始めましょうか 3
グラウンドの隅のダイヤモンドには、既に30人近くもの1年生で埋め尽くされていた。掃除当番で遅れて行けば、周囲の1年生が「また増えたか」とうんざりな顔をする。彼らには悪いが、それは俺の言いたいことそのままだ。
「なんだお前、また来たのか」
突然声をかけられる。声の主は振り返る前から分かっていたが、やはり刈り上げ上級生の須賀だった。
「野球部に入るつもりなんだから、来て当然だろ」
「あれだけやられても、まだ入部するつもりなのか。根性だけは認めてやるがな」
「あれは引き分けだろ。お前は約束破ってスロー投げたんだから」
「そういうの全部ひっくるめて勝負だろうが! 何言ってんだお前、馬鹿じゃねえのか!?」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは! 大体頭の中もその髪の毛と同じぐらい少ない奴が他人を馬鹿呼ばわりしてんじゃねーよ!」
「おまっ、刈り上げ舐めんなよコラ!」
「おー、舐めてなんかやんねえよ汚ねえな!」
「おいお前ら、少し仲良くし過ぎだぞ」
そこで闖入するのが初又さんという人である。上級生も含めて周囲が明らかに頭の悪い二人組を敬遠する中、平然と乱入してくる。
「仲良いのは結構だが、その体力は練習に回してくれよ。特に一暢」
「何で特に俺?」
聞き返したが、案の定無視された。
「さぁ、2・3年生はアップな! 監督来る前に終わらせろよぉ!」
「おい須賀」
他の上級生たちと同様にスタスタと歩き始める須賀を呼び止める。
「あんた、初又さんの言った意味分かってんだろ? 今から何が始まんだよ?」
すると須賀は、手近なバットを拾い、吐き捨てるように答えた。
「分かっててもテメェには教えねぇよ。大体テメェは俺に昨日負けただろうが。敗者が勝者に軽々しく話しかけんじゃねーよ」
「そうかよ。だったらもう一度勝負だ。今度は負けねぇ」
「あぁ、いいぜ。テメェが無事入部出来たらな」
無事入部出来たら?
「どういうっ……?」
意味だよ、と聞こうとしたところで、つい先ほど聞いたばかりの無遠慮な声が響き渡った。
「はいはーい、揃ってますね1年生! ってあれ、思ったより多いっすね!」
雑多な1年生たちの頭越しに見えたのは、昼間見た覚えのある野球帽だった。そこから聞き取るのもやっとの、小さな呟き。
「これは篩が大変そうだ…」
篩? 一体何のことだろう?
尋ねる間もなく、監督はパンパンと手を叩いて注目を集める。
「はいはーい、皆さん注目して下さーい! 今から少しやってもらいたいことがありますのでー!」
突然現れた変人に、30人の新入生集団は大いに戸惑う。無理もない。無論格好が最たる理由だが、それよりもいきなりの「やってもらいたいこと」に不吉な予感がしてならない。
「私、監督の津倉ッス! 自己紹介は置いといて、先に皆さんにしてもらいたいことを言いましょうか」
ずらりと集まった新入生たちが、揃って緊張に体を強張らせる。その中で高らかに宣言して曰く、
「皆さん、走ってきて下さい」
緊張感で張り詰めた空気が、穴の空いた風船のように萎むのが分かる。走る? 至って普通ではないか。
「走って頂くのはこのグラウンドです。それと1周走り終えた人は、他の人が1周終えるのを待ってから、また走ってもらいます。それと最も気を付けてほしいのは…」
ここで言葉を区切るあたり、性質が悪い。
「1周した時点で1番遅かった人は『脱落』ってことなんで、まぁ悪しからず」
誰も何も言えない。それは俺も同じだ。 脱落? 脱落とはどういうことだ?
「あぁ、皆さんの聞きたいことはよく分かるっす。『脱落ってどういうことだ?』。皆さん分かりやすい顔してますから」
「茶化さないで下さい! どういうことなんですか?」
痺れを切らした誰かが叫んだ。叫ぶ気持ちは理解できるが、恐らく短気な奴に違いない。
「脱落、つまりは強制退部ッス。まぁ、入部もしてないうちなので『門前払い』ってことになるんスかね」
予想はしていたが、期待はしていない言葉であった。周囲がザワザワとざわめき始める。
「嘘だろ? たかだか学校の部活動で門前払い? そんなの聞いたことねえよ!」
「その考えがそもそも気に入らないんすよ。たかだか学校の部活動? 笑わせちゃいけない。君たちの貴重な10代だ、部活の使命は君たちの成長に使うべきでしょう? けどこんな数をおいそれと成長させてあげるほど、私は暇じゃないんスよ。だから見込みのある奴だけを拾うシステムだ」
「脚の速いか遅いかだけじゃねぇか!」
「うるさいなぁ。君たちの部活動の最終目標は全国大会だ。甲子園だ。そこに行くことこそが成長なんス。それが出来そうにない人間を篩にかけないと、他の人の足を引っ張ることになる。それはマズイでしょう? さぁ、何か質問は?」
「何人落とすんだ?」
恐らく誰もが抱いた疑問を、俺は恐る恐る口にしてみる。答えはうやむやなものだった。
「私の気が許すまでなら、何人でも落とします。ただ見込みのある人間が落ちそうになれば、そこでストップだ」
何人落ちるかも分からないサバイバルレース。入部早々にこんなものが待っているとは思わなかった。そして同時に、須賀の言っていた意味がわかった。
無事入部できたら。
須賀は知っていた。何故なら、彼らも通った道だからだ。この道を生き残れない人間が須賀に勝てるわけがない。兄貴だなんて、以ての外だ。
なら勝ち残る。何人落ちようと、何人を蹴り落とそうと関係ない。
それぞれがそれぞれに覚悟を決めてスタートラインに並ぶ。そんな1年生を順番に見回してから、監督の野球帽の下の目がギラリと輝き、
「それじゃ……始めましょうか」
合図と同時に、30人が走り出す。