを承知で己の体を盾にしたのだ。


 「そういえばいつだったか....」

 アルディスは呟いた。

 「エドキスは、俺の為に命を落とすんじゃないかと案じた事があった......、本当にその通りになった....」

 感情の読めない淡々とした口調とその言葉に、ブラコフは目尻を押さえると、素早く涙を拭った。その時であった。俄に騒がしい音が二人の耳に届いた。ブラコフは透かさず立ち上がり、窓辺に駆け寄ると鎧戸を開いた。途端に喧噪が近くなる。馬の嘶き、剣の打ち合う鋭い音、人々の叫び。ブラコフは眼下の信じ難い光景に顔色を変え、アルディスを振り返った。

 「殿下、こうとなっては形勢は我々にとって不利です。直ちにお落ち下さい」

 アルディスは、エドキスの血に濡れた剣を拾い上げその亡骸に握らせると、表情の無い顔を僅かに上げた。

 「俺の命に何の価値がある?」

 「殿下!」

 身を乗り出すブラコフを、アルディスは振り返った。

 「兵達を退かせろブラコフ、降参する。こちらに歩のない物を、兵達を戦わせてもいたずらに血が流れるだけだろう...」

 「いけません、殿下!貴方には落ち延びて頂かねば」

 階下から複数の足音が響いて来た。ブラコフがはっとした。

 「遅過ぎた様だ、ブラコフ」

 アルディスは微笑んだ。様々な叫び声と共に、無数の足音があっという間に、彼等の四方を取り囲んでいた。 

 「これが天帝の思し召しとあらば....」

 ブラコフは苦し気な表情で再びアルディスの前に跪いた。

 「殿下、斯なる上は帝家皇子としてのお心得、しかと」

 アルディスは微かに笑みを浮かべたまま頷いた。





 アルディス皇子とクルトニア軍の参謀ブラコフが捕らえられたとの報告を受け、アムリアナはオランド卿他、数名の臣達と共にその場へと足を運んだ。階段を上がるにつれ、辺りに群れていたメインデルトの人々_______それは兵卒達もいれば地下牢から解放されたばかりの騎士達や貴人達、果ては従者や、城の下働きの者達まで混じっていた_______は、アムリアナの為に道を空けた。人々の空けた通路のその先に、アルディスは立っていた。後ろ手に縛られ、その両腕を脇に立つ者達がそれぞれ掴んでいる。

 アルディスの姿に瞳を捕われたアムリアナの足取りが、自然と早くなった。アルディスも又、こちらに向かって来るアムリアナの姿を認め、ほぼ無意識的に、ふらりと足を踏み出していた。だが、ほんの数歩動いただけで、傍らの者達に止められ、憎しみの隠った叱責と共に鳩尾を殴られ、頭部を殴られ、そのまま呆気無く床にくずおれ意識を手放した。

 

 息を飲んだアムリアナの腕を、誰かが掴んだ。そうでもされなければ、アムリアナは咄嗟に駆け出していたであろう。

 「お立場を」

 耳元で叱責され、辛うじて理性を取り戻したアムリアナが背後を振り仰ぐと、そこにはルデラントの、厳しくそれでいてどこかアムリアナを労り案ずるかの様な複雑な表情があった。

 (立場....、そうだ、立場だ...)

 アムリアナは震える唇をぐっと噛み、ルデラントに頷いて見せた。


 「第四皇子は事切れております、姫。あれほど殺すなと皆には命じておいたのですが...、惜しい事です。呵惜あたら貴重な人質を....」

 オランド卿がエドキスの元に屈み、その死を確かめると言った。アムリアナはルデラントの手を離れ、横たわるエドキスに歩み寄った。憎んだ男の顔は苦悶の痕も何も無く、蒼白く血まみれでありながら尚、安らかに眠っている様にしか見えなかった。何の感情も浮かばぬ瞳で、アムリアナは暫くの間エドキスの死に顔を見下ろした。侵略者でありこの身を辱めた男の死は、嬉しい筈であると、喜ぶべきであると胸の内では分かっていながら、アムリアナは何も感じる事が出来なかった。

 アムリアナは首を巡らせ、倒れ臥すアルディスへと目を向けた。人々の見守る中、アムリアナはしっかりとした足取りでアルディスのもとへ歩み寄り跪いた。彼女の右手はそっとアルディスの頬に触れ、額にかかる団栗色の髪にそっと触れた。口を閉ざした人々の中には僅かな音を立てる者さえいなかった。アムリアナは目を細めアルディスの脇腹の染みにそっと手を触れ、そしてその手を開いて眺めた。指が鮮血で染まっていた。

 「私達は、メインデルトを取り戻したわ」

 そのアムリアナの一言に、人々は一斉に歓声を上げた。皆が互いに抱き合い、踊りだし、口々にアムリアナの名を叫び出した。唯、捕われたブラコフ候と、ルデラントの二人のみが、意識の無いアルディスを見詰めるアムリアナの顔から目を離せないでいた。  




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