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最後の王子  作者: 秋山らあれ
10/13

10.深淵





 「来い、ブラコフ」

 言うやエドキスは、身を翻して走り出した。短い返事と共にブラコフもそれに続く。行く先は当然アムリアナの部屋である。階段を駆け上がり歩廊を駆け、そして彼ら二人は開け放たれたアムリアナの部屋の扉と、床に伏した三名の衛兵、そして一人の騎士らしき男を目にする事となった。

 二人は静かに剣を抜き、足音を忍ばせ近付く。ブラコフは倒れ臥す騎士へ近付くと、剣先を向けながらその面を確かめた。斬られた形跡は無い。

 「帝国の者ではありませんな」

 「それが何故ここで倒れているか?」 

 ブラコフの囁きに、エドキスは自嘲的な笑みを浮かべながら自問するかのように呟いた。エドキスよりも頭半分程も背の高い大柄なブラコフが、その体型にも拘らず足音一つたてずに扉口へ寄り、室内の様子を探る。ブラコフは無言で指を二本立てて見せた。二名...。この状況からして味方であるとは考えない方が無難だ。エドキスもそっと扉口へ近付くと、無言でブラコフに頷いた。



 突然の入室者に、二人の衛兵は手にしていた剣を咄嗟に構えた。その入室者のおもてを確認しても尚、緊張の面持ちのまま剣を下げる事はしなかった。

 「ほほう...」

 エドキスは、にやりと笑う。剣を抜いてはいたが、構える事はしなかった。

 「私相手に剣を向けるか?という事は、間違いなく敵の様だなお前達?上手くクルトニア兵に化けたものだ」

 「殿下?」

 傍らの側近の問いかけに、エドキスは酷薄な笑みを浮かべたまま命じる。

 「雑魚の様だが、取りあえずは生かしておけ、ブラコフ」

 「御意」

 武人らしい短い返答と共に、ブラコフは二人の敵に襲いかかった。大柄なブラコフの大きな剣さばきは、たちまち相手の剣を軽々と跳ね上げ、鎖帷子に包まれたその体の骨を打ち砕き、もう片方の敵の手首を剣ごと切り落とすや平打ちで殴り倒した。あっという間の事であった。エドキスはそれを見届けると、辺りを見回した。窓辺の垂れ幕が横様に切り裂かれていた。寝室の様子を伺い踏み込むブラコフの後から、エドキスも足を踏み入れると、足早に寝台に近寄りその上掛けをはぐった。

 「おのれメインデルトめ.....」

 エドキスは冷たい瞳で寝台の中を一瞥し、その場を離れた。そこには意識の無いセーナが、猿ぐつわを噛まされ、手足を戒められ横たわっていた。ブラコフは剣先で素早くセーナの戒めを解くとエドキスの後から再び隣室へと戻った。

 エドキスは、外傷の無い方の敵を足で蹴り上げた。苦し気な声を上げ身じろぎする敵兵を確かめると、そのまま背を向けた。それに代わりブラコフがその兵の胸ぐらを掴み上げて強引に体を起こさせると、喉頸にぴたりと剣先をあてた。


 「アムリアナを何処へやった?」

 エドキスは長剣を腰に納めながら静かに尋ねた。だがしかし、意識を取り戻したメインデルト兵は、当然の如く憎しみに満ちた瞳を敵国の皇子の背に向けたまま、答えようとはしなかった。

 「答えないか?だがそう簡単に殺してはやらんぞ」

 彼は低く笑いながら、血に濡れたもう片方の敵兵の側に跪いた。

 「こちらも生きているな、都合が良い」

 エドキスは、その敵兵にのしかかり首を締め付けた。うめき声が上がる。

 「アムリアナを何処へやった?」

 色の薄い瞳を細め、エドキスは再度低く尋ねる。

 「ついでに何者の差し金か教えて欲しい物だ」

 更に両手に力を込めると、ブラコフに剣を向けられ凍り付いている敵兵に冷たい目を向ける。エドキスに首を絞められている兵は、途切れ途切れの呻きを上げている。もう片方の敵兵は口を開こうとはしない。エドキスは相手をあざける様に笑うと、両手の力を抜いた。激しく咳き込む敵兵の兜を取払いその頭を露にするやその耳を掴み、短剣を抜き放った。

 「言え、アムリアナは何処だ」

 エドキスは、恐ろしさに身動きしようとする相手の胸の上に荒々しく片膝を付いた。

 「私はあまり気の長い方ではない。早く言った方が双方身の為だぞ」

 エドキスは短剣を相手の耳にぴたりと着けた。相手の体の震えを手に感じたエドキスは、口元を楽し気につり上げた。

 「言え」 

 二人の敵兵は、一言も発しない。

 「言えっ!」

 エドキスの短剣が躍り上がり、室内に絶叫が起こった。ブラコフはちらとも表情を変えなかった。 

 返り血の飛び散ったエドキスの顔の表情は、口角の上がったままであり、彼の手からは血にまみれた片耳が投げ捨てられた。その血にまみれた手は、激しく転げ回ろうとする兵の残された耳を荒々しく掴んだ。そしてその悪鬼の様な瞳は、ブラコフに剣を突きつけられているもう片方の敵兵へと向けられた。その敵兵の蒼白な顔は、今にも泣き出さんばかりに見えた。エドキスはその敵兵を見据え、無言のまま再び短剣を握る腕に力を込めた。再び聞く者を地の底へ引きずり込まんばかりの絶叫が起こった。

 




 湿気を帯びた暗いその粗末な一室で、アムリアナは懐かしい面々を認め、思わず数歩駆け寄った。

 「ラモラス卿、エイベル卿、ジェンシー卿...、ああ、皆...、オランド卿貴方も...」

 「姫、我らが姫よ、良く今まで辛抱なさって下された」

 恐らくは一番の年長者であろう初老のオランド卿がアムリアナの手を取って、彼らの中央の椅子へと導いて座らせた。アムリアナは、広くも無い室内に集う男達の顔を、胸を熱くして見渡した。

 「信じていました、皆の事。決して...、デギナンに、クルトニアに、心から屈服などしない事を」

 騎士達がそれぞれに深く頷く。

 「我々は今宵、必ずや城を奪還してご覧にいれまするぞ、姫。計画は既に実行に移されているのです」

 オランド卿の声は低く力強かった。計画をアムリアナに説明しようとした卿の言葉を、ルデラントが突如遮った。

 「姫をお迎えに上がった折、部屋でアルディス皇子と鉢合わせした」

 「それで?」

 騎士達の顔が厳しくなる。ルデラントはやや言葉に詰まる風に見えたが、続けた。

 「皇子は、我々に姫を託した」 

 「どういう事だ?」

 「皇子は、見なかった事にすると....。罠かとも疑ったが、取りあえずコーヘンを残して、その後から数名を送っておいたが、相手はかなりの手練だ」

 ルデラントの言わんとしている事にオランド卿は頷くと、即座に指示を出した。それにより駆け出して行く騎士達の足音を聞くまいと、アムリアナは毅然とした表情で立ち上がった。

 「事は急を要するのでしょう?貴方方の計画を教えて。可能ならば、この私にエドキスの息の根を止めさせて」

 オランド卿が一瞬をおいて口を開いた。

 「エドキスの命を奪うわけには参りません、姫。あの皇子は、皇太子に継ぐ帝位継承権を持つ者です。我々は、クルトニア帝国に対しての人質として、何としてでもあの第四皇子を生かして捉える所存です。今現在、我々の手の者達がそれぞれ、帝国の貴人達とデギナン公の元へ向かっています。地下牢でとらわれの身となっている面々も、今頃はすでに救い出されている筈です。今宵我々は、帝国の兵等の食事に薬を盛りました故、多くの者は今頃は眠りについている筈。.....さすがに皇子達に薬を盛る事は致しかねましたが...、毒味役がついております故...」


 既に実行に移されている王城奪還の動きについて聞き終えると、アムリアナは力強く頷き、室内の面々を見回した。

 「こんななりでは剣など使えやしないわ。誰の物でもかまわないから、動き易い衣服を、それと剣を」

 「姫は危険が去るまで、こちらにお留まり下さい。王城の奪還は我々が」

 オランド卿が驚いてアムリアナを止めた。

 「いいえ、そうはいきません」

 何者にも、否を言わせぬ強い意志を滲ませて、アムリアナはそれを拒否した。小さな灯りの中に浮かぶアムリアナのそんな姿を、ルデラントは一抹のわだかまりの残る思いで見詰めていた。





 城内の、いつもにも増した静けさが不気味であった。普段なら仮令深夜であろうとも、見回りの衛兵達の靴音や、鎧の鳴る音がどこかしらから微かに聞こえて来る筈であった。今宵はそれが無い。何かが確実に起こっているという事を、その奇妙な静寂が雄弁に物語っていた。そんな中を、アルディスはエドキスの姿を求めて急いでいた。メインデルトからの撤退を促す為である。多くの無意味な血が流される前に.....。必要とあらば、エドキスに剣を突きつけてでも、否、刺し違えてでも良いとさえ彼は思っていた。侵略などという行為が、そもそもの間違いなのだ。血が流れれば憎しみが生まれる。当たり前の事ではないか...。

 アルディスは、ノックも無しにエドキスの私室へと踏み込んだ。室内は暗く、炉の火も落とされていた。しかし人の気配がある。 

 「エドキス?」

 彼の名を呼んでからアルディスは内心舌打ちするも最早遅かった。複数の殺気に全身の毛を逆立たせ腰の剣を引き抜くも、大した手応えを得る前に後頭部に強い衝撃を受け、床に叩き付けられていた。そこをすかさず複数の人間にのしかかられ、腕を踏みつけられ剣を奪われた。


 アルディスは抵抗をしなかった。どうやら脳震盪を起こしているらしく、酷い耳鳴りがする。自分を押さえつける者達の会話も切れ切れにしか聞こえて来ない。油断したなと、心のどこかで自嘲しながら、敵の人数を把握した。

 間もなくして灯りが灯され、それが己の顔の近くまで近付き、そして遠ざかった。

 「エドキス皇子じゃない。アルディス皇子だ」

 灯りを手にした者が言った。アルディスは無抵抗なまま、あっという間に後ろ手に縛り上げられ武器を奪われた。抵抗したところで、恐らくはまともに動けまい。ともすれば意識が途切れそうになる程だ。ふと近くに転がっている椅子に気付く。あれで殴り倒されたのだろうか...と、考えた。どっしりとした造りの重たそうな椅子だ。恐らくそうであろう....。結構な衝撃であった。打ち所が悪ければ死ぬかもしれないなと、アルディスは苦笑した。

 

 いつの間にか四名いた筈の敵が二名に減っていた。意識が途切れていたのであろう。もう暫くの間、身じろぎさえもせずに大人しく横たわっていたアルディスは、やがてむっくりと起き上がり頭を振った。見張り役であるらしい二名のメインデルト人が緊張するのが分かった。アルディスは、その二名の位置を確認し、距離を測る。そして、ゆっくりと立ち上がった。

 「動くな!我々は、もしもの場合、貴方の命を頂戴しても良いという命を受けている」

 男の一人が、言いながらすらりと剣を抜いた。寝台に腰掛けていたもう一人も、剣に手を掛けながら立ち上がっていた。アルディスは二人のメインデルト人達を見比べ、ふっと剣呑な笑みを見せながらゆっくりと近付いた。

 「俺を殺すのか?殺したらいい」

 その投げやりな声と言葉に、男達の顔が困惑に翳った。その一瞬の隙を、アルディスは見逃さなかった。床を蹴った彼の姿は、一瞬にして剣を抜いていた男の懐に飛び込み、床に転倒させるや、その腹部に勢い良く飛び乗り、その顎を蹴り上げ気絶させた。そして背後から襲いかかって来たもう一つの剣を、間一髪で避け、足払いをかけ相手を転ばせ、剣を握る拳を思い切り踏みつけ、剣を蹴って遠ざけた。機敏に起き上がろうとする男の腹を蹴り上げ、体を折ったところを、。間髪も入れずに頭部を横から蹴り付けると、相手はあっけなく気絶した。

 アルディスは、男の腰に収まっていた短剣を足で器用に引っ張り出すと、かがみ込んで、後ろ手に縛り付けられている手に掴み、縄を切ろうと試みた。手元が狂い、幾度か己自身をを傷付けつつ漸う戒めを解くと、床に転がった剣を拾い上げた。奪われた己の剣は、見当たらなかった。拾い上げた剣の刃を一瞥する。切れ味の悪そうな剣ではあったが、無いよりはましである。アルディスはその剣を腰に佩き、部屋を出ると扉に鍵をかけ、その場を離れた。 





 エドキスは、動かせる兵達をすでにアムリアナ追跡の為に城内の隠し通路へと送り出していた。アムリアナ以外のメインデルト人は、総て命を奪う様命じた。こうしている間も、レイクは必死になって味方の兵達を目覚めさせようと走り回っており、又、今では彼以外の者達も、眠りこける味方を見出しては殴りつけ、何とか目覚めさせようとしていた。

 

 (アルディスの奴、どこで油を売っているんだ)

 エドキスは内心苛立っていたが、表面上はそんな気持ちなどおくびにも出さない。ブラコフが、部下達にアルディスの行方をも探させていた。

 その広間に立つエドキスの傍らに付いていたのは、ブラコフ候を含む少数の側近達と少数の親兵達のみであった。空気が異様に張りつめていた。

 その時、手負いらしき兵がふらふらと広間の扉口に現れ、ばったりと倒れ臥した。その背が酷く血に濡れていた。エドキス等の姿を認めたらしいその兵は、緩慢な動きで何かを掴もうとでもするかの様に片手をエドキスの方へと伸ばした。

 「ア..アルディス殿下が.....」

 押し出されたその断末魔の声に、エドキスが逸早く反応し、駆け寄った。

 「アルディスがどうした!?」

 「きっ..北の..回廊..で...てっ...敵に...かこ.......」

 そこで兵の首はがっくりと床に落ちた。

 エドキスは物も言わずに駆け出していた。

 「殿下っ!!」

 臣達がエドキスを呼び止めるも、意味を成さなかった。あの冷徹な皇子が自らの立場も忘れて、今この時にこの様な行動に走るとは.....、側近達の誰もが己の目を疑い、理解に苦しんだ。そして誰もが不吉な予感を胸の内に過らせた。司令官の愚かな行いが、良い結果を産み出す筈など無いのだ。ブラコフ候は、手短に指図を残すと、数名の者達を連れエドキスの後を追った。





 深夜、心地良い眠りを突如妨げられたデギナン公は、不機嫌に重い瞼を開いた。それで無くとも、聖職者たるべき者の朝は早いのだ。だが、そう思ったのも束の間、デギナン公は両脇から首元にぴたりと突きつけられた金属の冷ややかな感触に、体中の毛の逆立つ思いを味わう事となった。気付けば、然程の距離でもない処に、小さな蝋燭の灯りがあった。その灯りがぼんやりと浮き上がらせた幾つかの人影、殊に、剣を突きつけている者の人形の様な表情は彼の背筋を凍らせた。

 「貴方方の計画では、デギナン公の身はどの様に...?」

 落ち着き払った声音は、若い女の物であった。

 「無論、死を....」

 低い男の声...、それに続き先程の女の声が続く。

 「賛成です」

 デギナン公は息を飲んだ。

 「アムリアナか?」

 「叔父上、貴方は国の為と言い、貴方の兄と甥の命を犠牲にした。それ故、貴方の義姉は毒をあおり、姪は暴力でもって無理矢理に貞操を奪われた」

 ほんの小さな炎に照らされたアムリアナの蒼白い顔が、幽鬼の如く公の目に写った。

 「それ故.......、私が今この場で国の為に貴方のお命を絶ったところで、決して罪にはなりますまい」

 デギナン公は目を見張った。

 「叔父上、お覚悟!」

 デギナン公が最後に見たのは、自らの胸を貫くアムリアナの手になる剣の煌めきであった。




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